2-6.意味のある死

 空の森、その下層は静寂しじまに沈んでいた。

 風は眠り、水面は凪ぎ、耳を澄ませば大樹の息遣いさえ聞こえそうなほどだった。スコールは上層の枝葉が受け止めて、雨粒の一つすら届きはしない。呑み切れなかった雨が幹を伝い、下層の水源となっているのだ。

 下層の魔物はといえば、人間と同じように夜を眠り、水に浸かっているものさえいるのだという。彼らは姿形こそ昆虫に酷似しているが、体の構造、習性は別物という個体も多い。その事実から学者がいくつかの説を提唱したものの、やはり冒険者達にとっては瑣末事さまつごとだった。


 せせらぐ透明な水の流れを前に、人影が立っている。

 苔の一種が放つ翠色すいしょくの光を浴びて、浮かび上がる姿は、アリアだ。


 髪を束ねていたバレッタを外し、大事にしまい込む。解放された長い髪は魔物の体液に固まって広がらず、粘着質の音を立てて背中に張りついた。

 アリアは千切れかけていた服の袖を引き裂くと、清流でそれを濡らし、ぱりぱりに乾いた体液を体中から拭い取り始める。


 本来、魔領域の探索中に防具の手入れをすることはない。突然の襲撃を警戒してのことだが、死闘は二人の装備に無視できない傷跡を刻んでいた。

 始めは丁寧に汚れを拭っていたが面倒になり、ブレストプレートとチェインメイル、その下に着込んでいた服も乱暴に脱ぎ捨てる。胸と腰を覆う下着だけ身につけ、鎧を引きずって浅瀬に素足を沈めていく。森は温暖な気候だが夜の川の水は冷たく、火照った身体にちょうど良い。装備を水の中に放り出すと木々の間に水音が木霊した。


「あんまり遠くに行くなよ」


 退屈そうな声の方を向けば、たきぎを組むスバルの丸まった背中が見えた。細々とした作業が心底嫌いなのか、魔物の大群を前に大立ち回りを演じた人間と同一人物とは思えない情けなさだ。


「夜目はく。問題ない」

「それも魔剣の力ってやつか?」

「そうだ」


 スバルは冗談のつもりだったのだろうか、至極真面目な回答を返せば、楽しげな笑い声が響いた。


 頭から水に突っ込み、乱暴に髪をかきむしる。その合間から血糊の塊がぼろぼろと溶け出していく。水面から顔を上げる。髪を強く絞り、軽く払って背に流す。水を吸った分の重みが、ずしりと頭を引っ張った。

 軽鎧とは名ばかりの粗末な装備を拾い上げ、厚い布地に縫いつけていた鉄板、その損傷したいくつかを引き千切って投げ捨てる。水に浸した鎖帷子くさりかたびらを揉むように洗えば、染みついた魔物の血がもわりと広がった。


 一通り洗い終え、岸に上がって岩場に防具を投げ出す。スバルの方へ向かえば、ちょうど薪を組み終えたところのようだった。

 直後、その目の前で火がおこる。

 ほんの一瞬、あるかなきかの詠唱だ。アリアはスバルの魔法が自身のそれより、そして自分が知る魔法の使い手の誰よりも洗練されていることを改めて知る。

 それも一つの驚きだったが、それよりも、スバルが準備した野宿の拠点を見てアリアは目を丸くしていた。


「貴様、誰かに師事していたのか?」


 その声に顔を上げたスバルは、アリアを視界に収めたかと思うと慌てて目を逸らした。あまりに唐突な動きは、すわ魔物の襲撃かとアリアが勘違いするほどに必死だ。


「なんて格好してやがる。服を着ろよ」

「服? ……着ているが」

「そんなのが服の内に入ってたまるか」


 スバルは憤然と言い放ち、かたわらの荷物から薄い毛布を引っ張り出してアリアに投げつけた。その荷物は、空中庭園と共に下層まで落ちてきたようだった。中身の多くは散らばり、また落下の衝撃で使い物にならなくなっていたが、それでも役立つものは多い。

 アリアは受け取った毛布を身体に巻きつけ、火の前に腰を下ろした。揺らめく赤の向こう側で、スバルが剣を取り出している。次は剣の手入れをするつもりらしかった。


「で、師事がなんだって?」

「性格のわりに、丁寧な仕事をしている。魔法も使えるようだし、余程厳しく鍛えられたのだろうと思ってな」


 一言余計だ、と吐き捨てたあと、スバルは炎を見つめて物思いにふけった。この男が、と思うほど優しげで、柔らかい眼差しだ。


「師というか、親だ」


 アリアは驚愕した。ショックを受けた、と言ってもいい。


「……貴様にも親がいたのだな」

「そりゃそうだ。木の股から産まれてきたわけじゃないぞ」


 その口振りから、スバルのいう親とは産みの親であることもわかる。そこから色々な疑問や想像が生まれるが、それよりもアリアが感じたのは、別のことだった。それは焚き火に照らされる横顔を綻ばせる。


「驚いたが、少し、納得した。貴様の奇天烈きてれつさにな」

「どういうことだよ」

「一族で冒険者をしていたような奴は、甘ったればかりということだ」


 アリアが言うとスバルは、違いない、と漏らして笑った。

 家族で冒険者や傭兵稼業をしている者は、多くはないが、いないわけではない。そしてその子は、全幅の信頼が置ける親とパーティを組んだ経験から、したたかさに欠ける傾向にあった。それは一部の技能が突出しすぎているスバルにも当てはまることだ。


 そして、そういう者は、なにより――裏切りに弱い。

 アリアはスバルがパーティという単語に対し、反射的な否定を口にしたことを思い出していた。きっと彼も、なにか辛い裏切りを経験したのだろう、と想像することは容易い。

 だからだろうか。アリアは揺らめく炎の向こう側に、自らの過去を見ていた。辛い過去だ。


「しけた顔をしてるな。せっかく生き残ったんだ、喜べよ」


 スバルは苦笑すると、干し肉をアリアに放り投げた。荷物に残されていた、最後の食料だ。ここからはすべて現地調達で補わなければならないが、後生大事にしていても仕方がない。

 塩辛いだけで味気ないそれを口にし、アリアはぽつりと呟いた。


「貴様は、きっと、こう考えたことはないのだろうな。また生き残ってしまった、などとは」


 苦渋に満ちた口調になるのは、干し肉の不味まずさだけが原因ではない。


「この生に意義はあるのか。生き残る価値などなかったのではないか……時々、そう思う」

「お前ひょっとして、俺なんかより、よっぽど馬鹿なんじゃないか?」


 スバルは呆れを通り越し、心配するように恐る恐る言った。


「価値がないから、なんだ。ないって言われたら、死ぬのか? そんな馬鹿な話があるか。なによりも大事な命ってのは、つまり自分のことだろ」

「そのとおりだ。貴様の言うことが全面的に正しい。だが、そのために多くを犠牲にしてきたなら、どうかな」


 アリアは、自分がスバルに多少は心を開いているのだと自覚する。弱さとは無縁で、魔剣などに一片の興味も示さない、この単純極まりない男に。

 そうでなければ、こんなことを話そうなどとは思わなかっただろう。


「私は――」


 長い逡巡。そのあとで、アリアは絞り出すように言った。


「街を一つ、滅ぼした」


 その告白に、スバルは剣を取り落とした。

 突拍子もない事実に対する驚愕ではない。スバルは、そのことに心当たりがあったのだ。


「まさか……アルバートか?」

「知っていたか」

「カレヴァンにくる途中、立ち寄ったからな」


 肯定するかのような言葉に、スバルは小さくうめいた。

 アルバート――カレヴァンと同じく、魔領域《腐肉の迷宮アビス》攻略のために築かれた都市だ。遥か昔、魔領域が現れる以前は炭鉱の街だったらしく、豪気で気風きっぷの良い冒険者が多い土地だった。

 それも、過去の話だ。

 スバルが訪れたとき、アルバートは滅亡に瀕していた。そしてそれから間もなくして廃墟と化し、今では行く当てのない浮浪者や良からぬ輩の吹き溜まりとなっている。


 あるとき、街の中枢となる、各ギルドの支部などが集中した区画が執拗に破壊されたのだ。権力者も要人も死に絶え、街の運営が成り立たず、復興どころか衰退の一途を辿った。自らの稼ぎにならない場所にあえて留まる者などいるはずもなく、アルバートを拠点としていた人々は別の街へ散ってしまった。

 生き残った者の言うことには、おそろしく巨大な獣が突如として出現し、街を蹂躙じゅうりんしたのだという。

 なにが起きたのか、それを詳しく知る者はいなかった。事態の収拾に当たった人員、そのほとんどがむごたらしく死んでいたからだ。


「きっかけは……よくある話さ。そう珍しいことじゃない」


 アリアは囁くように語り始める。

 そこには濃い嘲りが浮かんでいた。自分自身への、嘲笑だ。


「私は、あるパーティに雇われていた。アビスは、地形は平坦で、魔物は堅固で強力だが鈍重だった。私に向いていたんだ。重宝されたよ」

「そこでなにか揉めたのか? ろくでもない連中だったとか」

「いいや、逆だ。彼らは、良い人達だった」


 それを語る彼女の面には、懐かしむ笑みが浮かんでいた。先程のスバルと同じ、大切な思い出を語る優しさがあった。


「彼らの中でも、ある夫婦は私を気にかけてくれた。三人いた子供のうち、一人を病で、一人を戦闘で失っていたらしい。同じ年頃の私を重ねていたのだろう。魔剣のことも、理解してくれた。私を狙う連中を追い払ってくれたりもした。心地よかった、のだと思う。私は雇われに過ぎなかったが、本当のパーティ……家族のようだった。短い間のことだ」


 指をせわしなく組み替え、アリアは静かに続けた。


「アルバートには大きな集団がいた。荒事一般を請け負う連中だ。奴らが、雇われに過ぎない私も含め、そのパーティを迎え入れたいと打診してきた」

「悪い話じゃないな。ギルドは一介の冒険者までは守ってくれないからな」

「あぁ、後ろ盾ができるのは悪くはない。条件に私の魔剣を求めなければな」


 スバルは、思わず顔を歪めた。それは条件を提示されたときのアリア達と同じ表情だ。

 集団の幹部かリーダーが強い武具を求めたのだと予想できたし、そして事実そのとおりだった。組織の庇護ひごをくれてやるかわり、魔剣という財産を差し出せと要求してきたのだ。


「パーティは、割れた。奴らが取引を守る保証がない、突っぱねるべきだというのが半分。断れば強硬手段に出てくるかもしれない、連中が言い分を守ることに賭けるべきだというのが半分だ」


 アリアは、ちらりとスバルを横目にする。そこには、想像したとおり、理解できない惰弱だじゃくさへの憤激があった。

 スバルには脅しをかけられたからといって屈服する選択肢はない。右の頬を打たれたなら、頭蓋が砕けるまで殴りつけ、敵が血を吐き地を舐めるまで叩きのめす、それしかないのだ。


「そして、事は起きた。わかるだろう?」


 毛布の中、魔剣を握る手に、強く力が入った。指先は白く冷たく、身体は寒さとは違うものに凍えた。


「取引するべきだという者達が、その集団の傭兵を雇って、もう半分を皆殺しにした。騒動が起きたとき、私は彼らと距離を置くべきだと思い単独行動をしていた。巻き込まれはしなかったが、守れもしなかった。浅はかだった……」

「皆殺しだと? そこまでする必要があったのか」

「誰かにそそのかされたか、忠誠を示そうとしたか、といったところだろうな。私を最後まで庇ってくれた夫婦も死んでいたよ。眠っていたところを一撃だ。自分達を殺したのが、自分達の息子だと知らないまま死ねたのは、幸運だったのかもしれないな」


 アリアは口の端を歪め、身体を揺らした。喉の奥で、失敗した笑い声が引きつって鳴った。


「連中は次に私を狙ったが、退けるのは……簡単だった。個々の練度は低かったからな」

「アルバートにも警察や、他の傭兵もいただろ。そいつらはどうした?」

「彼らは仕事をしたよ。間もなくして、下手人の指名手配を出した。魔剣に操られて仲間殺しを犯した女を、懸賞金付きでな」


 事も無げに告げられた事実に、スバルは絶句した。まるで追体験させているようだと、アリアは無性におかしかった。


「なにかの間違いかと思い、一か八か、こちらから乗り込んでやった。だが冒険者ギルドを訪れた私を待っていたのは糾弾きゅうだんだ。そして、武器を持って私を取り囲む者達の後ろで、奴らのリーダーが笑っていた。奴はギルドや街の有力者を懐柔かいじゅうし、すべての権力を握っていた。どう転んでも、最後には望みのものが手に入ると知っていたんだ」


 アリアは、自分の視界が黒く滲んでいることに気づく。抱えていた魔剣が、闇を抑えきれないように蠢いていた。不定形に歪み、見えない威圧を放っている。それは物理に干渉し、近くの岩が前触れもなく砕けた。

 そのプレッシャーの中で、しかしスバルはじっと佇んでいる。

 黒い目は炎と、静かな怒りを湛え、刃を研ぐ手は自身を落ち着かせようとしているのか、機械的に精密だった。

 自分の体験が、世の冒険者の中で特別に悲惨なものだと、アリアは思っていない。しかしそれでも、自分と一緒に怒ってくれる人間がいる、その事実はアリアを安定させた。震える声が、時を進める。


「――――二度目だ。魔剣を争い、家族を失ったのは、あれが二度目だった……限界だったよ。そこで私の意識は途切れた」

「そうか。アルバートを滅ぼした獣っていうのは、やっぱり」

「魔剣だ。暴走して、荒れ狂った。しくも奴らのいうとおり、私は魔剣に呑まれたわけだ。この剣の力は、貴様に見せた程度のものではないんだ」


 アリアは半面を掌で覆い、項垂うなだれた。

 深い悔恨と自責。そして悲哀に、華奢な体が震える。


「どれほどの人を殺したか、検討もつかん。冒険者、傭兵、賞金稼ぎ、すべて血溜まりに沈めた。件の組織のかしらは、人の形も留めてはいまい。奴に買収されたギルドの連中、権力者。それに……無辜むこの人々も。女子供も、この手で殺して回った。結局、私が諸悪の根源だ。私さえいなければ、この魔剣さえなければ、彼らが死ぬことはなかった。彼らの命を引き換えに生きる、それほどの意味が私にあったのか?」


 既に魔剣の暴威は鎮まっていた。代わりに訪れたのは、底知れぬ嘆きだ。


「なぜ私を生かしたのだ、スバル」


 膝の間に頭を埋め、アリアは涙を流さずに泣いた。あるいは、泣く権利すら自らにはないのだと信じているようだった。


「あのとき、貴様を守るための囮として死ねたなら……私は、せめて私の死を納得できた。人の命を奪い、生き延びてきた無価値な生の最後に、を遂げられたのだと満足できたのに」


 自分の口から発されたその言葉が、彼女の胸に重くのしかかる。

 もはやアリアは自身の生に価値を見出せていなかった。スバルの依頼を受けたのは、開拓者への興味以上に、それを果たせるかもしれないという望みがあったからだ。森で衰弱死するより、誇らしく死ねるかもしれないという望みだ。

 その死に意味があるかどうかは問わないし、死したあとには問えない。無責任と言われようが後に無駄死にだと言われようが、ただその心だけは安らかに逝かせてやりたかった。それが、最後の希望だった。


 がつ、と嫌な音と悪態。

 見れば、スバルが研ぎ終わった黒剣を鞘に納めようと四苦八苦しているところだ。どうやら無茶な使い方で刀身が歪んでしまっているようだった。

 それを無理矢理に差し込んだ後で、スバルは苦笑いと一緒に言い放つ。


「意味のある死なんて、あるわけないだろう」


 そして、アリアの切ない望みを切って捨てた。表情と声音はいっそ優しげだったが、言葉は剣閃のように鋭く、それが当然かのように躊躇がない。


「死は、どこまでいっても所詮、死だ。生命の終わりでしかない。英雄の最期をたたえる逸話なんてものは生き残れなかった間抜けの話だし、死の後に残されるのは肉の塊だけだ。死体という名の、な。そんなものに、どれだけの意味がある?」

「……本当に容赦がない奴だな。貴様は」


 恨み言と裏腹に、アリアはぎこちない笑みを浮かべていた。そして、その回答を望んでいた無意識の欲求を知る。生と死に対するリアリズムを持ったスバルならば、そう斬り捨ててくれると信じていたのだ。


「お前が、どんな奴を、どれだけ殺してきたかなんて知らない。だが、お前が生き延びてきたから、俺は生きてここにいる。それが今日まで生きてきたお前の価値だろ。そして、あと何日かで、俺は霊樹の根に辿り着く。それが、その日まで生きるお前の価値だ」


 過去、最強と呼ばれた傭兵、英雄と呼ばれた冒険者、その多くが呆気ない最期を遂げている。どれほど強くとも、運が悪ければ命を落とすのだ。スバルは自分が一人なら空の森を生きて踏破できないことを知っていた。

 情けないほど説得力に溢れた言葉は、ひねくれた少女の胸にまっすぐと響き渡る。


「生きる価値のある奴なんて、いるもんか。生き延びた奴に価値があるんだ。そうだろ?」


 スバルはもどかしそうな表情のまま乱暴に髪をかきむしり、ぶっきらぼうに続けた。


「俺は、お前が何百人もの他人を殺して生き延びたことに感謝してるよ。だから、まぁ、なんだ……とりあえず、もうちょっとだけ生きてくれよ。明日、お前がいてくれなきゃ、俺が困る」


 低い早口の台詞、そのあとで、小さく笑い声が弾けた。

 自分の声だ――そのことに気づき、アリアは唖然とした。しかし、その衝動を抑えることはできない。

 ひとしきり笑ったあと、涙の滲む目を拭い、幾分軽くなった声音でアリアは言った。


「貴様、不器用だな」

「ほっとけ。疲れてるから、馬鹿なことを考えるんだ。もう寝てろ」


 スバルはむすっとして言い放つと、今しがた手入れを終えた剣を手に取って立ち上がる。

 その背に、アリアは慌てて制止の声を上げる。


「待て、スバル。火から離れては寒いだろう。それに見張りの必要もない」


 近場の魔物は、すべて殺し尽くしてしまった。地面は濡れ、水は澱んだ。

 二人は野宿の際、目的地から離れることを承知しながら、水源の上流へと向かったのだ。下流は虫の血と体液で悪臭が酷く、水も使えたものではなかった。そして殺戮の気配は、虫除けの香よりも強く、魔物を遠ざけてくれる。スバルもそれを知らないはずはない。


「ここにくるまでにも私に気を遣っていたな? だが、もういい。今更、貴様を恐れたりしないよ。こちらへこい。二人でいた方が、暖まるだろう」


 言って、アリアは固く合わせていた毛布を解いた。サバイバルにおいて、身を寄せ合って暖を取ることは珍しくない。男女ではあるが、ことスバルにその心配はしていなかった。

 スバルは休息するアリアに決して近づこうとしなかった。その冒険者らしからぬ潔癖さに、一定の信頼は置いていたのだ。


「お前、いい加減にしろよ」


 しかし、スバルは渋面でアリアを見下ろした。これまでで一番怒っているのではないかという剣幕に、アリアは毒気を抜かれる。


「もっと男を警戒しろ。襲われたことがあるって言ってたじゃないか。目立つ容姿をしてる自覚はあるんだろ?」

「信用しているんだよ。それに貴様、まさか自分が魔領域の只中ただなかで女を襲う馬鹿だと、そうは思わないだろう」

「そういう問題じゃない。いいか、男なんか、一皮剥いたら獣なんだぞ。俺は俺で休んでるから、妙な気を回すな。いいから寝てろ、この馬鹿野郎」


 スバルは有無をも言わさずまくし立てると、あっという間に身を翻し、ずんずんと地面を踏み鳴らしながらその場を去った。

すぐに姿は見えなくなるが、そう遠くまでは行っていないのだろう、気配が感じられる。


 アリアはしばらく呆然としていたが、やがて思い出したように再び毛布をかぶり、ゆっくりと身体を横たえた。

 なんとなく釈然としない気分は、すぐに疲労が塗り潰してしまう。呼吸が寝息に変わる瞬間を感じながら、彼女は目を閉じた。


「おかしなひと」


 薪のぜる音に紛れ、幼い笑い声が弾けて消えた。

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