第5話 〈黄金時代〉

「それでは改めて準備を始めよう」

 臥月は筒状の道具を掲げ、打ち上げた。傘の骨組みのようなものが一定の高度まで上昇した後、静止し、展開。半透明の結界が張り巡らされ、ドーム状の空間が形成された。

「六稜忌暈の展開、設定完了。これより、六稜忌暈の効果が適用される半径二十五メートル以内を、戦闘可能領域とする。また、この結界内に限り、仮の肉体となる借體しゃくたいの実体化を許可する。借體は」

「何にでも触れるっつうことだろ。始まる前にいちいち言わなきゃいけねぇのか、それ? 聞き飽きたぜ」

「規則なんだ、仕方がないだろ。続けるぞ……実体化した借體は万物への接触、破壊等のあらゆる干渉が可能となる。そして、六稜忌暈は生物が本能的に忌避する電磁波を常時放射している。加えて、結界内外の様子は隠人とプレイヤー以外に知覚されることはない。ゆえに外部からの介在は一切ない。思う存分、戦うがいい」

「今度は壊れてねぇだろうな」

「もちろんだ」

「早く始めようじゃないか」

『そうだ、そうだ』

「エンマ様は邪魔なので、ここで失礼願います。ご自分のお仕事の優先を」

『えっ、ちょ、ま』

 臥月は通信を切ると、幻燈玉を懐にしまった。

 剛我、尾上の両者間には三十メートルほどの距離がある。その中央からやや離れた場所に臥月が立つ。

「審判は私、首藤臥月が務める。この戦いは一方が負けを認めるか、戦闘不能になるまで勝敗が決することはない。両者、異存はないな?」

「ねぇな」

「異存なしだ」

「では、十文字剛我対尾上主義――始めっ!」

 意気揚々と歩み出ようとした剛我を、尾上は手で制した。

「さぁ、まずは自己紹介しよう。私は尾上主義おがみかずよし。尾上コンチェルンの副社長をやらせてもらっている。頭の悪そうな君でも、社名ぐらいは聞いたことがあるだろう」

「知らねぇな」

「冗談はよせ。あの大企業だ。知らないとは言わせないぞ」

「さっき言ったぞ」

 尾上は背広の脇腹辺りを払うように撫で、大きく息を吐いた。

「不遜な……まぁ、いい。どうせ今回はワンサイドゲームで終わる。霊具なしで、どうやって戦う?」

 剛我は両拳を胸の前で打ちつけ、尾上を見据えた。

「何も問題ねぇよ。かえって身軽になって、やりやすいくらいだ」

「そうか」と呟く尾上の顔には、諦観の情が垣間見えた。

「ではこちらの霊具を拝ませてあげよう」

 剛我から見えるように、アルミ製のアタッシェケースを開く。そこには一万円紙幣が整然と敷き詰められていた。

「見るがいい。これこそが私の霊具だ。総額一億円! 君のような庶民では、まずお目にかかることのできない金額だろう。全て本物だ。何なら手にとってくれたって構わない」

「分かったからさっさと始めようぜ」

 剛我は肩を回しながら、足を速める。

「遠慮はいらない。さぁ、ほら」

 尾上が指を鳴らした。それを皮切りに、ケースの中に収められていた紙幣が一枚一枚浮上していく。彼を囲むように等間隔で並んだ紙幣の列は、さながら統制された軍隊を思わせた。 

「さぁ!」

 合図と同時に、群千鳥のごとく空中を舞う紙幣。瞬く間に剛我を包囲し、高速で旋回しながら徐々に距離を詰めていく。

「どうだい、目が眩んでしまうだろう。掴み取りにでも挑戦するかい?」

「うっとうしい、たかが紙切れだろうがっ」

 剛我は腕を振るい、流動する紙幣の壁を払い崩していく。開けた視界の先には、札束で顔を扇ぐ尾上がいた。

「たかがだって? お金をバカにしちゃあいけない。値札さえついていれば、この世のものは何だって手に入れることができる。絶対的な力、それが金だ」

 手持ちの札束を見せつけるように前へ突き出す。

「ここに百万円がある。何が買えるだろうなぁ。服、時計、靴に宝石……何にしろ、大金には違いない。これを例えばだ。百円玉に両替すれば、枚数はいくつになると思う?」

「知るか」

 考える素振りも見せず、剛我は質問を突っぱねる。その実、計算式が浮かばなかったのが本音である。

「一万枚だよ。いまいちピンとこないかな? ならば論より証拠、お見せしよう」

 尾上は惜しげもなく、百万円を頭上にばらまいた。無数の紙片が彼を覆い隠す。指を鳴らした瞬間、それら全てが百円硬貨の群体へと姿を変えた。尾上の手振りを合図に、硬貨は一丸となって、剛我を強襲する。

「!」

 剛我は顔の正面で両腕を交差させ、防御姿勢をとる。直後、押し寄せる硬貨の礫に飲み込まれた。

「分かってくれたかな、金の恐ろしさを? これが私の一億円の能力〈黄金時代ゴールドラッシュ〉だ! 一億円を紙幣または硬貨に“両替”し、自在に操作できるのさ」

「くだらねぇ」

 体勢を解いた剛我の足元には、大量の硬貨が散乱していた。

「百円玉程度じゃ、君への有効打には成り得ないようだね。ならば、これはどうかな」

「だから、そんなもんでっ」

 剛我の威勢を阻むように、紙幣が顔面を覆う。引き剥がそうと手を伸ばしたとき、再び硬貨の群れが急襲した。

 とっさに腕で防御したが、先ほどより打撃が重く感じる。景気の良い高音を立てて足元に散らばったのは、五百円硬貨だった。

「さぁ、我が血肉よ。踊るがいいっ!」

 尾上はアタッシェケースから札束を全て開放し、頭上へ舞い散らせた。

 紙幣はたちまち五百円硬貨に形を変え、複数の群体を形成し、飛翔。四方八方から剛我を猛襲する。

「感謝してくれ。それだけの大金に塗れて死ねるんだからな。全て私が稼いだ金だよ。一円残らず私のものだ。綺麗なものじゃないがね。大口の取引直前のことだった。信号待ちをしていてね、靴紐を結び直そうと屈んだとき、どこからともなくブレーキ音が……」

「オイ」

 低く、暗く、重く、小さい声。しかし、確かに尾上の耳に届いた。

 攻撃を中止し、剛我の容体に注意する。大量の硬貨が地表を覆い尽くす中央に、彼は直立していた。背中を丸め、腕で包みこむように頭を守り、岩石のごとく身を固めていた。

「べらべらくっちゃべりやがって……挙句こんなチンケなもんでっ!」

 硬貨を踏みにじりながら、一歩一歩詰め寄る。

「オレは倒せねぇぞ?」

 両腕の隙間から覗く眼光に射竦められ、尾上は戦慄に駆られる。

 その隙を突き、剛我は進撃を開始した。

「く、くそっ!」

 とっさに放った硬貨の散弾も、拳で突き破られる。

「今度はこっちの番だっ!」

 地面を蹴り、歩幅を広げ、一気に距離を詰める。

 尾上は目を見開き、硬直したままだ。その間抜けな顔面に固く締めた拳を叩き込む――はずだった。

「ぐっ!?」

 剛我は額に衝撃を受け、大きく仰け反る。地面を滑るように、両膝を崩した。

「何だ、今の……!?」

「なるほど、ようやく理解したよ。君は厄介だ。だから、趣向を変えさせてもらったよ」

 左手の薬指と小指を曲げ、銃口に見立てた指先には、三枚重なった五百円硬貨が静止している。

「高速回転をかけた硬貨を、敵の急所目がけて撃ち放つ。威力も速度もこれまでとは比にならない。弾丸の如しだ。乱発はできないが、格段に強烈だろう?」

 額から鼻筋にかけて流れたものを手の甲で拭う。ぬらぬらとした鮮烈な赤色を捉えた瞬間、鼓動が早まるのを感じた。

 焦り? 恐怖? 否。高揚している。自身が戦火の中で脈打っているという状況に、心が躍ってしまっている。自分はここまで闘争に毒されてしまったのかと、痛感した。

「金の重みを知れ」


 

 優己は母と並んで、キッチンに立っていた。未だ剛我に対して燻る思いを包丁に込め、キャベツを切っていく。

「ほんと、上手になったわよねぇ」

「えっ」

「包丁使いよ。あんた、器用だもんねぇ。剛我と大違い」

 母は、父や剛我の話題を何の気なしに持ちかけた。母にとって、二人とも思い出の中の人物ではなかった。

「母さん。剛兄って、どんな人だった?」

 どうしたの急に、と母は目を細める。

 目元のしわが増えたね、と言いかけたが、すんでのところで飲み込んだ。

「あんたと同じで、あんまり喋らない子だったわねぇ。物静かってわけじゃないけど、口下手っていうのかしら。そのくせ行動ががさつだから、いろんな人に誤解されやすい子だったわねぇ。あ、お味噌とって」

「ん」

「ありがと。お父さんが亡くなってからあの子、自分の気持ちを内に閉じ込めるようになっちゃってね。その頃からかなぁ、喧嘩が増えたのは。何度も注意しても、聞いてくれなくて。もっとあの子と向き合って話をしてあげれば……あ、そうそう!」

 母は何かを思い出したのか、両手を叩いた。

「その日も喧嘩してきたみたいでね、遅くに帰ってきたときに言うのよ。『優己は寝たのか?』って。まるでお父さんみたいに。優己のことだけは、変わらず気にかけてたわよ。親父の代わりにオレがなってやるって。あの子はお父さんに憧れていたから、色々と背負わせちゃったのかもしれないわね」

 意外な話を受け、包丁を動かす手を緩める。

 思い返せば、疑問はあった。優己の霊能力を戻せと訴えたにもかかわらず、彼を守れと言えば断る。一見、矛盾した言動に思えるが、剛我に限ってはそうではない。 

 霊能力があっては、プレイヤーに遭遇する危険性が生まれる。ましてや自分と一緒にいれば戦いに巻き込まれ、二次被害に遭う確率が高い。あの冷徹な態度こそ、彼なりの配慮だったのではないか。

 突然、バイブ音が鳴った。ポケットから取り出してみると、携帯の画面には『遠山綺吏紗とおやまきりさ』と表示されている。登録した覚えのない名前だった。訝りながらも、応じてみる。

「母さん、ちょっと電話に出るね」

「はーい」

「もしもし」

『あ、ウチだけど』

「えっ?」

『昨日は結局、万引きしなかったね。安心したよ』

 あっけらかんとした少女の声が、電話口から聞こえてきた。“万引き”というワードを受け、彼女がコンビニで出会った少女だと確信する。

「なんで、僕の番号……」

『その話はまた今度。実は今、史跡公園にいるんだけどさ。ほら、西町の住宅街の奥』

「えっ」

『あんたの兄貴、負けそうかも』

「剛兄が、負けそう? 戦ってるの?」

『うん。何でも、一般人を傷つけちゃったペナルティで、霊具を没収されちゃったんだって。だから素手で戦ってるみたいなんだけど、今けっこうヤバいかも』 

「えっ、どういうことだよ。君は……何者なの?」

『鈍いなぁ。ウチもプレイヤーなんだよ。びっくりした?』

 彼女の期待通り、優己は驚愕したと同時に、失望に似た気持ちも生まれた。自分に献身的に関わってくれる相手は、異人や死者といった、普通とはかけ離れた存在ばかりだ。

 さておき、剛我が傷つけた一般人とは、間田のことだ。Dフェスがゲームと冠するからには、ルールがある。ルールを破ればペナルティが発生する。中年男を投げ飛ばしたことが間田への危害だと、臥月に認識されたのだろう。

「そう……」

『没収された霊具は見つけ出した場所にあるって言ってたけどなぁ』

「あ……剛兄、部屋の引き出しで見つけたって……ちょっと待って。つまり、僕が霊具を持って駆けつければいいってこと?」

『今度は察しがいいね』 

「でも、剛兄のことだし、たぶん大丈夫だと思うよ」

『本当にそう思ってる?』

「思ってるさ」

『ふーん……兄貴のこと、嫌いなの?』

「嫌いって、わけじゃないよ。そりゃあ、良いところもあるし、悪いところもあったけど」

『そういうものだと思うよ。まっさらな人間なんていないし。ウチもあんたも』

「そりゃ、まぁ……」

『戻ったほうがいいと思うけど。このまま兄貴が負ければ、もう今度こそ会えるチャンスが失くなるんだよ』

「君には関係ないだろ。でしゃばるなよ」

『関係ないし、でしゃばるなんて気もない』

 思わず声を荒げたが、綺吏紗はそれ以上に張り上げる。

『でもせめてさ、ウチらの声が聞こえるあんたにはさ、ウチらの声ぐらいは聴いてほしいんだって』

 彼女の言葉に、熱がこもっていくのが感じられた。

『優己君にしかできないことなの、お願い』

「いや、でもさ、同じプレイヤーなら君が応援で、た、戦う、とか……」

 女性に頼みを置く。自身の言葉の持つ意味に気付き、忍びなく尻すぼみになっていった。

『別に戦えないわけじゃないけど、戦力にはなれないよ。それに、ウチは顔向けできないしね』

「どうして?」

『……まだ、言えない。とにかくさ、言いたいことは伝えたから。それじゃ』

「待って。僕からも一つ聞かせてよ。どうして、教えてくれるの?」

『うーん……恩返しと、謝罪ってやつ?』

 通話を切る直前、彼女の寂しそうな表情がなぜか浮かんだ。

 立ち尽くす優己の顔を、母が心配そうに覗きこむ。

「どうしたの、優己?」

「ううん、別に……母さん」

「何?」

「ちょっと、出かけてくるっ」

「ええっ!?」

 優己はキッチンを出て、階段を駆け上がる。

 二分足らずの通話だったが、優己の心境に波紋を生じさせるには充分な時間だった。少女の懇願と追いつめられている兄を無視できるほど、落ちぶれてはいない。それを証明するには、戦場へ向かうしかない。

 間田たちの暴力。剛我や臥月、非日常との邂逅。エンマから授かった霊能力。常に後手に回り、受け身がちな自分に嫌気が差していた。しかし捉え方によっては、受け取ったものを見つめ直す時間が、自分にはあるということ。どういう答えを導き出せるか、それが最適解なのかは分からない。ただ言えるのは、己の気持ちに正直にならなければ一切の意味を為さないということだ。その最初の鍵が、にある。

 自身の心の殻を押し破るように、剛我の部屋のドアを開けた。

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