3-4.ギルドの長、バートランド・ギル

 カレヴァンの冒険者の多くが使用している棍棒は、原始的だが強力な武器だ。

 コンパクトで手入れが不要な上に安価、そして威力は申し分ない。魔物の甲殻をも砕く打撃は人間が受ければ大きなダメージを負うことになる。


 それは、スバルをして例外ではなかった。

 唸りを上げて振り抜かれたそれは、頭蓋を直撃して鈍い音を立てる。

 ぐらりと身体がふらつき、飛び散った黒い血潮が激しいスコールに紛れて消えた。


 不意討ちとはいえ、あの開拓者に一撃を与えた冒険者は、しかし喜ぶこともできず呆然とする。

 手に残った感触は会心のそれだ。それだけの力を込めた攻撃を確実に食らわせたのに、その男は倒れない。

 自らの得物を見つめる目は、それが欠陥品かなにかではないかと疑心暗鬼に駆られていた。


 スバルは苦鳴を噛み殺して、前進と共に爪先を跳ね上げる。

 戦闘用のブーツは男の五指を砕き、棍棒を弾き飛ばした。それは宙で掴み取られると同時に、大上段からの衝撃に変わる。

 彼は棍棒が欠陥品でないことを、その身をもって確かめることとなった。


 ゆら、とスバルの身体が揺れる。

 ダメージの影響ではない。背後から自分を刺し貫く一直線の殺気を感じ取ったのだ。

 スコールの雨音に混じって火薬の炸裂する音が轟く。無数の細かな水柱の生まれては消える足元に、一際大きなものが立った。


「馬鹿な! 避けやがった!?」


 スバルは棍棒を構えたまま振り返ると、建物の二階で銃を手に狼狽している男を視界に捉える。

 全身をバネにして投げ放った棍棒は射手を正確に打ち据えた。噴き出る鮮血と鈍い響きは、男の顔面が陥没した証左だ。


「今ので最後か」


 辺りから人の気配が失せたことを確認し、スバルは苦しげな吐息をつく。

 雨に混じる赤い臭い。周囲は死屍累々の様相を呈している。


 彼らの装備に統一性はなかった。戦闘で生計を立てている者であることに変わりはないが、領分が異なっているのだ。

 棍棒を持っていたのは冒険者だろう。反り返った片手剣の戦士は傭兵か。銃は賞金稼ぎが好んで用いる武器だ。

 スバルは地獄絵図に背を向けて、また街の暗い影に紛れていった。



 ◇ ◆ ◇ 



 単独行動を始めてしばらく、スバルは昼夜を問わず襲撃を受け続けていた。

 ノーラの話していた冒険者ギルドの監視網は、もはや異常性を隠すこともせずスバルを追っている。スラムの片隅、使われていない廃屋、どのような場所にいても、どこからか嗅ぎつけてくるのだ。

 なにより厄介なのは追っ手が冒険者に限らないこと、そして彼らの連携だ。


 荒事を生業とする者達のギルドは、いがみ合っていることが多い。戦闘という一点で競合している以上、パイの奪い合いは必然であり、逃れられない宿命だ。

 だがカレヴァンにおいてはその限りではない。

 まだ空の森が生きていた頃、香の街に存在していた戦闘者のギルドは、そのほとんどが一度壊滅している。

 それは抗争にまで発展したギルド間の対立の結果だ。最後に勝ち残ったのは冒険者ギルドであり、やがて英雄と持てはやされるパーティ《斬り裂く刃ツェアライセン》が頭角を現した事件でもある。


 消滅したギルドは再建されたが、それを支えたのもまた、勝者である冒険者ギルドだ。

 カレヴァンで冒険者ギルドが最大の勢力であることは周知の事実だが、それは歴史をかんがみれば当然のことだったのだ。

 実質的に多くのギルドを下部組織につけた冒険者ギルドは行政にまで食い込み、カレヴァンの街自体をも支配するに至っていた。


 その事情から、カレヴァンの戦力を総動員した開拓者討伐隊は冒険者がリーダーとなって率いており、組織立った捜索が実現されている。

 危険な戦闘を考慮したバックアップもあり、首を獲った者には多額の懸賞金が支払われることになっていた。もはや比喩ではなく、街全体がスバルとアリアを狙っているのだ。


 傭兵は対人戦闘、集団戦法に長けている。賞金稼ぎは冒険者が好まない強力な飛び道具も惜しまず使用する。

 それぞれの得意分野を生かした戦術は、スバルにとっても厄介なものだった。

 更には休息すら取れないほどの絶え間ない襲撃がスバルを確実に追い詰めている。

 そうでなければ、あの程度の相手にダメージを負うこともなかっただろう。


 スバルは手で器を作って雨を受け、それを飲み下した。空腹の唸りに耳を塞いで裏路地を這うように歩く。

 ここまでに打ち倒した人数は、優に百を超えた。だがカレヴァンのようする戦力は揺るぐこともない。

 せめて食事をまともに取れれば、と情けない顔で幾度目かの溜息をつく。


 そのとき、遠くから大きな音が聞こえた。

 まるでなにか建物が崩れ落ちるようなそれは、騒がしいカレヴァンにおいても不穏な響きを伴っている。


 思い出すのは、少し前に別れた二人のことだった。

 ノーラにはアリアが目を覚まし次第、街を離れるように言い含めている。

 彼女らは無事に逃げられているだろうか。

 少なくとも、スバルが一度も遭遇していない暗殺者の連中は彼女らを追っているはずだ。探索者も恐るべき人種だが、戦闘能力は高いとはいえない。

 せめてリューク、あの真面目な振りをした強烈な男が、二人を護衛してくれていればいいが。


 鈍い思考に捕らわれていたスバルは、不意に足を止めた。

 だらけた身体に力が漲り、手は息をするように腰のブロードソードの柄を握っている。


 視線が向かうのは、どこへ続くともわからない暗がりの道だ。

 ぽつんと浮かぶ、二つの赤光。

 なにかがいる。

 それも、全身が粟立あわだつほどの存在感を持つなにかが。


 濃密な闘気の権化は、大柄な男という形を取って現れた。

 黒い衣装は体から顔までも隠し、露わになっているのは赤い双眸だけだ。

 傭兵とも賞金稼ぎとも違う。暗殺者ならば意味もなく自ら姿を晒すことはしないだろう。


 困惑するスバルの前で、彼は無言のまま得物を抜いた。

 肉厚の長剣は雨を弾き、曇天の薄明かりを浴びて淡く光っている。隙のない構えは、ただそれだけで敵を平伏させるほどの圧力を放っていた。

 その威圧を受けて、スバルは口の端を不敵に吊り上げる。


「誰だか知らんが、あんたはわかりやすくていいな」


 事情どころか素性すら定かではない敵。わかっているのは目的のみ。

 単純な殺意と闘気の応酬。

 頭脳労働が性に合わないスバルには、それがむしろ好ましかった。


 男は身体に相応の重い踏み込みと共に、横薙ぎの軌道で切り込んでくる。

 スバルはそこにブロードソードを差し入れ、上方へ受け流した。

 激しい擦過さっか音。

 すさまじい剣圧に手が痺れて呻き声が漏れる。それは反撃の一手を阻害するには十分すぎた。

 おまけに、切り返してくる剣は鋭利で、怪力だけを理由にできないほどに早い。

 スバルは後ろへ飛び退って追撃をやり過ごし、同時にスローイングナイフを投擲する。


 男は雨に紛れて視認すら困難なそれを、容易く弾いた。

 残響を伴った細い刃が、くるくると回転しながら浮き上がる。

 それは横殴りの豪風に巻き込まれ、真っ二つに割れながら弾丸のように飛んだ。


 飛び道具を打ち上げて跳ね返す――常識外れの反撃はスバルの虚をついた。

 反射的に構えた幅広の剣が破片の一つを防ぐ。

 もう一つの破片は、太腿に小さな感触と鋭い痛みをもたらした。

 それを取り除く暇は、与えられない。


 男は剣を握る手を脇腹にまで手繰たぐり寄せる。

 そして前進と同時に、猛然と突き込んできた。

 切っ先は咄嗟に身を捌いたスバルの肩口を裂きながら、背後の壁を軽々と貫通する。


 男は転がるように間合いを取ったスバルを前に、悠然と剣を引き抜くと、再び長剣を構えた。

 なにも語らず、敵を追い詰めたことに感情が揺らいだ様子もない。刀剣の刃が如く静謐な殺気の塊。


 スバルは腿に刺さったナイフの破片を抜いて捨てた。

 闘志を剥き出しにした顔は、まんまと翻弄された自らへの憤怒に満ちている。

 敵の技量は、すさまじく高い。おそらくカレヴァンに訪れてから戦った誰よりも。あのライアン・レッドフォードの技や異能さえ、このおそるべき刺客の前には児戯だろう。


 なにより、スバルの動きは精彩を欠いていた。

 万全ならば最初の接触で、追撃を許さず反転攻勢に出ていたはずだ。

 だが、その都合も敵には関係がない。

 そして、それを言い訳に使う気もスバルにはなかった。

 すべての戦いは生き残るための手段。どのような理由と経緯があろうとも、死の前には塵芥の意味すらもなさないのだ。


 スコールは次第に勢力を増しつつあった。

 目を開けているのも難しいほどのそれを受けながら、二人は互いの間合いに入ろうかというところで対峙する。

 ごう、と一際大きい突風が吹いた。

 無形の圧は路地裏を抜け、二人の身体を揺らす。

 それが合図となった。

 二人は同時に地を蹴り、鋭い呼気を吐いて剣撃を繰り出していく。


 二つの刃は狭隘きょうあいな空間を縦横無尽に駆け回った。切っ先が何度も壁面を掠め、小さな音を立てる。それは自らの得物と戦いの領域を完全に把握した、達人の業だった。

 スバルは、二度と力で競る愚を犯さない。

 男の攻撃を躱しざま、その剣を押すようにして壁に叩きつけた。

 剣は勢いのまま半ばまで食い込んで止まる。

 それを男が引き抜いたときには、スバルは彼の背後に回り込んでいた。


 スバルの姿を視認すらせず、男は感覚を頼りに剣を放つ。あるいは後ろを取ったことに慢心していれば、その瞬間にもスバルは首を落とされて死んでいたかもしれない。

 スバルは、跳躍する。

 低い軌道の剣撃を眼下に捉え、着地と共に唐竹割りの一撃を振り下ろした。


 それは致命傷には至らないものの、男の胸板を縦に切り裂く。

 飛び散る鮮血。

 そして、間一髪で回避行動を取った男の逃げる先をスバルは予測していた。


「水刃!」


 手刀に似た動きを伴う詠唱は、豪雨の中に一瞬の空白を生んだ。

 中空に存在する雨粒をまとめて圧縮し、水の刃を作り出したのだ。

 それは形作られると同時に解き放たれ、男に襲いかかった。


 あるいは、それは足止めにしかならないだろうとスバルは思っていた。ゆえに自らの魔法を追いかけるように踏み出している。

 だが予想に反して、魔法は男に喰らいついていた。

 水の線が屈強な肉体を爆ぜさせ、その衝撃に長剣があらぬ方向へ弾かれている。

 当然、スバルの追撃に対応する体勢ではない。


 雨を吹き散らすほどの一閃は、小さな手応えを残した。

 水飛沫を立てて落ちるのは、肘の辺りで切断された筋肉質の腕だ。


 スバルは更に追い討ちをかけようとするが、男の奇妙な動きに足を止めた。

 彼はよろよろと後退しながら、切り落とされた腕の血を吐き出す断面をスバルに向けていたのだ。


 背筋に走る予感に従い、スバルは地を強く蹴って飛び退った。

 その瞬間、粘着質の音と共に、なにかが男の体から放たれる。

 反射的に薙ぎ払った剣が弾いたのは、棘の生えた荊の蔦だ。

 それは、男の失くした腕から出現している。


 スバルは見覚えがあった。

 ノーラと別行動を取ったあの日、襲撃してきた刺客――――あの連中もまた、赤い目と、身体に纏わりつく蔦を持っていたのだ。

 まるで自分の意思を持つようにのたうつ蔦は、スバルへの攻撃を防がれたと見るや、地面に向かった。


「そんなのありかよ」


 思わずスバルは吐き捨てる。蔦は落ちた腕を回収すると、吸い込まれるように男の肉体に戻り、その腕を繋ぎ合わせたのだ。

 当然ながら、切り離された肉体は、くっつけたところで元通りになるはずもない。

 だが男は当たり前のように指を開閉していた。傷口すらも修復されているに違いない。


 高い戦闘技術は、スバルを初めに襲った者達にはなかったものだ。その上で身体能力と不死性を備えているのだとすれば、これほど厄介な相手はいない。

 スバルは戦慄と共に剣を構え直す。この相手を打ち倒すには、そのすべてを上回って一撃で仕留めるしかないと悟ったのだ。


「魔法を使えるのか」


 初めて、男が言葉を発した。黒いマスクと雨音にかき乱され、彼が若いか年老いているかすら読み取ることはできない。


「魔法は初めてか? なら、存分に味わえ。二度と見ることもできなくなるだろうからな」


 スバルは言い放つと、ブロードソードの感触を確かめるようにぐるりと振り回した。

 その挑発に、男はごく小さな笑いを零した。


「血の気の多い奴だ……」


 そして、踵を返した。

 来た道を戻るように、暗がりに飛び込んだのだ。


「なに?」


 スバルは呆気に取られ、その背に悪態をつくこともできない。

 距離を取って仕切り直しする気か、あるいはどこからか不意討ちを仕掛ける気か、と思うが、男の気配は遠ざかるばかりだ。

 後には戦いの痕跡と、立ち尽くすスバルだけが残される。


「なんだったんだ、あいつは……」


 剣を納め、軽く吐息をつく。そこに安堵のものが含まれていることを自覚し、スバルは忌々しそうに舌打ちをした。

 事実、あのまま戦いを続けていても苦戦は必至だ。

 見逃されたか――その想像は、スバルにとって屈辱的だった。


 追いかけるかと、無謀なことが脳裏を過ぎった直後、スバルは別の気配を察知して耳を澄ませた。

 あの男との戦闘を聞きつけて、追っ手が迫っているらしかった。

 周囲の地形を見渡し、不利であることを察する。狭い路地では飛び道具を回避するのは困難だ。


 一旦戦いやすい場所へと移ろうと、スバルは密やかに行動を開始する。

 しかし追っ手は、まるで標的がそこにいると最初から知っているようにスバルの元へ向かっていた。


 なにかがおかしい、と感じたときには手遅れだった。

 いつの間にかあらゆる道を塞がれている。遂に追っ手に見つけられ、けたたましい声が背後から聞こえてきていた。


 最後に一つ残った道を疾走していると、唐突に視界が開ける。

 どうやら、逃げ惑っているうちに大通りへと出てしまったようだった。

 そして――。


「動くな!」


 警句がスバルを取り囲む。

 そこには、多数の戦士が集まっていた。一様に身につけたエンブレムは、治安維持部隊の所属であることを示すものだ。


「待ち伏せか」


 スバルは鼻を鳴らすと、ゆっくりと治安維持部隊が作る包囲の中心へと歩を進めた。

 どうやら、追っ手達は初めからこの場所へおびき出すつもりだったらしい。


 おそらくは、あの刺客の男はこのために現れたのだ。

 包囲網が完成されるまでの時間を稼ぐため。そしてあわよくば、自分の手で開拓者を始末するために。


 してやられたことに、スバルは鼻面に獰猛な皺を寄せて怒りを表した。その表情に、包囲の最前列、スバルと直接対面している者達の数名が小さく悲鳴を上げる。


 彼らはここでスバルを仕留める心積もりなのか、かなりの戦力を集めたようだった。

 数え切れないほどの人員と豊富な装備。姿を隠しているようだが、建物の二階にも銃やクロスボウを装備した者の気配がする。


 だが、あの黒尽くめの男は見当たらなかった。

 そのことに苛立ちを感じながら、スバルは背負った大剣クレイモアに手をかける。


「どうした、かかってこいよ。金と名誉が欲しいのなら」


 傲岸不遜とした態度に、治安維持部隊の隊員達は尻込みしていた。

 既に、数多くの同士達がスバルの手にかかって打ち倒されているのだ。


 街にいる人間を総動員して、休む間もなく追い立てているのに、未だに捕らえられない化物。

 小国とはいえ、一つの国家を破壊したという逸話――その冗談じみた所業の一端を目にしてしまい、彼らは萎縮していた。

 また冒険者には潜在的に開拓者への畏怖があり、それが呪縛のように彼らを苛んでいるのだ。


 それでは、なぜ彼らはスバルと対峙しているのか。なにがその背を支えているのか。

 怪訝な顔をするスバルの前で、包囲の人垣が割れた。


 現れたのは、一人の人間だった。

 冒険者にしては重厚な鎧を身につけ、その上から雨避けの外套を羽織っている。

 翻る外套の中に見えるのは、何本もの刀剣だ。

 その数は尋常ではない。

 両の腰だけではなく、腹のベルト、腰の後ろ、脇、背、腕にまでも多種多様な剣を差している。

 大人の男が身につけたとしても無謀な装備だが、なにより驚くべきことは、それが壮年を過ぎた年齢の者だということだ。


 たっぷり蓄えた髭、頭髪に至るまで、加齢によってまばらに白く染まっている。よわい五十から六十といったところだろう。

 しかし彼の体躯は年齢を感じさせないほどに屈強で、その周囲だけ不可視の領域に包まれているようにすさまじい闘志を放っていた。


 スバルは知る。知らしめられた、と言ってもいい。

 その場に存在するだけで味方を鼓舞し、敵を威圧する途轍もないほどのカリスマ。カレヴァンにおいて、それを持つ者は一人しかいない。


「あんたが……バートランド・ギルか」


 かつて空の森を殺した《斬り裂く刃》のリーダーにして、冒険者ギルドの長。

 生きた伝説《千剣のギル》――それが、スバルの前に立ちはだかっていた。

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