2-9.獅子急襲

 大きな壁が立ちはだかっている。大樹の乾いた根や幹ではない、岩の断崖だ。スバルとアリアは、その崖に沿って森を歩いていた。

 崖は、空の森の入り口だ。ほんの十数日前、二人は崖の上で森を眺め、感傷に浸っていた。それが遠い過去のようだった。


 アリアは邪魔な枝葉を鉈で切り払いながら進んでいく。順調な進行とは言えないが、大事なのは速度よりも注意力だった。

 二人が探しているのは、ゴンドラだ。

 空の森下層へ潜れるゴンドラ、その数は決して多くはない。下層に冒険者の関心を惹くものがないため、というのが理由とされているが、スバルはそれが冒険者ギルドの意図的なものだと断じている。

 使用できるゴンドラはギルドが定期的に点検しており、その場所はアリアも知っていた。にもかかわらず二人がさまよい歩いているのは、ギルドが管理するゴンドラの使用をスバルが嫌がったためだ。


「確か、この辺りだと思ったのだが……」


 おぼろげな記憶を辿りながら、アリアは溜息混じりに呟いた。《斬り裂く刃ツェアライセン》に端を発するカレヴァンの治安維持部隊に勧誘される以前、打ち捨てられたゴンドラを見つけたのだ。とはいえ、それも随分と前の話で、以来一度も見かけていない。


「貴様、さっきから黙りこくっているが、どうかしたか?」

「いや、別に」


 後ろを歩いているスバルは、少し前から口数が少ない。たまに話せば歯切れも悪く、それがアリアをいらつかせた。

 言いたいことがあれば言えと、アリアが鋭い視線で促すと、スバルは観念したようにぼそりと言う。


「そんなに怒るなよ……」


 その要求は、アリアを困惑させた。ここまで幾度となく無用な迷惑をかけ、共に冒険を過ごした男について、呆れたことはあれど怒りを覚えたことは――あまり――ない。


「怒っていないが」

「いや、怒ってるじゃないか」

「怒っているのだとしたら、その意味のわからない言いがかりについてだ。変なことをのたまっている暇があるなら、きちんと探せ。貴様まさか、ぼうっとしてるわけではないだろうな? 一体、誰の要望で、こうして無駄な遠回りをする羽目になっていると――」


 アリアは中途半端なところで言葉を切り、口を閉ざした。

 そして叱られた子犬のようにしょぼくれたスバルに気づくと、真面目腐った顔で咳払いをする。


「……前言撤回だ。私は、少し怒っているかもしれない」

「だから、そう言ってるだろ」


 大きな溜息を吐き、スバルはぐったりとうなだれた。

 よく言えば明朗快活な男にしては珍しいほどの憔悴ぶりだ。


 怒りの理由は、あえて推察するまでもない。

 カレヴァンを出ろ――突き放すような言葉は、アリアを憤慨させた。そして、自らが怒っているのだという事実がアリアを困惑させている。


 スバルは森に入る前、自分の目的が果たされたときにはカレヴァンが滅びると口走っていた。

 秘匿された魔領域の存在を知ったアリアには、その意味が理解できている。その魔領域をスバルが殺せば、空の森も同時に死に、森の資源で成り立っているカレヴァンもまた衰退するのだ。

 アリアの感情に関わらず、スバルは近いうちに森を殺す。だから今のうちに出て行くべき、という話は理に適っている。


「……独りで戦うつもりなのか」


 探索を再開し、アリアはまた歩き始める。草木をかき分ける動作は機械的で、まるで自分の気持ちを整理しようとしているようだった。


「面倒だが、まぁ仕方ないさ」

「勝ち目はあるのか。貴様の話が本当ならば、街を一つ、魔領域を二つ、丸ごと敵に回すようなものだろう。かの《魔王アークエネミー》の所業だぞ」

「なら、尚更やり遂げなきゃな」


 最強最悪と目される冒険者の名はスバルを怯ませるどころか、むしろ奮い立たせてしまう。挑戦的な言葉は同時に子供の頑固さを秘めており、もはやなにを言っても無駄だと思われた。


「わかった。もう貴様を止めはしない。だが、これだけは教えてくれないか。地下の魔領域のこと、どうやって知った?」


 それだけが大きな疑問だった。

 秘密とは、秘密にすると決めた時点で秘密ではない。秘匿されているという事実すら誰にも知られていないことが大前提なのだ。

 カレヴァンの冒険者ギルドが秘匿に関わっているのだとしても、おそらく下っ端はそれに加担している自覚すらない。治安維持部隊の中堅にまで食い込んだアリアでさえ、そのような事実を知らされたことはなかったのだ。

 スバルはアリアの態度が軟化したことに胸を撫で下ろすと、特に隠すつもりのないのかあっさりと言った。


「親父が昔、この辺を拠点に冒険者やってたらしい。そのときに偶然見つけたって話だ」


 あまりにも呆気ない真実だ。アリアは眉根にしわを寄せ、スバルを疑わしげに睨みつけた。


「それだけか?」

「本当だって。本人もうろ覚えだったみたいで、ろくな情報じゃなかったけどな」

「……まぁ、確かに、それなら貴様のちぐはぐな知識にも得心が行く。貴様の父親は、その魔領域には入ったのか?」

「いや。というか、準備をして出直して改めて挑もうとしたら、その途中で遭難したんだと。気づいたら森を突き抜けて、仕方がないからそのまま旅に出たらしいぞ」


 今度はアリアが溜息を吐く番だった。魔領域で遭難などするものではないし、遭難したら最後、ほとんどは命を落とすものだ。それに生き延びたあと、引き返すこともせず放浪に出るとは、まともな思考ではない。


「なるほど、貴様の父親だな……」

「ほっとけ。ただ、そのときにやたらと再生能力の強い蜘蛛の群れに襲われたって話が気になってる。もしかしたら霊樹で戦った奴は、そのときの生き残りかもな。どう思う?」

「知るか。気になるなら本人にでも聞いてくるがいい」


 投げやりに言い捨てた直後、その肩をぐっと掴まれる。

 文句でもあるのかと言いかけるが、アリアはスバルがあらぬところを指差していることに気づいた。じっと目をらせば、木々の向こうに檻のようなものが見える。


「次に会えたら、そうするさ。それより、あれじゃないか?」

「行ってみよう。まともに動いたら奇跡、という代物だ。期待するなよ」


 整備されているもので、あの有様だったのだ。そうでないものが酷い状況にあることは想定済みだった。



 幸運にもというべきか、不運にもというべきか、そのゴンドラは劣悪な状態ではあるものの最悪ではなかった。

 天井も床も錆びつき、穴すら開いている箇所もある。檻を吊るすチェーンも辛うじて上層と繋がっているが、力を入れた途端に千切れてしまいそうだ。

 しかし簡単に調べると、それが少なくともゴンドラとして最低限の役割を果たせることが確認できる。


 檻に二人で踏み入れ、内部にあるレバーを掴む。ぎしぎしと嫌な音。無理矢理に引くと、ばき、と半ばから圧し折れた。鋭利な尖端を横に捻じ曲げたところで、ゴンドラがゆっくりと上昇を始める。扉は、閉まらなかった。

 少しずつ景色が上昇し、ついには人が絶対に耐えられない高みに至る。それほど長い時間のことではないが、二人には永遠に続く苦行のように感じられていた。


「これ、途中で底が抜けたりしないだろうな」


 さすがに肝を冷やしているのか、スバルは恐る恐る床を踏み締める。嫌な感触があったのか、すぐにそれも止めてしまった。じっとしているのが最善だと思い知ったのだ。

 アリアは真逆に、落ち着き払っていた。それは余裕というより、どうしようもないことに焦っても意味がないという諦観だ。その証拠に、座り込んだ彼女の身体は固く強張こわばっていた。


「たぶん、としか言えんな。さすがの貴様も、ここから落ちれば死ぬのか」

「当たり前だ。お前こそ、その便利な魔剣でなんとかできないのかよ」


 肩を竦め、アリアはそっと檻から下を眺め見る。崖下は下層で唯一、大樹以外の植物が多い場所だ。地面は木の葉に覆われて見えはしないが、見えたところで意味がない高さに至っている。


「さぁ、どうかな。試してみるか?」

「やめろ、縁起でもない」


 縁起を担ぐほど殊勝な人間でもないだろう、と言いかけ、アリアは胡乱うろんげにスバルを見やった。

 狭いゴンドラをうろうろするのはやめたらしいが、今度は檻の外をきょろきょろと見渡している。そうしたところで目に映るのは、断崖絶壁か、遠くに見える大樹の幹くらいのものだ。


「なにをしている?」

「落ちたとき、どう動くべきかと思ってな。ほら、上の空中庭園から、植物のつたが垂れ下がってるだろ。あれならなんとか届きそうだ。飛びついて登れば、いけるぞ」

「やめろ、縁起でもない……と言いたいところだが、貴様ならやりかねんな」


 霊樹からここまで、やや口数の減っていた二人の間で軽口が行き交った。それは多分に目の前の恐怖を忘れるためのたわむれだったが、決して悪いものではなかった。

 会話の途切れた合間に、スバルが懐から革袋を寄こす。

 それを受け取った感触で、アリアは中身の正体を看破かんぱした。


「無償で引き受ける、と言ったはずだ」

「迷惑料だよ。カレヴァンから出るにしても金はいるだろ」


 決して少なくない金額の報酬をぎゅっと胸に抱き、アリアは口元を震わせた。言いたいことは山ほどあるが、そのどれもが届かないことを知っている。


「最初から言ってたじゃないか。霊樹の根元へ、行って帰ってきたら終わりだってな」

「わかっているさ。ただ」


 アリアが言いよどんでいるうち、急に景色が暗闇に包まれる。

 空中庭園を地表から底まで貫いた穴、ゴンドラの通り道に入ったのだ。土の壁からは枝が好き放題に飛び出し、時折ゴンドラがそれを掠めて小さく揺れた。


「貴様なら、あるいは……と、勝手な期待をしていただけだ」


 届かずともよい、という小さな呟きだった。スバルの鋭敏な聴覚はそれを聞きつけたが、真意を問い直す前に、二人の視界は開ける。

 重い振動と共にゴンドラが停止し、眼前に空中庭園の景色が広がった。

 放置されて長い時間が経っているため、辺りは草木が深く生い茂っている。険しい道程が続くことに、アリアは嘆息した。


「さぁ、行くぞ。ここから順路へ出れば、少しはマシになるだろう」


 未練を振り切るようにきっぱりと言うと、アリアはゴンドラから庭園へと飛び移った。

 なにか言いたげな気配を後ろに感じながら、それをわざわざ拾い上げようとは思えなかった。なにも明かさず、深いところで理解を拒む、そんなところはお互い様だ。スバルもまた、それを理解しているからこそ、アリアに不可解な発言の意味を問うことができない。


 いびつな空気は、注意力を散漫させる。

 それは時に決定的な失態だ。


 草薮くさやぶをかき分け、先行するアリアが森に入る。すぐ前方に人の気配を感じたのは、その瞬間だった。

 困惑と警戒が身体を突き動かす前に、人影が二人の前に姿を現す。

 獅子のたてがみを思わせるダークブロンドの髪に、剛毅ごうきを形にしたような面構え。空間の狭い森に持ち込むにはあまりに巨大すぎる得物。


 互いが互いを認識したのは、ほぼ同時だった。

 刃が鞘を駆け、独特の擦過さっか音を鳴らす。


 なぜライアン・レッドフォードがここに――――驚愕に囚われたアリアだけが、ほんの刹那、反応が遅れる。

 その一瞬は生死を分かつ一瞬だった。

 電光石火で抜き放たれたバルディッシュが、森を両断する。刃を阻む木々の幹が、冗談のように薙ぎ倒される。

 意識だけが加速した緩慢な世界で、アリアは異能をまとった刃が自らを切断する光景を幻視した。


 スバルの決断は早かった。

 硬直するアリアの首根っこを掴んで放り投げる。

 だが、それが限界だ。

 レッドフォードの刃はスバルを捉え、その身体を吹き飛ばした。


 剣で防御していなければ、また咄嗟に飛び退っていなければ、スバルは今頃、二つになって下生したばえに沈んでいただろう。

 しかし運悪く、スバルは木の幹などに受け止められることなく森を一直線に突き抜けてしまった。襲いくるのは浮遊感――少し遅れて、背をしたたかに打ち据えられる。

 視界に映るのは、つい先程まで見ていた、檻の中の光景だ。ゴンドラの中にまで押し戻されたスバルは衝撃に息が詰まっている。

 その無様を嘲るように、レッドフォードは腰に指した双剣の片割れを抜き放った。


「残念だったな」


 そして、それを投擲とうてきする。

 異能の陽炎を宿した剣は旋回しながら飛び、幹を裂き、枝を斬り、葉を払いながら、狙いあやまたずそれを切り落とした。


だ」


 マジかよ、というスバルの声にならない声は、落ちて消えた。

 ゴンドラを吊るしていた鎖の要を、レッドフォードの剣が斬り砕いたのだ。

 あのとき、スバルが事前に察知してまぬかれた最悪の事態が、今アリアの目の前で実現されていた。


「スバル!?」


 アリアがようやく身体を起こしたときには、すべてが手遅れだ。

 スバルは奈落の底へと姿を消し、アリアは鎖の滑り落ちていく様を愕然と見つめるしかなった。


 自失の時間は、長くは与えられない。

 押し寄せてくる殺意に押され、アリアは我武者羅がむしゃらに身体を投げ出した。

 直後、アリアの爪先を掠めて巨大な半月の刃が地面に突き立つ。衝撃は地割れのような亀裂を地面に刻み、空中庭園を轟音と共に揺るがせた。


 木の陰に身を潜めたアリアは、しかし背筋に悪寒を感じ、更に後退する。

 白刃が視界を横切ったかと思えば、頑強な木が次々と切り倒された。

 異能を持ってすれば、木々など障害物の意味を成さない。レッドフォードが森に適さない長大な得物を当然のように携えた理由は、そこにあった。


 逃げ惑うアリアを追い詰めるレッドフォードは、彼女が再び木陰に隠れたのを目にして歩調を速めたが、なにかを感じて足を止める。

 次の瞬間、破裂音を響かせて木の幹が弾けた。その向こうに、魔剣を振り抜いたアリアの姿がある。


 散弾のように襲いかかる木っ端から顔を庇うレッドフォードに、今度はアリアが肉薄した。

 魔剣が捉えたのは、しかしレッドフォードの肉体ではなく、その得物だ。木片の突き刺さった肌から血を流しながらも、彼はいささかも怯まなかった。

 異能と魔剣が激突し、破壊の嵐が吹き荒れる。

 近くの木が根こそぎもぎ取られ、切り倒されたものも舞い上がってどこかへと飛び去った。瞬間風速は遠国で見られるというサイクロンに匹敵した。


 嵐が過ぎ去ったあと、レッドフォードはアリアの姿を見失っている。

 焦りはしなかった。研ぎ澄ました感覚が、そこから遠ざかる足音がないことを知らせている。


「レッドフォード! 貴様、なぜここにいる?」


 不意に聞こえてきた声――思ったより距離が近い。

 だがレッドフォードは冷静で、安直に近づくことはしなかった。

 彼は戦闘能力以上に、判断力と勘に優れ、なにより戦い慣れている。アリアがあえてこの場に残り、なにかを狙っていると感じ取っていた。

 かつて黒獅子と呼ばれたカレヴァン最強の剣士リゲル、その再来と囁かれ獅子の異名を受け継いだ男だ。《陽炎の金獅子》の二つ名は、飾りではない。


「なぜ、だと? それはこっちの台詞だ。あの状況に陥って、どうして生きてる。どんなトリックを使った?」


 アリアの問いに、レッドフォードは乗った。

 このやり取りで大凡おおよその位置は割れた――それも互いにだ。アリアとレッドフォードは息を殺しながら、探るように会話を続ける。


「てめぇらのせいで、俺が何回、この辺をうろつき回されたと思ってる。ギルドのゴンドラを使っていれば、なにも知らないうちに死ねたものを。まさかこんなところにも残ってるなんてな」

「やはり《エコー》の差し金か」


 二人は同時に、苦虫を噛み潰したような顔で舌打ちをした。

 エコーは、冒険者ギルドの幹部の一人だ。それも特殊な立場で、なにかの役職を担っているわけでもないのに、常にギルド長バートランド・ギルが伴っている。

 彼は常に大きなマントとフードを被り、素性はおろか素顔や性別すら知る者はいない。

 わかっているのは、奇妙なほど正確な情報をもたらし、それがカレヴァンの治安維持に役立てられているということだ。

 以前スバルが森の中で冒険者殺しを犯した際、それを知るはずのないジャスティンとレッドフォードが情報を掴んでいた。それもまた、エコーの仕業に違いなかった。


「さんざん持ち上げられているようだが、やっていることは奴の使いっ走りか。情けないな、レッドフォード」

「黙れ。だが、あの生意気な開拓者とやらも呆気なく死んだ、あとはてめぇを殺せば俺の任務も終わりだ」


 アリアは、反射的にゴンドラの方を見た。

 地面にぽっかりと空いた穴に、名残のような鎖が垂れ下がって頼りなく揺れている。

 ゴンドラと共に高高度から真っ逆様に落下したスバルの姿が、目の奥に焼きついているようだった。どれほどの強者だとしても、あの高さから地面に叩きつけられれば生きていられない。


 心の奥に吹き込んだ冷風が、身体の動きを鈍らせる。

 ざっ、と草叢くさむらを踏む気配。

 アリアは我に返ると、レッドフォードがいると思われる方角へと剣を薙ぎ払った。


 十分な力を溜め込んだ一閃は黒い影を呼び、暴風となって森を突き抜ける。

 あの大蜘蛛を仕留めたときほどの威力はないが、それでも人間一人を肉塊に変えるには余りある威力だ。


 しかし、あらゆる敵をほふってきた黒い衝撃は、中央から裂けて消えた。

 裂け目をレッドフォードが猛進する。

 魔剣の生んだ影を、異能で切り裂いたのだ。

 ある種の魔剣は異能と拮抗する――それは逆もしかりだった。


 突き込まれる切っ先は、矢の速度にすら匹敵する。

 かわし切れないことを悟り、魔剣で刃を受け流すが、そもそもの膂力りょりょくが桁違いだ。力任せの半月斧が、アリアの身体を軽々と吹き飛ばす。


 転がった勢いのまま立ち上がったときには、既にレッドフォードは目前まで踏み込んでいた。

 迫力に脚がすくみ、辛うじて掲げた魔剣が唐竹割りの一撃を受け止める。

 再び発生する破壊の衝撃。

 その中央で、アリアは耐えた。峰と柄に添えた手は震え、攻撃の重みに身体が沈み始める。押し返すことも、弾くこともできなかった。


「なにを必死になってる?」

「なんだと……」


 耳朶じだもぐり込む嘲笑と揶揄――不快なはずのそれは、同時に甘美だった。諦観という名の誘惑だ。


「俺を殺して生き延びたところで、なにも変わらない。疎まれ、狙われ、恨まれ――いつか。カレヴァンで、そうだったように。アルバートがてめぇを拒んだように」


 膝が落ちる。

 鈍い感触は、肩からだ。

 徐々に押し込まれてきた刃が、遂にアリアの肉体に食い込んだ。鮮血が噴出し、鋭い痛みが全身を突き抜ける。

 食い縛った歯の間から、くぐもった声が漏れ出した。

 見上げる視界に映るのは、あわれみさえ湛えたレッドフォードの眼だ。


「本当は気づいてるんだろ? てめぇはなにを成し遂げることもできない。なにかを残すこともない。生き残るべきじゃなかったんだ」


 魔剣を押す力が、唐突に消失する。

 ぐらりと体勢が崩れたところに、レッドフォードの蹴りが襲いかかった。

 鋼鉄で補強された爪先に脇腹を抉られ、肋骨が数本まとめてし折れる。


「あのスバルとかいう野郎とは気が合ったらしいが、奴も既に死んだ。居場所も生きる意味もないなら大人しく死んだ方がマシ……違うか?」


 横倒しになってあえぐアリアは、激痛以上の無力感に苛まれていた。

 手は土を掴むばかりで、身体を起こすことができない。


 なにもかも、図星だった。

 そう思ったからこそ、独りで森に閉じこもり、この死ににくい身体が衰弱死するまで待ち続けたのだ。

 あのとき、妙な男に見つかるまでは。

 しかし、その男もかたわらにいない。


 ゆっくりと死の足音が近づいてくる。

 身体は痺れたように動いてくれなかった。

 否、動くことを拒んでいるのは、自身だったのか。


「まったく意味のなかった人生に引導を渡してやるよ――――」


 鈍い木漏こもの光を浴びて、バルディッシュの刃が、ぎらりと輝いた。

 アリアは、目を閉じる。

 押し寄せてくるのは数多の悔恨と、欠片ほどの悲哀だった。


「すまない……」


 うわごとのような呟きは、誰にも届かない。

 そして半月の形をした刃は、振り下ろされた。

 魔剣を抱いた少女にむなしい死を与える、ただそのために。

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