第11話 〈紙上の絵空論〉
午後を過ぎ、日も落ち着いた頃。
ふみかは自宅に戻り、再放送の恋愛ドラマを鑑賞していた。
「ちょっと何よ、この女―。せっかく二人がいい感じなのにさー、邪魔ばっかしちゃって……ねぇ?」
感想を投げた先、傍らの母は寝息を立てていた。ソファに並んで座り、母と一緒にドラマを見て感想を言い合う。生前の習慣だった。
決して届くことのない言葉だが、近しい者が側にいるという安心感からか、思わず口に出してしまった。
ブランケットをかけようと伸ばしかけた手を、胸元へ戻す。
「ごめんね、こんな簡単なこともしてあげられなくて……」
自身が死者であることを再確認するとともに、悲嘆に暮れるふみか。不意に視線を感じ、窓へと目をやる。
使い古しの絵筆のような無精髭を蓄えた男が、庭に立っていた。
「お邪魔しま~す……」
男はか細い声で挨拶しながら、素知らぬ顔で窓を通り抜け、リビングへ侵入する。
「プレイヤーっ!?」
「その通り。おっと、身構える必要はないよ。ここで戦う気はないんだ」
「何よ、偉そうに……っ」
ふみかは内心、胸を撫で下ろした。思い出の詰まった、それも母のいる自宅を戦場に変えたくはなかったからだ。
「ああ、そうだ。さっき一緒にいた男。チームを組んだプレイヤーだろ? 彼は呼んじゃダメ。君一人だ。さもないと」
男は、肩に提げた鞄から緑のパーカーを取り出した。
「この子の無事は保証できない」
「その服……優己君のっ!?」
「場所を変えようか、ふふふっ」
男は髭に覆われた口を歪め、不気味に笑んだ。
男が戦場に選んだのは、河川敷だった。いわくのある場所に再び赴いたことで、ふみかの表情は冴えない。風が走り、男の髭が激しく翻る。
「やっぱりここがいいねぇ」
「優己君はどこよっ!」
「優己君? ああ、ごめん。それウソ」
男は緑のパーカーを取り出すと、容易く縦に引き裂いてしまった。
「ちょ、ちょっと」
「見てごらん。これ“紙”だから」
そういって男が見せたのは、パ―カーを模した紙片だった。厚手の布は薄い画用紙に、緑の染色は色鉛筆の顔料に置き換わっている。
「うそっ、さっき見たときは確かに本物だったのに……」
「ボクは芸術家だ。ボクの手の中で虚構と現実は入り混じるのさ。あ、来たよ」
二人の狭間に、蛍火に似た光が灯る。光芒を描き、円状の空間を形成すると、その中央から出雲櫛撫が現れた。
「今回の審判を務めさせていただきます、出雲櫛撫です。あら、ふみかさん? また会ったわね。今度は一人?」
「ええ、まぁ……」
「美しいねぇ。でも君はまた今度にしよう」
意味有り気に笑う男に薄ら寒いものを覚えつつ、櫛撫は会釈で返した。
戦闘準備が進められる間、ふみかは柔軟体操をこなしていた。そんな彼女の様子を、男はつぶさに観察する。
スカートから伸びた、張りのある脚。日に焼けた、麗らかな肌。柔らかそうな髪。晴天のように澄み切った、大きな瞳。どれをとっても美術モデルとして相応しい。
卑しい視線に気づき、顔をしかめるふみか。その表情を見て、さらに男は愉悦を深めた。
準備を終えた櫛撫が、声高に戦闘開始を告げる。
「飛鳥井ふみか対
「よーしっ、軽―くぶっ飛ばしちゃうんだから、覚悟しなさぁいっ!」
意気揚々と肩を回すふみかに対し、比嘉は鞄からスケッチブックを取り出した。
「そうそう。えーと、櫛撫ちゃんだっけ? 結界の範囲なんだけどね、もっと広げておいた方がいい」
「えっ?」
比嘉はページをめくりながら、櫛撫に忠告する。スケッチブックには多種多様な作品が描かれていた。いずれも
ページをめくる手が止まる。紙面には、サイケデリックな配色に左右で長さの違う腕、縦についた瞳、口の代わりに空いた無数の穴といった特徴を持つ、異様な人型の怪物が描かれていた。
「さぁ、始めようか」
紙面にふっと息を吹きかける。すると、怪物の絵が意志を持ったように動き始め、ページから抜け出した。
絵は平面から立体へ変化し、急速に形を膨張させていく。櫛撫は比嘉の言葉の意味を理解し、慌てて六稜忌暈の結界範囲を調整する。
「うそ……」
唖然と立ち尽くすふみかを含めた河川敷一帯に、二十メートルを優に超す巨大な影が差した。
「タイトルは『踊る巨人』。ボクの最高傑作だよ」
その題名に相応しい体躯を顕現させた巨人が、彼女の前に立ちはだかった。
「これが〈
「う……っ」
ふみかが躊躇う中、巨人が始動する。一歩踏み出した瞬間、地面の振動で足がもつれ、転倒しかける。その巨体は見かけだけではなく、相応の質量を持っていることが推察される。
『ヴォボォオオオアオァ!』
言語とは呼べない唸り声を上げる巨人。鼓膜を脅かす大音声に、その場にいた全員が耳を覆う。
「ちょっと……やめてよ、もうっ!」
『ヴァボォオオォオオオォォオ!』
「だ・か・ら、やめろって言ってんじゃないっ!」
ふみかは地面を踏みしめると、高弾性化による反動を利用し、一気に巨人の頭上近くまで跳躍した。上昇した勢いで、巨人の顔面に強烈な蹴りを叩きこむ。
『ヴォォ!?』
「まだまだーっ!」
巨人が怯んだ隙に、さらに連続で蹴りを加えていく。反撃する間も与えられず、巨人は一歩一歩後退を余儀なくされる。
思いがけないふみかの猛攻に、櫛撫は驚きを隠せない。手元の資料を確認すると、彼女は生前陸上部に所属しており、短距離走では大会上位入賞を果たすほどの健脚の持ち主だと分かった。
「なるほど、〈天地無用〉は彼女にうってつけの能力ってことね……」
プレイヤー同士の身体能力を比較すると、ふみかに圧倒的な分がある。一方、比嘉は状況に応じた創造物を実体化できる、汎用性の高い能力を持つ。今回は単純な膂力に特化した『踊る巨人』なるものを出現させた。現在は小回りの利くふみかに攻勢を許しているが、戦況はこれからどう展開するか。
「やるじゃないか。でもお楽しみはこれからだよ」
比嘉は、自分より数倍も大きな敵を前にしても、果敢に挑むふみかの姿に心酔していた。その敵が、自身が創り出したものであれば直の事。
「さあ、ボクの芸術を存分に壊してくれ。最後に君を壊すのはこのボクなんだからねぇ、ふふふ……」
芸術に対する、彼の危険かつ偏った思想。その屈折した想像力による狂気の産物は、なにも巨人だけではない。
比嘉はスケッチブックに目を移し、ページをめくる。そこには、目玉に鳥の翼を生やした不気味な怪物が複数匹描かれていた。ふっと息を吹きかけ、彼はほくそ笑む。
渾身の回し蹴りを巨人の左頬に叩き込んだところで、ふみかは攻撃を中断する。先ほどから視界の端をよぎる、黒い影が気がかりだった。そして今まさに身の毛がよだつような視線を感じ、振り返る。
「……キャァアアーッ!?」
周囲を怪物に囲まれていることを理解し、ふみかは甲高い悲鳴を上げた。
「イヤーッ! キモチワルッ、ムリッ、ほんっとムリッ! イヤーッ!」
舐めるように近距離を飛び回る怪物の群れ。ふみかは身を縮めて拒否反応を起こす。錯乱状態に陥った思考は、巨腕の接近に後れを取った。
『ヴボォオオオォォオオオ!!』
「今の、何?」
優己が、漫画から顔を上げた。
「何が?」
ベッドの上で寝そべり、くつろぐ剛我。プレイヤーは霊体のため、本来食事や睡眠を必要としない。しかし霊というのは、生前の習慣を死後も倣う特徴を持つ。つまり、あくまで習慣の“てい”をとっているのに過ぎないのだ。
「聞こえなかった? 変な叫び声」
「いやぁ、何も。気のせいだろ?」
「ううん、絶対聞こえた。外からだと思う」
優己は窓を開け、外の様子を窺う。
「……何、あれ?」
「なんか見えるのか?」
「うん、あそこ。さっきの河川敷の辺り、見てみてよ。六稜忌暈だっけ? あれの結界が張ってあってさ。中にでっかい人みたいなのが……」
「……確かに見えるな。にしても、あの距離からの音をよく聞き取れたな?」
「うん。多分、霊能力のおかげだと思うけど……」
優己は河川敷方面を注意深く見つめ続ける。
「つまり、今は河川敷で誰かが戦ってるってことか」
「そういうことだろうけど……うーん」
歯切れの悪い返事に、剛我は問い詰める。
「どうした? そんなに気になるのか」
「いや、確信はないんだけど……戦ってるのって、多分ふみかさんだと思う」
「なにっ!?」
剛我は優己の肩を掴み、強引に揺さぶった。
「何でふみかだって分かるんだよっ!」
「ほ、ほら。すぐ後ろに人がいるとさ、何となく気配で分かるでしょ? その人がいることで感じる空間の圧みたいな……それに似てるんだよ。一度触れたからかな。ふみかさん特有の気配っていうか、“熱”っていうか。それがあの辺りから感じるんだ。もちろん、剛兄にも剛兄の“熱”みたいなのがあって……」
優己は霊能力で体感したことを、身振り手振りで必死に伝えようとしていた。たどたどしい説明だが、剛我が得心するには十分な内容だった。
「ふみかのやつ、勝手に一人で戦いやがって……」
二人は外を見据えたあと、視線を合わせた。
「行くぞ、優己」
「うん!」
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