3-15.切り拓く者、護る者

「ギルは余が引き受けた! リューク、シャルロッテよ、その哀れな亡者共を駆逐せよ!」


 《不滅のテオドリクス》は幼い声でえると、一切の怯懦きょうだもない足取りでカレヴァンの英雄に対峙する。

 その背を見送りながら、リュークは軽く鼻を鳴らした。


「ようやく出番か。とんだ茶番だったね」


 《黒い剣のアリア》が自らの運命を認めるまでのドラマを、眉目秀麗な騎士は少しの嘲りを抱きながら眺めていた。

 それは多分に自嘲を含んでいる。自分の中に息づく異質な力を呑み込んで人間社会への憎悪と向き合う、その一連の儀式は強者にとって避けられないものだ。かつて通ってきた道を新しき開拓者が走り出す光景は、リュークに忌々しい思いを喚起させる。


「そう? 私は結構、感動したけど」


 何気ない呟きに、ぎょっとしてこうべを巡らす。確かにシャルは言葉のとおりに瞳を潤ませてアリアの飛び去った先を見つめていた。


「意外に感受性が豊かな……」

「意外ってなに。失礼な奴」


 シャルは眉をすがめてリュークを睨みつける。

 その目が、つい、とれた。

 無論、彼女の視線から察するまでもなく、リュークは自分達を包囲する化物達が動き始めたことに気づいている。振り返って、剣の感触を再確認した。


 元は人間とはいえ、もはや完全に自我をなくしているのか、統率されている様子もなければ仲間との連携もない。

 先陣を切ってくる者の姿に、リュークは辟易へきえきとする。それは頭を爆裂させて殺害した男だった。本来は頭部が乗っているはずの首からは樹の幹ともいうべきものが生えている。それなりの重量があるのか、進むたびに身体がぐらぐらと揺れた。


 それが急加速して突っ込んでくると、さすがに暢気のんきではいられなくなる。

 どれほどの膂力りょりょくを備えているのか、足元の石畳が蹴り砕かれていた。拳も握らずにぐ腕は、重々しい唸りを伴っている。まともに受ければ打撲ではすまないだろう。

 リュークは軽く横へ跳んで豪腕をかわす。勢い余ってふらつく男に剣を振り上げ、しかし寸前で思い止まった。


「やはり、所詮は亡者だな。もう少し上手く不意討ちできていれば、一発くらいは喰らってやったものを」


 うそぶきながら、宙に赤刃をはしらせた。無防備な背を食い破って現れたつるを聖剣が鮮やかに切り払う。

 返す刃で両足を一息に切断し、その身体が地面に落ちるまでの一瞬で、更に三度の斬撃を見舞った。細切こまぎれにされた怪物が、雨に消えない聖なる炎で焼かれていく。


 すさまじい不死性と怪力。《空の森》の魔物を操っていたシャルは苦戦するのではないかと考えた直後、その視界に黒い毛皮が映る。

 耳に届くのは、獣の息遣いきづかいと密やかな足音。

 既に、数体の眷属けんぞくがばらばらになって転がっていた。その隣で全身を血で濡らし興奮に目を光らせているのは、魔領域《荒野》に生息するという二足歩行の狼《人狼》だ。

 爪と牙は鋼の刃物に匹敵し、隆々とした四肢から繰り出される攻撃は人の骨など小枝のように砕くだろう。彼らほど人体の破壊に特化した魔物はいない。《荒野》は平坦な地形で障害らしき障害は存在しないが、そこに棲む怪物の強靭さは群を抜いていた。


 さすがに魔族のしもべを相手に無傷ではいられなかったか、蔓で首をねじ折られたものや、すさまじい打撃を受けて息絶えた人狼も数体転がっている。

 だがシャルの異能には制限がないのか、強烈な影の魔物が次々と現れては眷属を制圧していた。その中心で彼女は威風堂々と仁王立ちしている。


「心配するだけ無駄だったか……」


 独りごちた直後、リュークはなにかが飛来する気配を感じる。

 避ければ、地面に落ちたのは細く白い腕だ。傷口から血を吐きながら、びくびくと痙攣を繰り返している。

 それが飛んできた方を見やって、リュークは思わず頬をらせた。



 ◇ ◆ ◇ 



 それは、まさに惨劇だった。

 豪雨でも埋められない鮮血が、足元に溜まった雨水を赤く染めている。一体どれほどの殺戮さつりくが起きたのかと目を疑う光景だ。

 それが一人の人物が流したものだと聞いて、納得できる人間がどれだけいるだろうか。


「さすがだ、バートランド・ギル! その苛烈にして流麗な剣技、英雄の名に恥じぬものだぞ!」


 テオはなかばで失われた腕を庇うこともせずに呵々大笑かかたいしょうしている。

 そのとき、断続的に噴出す大量の血液の中に、なにか違うものが混ざった。

 肉の束だ。それは触手のように伸び上がると、同時に生えてきた骨に巻きつき、すぐに白くつるんとした皮膚に覆われる。ほんの一秒足らずで、彼の身体は元の姿を取り戻していた。

 腕だけではない。テオの貴族然とした豪奢ごうしゃな衣装は、外套がいとう諸共もろともに見る影もなく切り刻まれている。そこに傷跡が存在しないのは紙一重で回避したからではなく、既に治癒しているからだ。


「化物め」


 ギルは吐き捨て、袈裟懸けさがけに長剣を振り下ろす。

 それが斬ったのはテオの衣服と薄皮一枚だけだ。テオの力は魔物や魔族の眷属すら凌駕する治癒力だけではない。ただの子供では持ち得ない、数多の戦場を経験した者だけが有する戦闘勘を身に着けていた。そうでなければ、歴戦のつわものであるギルと渡り合えようはずもない。

 だが、それでもテオの身体能力は少年の域を出てはいなかった。


 ギルは雨の膜を蹴散らし、美しき不死者に肉薄する。

 咄嗟に後退しようとしたテオは蹈鞴たたらを踏んだ。見下ろせば、ギルの投擲したナイフが足の甲を貫いて石畳に縫いつけている。


「お?」


 空間ごと両断せんばかりの斬撃がテオの胴体に炸裂する。すさまじい衝撃に、上半身が回転しながら宙を舞っていた。感嘆の声が頼りなく空中を漂う。


 間の抜けた顔のテオに、ギルは容赦をしない。

 剣を引き戻すと同時に身体を捻り、その切っ先を神速で繰り出した。強烈な刺突でテオの心臓を食い破り、そのまま手近な建物へ目がけて投げ飛ばす。剣は《空の森》の木材で作られた外壁にテオをはりつけにした。


「なんともはや、豪快な」


 血を吐きながら呟くテオの眉間に、スローイングナイフが深々と潜り込む。

 それを皮切りに、腕、胸、胴、あらゆるところに次々と鋭い刀剣が突き立った。

 ギルが放つ無数の剣が豪雨のとばりを裂きながら飛来し、テオを昆虫標本のように貫いていく。


 刃の嵐が止む頃、そこには凄惨な光景が残された。全身を切り刻まれた少年には美しかった面影もない。胴体の断面から垂れ下がった内臓が、ぶらぶらとむなしく揺れていた。

 テオの残骸は、再生の気配を見せない。

 ギルは息を整えながら、肉塊と化したテオを厳しい目で睨んでいた。


「うーむ、悪趣味なオブジェだ」


 警戒を解いたわけではなかった――だが、まさかその声が背後から現れるとは想定していなかっただけで。

 ギルは弾かれたように振り返り、愕然とする。

 そこには上半身裸のテオが、にやにやと笑いながら立っていた。


「頭のついている方が本体と思ったかね。ん?」


 小馬鹿にした台詞を、ギルは聞いていない。

 それを言い終わる前に、剣を上段に構えて突撃する。裂帛れっぱくの気合をまとう唐竹割りの斬撃は、天地を裂かんばかりだ。


 テオは、避けない。腕を開いて、その一撃を迎え入れる。

 刃は頭頂から侵入すると、骨格を粉砕しながら身体を通過し、股間から抜けた。硬い響きは勢い余った剣が地面を割った音だ。

 噴水のように鮮血をき散らし、ずるり、とテオの微笑が正中線から歪む。ひしゃげた傷口から目玉や内臓が零れていった。


 美少年が左右に別れていく様を、ギルはおびただしい返り血を浴びながら鋭い眼光で見つめる。

 右半身の断面が、ごぼり、とうごめいた。

 その刹那、ギルの双剣がひらめく。

 瞬きの間に、治癒を始めた肉体が細かな肉片になって沈んだ。


 雨を踏む足音。

 振り向いたギルは、同時に斬撃を送り込んでいる。それは既に右足を新たに作り直していた、テオの左半身へと襲いかかった。

 これもまた、抵抗を許すことなく完膚かんぷなきまでに破壊する。

 だが、その心に安堵が訪れることはなかった。


 気配を感じて、頭を巡らす。

 生まれたままの姿を惜しげもなく晒すテオドリクスが、そこに立っていた。

 無数の刀剣で磔にしたはずの上半身が消えている。足元には引き抜かれた剣が無造作に捨てられていた。


「驚くなよ。貴殿よもや、死ににくいというだけで余が《不滅》を自称していると思ったかね? 余は体組織の十割を失っても再生するぞ」


 ギルは戦慄しながらテオをめつける。とても真実だとは思えなかったが、かといって一笑いっしょうすには得体の知れない相手だった。


「理解できんとみえる。当然だ! 正直、余にもよくわからん」

「お前、ふざけているのか」

「至って真面目だとも。こんな格好で説得力はないだろうがね」


 一糸纏わぬ身体を雨に晒しながらテオはからからと笑う。はたから見れば戦いの優劣など一目瞭然だというのに、二人はまるで逆の表情で対峙していた。

 訪れた雨音の静寂。遠くから、獣の鳴き声、炎のぜる響きが届く。

 その中で、テオが口を静かに開いた。


「しかし、わからんな。貴殿の言動のことだ」


 濡れそぼち、垂れ下がったハニーブロンドの合間から眼光が覗く。それはどこまでも見通すような鋭さでギルを刺し貫いた。


「人を守るのが冒険者ギルドの理念などといいながら、貴殿が守護しているのは人類の敵である魔族だ。だが、その魔族の手を借りてやっていることはといえば、魔領域をおびやかす冒険者の育成だというではないか。貴殿の物言いと行動は、どこか矛盾している。素直に頷けん。なにかを隠している。貴殿の真なる目的とは、一体なんだね?」


 その指摘は、沈黙の質を変えた。張り詰めた緊迫の静けさが、逡巡しゅんじゅんの気配を帯びる。

 ギルは対峙している相手が、外面そとづらどおりの子供でないことを知っていた。自分と同じ場所に立っている者だと認めたのだ。

 だからこそ、彼の口は今度こそ、一切の偽りがない本心を語り始める。


「人類を、救う」


 それを聞いたのがテオでなければ、英雄が耄碌もうろくしたことを嘲っただろう。夢見がちな駆け出し冒険者でさえ、そのような大それたことは言わない。

 だが、テオは少しの動揺もなく、翡翠の目を楽しげに細める。黙ったまま軽く顎を引いて先を促した。


「魔族は人間の敵、それは当然の事実だ。奴は俺のことなど利用しているだけに過ぎん。いずれ目覚めるだろう魔族は虫けらを潰すように人類を駆除しにかかるだろう。その前に魔領域を攻略し、心臓を破壊せねばならない……そのことに異論はない」

「では、なぜ連中にくみしてまで、我らの邪魔をする?」

「お前達のやり方は性急すぎる。人を救うどころか、滅ぼしかねんのだ。魔領域が消える弊害へいがいを知らないわけではないのだろう」


 魔領域とは、人体に深く刺さった毒刃だ。放っておけば確実な死をもたらすが、取り除けば大量の出血をまぬかれない。

 開拓者は問答無用で魔領域を殺し、未曾有みぞうの災害で起こる人死にを必要な犠牲だと割り切っている。

 だがギルは、違った。


「人には、時間が要る。天変地異を耐えうる備えと、魔領域から氾濫はんらんする魔物に抗うだけの戦力を用意せねばならない。俺は《空の森》の支配者を利用し、それを成し遂げる。この街に巣食う魔族は一時目覚めたが、まだ微睡まどろみの中にいるのだ。機会は今このときしかない」

「悠長なことだな。それが間に合うと思っているのかね?」


 呆れを含んだ疑問符に、ギルは言い放つ。


「間に合わせてみせる」


 そこには強い説得力があった。

 カレヴァンが冒険者育成の施設として整備されてから、十数年が経過している。

 たかが一つの街でありながら、その影響は大きかった。元々魔領域で得られる物資は重宝されていたが、その活用法がより深く研究され始めたのは、空の森という安全な材料が見出されてからだ。

 急速な発展を実現した英雄の街に注目している国家は、多い。


「既に世界中へカレヴァンの人材を派遣し、魔領域の調査を促している。そして人間が十分な技術と力をつけたところで、魔族の危険性を説くのだ。徐々に魔領域への依存をやめ、最後には攻略する。俺の計画は順調に推移している。台無しにされるわけにはいかんのだ」


 その深謀遠慮しんぼうえんりょに、テオは目を閉じて聞き入っていた。

 厄介な土地でしかなかった魔領域を活用する術があるのなら、それを学びたがる者は少なくないだろう。

 更にギルは、ここでの功績を買われて冒険者ギルド本部に招聘しょうへいされ、幹部の座に収まる噂がある。世界有数の巨大組織をも巻き込んで、その目的を成就しようとしているのだ。決して口だけではなく、彼は目指した終着点へ確実に突き進んでいる。


「開拓者とこころざしを同じくして、相容あいいれないというわけか」


 しきりに身体を揺らしながら、テオは呟いた。ただの敵と考えていた相手が、別の手段で平和を実現しようとしていた事実に感じ入っている。

 そして、顔を上げて、目を開いた。


「下らんな」


 エメラルドグリーンの瞳に宿っているのは、深い侮蔑ぶべつだった。

 敵意は、ギルの話を聞く以前よりも、むしろ強まっている。


「人類を救うとは、なるほど、感心だ。我らもまた世界平和を目的としている。同志がいたことを素直に嬉しく思うよ。だが余と貴殿の間には……決定的な違いがある!」


 テオは大きく腕を広げ、雨を受けながら吼えた。

 口調は熱を帯び、ほとばしった激情が大気を震わせる。


「かつての戦士は! 理想に燃えていた! 突如として現れた怪物に世界を侵略され、人々が悲嘆と絶望に膝を折る中、それでも立ち上がった! 魔をはらい、道を切り拓き、世界を守るのだと剣を取った! 無謀な命知らずだと愛する者達にそしられたとしても決して諦めなかった! だが今の冒険者はどうだ!? 空の森を見よ! 整備された順路を歩み、安全な区域だけを徘徊はいかいし、金と栄誉だけを求める、愚かな獣どもよ!」


 それは、憤怒だった。

 どろりとした溶岩の熱は、カレヴァンの豪雨を浴びても冷えることはない。


「わざわざ魔族の手で滅ぼされるまでもない。いずれ首を裂かれ、血を抜かれ、腑分ふわけをされて喰らわれるときを知りながら、柵の中で餌を催促するだけの肥えた家畜め! 飼い慣らされているのだよ! 鎖に繋がれた畜生を鍛えたところで、なにができるというのだ!」


 もはや怒号にも似た口上が、止まる。

 テオは肩で息をしながら、押し殺した声でギルを糾弾きゅうだんした。


「語るに落ちるとは、このことだな。話を聞いていて余は確信したぞ。貴殿、その目的を達成できるなどとは自分自身、信じていないな? それが開拓者と貴殿の、ただ一つにして最大の違いだよ、バートランド・ギル」


 街の改革を前面に立って実行していた以上、ギルがカレヴァンの冒険者の実情を知らないはずがない。

 かつて誰よりも優秀な冒険者として勇名をせていた男が、それを見てどう感じたか。テオは英雄が目を逸らしていた闇を残酷な光で照らし出す。


 ギルは答えない。動揺もなければ、激しい反論もなかった。

 その胸中でなにが渦巻いているのか。

 いずれにせよ、長い沈黙の末に導かれる言葉は、変わらない。

 ギルは手にした双剣を振り抜く。その剣筋に、迷いはない。


「理解を求めるつもりはない。お前達にわかることだとも思わん。俺は人間をまもる……それだけだ」

「好きにするがいい。貴殿が邪魔立てするならば、その壁ごと、我らは道を切り拓くのみよ」


 気がつけば、二人の耳に届くのはカレヴァンの特徴でもあるスコールの響きだけになっていた。

 闘争の物音は消え、代わりにいくつかの気配が近づいてくる。

 その方向へ目を向けると、ギルは苛立たしげに言った。


「一人は仕留められると踏んでいたが、甘く見ていたようだ。開拓者もアリアも……リューク、炎神の申し子と呼ばれた男のことも」


 ただ一体で冒険者の集団をも蹴散らせるだろう魔族の下僕は、ことごとくが雨の中に沈んでいる。

 そのすべてをほふった彼らは、戦闘の余韻を纏ったまま現れた。


 リュークは体のところどころが、火種のくすぶりのように赤々と輝いている。どれほどの高温を発しているのか、その周囲で水の蒸発する音が続き、そこだけが白いもやに包まれていた。

 シャルは戦いに一切関わらないために平常のままだ。だがその傍らに、黒い獅子を連れていた。彼女の相棒にして最強の影は、人狼ですら苦戦した眷属の残骸を口の周りにこびりつかせたまま優雅に闊歩かっぽしている。


「どうした、英雄。《斬り裂く刃ツェアライセン》のかしらともあろうものが、怖気づいたかい?」


 弾む息に揶揄やゆを乗せながら、しかしリュークは警戒を解いていない。

 魔族の傀儡かいらいとなった亡者達は、それでも空の森に出現する魔物とは一線をかくする戦闘能力を有していたのだ。

 あるいはテオがギルの足留めを買って出ていなければ、戦況がどちらに転んでいたかはわからない。老いたとはいえ、かつて名を轟かせた冒険者を侮ることはできなかった。


「……少々、分が悪いようだな」

「尻尾を巻いて逃げるがよい。引き止めはせんよ」

「ちょっと、本気?」


 とがめるようなシャルの視線に、テオは鷹揚おうように頷いた。


「ここで彼を仕留めたところで、カレヴァンの崩壊が早まるだけのこと。それよりも余は見てみたいのだ。一旦は退いた彼が、次にどのような策を講じてくるのかをね。そしてそれを叩き潰したとき――寝惚けた魔族も、飛び起きてくるだろうよ」


 くつくつと笑うテオに、結局は楽しみたいだけかと、シャルは呆れ果てる。

 リュークは聖剣を納め、シャルも獅子を影に返した。


「一つ、せんことがある」


 ギルもまた闘志を収めるが、その目は未だ強い敵愾心てきがいしんたたえてテオを射抜いている。


「俺は魔族の存在と、奴らの目的を、魔族そのものと接触することで知った。お前達は、どこでその知識を得た? 文献に残っているようなことではないはずだ」


 魔族の出現、そして彼らが魔領域を生んだ時代は、今や神話に語られるのみだ。あまりに大きな変化は地形や気候を変え、人間世界に爪痕を刻んだ。一時は文明が壊滅しかけたため、調べるにも限界がある。

 当然の疑念に、テオは訳知り顔で応じた。


なことをいう。疑問を呈しておきながら既に答えを出しているではないか」

「なに?」

「魔族に関する情報は皆無、その通りだ。ゆえに、知る手段は一つしかない」


 怪訝けげんな表情をしたギルだが、すぐにその意味を悟る。そして、目を見開いた。

 豪雨の騒音が、やけに強く響いている。

 脳裏に浮かんだ考えを否定しようにも、それ以外に可能性はなかった。

 彼の驚愕を楽しげに眺めながら、テオは歌うように言う。


「二十年ほど前の話だ。ある冒険者達が、目覚めた魔族との邂逅かいこうを果たした」


 テオは手振りだけでシャルに指示する。助手のように扱われたことを不服そうにしながら、赤毛の開拓者は懐から取り出したものを掲げてみせた。

 一見、なんの変哲へんてつもない手帳だ。

 そのもの自体に価値がないのは一目瞭然だった。そして、そこに記されている事柄こそが重大なのだということも。


「あれは、その冒険者が魔族から聞き出した情報を纏めた手記……そのうつしだ。我々は《リーゼの手記》と呼んでいるがね」

「リーゼだって?」


 声を上げたのはリュークだ。

 不意に挙がった人名は、現代の冒険者ならば知らないはずがないもの。

 どの時代、どの業界であろうと、その時々で英傑えいけつや怪物とおそれられる人物がいる。そのうちの一人が、リーゼだった。


 驚愕したのは、リュークだけではない。

 ギルだ。

 しわにたるんだまぶたを目一杯に見開き、口の合間から震える吐息が漏れた。

 そこに垣間見えるのは、恐怖だ。

 かつて圧倒的な武力を振るった強者とは思えない、大きすぎる動揺だった。


「まさか……」

「気づいたかね? そう、彼女だけではない。彼女の夫もまた、魔族と出会っているのだよ」


 そして、テオは言った。


「彼の名は――――《剣聖ソードマスターリゲル》。貴殿が率いた冒険者パーティ《斬り裂く刃》の一員だった男だ」


 リゲル――カレヴァン最強の剣士。黒獅子と称された男。

 空の森を攻略した後、《斬り裂く刃》で一人だけカレヴァンをった人物だ。


 カレヴァン。

 《斬り裂く刃》。

 魔族。

 開拓者。


 散らばっていたすべての点が、リゲルとリーゼを線にして一つに繋がる。

 ギルは仮面のように感情を消した顔で、静かに呟いた。


「やはり……あのとき、奴は確実に殺しておくべきだった」

「無意味な後悔だ。肩を並べたことがあるなら知っているはずだぞ。リゲルを殺すことなど、何人なんぴとにも絶対にできないのだということを」


 確信を持って告げられた言葉を、ギルは否定しない。それは身をもって理解していることだ。

 狼狽していた老兵の目が、徐々に光を取り戻す。しかし、それはくらい輝き――狂気の欠片だった。

 だが、ギルは戦意を露わにしない。

 その代わりに発生したのは、魔族の眷属が現れたときと同じ、異質な気配だ。それは黒い蔓という形で地面から出現し、ギルの身体を包み隠していく。


「退かせてもらう。次に会うとき……それがお前達の最期だ」


 その直後、蔓の固まりは溶けるかのように消えてなくなった。

 後にはギルの姿はない。

 最後に彼が見せた狂おしいほどの感情。その鬼気の残滓ざんしが、いつまでも雨の中にわだかまっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る