第7話 一緒に
優己は年間百冊以上を読み漁る、漫画愛好家であった。
中でもお気に入りのバトル漫画に、“彼”は登場した。琉球古武道の武器トンファ―を操る、壮年の武道家だった。
トンファ―とは、長短二つの棒を垂直につないだ格闘武器である。槍や刀剣を華麗に操る主人公たちと違い、“彼”は必殺技も待たない地味なキャラクター、というのが優己の抱いた印象だった。
しかし物語が進むにつれ、武骨で洗練された“彼”の戦いぶりを見て、そのイメージは拭い去られた。受けるも良し、殴るも良し、突くも薙ぐも良し。多様な戦法を用いる彼の活躍に、同じく漫画に夢中だった剛我と感嘆した記憶があった。大小のビニール管でトンファ―を作り、漫画のシーンを再現して戯れた思い出が蘇る。
そして、現在――。
「発動――〈
聞き慣れない口上を唱えた直後、拳から逆さまに垂れ下がる十字架に変化が起きた。
微弱に発生した振動が激しさを増すと同時に、形状はそのまま、大きさのみを膨れ上がらせていく。鎖も同様だった。
「さぁて……こっからが本番だぜ、おっさん」
もはやそこに、掌に収まるほどの大きさだった十字架の姿はない。
全長は剛我の前腕部を超え、鈍い光が際立っている。鎖はまるで大蛇の骨の様に太く伸長し、地面にとぐろを巻いている。
短い横棒を左手で握る様はまさにトンファ―そのものであり、漫画の中の“彼”を想起させる。
「はっはっは、なるほど巨大化か。だからどうした。その程度で私の攻撃を」
尾上の腕の動きに合わせ、硬貨が浮き上がる。
「防げるというのかっ!」
正面から迫る攻撃をしかと認め、剛我は一歩踏み出る。
「試してみるか?」
体を沈め、腕をしならせながら手首を返す。反転する十字架。振り上げた一撃が硬貨を迎え撃つ。痛快な音と同時に、群体が四散した。尾上の表情から喜色が失せる。
「やっぱあれだな。
剛我は鎖を掴み、手元へ手繰り寄せる。反撃を予感し、身構える尾上。しかし彼には目もくれず、左腕の肘から手首にかけて鎖を巻き付け始めた。
「何の、つもりだ?」
「ちょっと待ってろ」
「きさっ、ま……ふざけるなっ!」
尾上のさらに物量を増やした攻撃も、まるで蠅でも払うかのような手振りで玉砕される。
「おいおい、今はテメェの時間じゃねぇだろ?」
続いて右前腕部に鎖を巻き付けていく。優己には、その行動の意図が読み取れなかった。自身を拘束し、動きを制限しているようにしか見えないからだ。現に、剛我の姿は手枷をはめられた囚人そのものだった。
常人を超える彼の腕を、通常の何倍も太い鎖が覆いつくす。結果、堅牢な両手甲ができあがった。
「これで良し、と。そろそろ行くか」
剛我は己を鼓舞するかのように鎖を打ち鳴らし、進攻を開始する。
「一度弾いた程度で調子に乗るなっ!」
尾上は怯むことなく、次々と攻撃を仕掛けていく。
しかし、剛我の歩みを阻むには至らない。彼の足元に散らばる硬貨の数が増す一方だ。
「剛兄、やっぱすごい……」
剛我の手捌きに感嘆する優己。一方、隣に立つ臥月の関心は優己自身に向けられていた。
「私も些か、驚いているよ。霊具を持って戻ってきた、つまり君は、彼が霊具を没収され尚且つここで戦っていることを知っていたということだね。いったい、どこで知ったんだ?」
「えっ? それは、えっと……」
しどろもどろな様子の優己を見て、臥月は笑んだ。
「無理に答える必要はないよ。ところで、この公園へ入るとき、嫌な気配を感じなかったか?」
「いえ、何も」
「なるほど。六稜忌暈の影響もないとは、よほど興奮していたらしい。わざわざ霊具を渡しに戻ってくるとは兄想いなことだな」
「そんなんじゃありません。気が変わったっていうか」
優己は言葉を濁した。女の子に諭されて来ましたとは答えられなかったからだ。
「くそ、くそ、くそっ! なぜだ、なぜこうも防がれる!?」
雲散霧消される攻撃に、尾上は声を荒げる。もはやそこに戦闘序盤の余裕はない。腕の動きも緩慢になり、息も上がり始めている。
「あの人、だいぶ疲れてきてませんか?」
尾上の様子を見て、優己は臥月に訊ねた。
「能力の使用にはプレイヤー自身の霊力、いわゆる生命力が必要となる。君も激しい運動を行った後、息切れしたり、体が重くなったりしたことがあるだろう? それと同じく、能力も使い続けると、ああいった疲弊につながるんだ。尾上の霊力量は決して少ない方ではないのだが……今までの戦況を顧みる限り、彼は少々攻めすぎたな」
事実、尾上の霊力は最大量の五分の一まで消費されていた。物量で攻める性質上、間断なく減少する霊力については致し方ないものとしていた。数多の敵を沈めてきた実績が、この戦法への自信を裏付けてきたからだ。
今回も決して攻撃が通じていないわけではない。一方的な攻勢の立場であることも変わらない。
しかし現状、追いつめられているのは自分という信じがたい事態に直面し、揺れていた。窮鼠猫を噛むという故事が脳裏をよぎったが、すぐにそれが間違いであると思い直す。
「(ネズミなんてかわいいものじゃあない。自分以上に大きく獰猛な……獣。獣そのもの!)」
加えて尾上はある異変に気付いた。十字架がさらに大きさを増し始めているのだ。すでに剛我の背丈を超えた長大さゆえ、地面を引きずられる様は鉄骨と見紛うばかりである。その鈍重な見た目でありながら、剛我は軽々と振り回し、硬貨を一蹴していく。もはや十字架に触れることすら叶わず、風圧で吹き飛ばされてしまうのだ。
状況は火急である。
すでに剛我は目と鼻の先にまで迫っている。彼が跳躍に近い挙動で駆け出せば、瞬く間に初撃を受けることとなるだろう。
「(だが獣というのは……弾丸一つで大人しくなるものだよ)」
尾上の右手には三枚の硬貨が握り締められていた。初動速度は剛我が十字架を振るうよりも早い。そして標的は自ら、確実に狙撃可能な距離にまで接近してくれた。あとは素早く右腕を差し出せば――。
尾上は笑んだ。
浮足立った思考が表情に伝播した瞬間を、剛我は見逃さなかった。右腕に巻きつけていた鎖を解き、横薙ぎに振るう。
「ぐお……っ!?」
左半身に痛烈な衝撃を受け、尾上の体は一時、硬直する。鎖は勢いを保ちつつ、体を周回し、蛇のごとく巻き付いた。
「捕まえたぞォオラァアッ!」
剛我が凶悪な笑みをこぼし、鎖を思い切り引き込む。
尾上は懸命に踏ん張るも、鎖の重みと尋常ならざる怪力に負け、数歩つんのめった。
「……っ!」
体が浮き上がる。身動きの取れない中空。恐怖が鎌首をもたげる。不意の威圧。視線を正面へと移す。鉄の冷感が肌を走る。
「ごぅあっ!?」
景色が急転し、気づけば地面に投げ出されていた。自分の体ではないようだった。
「うぎゃあぁあ~っ!」
蟻にたかられた芋虫のように身をのけ反り、想像だにしない衝撃に悶絶する。
ふと間近で鎖が鳴る音を耳にし、肉体が緊迫する。すぐ傍らに、剛我が仁王立ちで見下ろしていた。
十字架がゆっくりと振り上げられる。尾上は腰が抜けたまま地面を蹴って後ずさった。
「ま、待ってくれ。見ろ、この私の哀れな姿を。歯ぎゃ、歯ぎゃ折れたんだぞ。血塗れだ。これ以上何がある? 何をする気だ」
「殴る」
「早まるな。事情がつかめていないのだ。君の、その能力は一体何なんだ」
「はぁっ? テメェに説明する必要あるか?」
「ある。大いにある。責務と言っていい」
尾上は額に玉の汗を浮かばせなら、訴えた。さっきまでの威勢は失せ、歯が欠け、間の抜けた顔を強ばらせている。その様子にため息を吐きつつも、剛我は要望に応えることにした。
「オレも全部理解したわけじゃねぇ。あくまでこれは推測だが……」
剛我が語り出すと同時に、優己は“それ”に気づいた。
尾上の頭上、三メートルほど高い位置に、紙幣や硬貨が集まり始めていることに。
数枚の硬貨が紙幣と変わり、紙幣は重なり、札束と化す。やがて全ての札束がブロック状に積み重なり、総額一億円の姿に立ち返る。そこから融解、混合を経て、黄金の不定形体へと変貌していく。
「ごうにぃ……っ!」
優己は叫ぶ寸前、臥月の手で口を塞がれた。
「これは彼らの戦いだ。余計な口出しは慎んでもらおう」
口を覆う掌の圧力と怜悧な視線を受け、優己はうなずくほかなかった。
「――まぁ、簡単に言うとだなぁ、
その心底面倒臭そうな口ぶりからは彼自身、能力の概要をあまり把握していないことが窺えた。
「最初にオレの体重、次に五百円玉から……ここまでの大きさにした。何キロ吸い取らせたかは、具体的にゃあ分からねぇ……ま、感覚だな、感覚」
「なるほど……君が攻撃を弾き返す瞬間、十字架に接触した硬貨から重さを吸い取ったわけか。つまり、十字架が巨大化したために硬貨が吹き飛ばされたのではなく、硬貨の重量を吸い取ったために十字架が巨大化した……」
「もういいよな。な?」
剛我は殴りたくて仕方がないようだ。
「まぁ、待て。面白い能力だ。なるほどね、いやいや……それじゃあ、今度は私から〈黄金時代〉の秘密を話そうか」
尾上は先ほどまでの弱腰から一転、平静さと不遜な態度を取り戻していた。
「〈黄金時代〉は、一億円を紙幣と硬貨に変換できる能力と教えたね? しかしだ、真の力は別にある」
喜悦再び、口元が歪む。
尾上の頭上に浮遊していた黄金体は、尖鋭な矛へと変化していた。
「死ね」
顔を跳ね上げる剛我。目前に、矛の突撃が迫る。
「剛兄っ!」
とっさに優己が叫ぶ。
衝撃と同時に巻き上がった砂塵に、両者は呑み込まれる。
「かーっはっはっはっはっ! 〈黄金時代〉が紙幣と硬貨の二種類しか変換できないと誰が言った? “金塊”だよっ! 一億円全てを金塊に両替させたのさっ!」
数ある金属の中でも、“金”は展延性に優れ、柔らかい性質を持つ。尾上はその特性を利用し、金塊を矛に“加工”させたのだ。
尾上は身をよじって鎖を解くと、胸を震わせて立ち上がった。その哄笑は、金の魔性に取り憑かれた亡者のそれだった。
「能力を極めるとはこういうことなのだよ。どうだ、黄金の味はっ! さも極上だ」
「さっきからべらべらとうるせぇんだよ」
砂煙が収まり、現れたのは直立不動する剛我の姿だった。
刺し貫いたと思われた矛は、剛我の脇を通過し、地面に突き刺さっていた。矛先が胸を貫く寸前に体を捻り、躱していたのだ。
「っぶねーなぁ、おい。黄金の味っつったか? 鉄は血とおんなじ味がするがよぉ、こいつはどんなもんか……」
剛我は抱え込んだ矛を舐め、吟味した後、首を傾げた。
「……よく分かんねぇや」
「キッサマ……ッ!」
「じゃあ、今度はこっちの番ってことで」
剛我は右腕の鎖を地面に垂らした。一方で左腕の十字架を頭上で回転させていく。正確な形は捉えられないものの、その輪郭は増々膨れ上がっていく。
樹木が地下に張った根から栄養を吸い上げていくように、鎖を介して大地から質量を吸収し、十字架に注ぎ込んでいるのだ。
「言い忘れてたことがあるんだけどよ。どうやらどれだけデカくしようが、重さの負担ってやつが、オレにはかからないらしい。どういう意味か分かるか? つまり五十キロだろうが、百キロだろうが関係なしだ」
現に、十字架を操作する剛我の顔色は冴えていた。
対照的に尾上は憔悴しきっていた。巨影が真上を通過するたび風圧に押され、今にもくずおれそうである。
「やっぱこれぐらいデカくなるか。ではここで問題です。高速回転したこいつをテメェに叩き込んだら、いったいどうなるでしょーか?」
言葉は、尾上の耳に届いていなかった。彼はこの危機的状況を打開するべく、思考を巡らせていた。
「(もはやこの勝負、勝ち目はない。悔しいが矛を紙幣に変え、奴の目をくらます。その隙に逃げれば……)」
尾上は意を決し、矛を紙幣へと変換させた。その瞬間、紙幣は回転によって生じた風に巻き上げられ、上空へ飛び去っていった。己の思慮の浅さに呆然と立ち尽くす。
「んじゃ、そろそろ答え合わせを」
「待て……待つんだ。考えるべきだ。“チーム”を組まないか? 私と君が組めば、敵はないぞ」
「あ? 何ぬかしてんだテメェ」
先ほどまでの勢いはどこへやら、掌返しを試みる尾上。が、効果がないと分かると一変、険しい顔つきとなる。
「調子に乗るなよ、クソガキがぁ! この国の経済を動かしてきた“尾上”の名を背負って立つ私がっ! 高い税金を払い、社畜どもを飼い殺し、金を横流しっ! 社会の荒波を幾度も越えてきた、この私がだっ! お前のような教養も、品性も、将来性も見受けられない、最底辺の、チンピラまがいの、ビンボーくさいガキに、このまま屈して言い訳がっ! ないっ!」
精一杯に、詰る。
十字架の風を切る音だけが、ただただ響いている。
「いや、つまりは、その、あれだ。勘違いしないでくれよ。社会にとってより有益な存在が、生き返るべきだと思うんだ。百の愚民より、一人の賢者ってね。私ほどの人間がここで消えるのは、社会的に大きな損失だ。だからここは見逃してくれ、そうすべきだよ」
尾上はもはや自分でも何を言っているのか分からなかった。罵詈雑言でも賞賛でも言葉を並び立てることが延命への道だと判断したのだ。
「そうだ。私が優勝して生き返ったならば、君の実家を経済的に援助してあげよう。家も建て直してあげるし、車だって買ってあげるぞ。兄弟がいれば就職口も探すし、親の老後の面倒だって……」
「そうだな」
「えっ?」
予想外の好感触に、尾上は顔をほころばせた。
「確かにうちは貧乏くせぇし、大企業の援助をもらえるってんなら、ありがてぇかもな」
「だろ? いやぁ、見た目と違って思慮深い青年だ。これなら日本の未来は安泰だな。君こそが明日の」
「どうする、優己?」
突然話を振られた優己に、視線が一斉に向けられる。優己は戸惑いつつも、胸を張って答えた。
「余計なお世話だっつーの!」
「だそうだ」
返答に満足したようにうなずくと、剛我は尾上を見据えた。
「テメェの金は、テメェで稼ぐ。テメェの命は、テメェで守る。そうだろ?」
「ま、待て。もっと冷静に考え……っ!」
重量の負荷はかからないとはいえ、体勢保持が困難なレベルの遠心力が発生していた。これ以上の吸収は限界と判断し、ついに必殺の一撃を仕掛けんと大きく踏み込む。
「ウオオォオオォーーーッッッ!!!」
暴威を孕んだ鉄塊が、地表を舐めるように薙ぎ払う。竜巻然り、津波然り。絶大な脅威を前にしては抗いの意は通せない。受容のほかなく、尾上の姿は掻き消えた。
ひと際巨大な風圧が園内を蹂躙する。砂塵を含んだ突風が吹き荒ぶ。臥月がとっさにコートを翻し、身を竦める優己を包み込んだ。
「優己君、大丈夫か?」
「はい……剛兄は?」
落ち着いた頃合いを図り、辺りに目を凝らす。砂埃で霞んだ先に、横たわる影を見つけた。赤い頭髪が印象的だった。
「剛兄っ!?」
「……いや、心配ない。能力を解除した際に、勢い余って倒れただけだ」
「そう、ですか……」
地表には、十字架が接触した際にできた半月状の掘削痕ができていた。そこから離れた位置に建つ、いくつもの遊具。ひしゃげたジャングルジムを背に仰臥する、尾上の変わり果てた姿があった。
「終わったか……」
臥月のみならず、傍目からも尾上が再起する可能性は万に一つもなかった。
「ま……まだ、だ、この程度で……っ」
己の状態を俯瞰できない尾上は起死回生の術を模索する。血走った目に、自身から燻る煙は映らない。やがて炎が燃え立ち、その身を焦がし始める。
「ありえん、ありえん……クッソォオオーーーーッ!」
喉を裂かんばかりの絶叫は金への未練か、それとも剛我への怨嗟か。
金の亡者は消滅した。その手に一円も残すことのない、“破産”という思いもよらぬ形で。
【――尾上主義 脱落――】
勝者の名を叫びかけた臥月の横を、優己が走り抜く。
剛我は上体を起こし、項垂れていた。丸めた背中に、父の面影が重なる。
「剛、兄……?」
背中越しに覗くと、もとのサイズに戻した十字架を掌に乗せ、見つめていた。優己に気づいた素振りを見せるも、視線は十字架に向けられたままだ。
「わざわざ
「ごめん、僕のせいでこんな……」
「はっ、オレがあんなやつに手こずるわけねぇだろ。
荒い呼吸、全身に残る傷跡。カラ元気であることは明らかだった。
――『今から始めるのは、ケンカなんて生ぬるいもんじゃねぇ。命張った戦いだ。見ていて気持ちがいいことねぇぞ』
――『わかったら帰れ。いてもジャマなだけだ』
「あんなこと言ったのは、僕に戦うところを見せたくなかったからなんだね」
辺りを見渡せば、凄惨な戦いの爪痕が無数に残っていた。学校へ通い、友達と談笑し、家族と共に過ごす。そんな何気ない日常とは一線を画す景色。暴力を嫌悪する優己にとって耐えがたい光景。
「だから、僕を少しでも危険から遠ざけようと……」
「やめろ。あれは本心だ。実際、オレは戦うのが好きだし」
「それは分かってる。でも、僕はもっと、剛兄のほんとの気持ちが知りたいんだ」
「ほんとの、気持ち?」
それから長い沈黙が続いた。不審に感じ、剛我は振り返る。優己は口を結び、目で訴えかけていた。
それを見て観念したように短い溜め息をつくと、ようやく重い口を開いた。
「オレって、けっこう無茶な人生送ってた気がするんだ」
無茶どころか無茶苦茶だと、優己は心の中で吐いた。
「尾上の言ってたとおり……褒められた人間じゃねぇってことは分かってる。周りがどんな目でオレを見てたかってことも……お前にも、随分迷惑かけたみたいだしな」
剛我の言動は、はっきりしないものが多い。それは優柔不断という意味ではなく、答えは出ているが、それをありのままに伝えようとしない回りくどさがあった。ゆえに心情が読みにくく、人を寄せつけない一因でもある。
「オレがDフェスに優勝して、生き返ったとするだろ。でも、それを喜んでくれる奴がどれだけいる? オレはその先どうすればいいと思う?」
虚ろでくすんだ目を細め、剛我は苦笑した。
「こんなやつが――生き返ってもいいって、お前思うか?」
先ほどまで決死の戦いを演じた者がもらす、弱気。本当にあの惡童の口から出た言葉なのか、優己は耳を疑った。
ここにきて剛我には迷いが生じていた。多くの人に恐れられ、忌み嫌われ続けた自分に、果たして生き返る価値はあるのか。
誰もが畏怖する惡童は、もう、そこにいなかった。
「好きにすればいいじゃん」
その言葉に、剛我は目を丸くした。
優己がその答えを導くのに、論理的な思考は用いなかった。思慮深い兄など、想像しただけで悪寒が走る。彼は彼でいい。反社会的ではあるが、悪人とは違う。他人のことなど気にせず、己の道を邁進するその背中をずっと見てきた。
「バカなんだから、余計なこと考えちゃダメだよ」
「バカ……ッ」
「今、生きたいって思うなら、それでいい。誰の許可もいらないよ。それに」
「……」
「喜んでくれる人、いるじゃん。僕と、母さんがさ」
優己はこの会話に、どこかむずがゆいものを感じつつあった。現に、剛我の何とも言えない視線が痛い。潮時だと判断し、優己は家路につこうと踵を返す。
すると後ろから「ははは」と声がした。
「はっはっはっはっはっ!」
剛我が笑っていた。
天を仰ぎ、声を上げる姿に、今度は優己が呆気にとられた。何がそこまでおかしいのか、子どものように無邪気な笑顔だった。
惡童。
「そうだよな、生き返るのに理由もクソもねぇや。今更迷ってる場合じゃねぇか」
剛我は笑いの余韻を噛み殺しながら歩み寄り、優己の頭に手を伸ばす。するといきなり髪をくしゃくしゃに揉み、頭を激しく揺さぶり始めた。
優己はむっと顔をしかめて振りほどき、加減を知らないのかと怒鳴る。剛我は「つれねぇな」とこぼした後、小さく、そして確かに呟いた。
「ありがとよ」
通り過ぎる背中を、優己は目で追った。
ただの一度もかけられた覚えのない言葉。おそらく剛我自身も言い慣れていなかったのだろう、若干上擦ったように聞こえた。そのたった一言で、これまでの苦労や思いが帳消しになるとは露ほども思ってはいないが――。
「優己っ!」
剛我は再び空を見上げ、雲を吸い込まんばかりの大口を開けて叫んだ。
「知ってのとおり、オラァめちゃくちゃだ。でも、オレの人生だ。誰にもオレのやり方に文句は言わせねぇ。だから、生き返ったらよぉっ! あの親父が成し遂げられなかった“長生き”ってのぉ、してやるんだよっ! お前と、お袋と一緒になぁっ!」
そう叫び終えると、振り返らずに手で招くような仕草をする。
「何してんだ、一緒に帰るぞ、優己」
「うん!」
優己はあとを追いかけようとし、足を止めた。綺吏紗の姿を探すが、見当たらないと分かると、再び駆け出す。
歩幅も違う。体格も違う。性格も、思考も、何もかも異なる二人。しかし、その身に流れる血は同じ。決して断ち切れない、命の絆。
一連のやり取りを見て、臥月は感じた。出会った当初とは明らかに、二人の距離感に変化が現れている。ぎこちない滑稽なやり取りに笑んだあと、高らかに判定を下した。
「勝者、十文字剛我!」
「良かった」
木陰に一人の少女が佇んでいた。遠山綺吏紗だ。
「がんばったね」
公園を後にする兄弟の背中を眺めながら、携帯電話をしまった。
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