4-19.魔の淵叢

 多くの魔物は高度な知性を持たないが、カレヴァンを覆う黒い霧の中から生じたものは組織立った行動をしている。

 初めは散り散りになった人間を狩るために小回りの利くものが動き回っていた。しかし現在は、複数の拠点に固まって防衛態勢を整えた人類を駆逐するべく、大型の魔物が最前線に立っている。


 魔物の統率は、攻撃ばかりに機能しているものではない。

 街の中央部では、なにかを守るように数え切れないほどの怪物が徘徊はいかいしていた。魔領域の中心部に匹敵する大群だ。常人ならば見ただけで正気を失い、悲鳴を上げる前に食い殺されるだろう。


 その地獄を、まっすぐに突き抜ける人影がある。

 スバルだ。

 常軌じょうきいっした速度は魔物達を置き去りにする。邪魔立てするものは、すれ違う刹那に一閃を浴びて命を散らした。

 目標へ向けて最短距離で駆け、凶悪な敵を鎧袖一触がいしゅういっしょくにする様は、まさしく暴力的だった。


 魔物同士で意思疎通をする手段があるのか、開けた場所に出たスバルを、整然と隊列を組んだ巨大な甲虫の群れが待ち構える。

 遠目では、さながら立ちはだかる壁だった。さしものスバルも所詮は剣士であり、突破は難しい。


 その中心に落ちる、白銀の流星。

 落下と共に吹き荒れたのは、漆黒の衝撃だ。

 次の瞬間、並み居る魔物達が無残にも爆散する。甲殻は砕け、肉は水風船を割ったように爆ぜた。すさまじい勢いで弾け飛んだ残骸が、周囲の建物に食い込んで止まる。


「スバル、大丈夫?」


 あどけない表情をしたアリアが、深く抉れた地面の中央でスバルを振り返った。

 常人を遥かに超える身体能力を秘めた彼女は、建物の天井を足場にして進んでいる。空中に手強い敵はなく、戦闘の負担は軽かった。


「あぁ。準備運動に丁度いいくらいだ」


 スバルは笑みを隠せないまま答える。

 ほんの少し前は彼女を庇いながら魔領域を冒険していた。力を取り戻したアリアにはスバルを心配する余裕すら生まれており、それが頼もしくてならなかったのだ。


(油断するな。ノーラとリュークが見たという魔族は近いぞ)


 魔剣クローディアスの警句で二人は表情を引き締める。

 現在では文献にすら残らない神話の怪物が、今や目と鼻の先にいるのだ。


 脇目も降らずに突き進む二人の足が止まったのは、唐突だった。

 街並みが途切れ、真っ白な景色が広がる。あまりに濃い霧が視界を完全に塞いでしまったのだ。魔物を作る黒い霧とも、自然界に存在する濃霧とも違う。なにか得体の知れないもやが、行く手を遮っていた。


 ここだ、と二人は直感した。

 リュークとノーラの話が正しいならば、この先にあるのは地下まで続く深い大穴のはずだ。

 だが、スバルとアリアは躊躇ちゅうちょなく深奥しんおうへ踏み入る。スバルの中で息づく異界の血が、アリアの心臓を動かす魔剣の欠片が、そこに目指すものがあると告げていた。


 ほんの数歩で、周囲に見えるものは乳白色のみになる。

 どれほど歩いただろうか。

 時間の流れも曖昧模糊あいまいもことした概念に変わっていく。スバルとアリアには、それが数秒のことにも、数時間のことにも感じられた。

 自らの姿すら見失い、上下左右の認識どころか、自分自身の存在が不確かなものに思えてくる。

 確かなものは、前に進み続ける足の感覚だけだ。


 足裏に伝わる感触が変化したことに、二人は気づく。

 ここまで石畳の路面だったはずが、いつの間にか柔らかい土の上にいた。カレヴァンの舗装された道では、ない。

 霧は薄れ始め、視界が徐々に開けてくる。

 遠くに巨大な影を認め、スバルは呟いた。


「《空の森》……」


 いくつもそびえ立つ、天をくような木々。そして眼前にあるのは一際巨大な大樹――《森の天空》と呼ばれた聖地を天上にいただく、霊樹。そこはスバルとアリアが冒険の果てに辿り着いた、うんざりするほど広大な広場そのものだった。

 同時に、違う、ということにも二人は気づいている。

 森の景色には現実感がなかった。おそらく、そちらへ近づいていっても樹は存在しないのだろう。微睡まどろみの夢にも似た、茫漠ぼうばくとした空間。この世のものではない幻想の中。異界と現世の狭間。


 その中心に、それはいた。


 顔とおぼしき部位で真白い空をあおぎ、微動だにせず、神話の怪物は古木のごとく黙然もくねんと立ち尽くしている。

 まるで、嘆くように。いたむように。

 郷愁きょうしゅう哀惜あいせき悲歎ひたん――――底知れぬ絶望に囚われたものが、そこにいた。世界を破滅に導くという化物には、あまりに不似合いな姿だ。


 スバルとアリアの接近に気づいたのか、ゆっくりと魔族は動き出す。

 白い霧でおぼろげに見えるシルエットが、動作を伴うことで明確になりつつあった。

 思いの外、小さいとアリアは感じる。

 太古に人間界を壊滅寸前にまで追いやった逸話から、天を覆い地を呑み込むほどの巨躯きょくかと想像していた。決して小柄ではなく、大型に分類される魔物にも匹敵するだろうが、その程度だ。


 生命の宿った古い樹とも、数千年を生きた昆虫ともつかない、奇妙な生物だった。長い胴体に、無数の腕。乾いた樹皮のようにひび割れた体表が、身動みじろぎのたびにばらばらと剥がれ落ちていく。ぎょろりと頭部についた大きな目玉だけが動物的な要素だった。

 根にも似た、数十本もある脚を器用に動かして、魔族はスバルとアリアに相対する。


 言葉は、ない。

 当然だ。魔族が言語や知性を有しているのかも、理解できるほど人類と精神構造が近しいかも不明だ。

 だが数秒ほどの対峙で、二人と魔族は確かに心を通わせていた。思考や感情が互いに伝わる感触。あるいは、下手な人間を相手にするよりも深く、強く、スバルとアリアは魔族と共鳴できたのかもしれなかった。


 そして、スバルとアリアは剣を構える。

 魔族は枝のように伸びた腕を広げ、攻撃の意思を明らかにした。


 なにかが――――。

 なにか少しでも、歯車の噛み合わせが異なっていれば、人と魔族には尊重し合う世界がひらかれたのかもしれなかった。二人は、そしておそらく魔族も、そう感じている。

 しかし今、彼らが共有できた事実は一つ。

 決してわかり合うことなどできないという、くつがえしようのない現実だけだった。


「倒そう、スバル。魔族を」


 アリアがささやく。

 静かだが、鋼より堅い意志を秘めた声音だ。


「あれは、ここで倒さなきゃいけないものだ」


 自分達がやぶれれば、この怪物はカレヴァンを出て世界を蹂躙じゅうりんするだろう。アリアには確信があった。

 スバルは決然とした表情で戦いにのぞむアリアを一瞥いちべつし、頷く。


 そして、瞬きの刹那、きた。

 眼前に魔族の姿が現れる。

 ジャスティンの異能と同じ、空間を飛び渡る力だ。

 幹のような胴から伸びる無数の腕は、既に音の速さを超えて迫っている。


 そのすべてを、漆黒の衝撃が、幾筋もの銀閃が斬り払った。

 スバルとアリアは即座に反応すると、示し合わせたように散開する。


 魔族は巨大な体に比例して移動も素早い。だが魔剣を身に宿したアリアは、その上を行っていた。

 驟雨しゅううとなって降り注ぐ枝の腕をかいくぐり、疾風迅雷の速度で肉薄する。

 避け切れなかったいくつかが皮膚を裂き肉をえぐる。それでも彼女は止まらなかった。スバルは強力な戦士だが、剣士だ。有効打を与えられるのは魔剣をおいて他にない。

 そして遂に、敵を射程の圏内に捉える。


(行け、アリア!)


 相棒の叱咤しったを脳内に聞きながら、白竜と呼ばれた少女は剣を突き出した。

 ごっ、と黒い疾風が吹き抜ける。

 巨大な黒影が、魔族に正面から食らいつく。轟音が鼓膜を叩き、砕けた外皮が周囲に飛び散った。


「……硬い!」


 初めて感じる強烈な反動に、アリアは眉をひそめる。鉄塊を拳で殴りつけたようだ。

 空の森の大樹すら揺るがす一撃は、しかし魔族を数歩後退させるだけに留まった。


 しかも、距離を稼いだことで安堵が訪れることもない。

 アリアは自らの超感覚に従い、全力で身体を横に投げ出した。

 直後、不可視のエネルギーが、今しがたアリアのいた場所を押し潰す。


 その正体がなんなのか、アリアとクローディアスには皆目見当もつかない。わかっているのは、それが魔剣の力を得たアリアにすら致命的なものであるということだけだ。

 魔族は、止まらない。回避するアリアの行く手を阻むように、謎の攻撃と枝にも似た腕の連撃が襲いくる。

 反撃どころか、なんとか逃げ延びるだけで精一杯だ。

 いくつかを避け切れずに剣で弾く。そのたびにすさまじい衝撃が全身を突き抜けた。途方もなく、重い。魔族自体が物理の法則を逸脱しているのか。魔族の肉体は外見以上に堅固で、強靭だった。


 焦燥に駆られるアリアが、一か八か攻勢に出ようとしたそのとき、鋭い風が白い世界を薙ぎ払う。

 一瞬の間を空けて、魔族の身体が揺らいだ。アリアを追い立てていた腕の半数以上が半ばで切断され、胴に刻まれた一直線の傷跡から黒い血液が勢いよく噴出する。


 スバルは風糸の魔法を直撃させたことを見届けもせず、黒雷と化して突撃した。

 傷は与えたものの、致命傷とは到底思えない。果たして予感は現実のものとなり、スバルの頭上には瞬時に再生した魔族の腕が迫った。


「発破!」


 スバルは敵の攻撃を視認することもなく、自らの感覚のみを頼りに詠唱する。

 すると無音にして不可視の激しい衝撃が爆裂し、枝の多くが派手に蹴散らされた。


 本来は炎の爆風で対象を焼き払う魔法だ。しかし実際に顕現したのは純粋なエネルギーの炸裂――魔族が操っていたわざ、そのものだった。

 想定外の事象を、なぜかスバルはすんなりと受け入れることができた。

 その光景を遠くから見ていたアリアもまた、理解する。


 今、戦いの場には魔素が溢れている。魔領域から生まれ、生命体を根本から強く作り直し、最後に破滅を与える存在。

 魔法とは魔素を人間界の法則に当てはめて操るものだ。

 だが、ここは人界にあらざる空間。魔族の創った、魔の淵叢えんそう。あらゆる魔法は魔素の爆発として発動する。そしてそれは、魔族の業の正体でもあった。


 スバルとアリアは果敢に魔族へ接近し、二手に分かれて攪乱かくらんと襲撃を続ける。

 戦闘は激しいながらも、戦況は膠着こうちゃくしていた。

 魔族の攻勢は熾烈しれつで、防御は堅固だ。二人の攻撃は敵の外皮を削るばかりで、一向に芯を捉えることができない。

 古木のような身体が剥がれ落ちるたび、魔族は真新しい肉体に戻りつつあった。甲殻は赤とも黒ともつかない不可思議な光沢を放っている。枝はいつの間にか昆虫の節くれだった脚に酷似した、鋭い爪を備える触腕に生まれ変わっていた。


 幾度目かの突進を押し返され、アリアが悪態を吐き出す。

 息は上がり、手足は小刻みに震えていた。魔剣の欠片を心臓に得てから初めて感じる強烈な疲弊ひへいだ。

 長い時間をクローディアスに頼っていたブランクもある。そしてそれ以上に、魔素の充満した空間に人間の部分が拒絶反応を示していたのだ。


(焦っては危険だ! 落ち着け!)

「まだいける!」


 クローディアスの警告に、アリアはかたくなな口調で答える。だが肉体は悲鳴を上げ、力の抜けた膝が地面を打った。


「アリア!」


 遠くからの、切迫した声。

 顔を上げたアリアの眼前には、魔族の放つ魔法が迫っていた。目に見えない脅威の接近に全身が総毛立つ。アリアは咄嗟に手を掲げ、薄墨色の障壁を展開させた。弓矢や銃弾ならば、数千を同時に撃ち込まれても容易に防ぐ魔剣の盾だ。

 それが、砂糖菓子のように崩壊する。

 ダメージは魔剣本体に跳ね返り、クローディアスの苦鳴が漏れた。

 魔法自体は防ぎ切っている。だが、後に続く触腕から身を守る術は、アリアにはない。

 言葉にならない、クローディアスの叫びが響き渡る。


 まさに、魔族の爪がアリアの胸を貫こうとした、その瞬間。

 黒い影がはしった。

 それはアリアの正面に立ちはだかると、無数の斬撃を解き放ち、魔族の腕を打ち払う。


「スバル……」


 スバルは、振り返らない。

 右手に剣を持ち、左手をだらりと垂れ下げたまま、そこにそびえる古木の魔族に向かって歩を進めた。


 突如、空中に極彩色ごくさいしきの光が散る。

 一つや二つではない。

 七色の欠片は激しく飛散し、白霧の世界を照らした。


 乱舞する鮮やかな色彩の空間に、黒い姿が牙を剥く。

 スバルはアリアですら視認が困難な速度で瞬く間に魔族の元へ到達すると、風の糸をまとわせた剣を横薙ぎにした。

 魔族は束ねた触腕でスバルの刃を受け止める。そして弾けるのは、摩訶不思議まかふしぎな火花。


(あれは……魔法の激突、なのか)


 茫然自失した声で、クローディアスは呟く。


 スバルは右手で剣を振りながら、絶えず左の手で複雑な動きをしている。

 腕で薙ぎ、指で描き、拳で砕く。そのたびに空中で色が飛び散っていた。

 魔族の魔法をスバルが、スバルの魔法を魔族が、互いに相殺しているのだ。


 クローディアスは畏怖を禁じえなかった。

 人間が長い詠唱で一つ実現させるのがやっとという魔法を、いくつも同時に、立て続けに放つ人外の所業。この場に魔法を生業なりわいとする者がいたならば、自らの非力を呪って自刃したことだろう。


「なんて、きれいなんだろう……」


 アリアは戦場にいることを失念して見惚れていた。

 黄金色の眼が見つめる先で、異形の化物と黒血の剣士の戦いは加速していく。


 スバルは四方から撃ち込まれる触腕を神速の剣さばきで叩き落し、虚空に向けて手刀を繰り出す。それは魔素を刃の形に練り上げて魔族へと解き放った。

 弾ける火花は、防がれた証拠だ。

 魔族の行動は、防御だけではない。スバルは数え切れないほどの魔法が襲いくることを自らの感覚で察知した。その中で致命的なものだけを判別する。

 鋭い槍が土中から突き上げてくる。鎌鼬の群れが横手から迫り、隕石のごときエネルギーの塊が降り注ぐ。そんな光景を幻視する。

 スバルは、動かない。

 足で地面を踏み鳴らし、腕で頭上を払う。空気の裂ける音に意識を集中する。思い描いた複数の魔法が同時に生まれ、魔族の業を真正面から受け止めた。

 そして、極彩色が爆発する。

 避け切れないものが容赦なくスバルを捉え、魔族に連なる者に特有の黒い血飛沫を上げる。それすらも疾走の勢いで吹き散らして、スバルは魔族に立ち向かった。


「まるで魔剣士のよう」


 子供に聞かせる御伽噺おとぎばなしに出てくる勇者。光の剣を携えて、強大な悪魔と対峙する英雄たん

 それが今、アリアの前にあった。

 途轍もない巨躯を誇り、おそるべき魔法を操る神話の怪物を相手に、アリアを背に庇いながら互角に渡り合っている。

 知らず、目に涙が溢れた。視界に七色が滲み、古い絵本の挿絵にも見紛みまがった。


 やがて黒い剣を身に宿した少女は立ち上がる。

 震える手で、魔剣の柄を握り直す。

 世界の命運を分ける戦いの中で、座り込んでなどいられない。そう、魂が叫んでいた。


 アリアは地面を強く蹴り出して、音すらも追い越して走る。スバルに気を取られていた魔族の側面に回り込むと、自らを鼓舞するようにえた。

 漆黒の尾を引いて白銀の彗星が飛ぶ。振るった魔剣は影の腕を呼び、魔族を横っ面から抉り抜いた。

 筆舌に尽くしがたい重低音が地を突き上げ、魔族の身体がびくりと震える。厚い甲殻に生まれた蜘蛛の巣状の亀裂が、闇の血を激しく噴き出す。

 確かな手応え。殷々いんいん木霊こだまする残響の中で、ぐらりと巨躯が揺らいだ。

 その魔族が、今度は下に沈み込む。

 地面を踏む脚が突然、し折れた。スバルの放った魔法が打ち砕いたのだ。


 くずおれる魔族が、二人には虹色に包まれたように感じた。

 強力な異能、空間転移の前兆――距離を取って態勢を立て直すつもりだ。

 ほんの刹那、スバルとアリアは視線を交わした。黒と黄金は互いの意図を瞬時に理解する。


「駆けよ、炎鳥!」


 スバルには珍しい、はっきりとした言葉の詠唱が響く。

 魔素から生まれたエネルギー波が、大きな翼を羽ばたかせる鳥と化して魔族を呑み込む。それは魔族が空間を渡るために集められた魔素を相殺し、その場に釘付けにした。

 同時に、スバルは剣を大上段に掲げている。

 《糸繰いとくりのディーン》と呼ばれる開拓者から習得した、風糸を操る魔法。編まれた風は刃となり、スバルの剣の延長となる。


 二度、剣が空を斬った。

 一閃は、魔族の巨大な目玉を。切り返す二撃目が、触腕の大半をまとめて両断する。

 耳をつんざく咆哮は悲鳴か、あるいは憤怒の雄叫びか。


 怯みながらも急速に肉体を修復しつつある魔族へ、アリアは駆けた。一歩踏み抜くたびに大地が激震し、大気がわななくように割れる。

 アリアは強い踏み込みで中空へ飛び出すと、魔剣を鋭く振り抜いた。

 黒月の弧を描く斬撃は、刀身で直接に魔族の胴体を捉える。甲殻が守る柔らかい身体が大きく損傷する湿った音が生じた。


(アリア、離れろ!)


 魔剣の忠告に耳を閉ざし、アリアはかしいでいく魔族にしがみついた。魔剣から離した手を鉤爪かぎづめ状に折り曲げ、振りかぶる。みなぎる力が空間すら歪曲させ、周囲が陽炎のように揺らいだ。

 だが渾身の一撃を繰り出す前に、激しい衝撃がアリアを襲う。

 すさまじい威力だった。

 みし、とあらゆる骨がきしむ。肉が裂け、内臓が押し潰される。

 全身が、ばらばらになってしまったようだった。

 魔族の魔法――人間界に存在しない純粋なエネルギーの波動が、アリアを呑み込んだのだ。


 口腔から鮮血が零れ、黄金の瞳は暗黒に閉ざされるかと思われた。

 薄れゆく視界に、アリアは虹色の爆発を見る。

 自分の周りで発生する、鮮烈で恐ろしい魔素の反応。


 アリアに止めを刺そうと魔族が立て続けに放つ魔法の追撃を、スバルが打ち消している。

 そのことを理解した瞬間アリアは、かっ、と目を見開いた。


 霧散しかけた力を練り上げ、研ぎ澄まし、五指の先に集中させる。

 そして、咆哮と共に叩きつけた。

 まさに、巨獣の一撃だ。

 込められた莫大な破壊力は魔剣のそれをも凌駕する。激突の衝撃波が周囲を包む靄を蹴散らし、大地すら陥没させて白い世界に轟き渡った。


 魔族の巨体が、弾かれたように吹き飛ぶ。

 罅割れた地面を削りながら横滑りした後、巨体は地響きを上げて沈んだ。千切れた腕や脚が散乱し、なく流れる黒い血の海に浮かぶ。


(まだだ!)

「わかってる!」


 肩で息をしながら、アリアは答える。

 これまで経験した戦いの中でも最大限の力を発揮し、幾度も叩き込んだ。大きなダメージを与えた手応えはある。しかし同時に、仕留め切れていないという確信も抱いていた。


 スバルは、静かにうごめいている魔族に向けて既に走り出していた。

 アリアもまた、自らを叱咤して走り出す。ここで終わらせる――――強い決意を胸に。


 なにか、不吉な気配がしたのは、そのときだった。

 ガラスが砕けるような、甲高く不快な響き。

 二人は足を止め、上空を振り仰いだ。


 カレヴァンの曇天どんてんにも似た、靄に覆われた空。そこに大穴が広がり、なにかが落ちてくる光景を、目の当たりにする。

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