3-11.策謀の雨

 高級宿の廊下を、ばたばたと忙しない足音が駆け抜ける。

 それは一つの部屋に辿り着くと、ノックも呼びかけもなく、体当たり気味に扉を開いた。


「テオぉ!」


 深紅の髪を振り乱して、怒声を放つのはシャルロッテだ。

 そのただならない様子に、しかし少年の姿をした開拓者は慌てない。食卓の上にナイフとフォークを戻し、優雅にナプキンで口元を拭って微笑んだ。


「やぁ、シャル、おはよう。どうかしたかね」

「あんた、これ、描き直した!?」


 彼女が叫びながら、壁の奇妙な紋様を指差した。

 それはある異能者から教わった魔法であり、同じ異能や魔法による探知を妨害する。また人の関心をらす力もあり、治安維持部隊の追尾を少なくとも一日間は遠ざけてくれた。

 テオは首を傾げる。言葉の意味がわからなかったからだ。


「ふむ?」

「ふざけんな! 効果は一日しか保たないから毎日上書きしろってウルフさんに言われてたでしょ!?」

「おぉ……そういえば、そうだった! うっかりしていたようだ!」

「この野郎!」


 すらりとした脚が風を巻き込み、竜巻と化して伸び上がる。それは呵呵かかと笑うテオの顔面を直撃して、小柄な身体を吹き飛ばした。コップの水が小波さざなみを立て、揺れている。


「なんの騒ぎだい?」


 二人のやり取りを聞きつけて、リュークが姿を現した。ただならない事態を予感してか、鎧の装備も中途半端なままだ。ガントレットを腕に装着し終えた頃、似たような様子のアリアが彼の背後から顔を覗かせた。


「治安維持部隊に嗅ぎつけられたの。今、連中が街のそこかしこで動き始めてる」

「この場所にいて、どうしてそれがわかる。貴様の……異能か?」


 異能――変質しつつある世界が人類に及ぼした変化の一つ。その意味を知ってしまったアリアは、おそるおそる問いかけた。

 シャルは少し悩んだあと、おもむろに窓辺へと向かう。開いた窓の外では、すさまじい雨が降り続いていた。その景色を不機嫌そうに見つめながら、ふと手を挙げる。

 その指先から影がにじみ、そして瞬く間に明確な形を結んだ。闇を鋳型いがたに流し込んで作ったような、漆黒の鳥だった。


「平たくいえば、使い魔ってやつ? こういうので街を探ってるの。他にも色々できるけど、まだ練習中」


 ざっくりと説明しながら、黒い鳥をスコールの中へ放った。それは力強く羽ばたき、強い風雨をものともせずに飛び去っていく。小さくなっていく姿を、険しいシャルの視線が追いかけていた。


「あんまり猶予はないね。もたもたしてると、ここを戦場にしちゃう。もうちょっとのんびりできると思ってたのに……」

「まぁ、こうなっては仕方あるまい。それに贅沢など、少し物足りないくらいが丁度よいのだ」

「黙れ唐変木!」


 からからと笑いながら起き上がったテオの腹腔に、シャルの豪快な回し蹴りが突き刺さった。じゃれあいの範疇を超えた打撃はアリアを落ち着かない気持ちにさせるが、そのテオが何事もなかったかのように復活するので、なにも言えなくなる。


「とにかく、出立せねばなるまい。準備はいいかな?」

「待ってくれ。スバルとノーラがいない」

「スバルなら、昨日の夜に出てった。今、北門の方で暴れてるみたい。あとノーラは……」


 あっけらかんと告げられた事実に、リュークは反射的にアリアを横目にした。動揺していないかと心配したのだが、彼女は口を真一文字に引き結んだままだ。スバルの失踪は想定の範囲内か、あるいは既に知っていたのかもしれなかった。

 そのとき、困惑の声が漏れる。

 異能を用いてノーラの居場所を探していただろうシャルが、初めて狼狽の姿を見せていた。


「……ノーラ、宿にいない。うそでしょ、いつの間に?」

「なんだって?」


 二人の反応は、少し毛色が違っていた。シャルは自らの能力をあざむかれた驚愕。そして、リュークは嫌な予感が的中した不安だ。


「彼女なら昨晩、を訪れてね。世間話をした後、行くべき道が見えたといっていた。あのまま出て行ったのであろう」


 テオが何気なく言った瞬間、怒気の圧力が吹き荒れた。

 リュークは少年の喉笛を掴むと、白い手甲が軋むほどの力を込めて宙吊りにする。端整な顔は鬼面に変わり、碧眼が燃えるように輝いていた。


「なぜ引き止めなかった!」

「その意味があるかね?」


 不思議と、テオの声は明瞭だった。首を絞められているというのに顔色は白皙はくせきのまま、穏やかな笑顔を浮かべている。普通ならば頚骨が砕けてもおかしくはないのに、だ。

 彼の異様な余裕はリュークを冷静にする。

 エレオノーラ――彼女の家系が代々持っていたという強力な異能、未来すら見通す《鴉の眼》は開拓者シャルロッテをも出し抜いたのだ。おそらく、彼女の行動を止めることは誰にもできなかったのだろう。

 リュークは不意に手を開き、締め上げていたテオを解放する。テオは華麗に着地、することはできずに数歩よろめき、すっ転んだあと戸棚へ頭から突っ込んだ。


「そういうわけで、今ここにいるのが全員だ。行こう、敵は待ってはくれないぞ」


 何事もなく立ち上がったテオが告げると、他の三人は無言のままで頷く。



 ◇ ◆ ◇ 



 《寝惚けた黒獅子亭》は静寂で満たされていた。最低限の旅支度を整えた四人は、その中を早足で通り抜けていく。

 その途中、アリアは怪訝そうな面持ちで周囲を見渡していた。この高級宿がこれほど閑散としているのは見たことがない。従業員どころか受付にも人の気配はなく、ひどく不気味だ。

 そしてエントランスには、正装をした屈強な男が四人を待っていた。

 思わず身構えるリュークを制し、テオが進み出て手を挙げる。


「急ですまんがチェックアウトだ。世話になったな、支配人」

「またのご利用を……と、言えないことが残念です」


 アリアは驚愕を隠せない。テオは支配人と呼んだが、ただならない威圧感と鋭い双眸は、明らかに裏の世界に通じた強者のそれだったのだ。


「休業かね?」

「いえ、廃業です。冒険者ギルドに逆らうのは日常茶飯事ですが、開拓者をかくまった以上、もはや見逃されることもありますまい」

「それは、悪いことをしたかな」


 にやり、と笑うテオに、支配人はおどけたように肩を竦めて見せた。陽気を装った視線の、更に奥で瞬く冷徹な光が、四人を睥睨へいげいする。


「遅いか早いかでしかありません。この街は、滅ぶのでしょう?」


 それは問いかけのようでいて、確信に満ちている。彼はバートランド・ギルの力よりも、開拓者の逸話を信じているようだった。


「さぁ、旅立つのなら、急いで。子飼いの探索者で情報を撹乱かくらんしていますが……相手は、かの《千剣のギル》。努々ゆめゆめ、油断なされませんよう」

「なにからなにまで、助かったよ。ではな」


 外套のフードを被りながら、一行は宿を後にする。アリアが最後に振り返ったところに見たのは、支配人だった男が深々と頭を下げて見送る、その姿だった。


 すさまじい豪雨の中に飛び出していく。雨具はそれほどの意味をなさず、まるで水中に突き落とされたように全身がずぶ濡れになった。

 先導するのは、シャルだ。彼女は黒い使い魔と五感を共有しているらしく、時に立ち止まり、時に皆を急かしながら街を駆け抜けた。その背後をはぐれないよう三人が追いかける。スコールは進行を著しく阻害していたが、敵から逃れるアリアらにはむしろ好都合だった。

 《寝惚けた黒獅子亭》の支配人が起こした情報の混乱は一定の効果を挙げており、シャルの話では、多くの冒険者や傭兵達が街中を右往左往しているのだという。四人はその隙間を縫うようにして街を南下していった。


 建物と建物の間、路地とも呼べない隙間に身体をもぐりこませ、四人は物陰で息を潜めた。シャルが通りを覗けば、雨に煙る中を武装した連中が駆けていくのが見える。


「ちょっと休憩。今のところ、奴らは黒獅子亭に向かってるみたいね」

「それで、どうするのだ。別の隠れ家を探すのか?」


 息を整えながら、アリアが言った。とにかく敵から遠ざかるように逃れてきたが、いつまでもそうしているわけにはいかない。

 その問いかけに、明朗簡潔な答えを返すのは、テオだ。


「我らは、ここを出る」


 周囲を警戒しながら会話を聞いていたリュークは、驚愕からその動きを硬直させた。


「空の森を殺すのは、スバルがいれば事足りる。余は他の開拓者に会わねばならん。《熱砂の谷》が残した魔素が周辺の魔領域へ到達するまで数年の猶予があると考えられるが、それも余裕があるとはいえないのでね」

「ならば、なぜこそこそと逃げるんだい? どうせ街を出るなら、あんな連中、蹴散らしながら行けばいいだろう」


 雨音に含み笑いが混ざる。フードから零れるハニーブロンドがゆらゆら揺れて、天使のような少年の笑顔を彩っていた。


「余興だよ。彼ら、どうせ大半はスバルに斬り殺される運命だ。ならば少しでも長く一攫千金の夢を見させてやろうではないか」

「……慈悲深いことだ」

「そうであろう?」


 それが揶揄であることに気づいているのか気づいていないのか、テオは楽しげな表情を浮かべていた。

 そこに影が差す。アリアが緊張の面持ちで、テオを見下ろしていた。


「その旅に、私を連れていってくれないか。……スバルにも、そう頼まれているのだろう?」


 翡翠の瞳が、すっと細められる。深奥を見通すことのかなわない、おそろしく深い視線だった。


「スバルのことはいいのかね? 彼は今、独りでカレヴァンの強豪を相手取っている。おそらくは、貴殿を逃がすためだけに」

「私では……力不足だ。奴に加勢したところで足手纏いでしかない。それに、私などいなくとも、スバルならば成し遂げる……そう信じている」


 半分は本心で、残りは打算だ。

 アリア本人は街を去ることに呵責かしゃくを感じている。一心同体であるクローディアスにもそれはわかっていた。

 だが、クローディアスの力ではスバルの戦いについていくことはできない。なにより大切なのは、アリアだ。たとえ彼女が悲しもうとも、その命を守るためにスバルを見捨てることを、意思ある《黒い剣》は躊躇わなかった。


「……さかしさと信頼は、時に毒だな」


 テオは底知れぬ目を伏せ、仕方がない、というように溜息をつく。


「同行を許可しよう。リューク、貴殿もついてくるかね?」


 水を向けられたリュークは首を横に振る。声には得体の知れない開拓者への嫌悪と――焦燥、憂慮、それらが滲んでいた。


「俺はごめんだ。それに、ノーラを探したい。途中までは加勢するが、そこまでだ」

「ふむ、残念だ」

「話し込んでるとこ悪いけど、そろそろ行くよ。あとは門を出るまで突っ走るから、バテないでね」


 シャルに急かされて、四人は再び行進を開始する。

 路地から路地を渡るように、あえて表通りから遠ざからない道を選んだ。

 スラム街を突っ切ることも考えたが、治安維持部隊が周辺を警戒しているらしかった。あるいはシャルがいなければそのルートを進み、戦闘にもつれ込んでいたのかもしれない。


 やがて、カレヴァンの南門が見えてくる。

 空の森と逆の方角を向く門は、多くの行商人や旅人の出入り口だ。だが大罪を犯した開拓者の出現という非常事態のため、巨大な門は完全に閉ざされていた。

 外には簡易の宿があり、開門を待つ人々を受け入れている。だがいつまでも大勢の人を立ち往生させるわけにはいかず、カレヴァンの擁する戦力は早期解決のため、スバルの討伐に全戦力を傾けているところだった。


 探索者がいれば秘密の抜け穴から外へ出ることもできたが、この場にノーラはいない。街の脱出は難しく、手詰まりだ。

 ここにいるのが、普通の冒険者などであれば。

 アリアの魔剣なら樹の障壁など容易く破壊できる。そしておそらくはリュークの聖剣や、シャルロッテの異能でもそれが可能だと思われた。


「ようやくだな。ここまでくれば、もはや人目をはばかる必要もあるまい」

「強行突破する気かい?」

「ま、しょうがないかぁ」

「そんな暢気な……」


 豪雨の中を旅立つのは億劫だとシャルがぼやき、それをアリアが横目で咎める。

 そのとき、ふとシャルの目が鋭さを増した。青灰色せいかいしょくの瞳が、冷たく暗い炎を宿したようにぎらりと光る。


「――見送りも大勢いるみたいだし、待たせるのも悪いしね」


 呟きの真意を問う間も与えられない。

 通りを門に向けて進んでいく四人が、ある地点に踏み込んだ瞬間、どん、と鈍い音が連続した。

 周囲の建物の窓が、内部から開かれる。いくつかは勢い余って窓枠から外れ、雨水に覆われた石畳に落下していった。


 そこから覗くのは、無数の銃口、クロスボウのやじりだ。

 まるで、ここを通るとあらかじめ知っていたかのような完璧な待ち伏せ――それは致命の武器を向けられている危機感と同じくらいの困惑を、アリアに与えた。

 疑問への答えが提示されることはない。

 その代わりに放たれたのは、雨粒の幕を貫いて飛来する、鉄で形作られた殺意だった。

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