第15話 月と雲1
「あめぇんじゃねぇのか?」
頬杖をついた剛我の視線に、優己は射竦められる。
「えっ?」
「優勝者の椅子は一つだ。いつかは戦わなきゃいけねぇんだろ? ライバルは一人でも多く減らすに越したことはねぇ」
「だ、だったらわざわざ戦う必要もないんじゃ……」
「そいつが他のやつに倒されるのを期待するような心構えじゃ、どのみちDフェスは生き残れねぇよ。オレは積極的に戦っていくつもりだ。相手が身内の知り合いだろうが知ったこっちゃねぇ」
剛我の強硬な態度を受け、ふみかが立ち上がる。
「ちょっと剛我、言い過ぎだって。それを言うならさ、あたしはどうなの? いつかは戦うかもしれないんだよ?」
「お前の場合は、話が別だ。オレは、その竜真ってやつに対する思い入れなんて欠片もねぇし。第一、お前と戦ったところで瞬殺だろ」
「はぁ? それなら剛我なんて秒殺だし。あれっ、瞬殺と秒殺ってどっちがすごいんだっけ?」
勝手に頭を悩ませるふみかをよそに、二人は視線をぶつける。
我を意地でも曲げない剛直な性分。名は体を表すとはこのことだと優己は辟易しつつ、説得を続ける。
「やっぱり、戦うの?」
「そいつと会ったらな」
「ほら、剛兄も昔顔を合わせたことあるでしょ? 本当に優しい人なんだ。普通なら、戦いとは無縁の」
「覚えてるさ。ヘラヘラした、いけすかねぇ野郎だろ? 殴りがいがありそうだ」
「もうっ、どうしてそんな物騒なことしか考えられないんだよっ! 理解できないっ!」
「おめぇに理解してもらうつもりはねぇよっ! 誰だろうがぶっ飛ばすまでだっつうの」
「じゃあ訊くけどさ。もしもだよ、この先友達と戦うことになったとしても、剛兄は平気なの?」
「問題ねぇ。友達なんざ最初からいねぇからな」
「言ってて悲しくならない?」
「てめぇ、張り倒っ」
唐突にふみかが剛我の手を取った。両足が跳ねる。剛我が横を向く。頬を左脹脛が掠める。ふみかがベッドに身を投げ出す。流れるような所作で、腕ひしぎ十字固めが再現された。
「アァイテテテテテテテテッ!」
「どう? あたし、要領いいでしょ」
「いいっ! すっげぇいいっ! だから放せっ、すぐ放せっ!」
「ほんとに体格差あっても抜け出せないんだぁ。ねぇ、本気? 気ぃ遣わなくていいんだよ?」
「ホンキホンキホンキホンキッ! マジでマジでマジでマジでッ!」
「優己君見て~。剛我の顔~、真っ赤っかだぁっ」
「ハ、ナ、セ、ヤ、ゴラァアアーッ!」
「僕、夕飯食べてくるね」
じゃれつく二人を尻目に、優己は階下へ降りていった。ふみかの行動が意図したものなのかはともなく、緊張から解放されるきっかけとなったのは確かだった。
竜真に関する問題は、時間をかけて説得するしか方法はない。もっとも、それまでに両者が遭遇しなければの話だが。
「本当にくるんスかぁ?」
優己の通う高校にある、金網に囲われた野球グラウンド。
色褪せたベンチに腰かけ、あくびを噛み殺す少年がいた。視線は手元の本に向けられており、その表紙には『スイーツ男子を目指せ! お菓子入門』と書かれている。
「くるさ。必ずね」
少年の問いに答えたのは竜真。バッターボックスに立ち、入念に素振りを繰り返す。足元にはスポーツバッグが置かれていた。
「戦いから逃げるような人じゃないさ。ところで……
「えっ、ああ。これはその。ははっ。触れないでくれるとありがたいッス」
満という隠人の少年は慌てて立ち上がり、指摘された本を後ろに隠した。
優己と同年代で背丈は近いが、体格は彼のほうががっちりとしている。丸く大きな瞳をくりくりと動かし、波打ったように癖の強い頭髪を掻いた。
竜真の頬を、夜風が優しく撫でる。息を吐きながら、空を仰向く。大きな雲の縁が一部、白く輝いてた。どうやら月が隠れているらしい。
「見えないな……」
「どうしたっスか?」
「僕ね、満月が好きなんだ。夜空に浮かんだ白く丸い月……何だか野球ボールに見えないかい?」
「うーん。どうもロマンチシズムってやつが足りないッスね。あっ、じゃあこれ知ってます? 『月が綺麗ですね』ってやつ」
「……月は綺麗なものでしょ?」
「ははっ、体育会系と文系ってのは相いれないみたいッスね」
「?」
「あっ、きたみたいッスよ」
竜真は満の視線の先を追った。待ち人の姿を認め、微笑む。
「こんばんは、剛我先輩」
「待たせちまったなぁ、竜真」
意気揚々と肩を回しながら、剛我がグラウンドへ現れた。満に顔を向ける。
「お前も早いじゃねぇか」
「お久しぶりッス」
満は軽く会釈する。
三者の反応は、全員が初対面ではないことを示していた。
「どうだ? ちゃんと約束通り来てやっただろ?」
「ありがとうございます。僕の話を真面目に聞き、さらには約束を守ってくれたプレイヤーは先輩が初めてですよ」
「最初は驚いたッスよ。お二人が遭遇して、一触即発ってときに竜真さんがいきなりタンマかますんスから」
二人は以前、プレイヤーとしてすでに一度出会っていた。そのとき、剛我は竜真からこんな頼み事を受けた。
『今度行われる弟の試合をどうしても見に行きたい。だから、試合が終わるときまで戦うのを待ってほしい』
「日にちと時間も勝手に指定したあげく、必死で頭を下げるテメェを見て、オレは仕方なく受け入れたんだ。で、もう思い残すことはねぇんだな?」
「先輩に感謝はしていますけど、勘違いしないでください。僕は戦う前には、必ず真大の試合を見に行くようにしているんです。一生懸命野球に励むあいつの姿を見て、自分自身を奮い立たせるために」
そこに穏やかな笑顔はなく、戦いへと臨む精悍な顔つきに変わっていた。
「それじゃ、改めて始めましょうか。ここは僕にとってホームと呼べる場所ですが、異存は?」
周囲が夜の闇に落ちた中、屋外ライトにより照らされた広大な敷地。障害物一つなく、視界は良好。十二分に戦える環境はそろっている。
「構わねぇよ。どこでも結果は同じだ。ところでお前、同盟は組んでねぇのか?」
「僕は最初から一人です。この先誰かと組むかもしれませんが……少なくともあなたと組むつもりはありません」
「どういう意味だ?」
「つまらない意地ってやつです。あなたにあって、僕にないもの。それを考えれば、僕の気持ちも分かって頂けると思います」
その言葉の真意が読めない剛我は追及を諦め、話題を変えた。
「そういやさっき、優己のやつが言ってたんだ。お前と戦うなってよ」
「優己君が?」
「断ったけどな。とっくに戦う約束してるなんて言えば、強引に引き留めてきただろうから、こっそり家を出た」
「そうですか……」
優己との会話は短い時間ではあったが、戦いですり減った竜真の心身に活力をもたらしてくれた。しかし、直面するはその兄と戦わなければならないという残酷な現実。竜真の下げた目線には、悲嘆の情が湛えられていた。
「ああ、そういえば優己君も言ってましたよ」
「あ?」
「あなたに興味津々だそうです」
「なんだそりゃ」
二人は思わず失笑する。これから対戦するとは思えない、和やかなムードだ。
「ははは……残念ですよ。優己君には、もう顔向けできそうにないと思うと」
竜真は足元に置いたスポーツバッグからボールを一球だけ取り出す。
「この勝負、絶対に負けるわけにはいかない。なぜなら僕と先輩とは背負っている覚悟の重みが違いますから」
剛我を見据えた目には、闘争の烽火が上がろうとしていた。迷いの影はない。この戦いがプレイヤーとして避けられぬ宿命とあらば。
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