第四章

第18話 “玉”の時間

 ふみかは夢想する。

 ほんの四十分前まで笑顔に溢れていた時間が、今は遠く懐かしい。

 恥辱に唇を噛みしめ、身を震わせるしかできない自身を顧みて、唾棄たる思いに駆られたとき。

「ふみかさん」

 正面からの声に、顔を上げる。竜真の柔らかな笑みがあった。

「大丈夫です。あなたを……必ず守ります」

 その真摯な眼差しを受け、ふみかは小さく頷いた。




 ――四十分前。

 優己の部屋に集うは、平時の面子である剛我とふみか。そこに本日、新たなメンバーが加えられた。

「竜真君、ふみかチームへようこそーっ!」

「よ、ようこそっ!」

 ふみかが笑みを湛え、盛大な柏手を打つ。彼女の目配せを受け、優己は三人分束ねたクラッカーを鳴らした。

 思いのほか破裂音は響き、階下で家事に勤しむ母が竦み上がったことを、彼は知る由もない。 

 竜真は気恥ずかしそうに身を縮める。

「ありがとうございます。こんな歓迎を受けるなんて……」

「ちょっと待て」

 そこへ、ベッドに横たわる剛我が口を開いた。

「ふみかチームってなんだ? 勝手に決めんな」

「じゃあ、剛我は何がいいの?」

「オレがメインだぞ? もっとこう、オレを表すような感じの、そうだな……極悪虐殺大帝国軍団とか」

「致命的にダサいね」

「ぶっ飛ばすぞテメェ」

 二人の喧騒に、竜真と優己は顔を見合わせて笑った。

 この部屋が、かつてこれほど喜ばしい喧騒に包まれたことはあっただろうか。今まで友人を呼んでも、もっぱら蔵書の漫画を読みふけるかゲームに勤しむくらいで、会話そのものを楽しんだ覚えはなかった。数奇な運命の狭間に転がり込んできた、何気ないこの“たま”の時間に、ただただ顔をほころばせた。

「ねぇねぇ、今気づいたんだけどさ。何だかあたしたちって、漫画とかに出てくる四天王みたいじゃない? ちょうど四人いるじゃん」

 ふみかの唐突な発言に、優己は首を傾げた。

「四天王?」

「またしょーもないこと言い始めたぞこいつ」

 剛我が嘆息する横で、彼女は続けた。

「あたしがセクシー担当の紅一点でしょ。お色気要員みたいな? 剛我がパワーバカで、最初に主人公たちにやられる役ね」

「おい」

「で、竜真君がイケメンリーダー格。主人公たちと最後に戦うの」

「はぁ」

「そして優己君はぁ……」

「小生意気なガキ枠だろ」

「えっ」

 剛我の発言に、優己は眉をひそめる。

「何だよそれ」

「主人公どもを挑発して、いざ負けると泣きじゃくるようなやつ」

「僕、そんなキャラじゃないし」

 否定するも、やはり低身長と痩躯から子どもという思わしくないイメージが定着していることに、優己は内心ショックを受けた。そして、この会話の根源的問題に気づく。

「ていうか、僕たち敵サイドなんだ」

 とりとめのない雑談も落ち着いてきた頃、ふみかが時計を見やり、言った。

「――あ、竜真君。そろそろあたしたちも行こっか」

「そうですね」

 立ち上がる二人を、剛我が訝し気な視線で見上げた。

「おい、お前らどこ行く気だ」

「パトロールですよ」

「剛我、昨日言ったじゃん。ライバルは一人でも多く減らすに越したことはないって。だからね、今からプレイヤー探しに行くの」

「いや、それならオレも」

「ダメだよ」

「ダメです」

「ダメだって剛兄」 

 否応なしの峻拒を受けてさすがに堪えたのか、剛我はうろたえた。

「な、何で」

「だ、か、ら、それっ!」

 ふみかが、右腕のギブスを指し示した。

「満君の言ってたこと忘れた? 一か月は絶対安静っ! しばらくは家で大人しくしててね」

 竜真との激闘は、昨晩の出来事。一日も経っていない現状にもかかわらず、剛我の戦意は失われていなかった。

「待て待て。左腕はほらこの通り、全っ然動くぞ。余裕だって」

 囲う視線に気圧されたことを取り繕うように、左肩を大きく振り回す。好調をアピールしているつもりだろうが、優己たちの目には痛々しく移った。

「剛我先輩、お気持ちは分かりますが無理はいけません。このチーム……いえ、極悪大軍団は」

「極悪虐殺大帝国軍団な」

「何そのこだわり」

 訂正する剛我に、ふみかは冷ややかな視線を向ける。

「失礼しました。極悪虐殺大帝国軍団の要はあなたです。だからこそ今は英気を養い、万全の態勢で、今後の戦いに臨んでいただきたいんです。そしてこれは僕自身の問題なのですが、チームに加えてもらった以上、一刻も早く一員として機能したいと思っています。そのためには僕の戦力が充分であることを示したい」

「いや、お前の力は昨日の戦いでちゃんと分かって……」

「ううん。竜真君が言ってるのは、チームとして一緒に戦うときに連携がとれるかって話ね。でも今の剛我は戦えないでしょ? だからまずはあたしと一緒に行動して、交流を深めようって話になったの」

「ふぅん……」

 ふみかの補足説明を受け、剛我は天井を仰ぎ、押し黙った。竜真が続ける。

「二人で勝手に話を進めたことは謝ります。それに、少しばかり退屈な時間を取らせてしまうことは重々承知です。ただ僕たちが第一に考えているのは剛我先輩の安息、そこからの完全復活だということを理解していただきたいのです」

「そゆこと。あたしたち、あんたのためを思って言ってんだからね」

「……」

 剛我の今の心境を、この場にいる者が正確に推し量ることは不可能だろう。彼は困惑していた。自身を気にかけてくれる存在が増えたことに、心の整理が追い付いていなかったのだ。 

 他者から保護される。何者も拒み、孤独であることに歪んだ誇りを抱いていた生前には考えられなかった事態。

 随分と温くなったものだ、と剛我は自嘲した。しかし悪くない、と胸中で呟きながら。

 若干ふてくされながらも、一応の納得をしてやったと受け取らせるように、剛我は浅く頷いて見せた。

「まぁ……しゃあねぇな。んじゃ、今日は優己のお守りでも」

「あ、それなんだけど……」

「優己―、お友達よー」

 不意に階下から母が呼びかける。

「友達? 優己君、誰か呼んだの?」

「ううん、友達というか、実は……」

「失礼しまッス。おお、すげぇ漫画の数」

 ドアを開けて入ってきた人物に、剛我たちは目を丸くした。

「あれっ、満君?」

「あっ、どうも。こんちわッス」

 来訪者は隠人の母里満だった。

「剛我さん、怪我の調子はどうッスか……って、昨日の今日じゃどうもしないッスよね」

「テメェ、何しに来たんだよ」

「ああ、それがね剛兄。昨日、二人の戦いが終わってから、少し時間があったでしょ? そのときに、満さんと……」

「ははっ、優己くん。同い年なんだから、さん付けはなしって言ったっしょ?」

 満の気さくな口ぶりに、優己も語調を改める。

「じゃ、じゃあ……えー、満君と話して、今日の用事に付き合ってもらう約束をしたんだ」

「何でまた、二人で?」

「うーん。本当は一人で行きたい用事なんだけど、途中でプレイヤーに遭う可能性があるし……」

「僕が一緒なら、もしプレイヤーに会っても優己くんの諸事情を説明すれば信じてもらえやすいッスからね」

「そっか。それで、何の用事なの?」

「えっと……」

 剛我を一瞥し、優己は頭を掻いた。

「ちょっと今は言えないかな……」

「えー、なになに? めっちゃ気になるっ」

 身を乗り出すふみかを、竜真が制する。

「ダメですよ、ふみかさん。優己君にも都合がありますし、あまり詮索するのは悪いです」

「ちぇー……あれ?」

 口を尖らせた彼女はふと気づき、剛我を顧みた。

「ってことは……今日は剛我一人ってこと?」

「はっ?」

「そういうことになりますね」

「おいおい」

「じゃ、剛兄。留守番よろしくね」

「よろしく剛我」

「よろしくッス」

「よろしくお願いします」

 次々と部屋を後にする一同の背中を、剛我は呆然と見送る――と思いきや、最後に出ようとした竜真の腕を掴んだ。

「おい、竜真」

「な、何ですか?」

 ぐいと顔を近づける。凄みを利かせた視線に射抜かれ、竜真は息を呑んだ。

「もしプレイヤーと戦うことになったらよぅ……」

「はぃ……」

「ふみか守れ」

「!」

「あいつ、オレよりバカだから急に突っ走ることがあるんだ。しかも今回はオレがいねぇから、余計に張り切っちまうかもしれねぇ。お前、頭いいんだから、そのへん上手くコントロールしてやってくれや。頼んだぞ」

 戦線を外れる自身の代わりを託す――チームを組んで間もない相手に投げた、その言葉の意味。竜真はこれを刹那のうちに反芻し、重く受け止める。

「いいな、必ず守れ」

「……はいっ!」

 竜真は力強く頷いた。彼が部屋を出た途端、静寂が部屋を包み込む。Dフェスに参加して間もない、単独で戦っていた頃以上の虚無と孤独が剛我を襲った。

「……どうすっかなぁ」

 漫画やテレビに興じる術もない彼は、再びベッドに身を落ち着かせた。

 



「それじゃあ、ふみかさん。竜真さん。気を付けてくださいね」

「優己君こそ、危ないことしちゃダメだよ」

「満君、あとはよろしく頼むね」

「任せてくださいッス」

 優己たちと別れ、ふみかと竜真は並んで散策を始めた。

「……」

「……」

 二人きりという状況が今までなかったために、しばらく沈黙が続く。が、じっとしていられない性分がためか、口火を切ったのはふみかだった。

「えへへ、何だか変な感じだね。二人で歩くなんてさ」

「そうですね。生前は一度も顔を合わしたことがありませんでしたから」

「あ、でもあたし、友達と一緒に野球の試合見に行ったことあるよ」

「本当ですか? 実は僕も生前、ふみかさんのことは伺ってました。陸上大会で好成績を残したとか」

「えっ、知ってるの? ありがとう、何か嬉しいなぁ」

 直接の面識がなく、ぎこちなかったのも束の間、運動部所属という共通項から話が広がり始める。

「やっぱさ、体動かしてると嫌なことさっぱり忘れちゃうからいいよね。テストの点が悪かったときなんか、ずっとトラック走ってたよ」

「分かります。雑念が消えて、集中力が上がるんですよね。バッターボックスに立って、バットを構えた瞬間、周囲の音が波引くように消え去っていくあの感覚……好きなんですよね、あれ」

「何か、自分の世界に入り込めちゃうときってあるよね。あたしはね、走っているうちに周りの景色をぐんぐん追い抜いてっちゃう感じが好きだなぁ」

 軽妙に会話が弾む。剛我の時と違い、ふみかには笑顔が目立った。

「――あーあ、剛我も運動部入ればよかったのに。バスケ部とかさ」

「あの上背と腕力なら、どんなスポーツでも活躍できたでしょうね。特に野球なら長打者として十分に……」

「ふふっ」

「どうかしましたか?」

「ううん、何か変に気分悪くさせちゃったら申し訳ないんだけどさ。竜真君って、ほんとに野球が好きなんだなぁって思って」

 物事が野球に直結する竜真の思考展開に、ふみかは思わず笑いをこぼしたのだ。

「いえ、気分を悪くするなんてとんでもありません。むしろ嬉しいですよ。野球馬鹿と自負していますからね」

 竜真はバットを肩に寝かせ、揚々と胸を張る。

 ――その得意げな笑みが、失せた。足を止め、とっさに振り返る。その張りつめた様子に、ふみかは戸惑う。

「えっ、何?」

 視線を追うと、後方の歩行者が何気なしに通り過ぎていく。その背中を見届けた竜真は息をついた。

「……いえ、大丈夫です。ただの一般人でした」

「ああ、ごめん。会話に夢中で周り見てなかったよ。そうだよね、あたしたちプレイヤー探してたんだよね」

 ふみかは本来の目的を思い出し、間に合わせるかのように辺りを見渡す。

「ところでさぁ、プレイヤーと普通の人との見分け方ってどうしてる? あたし、よく分かんないんだよねぇ」

「外見からは判断できませんよね。まぁ、第一に挙げられるのは、不意に出会ったときの反応ですかね」

 竜真が前方の曲がり角を指し示す。

「例えば、向こうの角から出くわした際に、相手がこちらをしっかりと視認しているのが分かればプレイヤーだと判断できるじゃないですか。あとは、人通りの多い場所が望める離れたところから一人一人の動向を観察する……ですかね。これならこちらから下手に動く必要がないので、一方的に観察ができますし」

「なるほどねぇ。それだったらあたし、行けそうかも。空中からだったら、相手もなかなか気づかないでしょ?」

「そうですね。万が一見つかっても、相手の攻撃がそう届きませんから、まさに一方的と言えます。索敵に加えて、移動手段としても活用もできますし、〈天地無用〉はかなり便利な能力ですよ」

「へへっ、それほどでも~、あるけど?」

 ふみかは口角を上げ、誇らしげに歯を見せる。凄絶な戦いの渦中にあっても色褪せない、眩い笑顔。自分はこれから、彼女の健全な心身を守護しなければならない。剛我に託された使命を胸に秘め、竜真は歩を進める。




「見つけた。二人の男女。カップルか?」

「どっちの方角だ?」

「北西」

 青年が言った。ニット帽の上に、黒のヘッドフォンを被せている。イヤーマフに指先を当て、音の深遠に耳を澄ましている様子だった。

 その脇に立つは、スーツ姿の伊達男。丁番に蜻蛉の意匠を凝らしたサングラスが一際目を引く。

「……見つけた。ざっと百メートル先、か。男は……野球のユニフォームか? 女は制服。どうやら高校生みたいだな」

「待て待て待て。男の方は、何だって? ユニフォーム? どこの高校だ?」

 レプリカユニフォームを羽織った中年男性が二人の間に割り込み、声を張り上げた。

「知るか。ユニフォームっつっても、パンツの方だぞ。……ああ、ズボンっつった方があんたにゃ分かりやすいか」

「そうか、まぁいい。よしよしよし。いいねぁ、モチベェションが上がってきたぞっ!」

 恰幅の良い体を大きく揺らす。右手には黄色のメガホンを握り、しきりに左掌へ叩きつけている。

「……っ! おいっ、猿川のおっさん。いきなり大声出さねぇでくんねぇかな。めちゃくちゃ響くんだよ」

 青年がヘッドフォンを外し、猿川という男を睥睨する。

「がっはっは。申谷、これがおれにとっちゃ普通の音量なんだよ、いい加減慣れろ。なぁ、庄條?」

 猿川が隣で騒ぐも、庄條と呼ばれたスーツの男は動じない。サングラスの奥の双眸が、彼方を鋭く見つめる。

「……可愛いな」

「何だ、おれがか?」

に決まってるだろうっ!」

 今度は庄條が声を張った。

 申谷聆しんたにさとし猿川謙太郎さるかわけんたろう庄條規史しょうじょうのりふみ。それぞれDJ、不動産会社課長、私立探偵という異なる職業に就く面々。共通するは、Ⅾフェス参加のプレイヤーであるということだ。

「さて、ターゲットは決まった。相手の人数は俺たちより少ない。一人は女性、しかも服装はスカートときてる。いよいよ、例の作戦を実行に移すときが来たようだな」

「おお、スカートか。なら、姉ちゃんのほうは任せろ。がっはっは」

 臨戦意識を働かせる二人に対し、申谷は乗り気でない様子だった。

「ほんとに上手くいけばいいけど」

「いいか、申谷。俺たちは勝利を望んでなどいない。これ以上、お前らむさ苦しい野郎どもとつるむ気はねぇんだよ。いいかげん華が欲しいんだ、華が」

 吐き捨てるように言うと、庄條はサングラスを持ち上げた。

「狙うは――“彼女”だ」




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