第9話 マヨネーズは美味しい
間田は空を見上げていた。半開きの口と、虚ろな目。無気力な佇まいに、取り巻き二人は困惑する。場所はモトばあのコンビニ横にある駐輪スペースだ。
「あいつ、この間からずっとあの調子だよなぁ」
「無理ねぇよ。惡童の亡霊に出くわしたんだから」
先日、剛我に遭遇した際、間田は中年男の下敷きとなった。そのとき気絶したとみられていたがその実、彼は意識を保っていたのだ。
惡童に射竦められ、人間砲台の直撃を受けた挙句、腹の上で男が燃え盛る一部始終を鼻先で目撃するという拷問じみた体験。取り巻きの言うように、呆然自失となるのも無理はなかった。
「なぁ」
「んー」
「なに?」
「……あれ、優己じゃね?」
取り巻き二人が、間田の指さした先に目を凝らす。
住宅地の上空だろうか。小さな人影が、空中をジグザグに移動しているのが確認できる。腕を前に伸ばし、尻を突き出した体勢は、まるで何かにしがみついているようだ。
距離があるため、はっきりとは窺えない。しかし、歪んだ形ではあるものの、長らく接してきた彼らには確信できた。あの飛行物体は優己であると。
ふみかの姿を認識できない彼らは、優己が珍妙な体勢で飛行しているように見えるのだ。
「……あいつ」
「うん」
「やべぇな」
「だな」
間田たちを始め、よもや公衆の面前に痴態が晒されているとは夢にも思わない優己は、空中散歩を満喫する。
「どう、優己君。気持ちいいでしょーっ?」
「はい……そうだ、ふみかさん」
「なぁにー?」
「ちょっと気になってたんですけど、そのスニーカーって男物じゃないですか? それも、どこかで見たような気がして」
優己は、ふみかの履くスニーカーに注目する。白のソール、足の甲にあたるアッパーは黒を基調とし、赤いラインが施されたデザインは一見すると男物である。
「あっ、さっすが優己君。分かっちゃった? 実はね、このスニーカーは剛我がくれたんだぁ」
「そっか。だから見覚えがあったんだ。サイズは合ってるんですか?」
「うん、今はちょうどいいよ。だって中学のときにもらったやつだし。でも最初はブカブカでさ、男の子ってやっぱりおっきいんだなぁって思って。ま、あたしも人のこと言えないんだけどねぇ……」
豪放磊落、雲一つない晴天真っ盛りのような気風と思われがちな彼女だが、実はコンプレックスがあった。同年代の平均よりも、足のサイズが大きいことだ。
一見、小さな悩みと思われがちだが、当人にとっては深刻な問題だった。需要が少数であれば、供給もそれに倣う形となる。結果、種類の選択肢は限られ、その中から自身の琴線に触れるようなものを探すのは困難を極める。ふみかの場合、年頃の女性相応の可愛らしいデザインを求めていた。
「中学三年の頃かな? やっと気に入ったデザインの靴を見つけて買ったの。ちょっとだけサイズがきつかったんだけど、可愛かったから我慢してたんだ。で、遠足のときに履いていったら、ついに靴擦れ起こしちゃって――」
目的地まで徒歩で向かう途中、痛みに苛まれたふみかはクラスの集団から徐々に遅れていった。わがままが祟ったことへの後悔と羞恥心で涙が込み上げた、そのとき。
『これ、履けよ』
いつの間にか、剛我が隣に並んでいた。彼が差し出したのは、自身が履いていたスニーカーだった。
『足、痛いんだろ?』
『えっ……何で分かったの?』
『任せろ』
返答になっていないが、ふみかは気にせず続けた。
『剛我はいいの?』
『オレは裸足でいいから』
誰よりもふみかの不調に気づいた剛我は、彼なりの対処法として自前の靴を貸そうとしたのだ。
履いてみると今度はサイズが大きく、歩くこともままならなかった。剛我は悔しそうに唸ると、今度はふみかに背中を向けて屈んだ。
「それって……」
「そう。おんぶしてくれたんだぁ、今みたいに」
優己の大腿部を支える腕を持ち直しながら、ふみかは思いを馳せるように天を仰いだ。
「みんなにめちゃくちゃ注目されてさ、冷やかされたりもしたけどさ、剛我は最後までおんぶしてくれたんだ。ちょっと恥ずかしかったけど、ほんと嬉しかったなぁ。でね、遠足が終わったあとに『この靴、お前にやる』って言って、もう一度渡してくれたの。高校上がったくらいに、やっとサイズが合うようになってね。それから手入れしながら、ずぅっと履いてるんだ。あたしの宝物だよ」
剛我との思い出を語るふみかの声色は弾んでいた。背中越しの横顔は喜々として華やいでいる。
「ふみかさんって」
「うん」
「本当に剛兄が好きなんですね」
「……好きだねぇ」
「えっ」
優己としては意地悪な質問をしたつもりだったが、逆にこちらが戸惑う結果となった。
「不愛想でさ、自分勝手でさ、優しいってわけでもないんだけどさ……好きになっちゃったんだよねっ」
「うわっ!?」
ふみかは急旋回し、速度と高度を上げていく。
「あーもう、何てこと言わせんのさぁ、優己君のバカァッ!」
「ちょ、ちょっと」
感情を体現した動きに回転を加え、さらに過激になっていく。興奮して目の前が見えなくなっているふみかに代わり、優己が周囲に気を配る。すると、正面から迫る野鳥の群れを察知した。
「ふみ、かさんっ、前、前、前っ!」
「えっ……うそっ!?」
怯んだふみかは両足を前に差し出し、急ブレーキをかける。V字の編隊を左右に分けるという野鳥側の機転により、激突は免れた。
安堵するふみかだったが、間もなく異変に気づく。背中がやけに軽いのだ。
「優己……くんっ!?」
急ブレーキの際に体勢を崩し、優己は彼女の背中から落下していた。
「ふ~み~か~さ~~あぁああ~~っ!」
「ヤッバっ!?」
ふみかは体を上下反転させ、足裏で天上を踏み込んだ。空間を高弾性化させ、強烈な反発力による急降下を図る。
「優己君待ってて、すぐ行くからぁーっ!」
「待てるものなら待ちたいで~~す~~っ!」
長身を包む、臥月と同じ黒の和装束。高い位置で結い上げた艶やかな黒髪が、風に舞っている。蛇を象ったヘアピンに手を伸ばし、前髪をまとめ直した。その凛とした佇まいは、美姫と称するに相応しいものである。
第四回の今年からDフェスに携わることとなったため、審判の経験は日が浅い。そこで臥月に直談判し、今回の任に充てられたのだ。
「(少しでも経験を積んで、臥月さんに認めてもらわなきゃ!)」
涼し気な目元に薄い唇。張りつめた細面。一見冷たい印象を受けるが、内心はただ緊張に戦いているだけの極々普通の若者である。
すでに六稜忌暈も展開し、外部からの干渉は遮断した。開始の合図も終え、あとは戦いの行方を見守るだけだ。
手元の資料に目を落とす。そこには今回対峙するプレイヤーの詳細が記載されていた。
十文字剛我、享年十八。高校三年生。生前は惡童と恐れられた不良の傑物であり、肉体の素養は高い。
対するは
両者とも屈強な体躯を誇り、肉弾戦ともなれば派手な打ち合いが予想される。
「くっくっく、かわいそうになぁ。おれ様の相手をすることになるなんてよ」
スキンヘッドの大男、米津は上着を脱ぎ捨て、土木作業で鍛えた肉体を誇示する。もっとも、誇示する対象は櫛撫に一貫しているが。
「どうだ、姉ちゃん。たまんねぇだろぉ、なぁ、なぁ?」
「お見事ですね。頑張ってください」
櫛撫は手慣れた賛辞を送り、笑みを返した。米津は大胸筋を強調させて悦に入る。
彼を尻目に、剛我は十字架のネックレスを首から外して臨戦態勢に移ろうとしていた。
「いいからとっとと始めようぜ。しゃらくせぇ」
「へぇ、それがテメェの霊具か。おれの霊具は……これだぁっ!」
米津が突き出したのはソフトチューブの容器に入った、乳白色の物体。どの家庭の冷蔵庫にも必ず配置されているだろう調味料。
「……マヨネーズ?」
「そうだ、マヨネーズだ」
「マヨネーズ」
「マヨネーズだ」
呆気にとられた剛我の様子に、米津は憤慨する。
「バカにしてるだろ。お前、マヨネーズをバカにしてるだろ?」
「いや、してねぇよ。マヨネーズはうめぇよ。オレも好きだし。でも、きっとアンタほどじゃねぇよ」
「そうだろうな。おれほどマヨネーズを愛してる男はいねぇ。どんな料理でもこいつをぶっかけりゃ、べらぼうに美味くなる。マヨネーズは最高にして最強の調味料なんだっ!」
剛我は、いつの間にか拳を緩ませてる自分に気づいた。霊具の種類は千差万別と聞いていたが、まさか食品にまで範囲が及ぶとは予想だにしなかった。そして自分は、これからマヨネーズを武器にする相手と戦わなければならないことにも。かつてこれほどモチベーションの上がらない戦いがあっただろうか。
ふと櫛撫を見ると、視線を下げ、肩を震わせている。
「こいつをどう使うっつうとよ……っ!」
米津は自信ありげにフタを親指で弾き開け、振り上げる。
剛我と櫛撫の視線が、彼の頭上に向いた。
「こうだ「はいよっとっ!」ゥわァッはァッ!?」
ふみかが上空から来訪し、米津の後頭部を踏みつけた。
飛び出さんばかりに目玉をひん剥き、前のめりに体勢を崩す米津。鼻っ柱を地面に打ち付けながら前転。背中から倒れ込み、そのまま動かなくなった。容器は男の手の中で握り潰され、辺りにはマヨネーズが飛び散るという惨状が広がっている。
ふみかは米津を緩衝材として利用し、華麗な宙返りを見せ、着地した。
「優己君、しっかりして!」
抱えていた優己を地面に寝かせ、必死に呼びかけるふみか。優己は意識を失っているらしかった。
「お前ら、何やってんだよ」
「あれ、剛我? なんでここにいるの」
「それはこっちのセリフだ。だから、優己がいったいどうしちまったんだよ」
「えーと、優己君と一緒に外で遊ぼうと思ってね」
「おう」
「優己君をおんぶしてね」
「意味が分からんが続けろ」
「空中散歩してたら、鳥の群れにぶつかりそうになって」
「……」
「そしたら優己君落っこちちゃって」
「はぁっ!?」
今度は剛我が目玉をひん剥きそうになった。櫛撫は咳払いで、こみ上げる笑いをごまかした。
「だから急いで降りてきたの。あ、さっきあたし、変なの踏まなかった?」
着地の際に抱いた違和感に、ふみかは首を傾げる。文字通り踏み台にされた米津は見る間に燃え上がり、灰塵となって空へと舞っていった。
【――米津眞靖 脱落――】
「んなこと、どうでもいい。部屋で適当にやれっつったろうが、バカ」
「あたしだって最初は漫画読んだり、お話したりして、部屋の中で遊ぼうと思ったんだよ。でもさ、今日は天気もいいし、どうせ遊ぶなら外で思いっきり体動かしたほうが健康的かなって」
「少なくともお前は健康とか考えなくていいだろ」
「なんで?」
「とっくに死んでんだろうが、バカ」
「あ、そっか」
「はーあ、こんなバカに頼むんじゃなかったぜ」
「何よ、さっきからバカバカって。言い過ぎでしょ、このアホ」
「んだと、コラ。もういっぺん言ってみろや」
「アホ! ×! 百!」
「てめぇ、言い過ぎだろ、バカ!」
「まだ二回しか言ってないし。やっぱアホじゃん」
「うるせぇ、このバカ」
「アッホ剛我! アッホ剛我!」
「こ、の、やろう……アッタマきた。表出ろや、おい」
「とっくに表ですー、周り見て分かんないかなー。あ、アホだもんね、分かんないよね」
「勝者、飛鳥井ふみか」
「お前、いいかげんに……ちょっと待て」
語彙の乏しい罵声の応酬を妨げたのは、櫛撫の高らかな一声だった。剛我はいきり立ち、彼女に詰め寄る。
「てめぇが勝手に勝敗決めんな。ケンカはまだ終わってねぇし。これからだろうが」
「私が言っているのは口喧嘩ではなく、戦闘における勝者のことです」
剛我の圧にも動じず、櫛撫は平静に話を進めた。
「私の目が正しければ、彼女の一撃で米津は戦闘不能となりました。よって彼女が勝者であると、私は判断します。また、途中参加も認められていますし」
「チッ。まぁ、いいや。あんなマヨラーと戦って勝っても、正直嬉しくねぇしな」
「それにお二人は“チーム”を組んでおられます。よろしいではないですか。今後もさらなるご健闘をお祈りしています」
これほど丁寧な口調で諭されれば、剛我とて引き下がるほかない。
一方、優己が目を覚まし、上体を起こしていた。
「あ、優己君起きた。具合はどう?」
「まだ、頭がグワングワンしてます……」
「ごめんね。あたし、突っ走っちゃうと周りが見えなくなっちゃって……」
「いいんです、気にしないでください。散歩、楽しかったですよ」
頭を下げるふみかをたしなめることもなく、優己は現状精一杯の笑顔を向ける。その憔悴した表情を見て、ふみかは自制心を育てることを決めた。
「あ、さっそくなんだけどさ、バカとアホってどっちが頭悪いと思う?」
ふみかの決心は脆かった。
「やっぱお前バカだわ」
「またバカって言ったーっ!」
再び言い争いを始めた二人に、優己は辟易する。
「あなたが十文字優己君?」
置いてけぼりを食らう彼に、櫛撫が手を差し伸べた。
「私は出雲櫛撫。あなたの事情は聞いてるわ。まさかあなたのような子どもを巻き込ませてしまうなんてね。戸惑うことはあるだろうけど、できる限りのフォローはさせてもらうから」
「ありがとうございます」
臥月といい、彼女といい、隠人は慇懃な物腰の種族なのだろうか。向こうで痴話喧嘩をしている二人とは、気位というものが違う。ただ、短躯と幼い顔立ちのせいか子どもと形容されたことには、一抹の歯がゆさを感じる優己だった。
「そういえばさっき、チームって聞こえましたけど。Dフェスってそういうのもアリなんですか?」
「あら、聞いてたの? そうね、プレイヤー同士でチームを組むことは認められてるわ。女性や子どもといった、弱い立場にあるプレイヤーのための救済措置ってところね」
尾上も追いつめられていた際、剛我にチームを組まないかと持ちかけていたことを思い出す。強力なプレイヤーを味方につければ、生存率が飛躍的に上がることを考慮すると、結末はどうあれ彼の行動も納得できる。
「数の利が生まれる代わりに、互いの信頼関係やチームワークが重要になってくるわ。それにいくつかルールがあるの。例えば、人数は最大五人まで。一度メンバーに加えたプレイヤーの脱退は禁止。プレイヤー数が五百人に絞られた時点で、メンバーの人数を二乗した数だけ、他のプレイヤーを倒していなければ失格。メンバーが多いほど、より多くのプレイヤーを倒す必要があるってことね。ちなみに、組む以前に倒したプレイヤーはカウントされるわ。他には、メンバーが一人でも戦闘不能となった場合、戦闘終了後の二十四時間は霊具の使用が禁止され……」
「ああ、もう充分です。よく分かりましたっ」
矢継ぎ早に説明する櫛撫の勢いに、優己はたじろいだ。
「ご、ごめんなさい。私ったらつい……」
「いえ、全然。でも、あの二人にチームワーク……なんだか不安だなぁ」
「そう? 私はいいと思うな。あの二人」
櫛撫は口に手を添え、微笑んだ。
「このⅮフェスじゃ、ああやってプレイヤー同士が仲良く交流するなんてほとんどないの。知り合いに出会う機会すら、奇跡に近いことだから」
「二人は幼馴染なんです。昔からあんな調子で」
「素敵ね。でも、考えてみれば“死”が二人を再び引き合わせてしまったわけだから、皮肉な話」
「皮肉、ですか」
「死者の魂は常に孤独。憎しみや哀しみといった負の情念から彼らを解放させ、安穏へと導くのが私たち隠人の使命。でもDフェスを開催し、蘇生の権利という希望を持たせてしまったことで、その一つの椅子を巡って争いが生まれた。彼らにある種の“熱”を与えてしまった責任は大きいわね。エンマ様はご自分が思っている以上に残酷なことを、罪のない魂に強いている。あの人柄には好感が持てるけど……なんだか、ね」
自身が抱いていた感情を共有できる相手を見つけ、優己は嬉しく思った。
「そろそろ私は帰るわ。また会いましょう」
櫛撫に別れを告げた矢先、優己は異変に気付く。二人の口喧嘩は収まったらしく、河川敷はひどく静かだった。
優己に背を向ける形で、二人は川辺に並び立っていた。ふみかの上腕から、彼女の指が垣間見える。腕を交差し、自身を抱きしめているようだ。少し近づくと、その体勢の意味を理解した。全身の震えを必死に止めようとしていたのだ。
「ふみか、さん? どうしたんですか」
隣から覗いてみると、いつも快活なはずの表情は重く、引きつっていた。剛我が代わりに答えた。
「お前も覚えてるはずだぞ。ここがどういう場所なのか」
その一言で、優己はようやく思い出した。ここはふみかが命を落とした場所なのだ、と。
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