第6話 “強さ”の形
隠人の審判としての役割は、判定を言い渡すことだけではない。戦闘データの記録、プレイヤーがルールに則っているかの判断、幻燈玉による撮影、六稜忌暈結界外の警戒など多岐にわたる。
臥月は若年ながら審判として豊富な実績を持つ。その経験から培った観察眼で、両者に意識を配っていた。
尾上は肉体に秀でた面はないが、〈黄金時代〉の能力、紙幣と硬貨の変換という特性を最大限発揮することでカバーしている。
対する剛我は現在、霊具こそ持ち合わせていないものの、膂力と強靭さが支える格闘技術には目を見張るものがある。事実、これまでの戦いはいずれも拳打で勝利を収めている。
「(両者、比較すると対照的な戦法……だが、現状は尾上が優勢か)」
尾上は防御と攪乱を紙幣の壁に任せる間、一定の距離を取りつつ、硬貨の散弾と狙撃を使い分けて放つ。これを繰り返すだけでよいのだ。
一方、剛我は足元こそ安定しているが、全身に打ち傷が見られ、息も荒い。肉体のみに頼った喧嘩殺法では限界が見られる。霊具を用い、習得した能力を駆使しなければ、厳しい状況だった。
「なかなか、やるじゃねぇか……」
呼吸するたびに骨が軋み、熱を帯びた鈍痛に筋肉が呻く。弾丸と尾上は例えたが、肉体を貫通するほどの威力はないらしい。それでも確実に剛我の体力は削られていった。
掌中の硬貨を弄りながら、半ば呆れた調子で尾上は言った。
「参ったよ。これだけの攻撃を受け続けて、まだ立っていられるか。本当にしぶといな、君は」
「小遣い程度のはした金でやられるかよ、タコ」
直後、額に弾丸を撃ち込まれ、剛我の頭が跳ね上がる。
「さっきからその減らず口はなんだぁっ! 私に傷一つ与えていないくせに大層なことほざきやがって。若気の至りも過ぎると滑稽だよ」
息を整え、前髪を撫で上げる。あくまで優雅に、紳士的に。余裕をもって敵を制することが、尾上の流儀だった。
「まぁ、頑張った方じゃないかな。私がこれまで戦ってきた相手の中では、最も手ごわい男だった」
剛我は口角を上げ、首を鳴らす。
「アンタもな」
「……あと何発で倒れるか見物だよ」
この男に限っては流儀など不要と判断し、尾上は狙撃体勢に入る。
「(負ける気はしねぇし、負けるつもりもねぇ。まだ戦える。でも、何だろうな。この戦いが終わっても、オレは……)」
剛我は脇を締め、拳を顔の前に配置し、迎え撃つ構えをとる。その胸の内に去来する、闘争とは無縁の感情。
「(なぁ、優己。正直言うとな……嬉しかったんだぜ。『剛兄』って呼んでくれたとき。もう二度と聞けないと思ってたからな……)」
あの呼び声を脳裏で反芻する。戦いへの集中を削ぐ行為であり、頭から振り払おうと試みるのだが、どうしても無意識に想起してしまう。
「(優己……)」
「剛兄ーーーっ!」
その声は記憶からではなく、鼓膜の外側から響いた。
公園の出入り口に目をやると、優己が息を切らして走ってくるのが見えた。
驚愕する臥月の横に立ち止まると、脇腹を押さえ、苦悶の表情を浮かべる。
「はぁ、はぁ、はぁ……キッツ」
「優己……バカ野郎、なんで戻ってきたっ!」
「うるさーいっ! うるさいうるさいうるさいっ! ゴホッ、ゴホッ、ウエッ……人の気も知れないでっ!」
呼吸を整えると、大きく振りかぶる。
「黙って受け取れ……よっ!」
おぼつかないフォームから放り投げられたそれが何なのか、遠目からでも剛我には分かった。
気づけば足が動き、落下予想地点へと駆け出していた。
「馬鹿め、背中を見せるとはなぁっ!」
速度に勝る紙幣の壁が、剛我の行く手を遮る。
「邪魔だっ!」
剛我は壁を突破すると、突き出した拳を解き、懸命に伸ばした。前のめりに転倒し、砂埃が舞う。優己が息を呑む。
体を起こし、地面に直立する。その手には、確かな感触があった。おもむろに指を開いていく。
鎖でがんじがらめになった十字架。久しく見たわけではないのに、心が震える。掌に伝わる重みに、懐かしさすら感じるほどに。
千百七十六グラム。優己の出生時の体重である。彼は未熟児だった。
同時期に生まれた子と比べると体は小さく、手足も細かった。いじめの標的にされることも多く、その度に剛我がいじめっ子を懲らしめる。そんな様式が出来上がり始めた頃、父と二人きりで話をする機会があった。当時、剛我八歳、優己六歳のことだ。
その日は並んで縁側に座り、夕暮れの空を眺めていた。それが別段珍しいことではなく、話の内容も依然他愛のないものばかりだった。直前の会話の流れは失念したが、父はこう切り出した。
「母ちゃんが今まさに優己を産もうってときの話だ。難産でな、ずいぶん時間がかかったんだぜ。三十時間以上だったっけな・・・・・・。そのときのオラァ、分娩室の前で祈ることしかできなかった。こうやって、十字架を握り締めてな」
旺我はそういって、掌のものを見せてくれた。“元”逆十字、今はトの字型のネックレス。持たせてもらうと、見た目以上に重かった。
「『今まで神様なんていねぇなんてほざいてましたが、今だけ信じます。だから母ちゃんと優己を助けてください』何度も何度もそう祈ったんだ。――はっと気づいて見ると、十字架の横棒が片方、根元から折れていた。どうやら握りつぶしちまってたらしい。一瞬不安がよぎったそのときだった。分娩室から産声が上がったのは」
産まれた直後の優己はぐったりとしていた。医師たちの賢明な応急処置の甲斐あり、ようやく上げた産声は、その体から想像もできないほど高らかなものだった。
「天使のラッパなんていう例えがあるが、その通りだと思ったね。そりゃ、母ちゃんが命がけで産んだんだ、元気に泣いてくれなきゃ困るわな。はっはっは。まぁ、タイミングがたまたま合ったっていやそれまでだけどよ、この十字架が身代わりになって、優己を助けてくれたんじゃねぇかってオラァ信じてるのよ。それから、またいつか御利益にあやかろうと思って、いつも身につけるようになったんだ」
その身を犠牲にしても誰かの命を守る。幼心に十字架が眩しく、誇らしげに見えた。
「それにオレたちの苗字は“十文字”だろ。ピッタリだと思わねぇか?」
「オレ、この苗字好きだよ。“十”って一番強いから」
「強い?」
「うん。見てて。いち、にぃ、さん、しぃ……」
剛我は両手を広げ、一から順に指折り数えていく。
「じゅう! ほら、両手がゲンコツになった。強いじゃんか!」
握り拳を形作り、自慢げに見せつける。父は誇らしそうに笑った。
「そうだな。こりゃ強そうだ」
「オレも守るよ。強くなってさ、優己や母ちゃんを守りたい」
「あれ、オレは?」
「父ちゃんは大丈夫だろ」
今度は大口を開けて笑ってくれた。
自分は父のような強い男になりたかった。同時に父を超えたかった。
どこかで“強さ”の意味を履き違え、不良の道を跋扈し、“惡童”と呼ばれてなお、その羨望は強まるばかりだった。父の死後、十字架が似合う男になろうと常に身に着けるようになったのも、その表れだ。
自分がこれを手にする資格があるのか疑いながら、虚勢を張って歩み続けた人生。唐突な終焉を迎えたのも束の間、待っていたのはエンマの創り出したゲームという名の戦場。家族との再会。
周囲の情勢に翻弄され、自分の気持ちすら不明瞭になった今、その手にあるものは光明と呼ぶべき代物だった。
汗ばんだ手で握り締め、痩躯を奮い立たせ、ここまで届けてくれた、歪な十字架。一度失い、優己の手によって戻ったことで、その価値を再認識する。
非力で弱いとばかり思いこんでいた彼が見せてくれた、その確固たる“強さ”の形。
「剛兄っ!」
十字架から視線を移す。
「言いたいことが山ほどあるんだ。だから……勝ってっ!」
吐き出された精一杯の懇願を受け、剛我は堂々と答える。
「当たり前だろうっ!」
十字架は手にした。託された想いも受け取った。もはや、やるべきことは一つ。
「うぉおおおおおおおおおおおおーーーーーっ!」
上体を反らし、箍が外れたかのように絶叫を上げる。溜まりに溜まった鬱憤も、高ぶった激情もない交ぜにして放つ大音声に、その場にいた全員が圧倒された。
一音も残さず絞り出した後、体勢を整えると、尾上に焦点を合わせる。
「覚悟はいいな?」
留め具を外してひも状にした鎖を指に絡ませ、拳を突き出した。逆さまに垂れ下がる十字架が激しく揺れる。
「神への祈りか?」
尾上の問いに、剛我は「んなわけあるか」と返した。
「あいにく、信仰心なんざ欠片もねぇ。祈るのはテメェのほうだ」
「何だと?」
「オカネ様に、だよ」
剛我が不敵に笑う。優己は、それを見て安堵する自分に気付いた。
「発動――〈
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