第4話 主催者と観測者
青年に連れてこられた場所は、住宅街の外れにある史跡公園。元は奈良時代の集落跡地で、今なお発掘調査が行われる貴重な遺跡である。薫風を感じさせる鮮やかな芝生が、一面に広がっている。
「――私だ。支給された
青年は誰かと連絡を取り合っている様子だった。その通信媒体は、パチンコ玉に似た球体が青い炎に包まれた、いわゆる“火の玉”だった。
「“師走”の連中に伝えてくれ。不良品を渡すのが君たちの仕事なのか、とな。……ああ、分かった。後は頼む」
宙に浮かんでいた玉は炎の消失と同時に落下し、青年の掌に収まった。
「まったく……」と声を漏らしながら、懐にしまう。
横を向けば、優己の視線とぶつかった。先ほどの玉と同じく、目を丸くさせている。
青年は眉根を寄せた表情を和らげた。
「待たせてしまって、すまない。まず自己紹介から始めよう。私は
「あ、よろしく、お願いします」
差し出された手を、優己は握り返す。小さな手だったが、指は意外にも太く、マメの固い感触を掌で感じた。
余った互いの手は、耐油紙に包まれたコロッケでふさがっている。
「あの。今のは……」
「ああ、あれはこちらの世界でいう“ケータイデンワ”と同じ、通信機器の類だよ。珍しがるのも無理はない」
臥月はコロッケを一口かじった。
「うん、評判通りの美味さだ。さて、突然のことでやはり説明がほしいところだろう。しかし、何から話せばいいやら……」
臥月は顎に指を添え、深く考え込み始める。唇は油で艶を帯びていた。
「まずはオレの質問に答えろ」
剛我は木造のベンチに腰を下ろしていた。激しい貧乏揺すり、親指で唇を撫でる動作に、優己は懐かしさがこみ上げた。
「というと?」
「優己だよ。なんで、オレのことが見えてるんだ? 普通の人間には見えないはずじゃなかったのか」
「普通、ならばね」
臥月は、優己に言った。
「それにしても驚いたことだろう。死んだはずの兄が目の前に現れ、見知らぬ男を叩きのめしてしまったのだから」
「はぁ、はい」
「……チッ」
剛我は質問を反故にされ、動作の調子を強めた。
「君の兄は約一年前、ビルの屋上から転落し、亡くなった……さて、質問だ。優己君、死んだ魂はいったいどこへ向かうと思う?」
なぜ剛我の死の状況を知っているのか疑問がよぎりつつ、優己は問いに答える。
「天国とか、地獄とか……ですか」
「半分正解だ。最終地点はそのどちらかの世界になるが、まず向かうのは、霊界というところだ」
臥月が残りのコロッケを頬張り、耐油紙を丁寧に折りたたむ間、優己は“レーカイ”という言葉を頭の中で反芻した。
約十秒後、臥月の咽喉が大きく上下する。
「今、私たちが存在し認識している世界を“この世”や“現世”と呼ぶならば、霊界は“あの世”や“死後の世界”に位置付けられる。それは異空間を隔てて存在し、通常お互いの世界が干渉することはない。何の話をしているかって? 現実の話さ。にわかに信じられないだろうね。しかし、霊界は確かに存在することを前提としてこれから話していく。いいね?」
臥月は先ほどのものと酷似した、ゴルフボール大の玉を差し出した。
「これは
指先で跳ねる幻燈玉。空中で静止し、発火する。
赤い炎は穂の形を取らず、幻燈玉の表面積を大きく超えて球形に広がる。その内炎部分に、人のシルエットが浮かび始めた。
『おー、臥月。早くコロッケ持って来いって。いい加減待ちくたびれ』
「例の少年と接触しました。十文字優己君です」
鮮明に映し出された人物を見て、優己はあっと声を上げた。
それは『ゴッド・ノウズ』で現れた男だった。驚く彼に、男は挙手で挨拶する。
『あー、お前? オレ様こと、エンマ大王だ。以後、よろしく』
「エンマ、大王?」
彼は本気で名乗っているのか? 優己が視線で訴えると、臥月は首を縦に振った。
「そう。彼は霊界の統治者、エンマ大王その人だ」
「ちょ、ちょっと待ってください。エンマ大王って、あのエンマ大王ですか?」
子どもへの戒めとして古くから伝わる迷信。その一つにこのようなものがある。生前に嘘をついた者は、閻魔大王によって舌を引き抜かれると。冠を被り、
『おいおい、このオレ様が人間の、それもパッとしねぇガキと対面してやってるんだ。敬意の一つは払ってくれや。つってもお前からしたら、初めて会うわけじゃねぇだろ? まー、お前が見たのは、ゲームのプログラムに過ぎないがな』
「でも、本当にいたなんて……」
『この世にゃ、お前の想像の限界を超えた現実があるってことよ。って、オレはあの世にいるわけだけど、プッ』
「エンマ様、優己君に霊能力が備わった理由を説明していただけますか?」
「うん? ああ、オッケオッケー。ゆうちゃん、お前、『ゴッド・ノウズ』で、オレ様のプログラムと話した後、強烈な光を目に食らっただろ? あれはな、ビカーッてやることで、お前の目の中の、いや、違う。頭を、こう、グワーッって感じで……臥月』
「はぁ……あなたが始めたことなんですから、しっかりしてくださいよ」
エンマの懇願の眼差しを受け、臥月は嘆息した。
「優己君。まず最初に言っておくが、あの閃光が視力低下などの問題を引き起こすことはないから、安心してほしい。閃光は君の視神経を通じ、脳細胞を急速に活性化させる働きを持っている。脳から肉体へと特質は伝播し、感覚受容体、つまりは五感にある影響を与える。要するに、君には霊的存在を知覚できる力、いわゆる霊能力が発現したんだ」
『おめでとさん』
臥月なりに要領を得やすくした説明は、優己にとってはちんぷんかんぷんだった。ただ、最後の“霊能力”という単語が何を意味しているのだけは理解できた。
「なんのために、そんな……」
『んー、なんのためってわけじゃねぇんだけどな。まぁ、聞いてくれや。霊界におけるオレ様の仕事ってのはさ、入国審査官みたいなもんなわけ。閻魔帳開いてー、浄玻璃鏡覗いてー、死者どもの生前の行いをチェックするわけだ。んでもって天国か地獄のどっち行きがふさわしいかを決めて、判を押す。要するにデスクワークな。毎日毎日そりゃもうおめー、大変なんてもんじゃねぇべ? 例えば昨日は三千五十二人の死者数がでたわけだけどよー、これまでに処理してないやつがまだごまんといるんだぜ? いや、違うぞ? 五万人って意味じゃねぇ。確か正確な数字が……臥月』
「言っていいんですか?」
『いや、言うな。現実と向き合いたくない。ほんともう、どうしろってんだよなぁ、はっはっは……助けてくれ』
「エンマ様が仕事そっちのけでゲームや漫画に逃げてサボッているからでしょうがっ! 最後に尻拭いするのは私たちなんですよ。分かってるんですかっ!」
『あー、はいはい。分かってる分かってるって。話がそれちまったな。とにかく何百万、何千万なんてもんじゃねぇ、そりゃあ途方もない数の魂と向き合ってきた。その経験っつうか、記憶っつうか……オレ様の冴えた思考は、一つの見解を導いちまうわけよ』
こめかみを指で叩く。
『老若男女問わず、総じて人は何かにつけて後悔する生き物だ。中にゃあ、大満足の大往生を遂げたやつもいるだろう。でもほとんどのやつは不慮の事故や病苦で命を落とすのが現状だ。心臓が止まるその瞬間まで、ほとんどのやつはこう思ったはずさ』
――まだ生きていたい。もう一度人生をやり直したい。
『そこでオレは思いついた。そいつらにチャンスを与えてやろうってな。もちろん生易しいものじゃねぇ。ずいぶん時間はかかったがオレ様の地位と権限、あらゆる力を行使し、一つの天才的な構想を形にさせた。必要なのは生きたいという確固たる意志。参加資格は、死。優勝賞品は、命。死者どもを競い合わせ、勝者を生き返らせるゲームをなっ!』
エンマは拳を掲げ、まるで演説に気炎を上げる政治家のように、大仰な振る舞いを見せる。
『それが三年に一度開催される、死者の祭典! その名も“
その目は子どものように爛々と輝き、口角を吊り上げ、歯を見せ笑うその口は、下弦の月を思わせた。
『もう四回目の開催になるが、最っ高だね。近頃のテレビ番組やゲームなんて目じゃねえ。最っ高のエンターテインメントだよ』
あれがエンターテインメント?
無邪気にはしゃぐエンマを見て、優己は後ろ暗い感情に囚われた。
今まで興じてきたゲームや漫画の中には、R18指定の暴力的要素を含んだものもあった。それらはあくまで創作物であり、現実とは大きく乖離している。己の人格や精神性を疑われる謂れはない。そう信じてきた。しかし、エンマに対して白けた心地の自分と、創作物を否定的に捉える他者の心境はほぼ同一であると理解した途端、己への嫌悪が急激に高まりつつあった。
『開催年を含めた前三年間に亡くなった者の内、ランダムに選出した一万人から参加者を募る。その翌年、開催と同時に次のゲーム参加者の募集をスタートするって寸法だ。今年の参加プレイヤーは八千百一人、過去最多人数だ。いいねいいね、盛り上がってるぜ~』
「エンマ様は観客として楽しんでるから、いいですよ。私たちは本来の仕事と併用しなきゃいけないんですから。労働環境にも気を配っていただきたいものですね」
そう愚痴をこぼす臥月をよくよく見てみると、目元に隈ができている。
「あの、臥月さんはいったい何者なんですか? 霊界とか、色々知ってるようですけど」
「人間という枠組みからは少し外れるかもしれないね。白人や黒人。日本人やアメリカ人。この世界に多様な人種があるように私もまた、
死神。汚れたローブをまとい、大きな鎌を持った骸骨。もしくは陰気な顔をした老人。
目の前の青年はいずれのイメージとも大きく反する姿だ。それもまた、エンマ大王に抱いていたイメージと同じく偏見なのだろうが。
「私たちの仕事は、現世をさまよう死者の魂を霊界へ導くこと。Dフェス発足後は審判の役割も担っている。今日は君の兄と男の勝負を見届けるために、ここへやってきたんだ。そこで君と邂逅した」
『いやー、思ったより早く見つかったなぁ。ちゃんとあらかた説明できたし。ひと安心ひと安心』
「ちょっと待ってください。そのDフェスと僕と、何の関係があるんですか?」
「その通りだ。なげー話だなぁ、おい。テメェの道楽に付き合ってやるのはオレで十分だろ。優己をもとに戻せ、コラ」
突如凄みを利かせて、割って入る剛我。相手がエンマ大王だろうと、一貫した態度で迫る。相変わらず図太い性分だと、優己は辟易する。もっとも、エンマもまったく気にしていないようだ。
『おっ、なんだ他にもいたのか。えーと、そいつ、誰だっけ臥月』
「十文字剛我です。優己君の兄の」
『あー、兄弟。兄貴はプレイヤー、弟は霊能力者ってわけか。数奇というか何つうか……』
エンマは剛我をまじまじと見つめる。
『……ははっ、よく見りゃ似てる似てる。なっ、臥月』
「そうですね」
「オレたちが似てるかどうかじゃなくて、優己を元に戻せっつってんだ、ゴラ」
さらに幻燈玉へ顔を近づけ、下からエンマを睥睨する。
『戻せったってなぁ……いいか? 霊能力ってのは、本人がもともと潜在的に備えてたもんだから、一度顕在化しちまった以上はどうにも』
「テメェ、エンマ大王なんだろっ! 何とかしろ、ぶっ飛ばすぞっ!」
「剛我、口を慎め」
『ヒャッヒャッヒャ、いいじゃねぇか。血気お盛ん、結構結構。ぶっ飛ばしたかったら、やってみろっての。オレ様に直接会って物申せばいいだろ。ま、それには予選会を突破しなきゃなんねぇがなぁ。んで、テメェの“
「霊具?」
優己は、中年男も同じ言葉を口にしていたことを思い出した。
「霊具とは、プレイヤーが生前に最も愛用し、特別な思いを抱いた道具のことだ。道具といっても内容は形状問わず、千差万別。共通しているのは、それぞれ固有の特殊能力が秘められていることだ。その能力をいかに駆使し、戦況を有利に持っていくかがポイントだな」
『Dフェスは、予選会“
生前愛用していた道具と聞き、優己には心当たりがあった。物欲に乏しい剛我が唯一、肌身離さず持ち歩いていた品物がある。
剛我を顧みると、ちょうどシャツの内側から、音を立てて揺らして見せた。
それは十字架のネックレス。
円柱で構成され、縦棒の中央よりやや上に短い横棒が直角に交差する、ラテン十字の形をしている。
一般的なものとの違いは十字架が上下逆さまであることともう一つ、正確な十字架ではない点にある。左側の横棒が根元から欠損しており、トの字型になっているのだ。
「とっくの昔に、部屋の引き出しで見つけてるっつうの。これで文句ねぇだろ」
「今、話すべきことはだいたい終わった。何か質問は?」
『オレ様のスリーサイズが知りたい? しょうがねぇなぁ、特別に教え』
「エンマ様はもう黙ってもらって結構です」
エンマは両手を上げて、肩を竦めた。
「僕から、いいですか? その、僕はゲームは好きだけど、正直このDフェスっていうのは、本当にゲームと呼べるのか……」
『ゲームじゃんか。楽しいだろ、エンタメエンタメ』
「楽しくなんてないですよっ! 死んだ人たちを戦わせるなんて、どうかしてる」
『いーんだよ、オレ様が許す。所詮はヒマつぶしに過ぎねぇからなぁ』
エンマは頭の後ろに手を回し、椅子にもたれかかる。
「ヒマ、つぶしだなんて……っ!?」
『生まれてから死ぬまでの時間、いわゆる人生ってやつ? オレみたいなもんからすりゃ、ひどく退屈なもんさ。いずれ終わる人の営みも、永遠に終わらねぇオレのお仕事も……決まりきった様式からの脱却。つまりは死からの解放と、退屈からの解放ってわけだ。オレにもお前らにとっても最高のメリットだと思うがな?』
「で、でも」
『まぁ、聞け。だいたいこっちから強制はしちゃいねぇ。参加するかどうかは個人の意志だからよ。ま、この国は平和だしな。血を見ることに慣れていない連中さ。でも人間っつうのは、何か大きなものを得たいがために、無茶をするもんだろ?』
こめかみを指で撫でながら、エンマは不遜な笑みを浮かべた。
『今までたくさんの魂と向かい合ってきた。どいつもこいつも、夢。希望。未来……迎えるはずの明日があった。オレ様はな、そういうやつらに手を差し伸べてやったに過ぎないのさ』
エンマは剛我を指さした。爪先は真っ赤なマニキュアで彩られていた。
『テメェの兄貴だってそうだ。そいつらを突き動かすのは“もっと生きたかった”っつう、純粋な想いなのさ。産声上げた日から今日まで、しっかり命抱えたまんまのお前にゃ、そいつらの気持ちなんざ解らねぇよ』
エンマの綴る言葉に、優己は押し黙った。
生者と死者との間には大きな隔たりがあることを感じた。自身とエンマ大王の倫理的価値観にも。
「僕は具体的に何をすればいいんですか? そもそも、できることなんてあるんですか?」
『別に何も。オレとも隠人ともプレイヤーとも違う、独自の観測者がほしかったってだけだからな。いつものように毎日を過ごしてくれればいいのさ。戦いに巻き込まれないように慎重に生活していくか、進んで首を突っ込んでDフェスの更なる質向上に貢献してくれるか……お前の勝手さ』
「いいです。僕、やっぱりこんなの……何とかならないんですか?」
臥月が肩に優しく手を添える。
「優己君。先ほどエンマ様も言っていたが、君の霊能力はもともと、君が潜在的に持っていた力なんだ。何らかの原因で、一般人がDフェスもとい我々の存在を知ってしまった場合、その者の記憶を消す処置を行う。しかし、今回は特例だ。記憶を消したところで、君の霊能力自体が失くなるわけではないのでな。実情を知ってもらっていたほうが、何かと都合がいい」
「そう、ですか……」
「本当に申し訳ないと思っている。ただ優己君、今後は気をつけるべきだぞ」
「えっ?」
「君は一般人とプレイヤーの判別ができない。これはプレイヤー同士にも言えることでね。つまり君に認識されていることを知ったプレイヤーが、一般人と知らずに襲いかかってくるケースも考えられる。無論、巻き込ませてしまった以上、我々も最大限の配慮はする。それでも、もし対処しきれなかった場合は」
臥月は視線を変えた。
「剛我、君が優己君を守ってくれ」
「断る」
唐突で間のない言葉に、優己は戸惑った。剛我は両肩を交互に回しながら、続ける。
「オレたちがやってるのは、ケンカなんて生ぬるいもんじゃねぇ。命張った戦いだ。ガキのお守りまで面倒見きれねぇよ」
「……」
「優己、オレがこのゲームに参加した理由を教えてやる。どんなに殴ろうが、いたぶろうが、叩き潰そうが関係ねぇ。暴力が許されるからだ。法律だとか、モラルだとか、社会のルールだとか、んなクソッタレから解放された力だけがモノを言う世界だからだ」
その真剣な眼差しと一言一句に、偽りの感情は見当たらなかった。
「オレはそういう人間なんだよ。オレは戦いたい。お前は争い事から遠ざかりたい。お互い一番いいのは……一緒にいないことなんじゃねぇのか?」
「……ごうに」
「分かったら帰れ。オレはまだ、こいつに用があるんでな」
最後にそう吐き捨てると、剛我は体を背けた。植えられた樹木に向かい、膝を交互に伸ばす屈伸運動を始める。
優己は俯き、拳を震わせた。ここまで剛我の行動が体をほぐすストレッチの所作であることを、彼は理解していない。そこに気を留める余裕はなかったからだ。
「剛兄……分かったよ」
「優己君、用心のため。よろしければ家まで同行を」
「いえ、家から近いんで、一人で帰れます。ありがとうございました」
臥月に深く頭を下げると、優己は足早に去っていった。
『良かったのかよぅ? あんな突き放すような言い方で』
「ああ、悪いのはオレさ。それに、巻き込ませたくねぇんだよ。今から始まる戦いに……」
最後に大きく伸びをし、剛我は準備運動を終えた。
「よう、待たせちまったようだな」
彼が声を投げた先の木陰から、背広姿の男性が現れた。ポマードを塗りたくった七三分けの髪を撫で上げ、不自然なまでに白い歯を覗かせる。
「話は終わったようだね。それにしても、なぜ私の存在に気づいたのかね?」
「あれで息潜めてたつもりか? こっちは日頃、物陰から襲ってこられることなんざしょっちゅうだったっつうの。だから“敵意”の気配ってのには敏感なんだ」
「敵意とは心外だ。“死”という同じ悲哀を背負った者同士じゃないか。君を敵だとは思っていないよ。私の相手が務まるなどという期待もしちゃいないがね」
「こっちは期待してるぜ。どんな必死こいたツラが拝めるか今から楽しみだ」
「威勢がよいのは若者の特権だ。しかし、いいのかね? 色々混んだ事情らしいが、弟だそうじゃないか。別れの挨拶ぐらいきちんと済ませればよかったものを」
「余計なお世話だ。あんたこそ命乞いのセリフを考えておくこったな」
威圧や煽動で牽制しながら、両者は睨み合う。拳を交えることだけが戦いではない。言葉は使い方一つで、相手の精神を揺さぶり、気勢を削ぐのに有効な武器になり得るのだ。
「剛我。戦闘開始前に、君に伝えなければならないことがある」
臥月が背後から話しかける。男から視線を外さないまま、応じる。
「何だよ」
「先ほど、君は一般人に危害を加えてしまった。これは『Dフェスの基本ルール・第二十四項』の違反に当たる」
「へぇ、そんで?」
「よって、ペナルティーとして霊具を没収させてもらう」
「だからそれが……はぁっ!?」
勢いよく振り向くと、臥月の平静な視線とぶつかった。
「安心しろ。没収した霊具は、最初に探し出した場所に戻される。もう一度取りに行けば良い話だ」
「取りに行く時間が今からあるのか?」
「あると思うか?」
「それは敵前逃亡というやつだね」
『そりゃいけねぇよなぁ、ゴッチャン』
横から口を出す男とエンマを再度睨みつける。
「つまり、このおっさんを倒してから行けっつうことだな」
「そういうことだ。さぁ、霊具を渡してくれ」
優己は家路を急いだ。胸を打つ悲愴に追いつかれないように。
「優己-っ?」
後ろから声をかけられ、振り返る。買い物袋を提げた母が立っていた。
「母さん」
「どうしたの、そんな怖い顔して。ほら、一緒に帰ろ、優己」
「……うん」
「今日はキャベツが安かったのよ。夕飯作るの、手伝ってね」
「……うん、分かったっ」
優己は精一杯の笑みで答えた。自分の生活の場は、母とともにある。生者としての営みに務めるほかない。そう思い直し、買い物袋を代わりに持った。
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