切り拓く者、護る者

3-1.指名手配

 乾いた音が荒野を貫き、まさに地面を蹴ろうとしていた狼が血を噴いてもんどりうった。

 突然の事態に、しかしスバルは狼狽うろたえない。

 鋭利な風を生む魔法を唱え、同時に刀身を半ばから失った剣を投擲とうてきする。

 二つの刃が他の二匹をほふるのを確認もせず、自らも疾風と化して最後の一匹との間合いを消失させた。振り上げた爪先は狼の顎を激しく打ち抜く。

 腹を見せて浮き上がるところに、両側からの拳が間断なく繰り出された。鉄槌にも匹敵する打撃が連続し、獣の内臓を破裂させる。吹き飛んで伏せった狼は小さく震えるだけで動き出すことはない。

 最後に血を流しながらのた打ち回る狼に止めを刺して、戦闘は終わりを告げる。


 魔領域の影響を受けて魔物化した獣達を退けたことを確認し、スバルは遠くに視線を飛ばした。

 先程の音――銃声の主は、姿を視認できないほどに小さい。その距離から素早い狼を撃ち抜く技量は並ではなかった。

 油断はできない。だが、それが敵だとするなら、狼の襲撃に乗じてスバルを狙ったはずだ。

 スバルはひとまず疑問を棚上げし、剣を拾い上げると、地面に寝かせたアリアの元へと向かった。


 数時間前、ライアン・レッドフォードとの死闘を演じたアリアは、未だに意識を失ったままだ。

 彼女を背負い、スバルは森と街の間に広がる荒野を、また一歩踏み出した。


 やがて、銃を携えた人物が見えてくる。

 その意外な正体に、スバルは口を間抜けに開いて目をしばたたかせた。


「さっきのは、あんたか?」

「はい。こう見えて銃は得意なんですよ」


 柔らかな笑顔に似合わない、長い銃身の得物を掲げてみせる。

 それはノーラと名乗る探索者の女だった。スバルは街を訪れたばかりのときに顧客として彼女と出会っている。

 その後、単独行動をしていたアリアをレッドフォードの手から逃すために手助けをしたと聞いていた。

 なにかと縁のある女だ。あるいは、そう彼女が立ち回っているだけか。


 スバルは少しの距離を置いて彼女と対峙した。

 助けられたとはいえ、動機が不明な以上は信用することはできない。

 続く彼女の言葉が、その警戒心を更に増幅させた。


「あなた方を迎えに参りました。街の状況は、お二人の知るものとは様変わりしているんです。まずは私の隠れ家へ行きましょう」


 当然ながら、スバルらが森を出て街へ帰還することは誰も知らない。

 だが彼女は、それを見越して待っていたという。銃を携え、他に装備も荷物も持たない状態で。

 スバルは敵を見るような鋭い視線で彼女を貫いた。柔和な面は印象に逆らい、その気迫に微塵も揺るがない。


「あんた……《からすの眼》を持ってるな。なぜ俺達に手を貸す。なにが目的だ?」


 《鴉の眼》――それは太古の探索者が備えていた、勘の鋭さを指す。

 そもそも探索者シーカーとは本来、冒険者のパーティに一人は必要だといわれていた斥候せっこうのことだ。彼らの知識と感覚が、パーティの眼となり耳となった。

 なにより彼らが優れていたのは、勘だ。

 その鋭さは時に超人的で、未来予知じみた正確さを見せたという。

 未知の土地で進むべき道を知り、初めて手に入れた物資の有用性を暴き、初めて邂逅する魔物の力を見抜く。理由も理屈も超越した、理不尽な勘だ。

 それは未踏の魔領域に踏み込むには絶対に必要とされていた。


 しかし多くの魔領域が冒険者に暴かれるにつれ、探索者の需要は急激に減少する。

 やがて彼らに求められるのは知識と情報のみとなり、探索者自身が魔領域へ出向くことはなくなった。そして彼らの役割と勘もまた、失われたのだ。

 ノーラは今では希少で、しかし必要とされてもいない《眼》を持っていた。

 勘と森の知識から、今日この時間、二人が帰還することを予測したのだ。


「目的は……あるといえばありますが、ないといえばありません。と言っても信じられないでしょうけど、それでもあなた達は私の提案に乗るべきです」


 はぐらかすようなことを言いつつ、ノーラは懐から――少しもたついたあとで――二枚の紙を取り出した。


「開拓者《暴力ブルート》スバル、冒険者《黒い剣のアリアアリア・ザ・イービルソード》……これは先程ギルドが出した最新の指名手配書です。罪状は治安維持部隊隊員ライアン・レッドフォードの殺害。加えて、アリアさんは都市アルバート壊滅の元凶として。スバルさん、あなたは小国アンテロを滅亡に追いやった反政府組織レジスタンスの幹部として」


 スバルは驚愕に目を見開いたあと、挑戦的な笑みを浮かべた。人を食ったような笑みとはこのことを言うのだと、誰もがそう思う表情だ。

 だが、《眼》を持つノーラは、そこに別のなにかを見ていた。

 まるで孤児みなしごのような痛々しさを含んでいると。

 しかしそれを口に出す無粋はせず、淡々と言う。


「私と共にきてくれますね?」

「……いいだろう」


 やがてスバルは首肯する。そうするほかないのが現状だった。

 視線の先にあるのはカレヴァン、変わらぬ日常を謳歌する冒険者の都市。

 街をぐるりと覆う木の防壁、それが今日はやけに大きく感じられた。



 ◇ ◆ ◇ 



 街には四方の門からではなく、抜け道を通って入った。

 かつては危険地帯の猛獣達、そして稀に空の森より溢れ出る魔物達と戦った要塞も、長い時を経て劣化していたのだ。

 あるいは探索者達が自らの利益のために秘匿していたのかもしれなかった。


 用意されていた外套を背負ったアリアの上からまとい、身を隠しながら先へ行く。

 途中、人通りのある場所も通らざるをえなかった。どこも慌しく人が行き交っている。周辺地域の変動が影響しているのだと道すがら話を聞いた。

 ほとんど立ち止まることなくノーラは歩を進める。にもかかわらず、正体が露見するような危機は訪れなかった。偶然か鋭い感覚の賜物たまものか――あるいは鴉の眼が彼女に進むべき道を示しているのかもしれなかった。


 探索者が《鴉の巣》と呼ぶ、ギルドにすら所在を明かさない隠れ家の一つは意外にも大通りからそれほど離れていない場所にあった。

 しかし、それも長く滞在する場所ではないのだという。


「今日はここに留まります。ですが日の落ちる前に別の巣へ向かわねばなりません」


 ノーラは地図を見ながら、そう切り出した。

 カレヴァン全体の地図は複雑に区分けされている。それも意味のあるようには見えない、無秩序な分け方だ。

 そして街を網羅するように配置された点は、ノーラの確保している隠れ家らしかった。

 アリアを寝かせた部屋の隣室で、スバルとノーラは地図を挟んで顔を突き合わせていた。


「いつ目覚めるかわからないアリアさんがいる中で移動するのは、少し困難ですけどね」

「それがわかってるのに、どうしてこんなことするんだ?」

「この街は、おそらく、監視されています」


 不穏な言葉は、スバルの眉をしかめさせる。

 治安維持部隊による警備とは異なるニュアンスだ。


「カレヴァンで起きた過去の犯罪データをすべて洗いました。わかったのは、どれも異常なほどの早さで解決していることです。ほとんどが即日、遅くても翌日には下手人が捕らわれています」


 治安維持部隊の異常さ――それはスバルも耳にしたことがあった。

 まったく人気のない場所での殺人でさえ、発生から時間を置かずして露見するという。

 スバルもまた、アリアの魔剣を狙った冒険者達を虐殺したことを暴かれていた。そしてレッドフォードの殺害も、下手人であるスバルが帰還したばかりだというのに、既に知れ渡っているのだという。


「しかし、監視の目にもむらがありました。私が立てた予測では、常に街全域を監視できてはいないはず。ある一定の周期で、監視している場所が変わっているんです」

「なるほどな。その監視を避けるために移動するってことか」

「えぇ。誰が、どうやって監視しているのか……それは私にはわかりません。あなたは、なにかを掴んでいそうですけどね」


 ノーラは顔を上げ、目の前にいる男を見上げた。

 黒瞳は返答を拒むように、瞼に閉ざされる。口から出るのは、ひどく硬い言葉だった。


「あんたが俺達に手を貸す理由は知らない。だが、その辺でやめとけ。死にたくなければな」

「あら、開拓者とは、意外に優しいんですね?」

「ふざけるな。《眼》があるから自分は安全だと思ってるなら大間違いだぞ」


 苦々しい忠告にも、ノーラは上品に微笑むだけだ。

 しかし、瞳の褐色は、少しも笑っていない。以前の出会いでは見られなかった彼女の一面だ。

 それは、静かな狂気だった。

 スバルをして背筋を寒くさせるほどに空虚な、白い狂気だ。


「心配には及びません。これでも独りで探索者として生きてきたんです。生き残るすべは心得ていますので」

「……勝手にしろ」


 スバルはそっぽを向き、根負けしたように呟いた。

 その目線は、偶然にも自身の得物に向かう。デュラハンから奪い取った、大剣並みに巨大な片手剣だ。


「しかし、あんたの話が本当なら困ったな。武器を新調したいんだが」

「カレヴァンの鍛冶屋のほとんどは鍛冶ギルド、冒険者ギルドと関係の深い組織に属しています。顔を見せたら、十中八九通報されますね。私が調達しましょうか」

「いや、いい。敵から奪えばいいからな」


 命を預ける武器を人には任せられない。それに武器がなくとも戦えるし、魔法もある。遅れを取るつもりはなかった。


「敵、ですか。やはりカレヴァンと敵対するつもりなんですね。空の森の命を賭けて」


 すっとスバルは目を細める。だがノーラは怯むことなく、探索者なら誰でも想像がつく、とうそぶいた。

 心臓を失った森の不自然さは、情報を扱う者ならば誰でも気にかける。その予測の一つが当たっていただけのことだった。


「あなた方に手を貸す代わり、教えてくれませんか? なぜ開拓者は魔領域の命、《悪魔の心臓》を狙うのです。その目的とは?」

「俺は手助けを頼んだ覚えはない」

「そう言わずに……」


 押し問答を始めた二人は、中途半端なところでやり取りを終えた。

 物音と気配が、それを止めさせたのだ。

 それは隣室――意識のないアリアを寝かせた場所だ。


「アリア?」


 扉越しの呼びかけに返答はない。

 スバルはノーラに目配せし、彼女が首肯したのを確認すると、風のように部屋を横切り、扉を体当たり気味に開いて突入した。


 果たして、アリアは変わらず寝入っていた。

 しかし彼女の髪は、闇を吸ったような漆黒に変わっている。

 顔を覗き込んでみるが、二度と目覚めないのではないかというほどに深い眠りに入っていた。目覚めたわけではなさそうだ。


「アリアさんは、一体どうしたんです? 今の物音は?」

「俺にもわからん」


 困惑する二人は、ふと寝台の隣にある机に紙が広げられていることに気づく。少なくとも彼女を寝かせた先程まではなかったものだ。

 そこには、地図が記されていた。

 紙は古ぼけており、内容は自分のためのメモなのか非常に簡潔だ。だが場所はスバルにわかるほどに明瞭で、ある地点に絵が描かれていた。

 剣と槌の交差する紋様は、端的にその意味を表している。


「これは……鍛冶屋を指している、ように見えます。私達の会話がアリアさんに聞こえていたのかもしれませんね。でも、こんなところに店なんてあったかな……?」


 探索者ですら知らない鍛冶屋――あるいは鍛冶屋ですらもないのかもしれない。

 だが、スバルはそれを信じてみる気になっていた。

 アリアの装備には彼女自身の手によって修繕された跡があったが、素人の手では限界がある。必ず職人の手も入っており、はみ出し者のアリアを受け入れる変わり者もいたはずなのだ。


「行ってみりゃわかるさ。それに、本格的に喧嘩を売るのは万全になってからだ。俺も――奴らもな」

「今からですか? 疲れがあるのでは」


 既に出かける気に満ちているスバルに、さしものノーラも驚愕の声を上げる。

 スバルは口の端を吊り上げ、言い放った。


「じっとしていられない性分でね」

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