2-3.《斬り裂く刃》の偉業

 アリアは素早く飛び退すさり、鋭いあぎとから逃れた。

 牙とはさみの噛み合う音は、足元からだ。

 それは百足に酷似し、しかし大蛇より長く太い体を持った、魔物の一種だ。有用な資源を採取できないため特に名を付けられてはいない。だが低い視点からの攻撃は避けづらく、地面を這う姿を捉えるのは難しい、厄介な敵といえた。

 反射的に魔剣を振り下ろしかけ、すんでのところで攻撃を中断する。

 彼女が立っているのは、《空の森》空中庭園を繋ぐ細い枝の上だ。細いとはいえ馬車が通れる程の幅はあるが、もし黒い剣の一撃で折れてしまえば、待っているのは霧の果てへの転落だけだ。

 アリアは、なおも接近してくる百足から逃れて背後に跳ぶと、着地と同時に膝を折り、低い姿勢から剣を一閃した。地面を舐めるような軌道の剣撃は百足の頭を捉え、その衝撃は長い体に伝播でんぱする。数珠繋ぎになった体の背が一気に爆裂し、毒素を含んだ体液が勢いよく吹き上がった。


 連戦に弾む息。そこに、今度は舌打ちが混ざる。

 既に仕留めた数多あまたの魔物の屍を踏み越えて、次の敵が迫っていた。

 頭の高さは人間を優に超え、胴体も含めた全長はちょっとした馬車並みだ。おそろしく巨大化した蟷螂かまきりの魔物は、キラーマンティスと呼ばれている。殺し屋キラーなどと呼ばれるだけあり、森の上層で見られる魔物の中では多少手強い。

 アリアは息を整えると、ぐっと歯を噛みしめ、強く地を蹴った。


「おい、待て、待て」


 その腕を、後ろから掴まれる。

 慌てて振り返れば、そこにはスバルがいた。


「貴様、なにをしている。そちらの魔物はどうした?」

「片付いた。あれが最後だ」


 その言葉に、アリアは少なからず安堵する。

 橋にも似た狭い道を通っている途中、両岸から魔物の集団に挟撃を受けたのが、この戦闘の成り行きだった。数の多い側はスバルに任せていたので問題ないとわかっていたが、それでも背後で戦闘が行われているのは気分が悪い。


「ならば、あれを倒せば終わりだろう。なぜ止める」

「あのでかいのを相手に、正面から突っ込んだら危ないだろ。ちょっと見てろ」


 スバルはアリアの肩をぽんと叩き、虫の体液に濡れた剣を引っ提げてキラーマンティスに対峙する。

 本来蟷螂かまきりは風景に擬態して獲物を待ち構えるが、その魔物は巨大化の過程で狩りの手法を変えていた。すなわち、四本の長大な脚で一気に接近し、鎌状の二本脚で獲物を捕らえるのだ。

 スバルは、あえて足を止め、接近してくるマンティスを待ち構えた。

 そして、マンティスが間合いに入る直前、その剣を振るう。

 次の瞬間、宙を舞ったのは、マンティスの鎌だった。虫特有の、ばね仕掛けのように唐突で素早い一撃は、自ら剣の刃に飛び込んできたのだ。形状から鎌と呼ばれる蟷螂かまきりの前脚は、敵を捕らえる棘は備えているが、刃はなく強度もない。金属の刃とり合うことは不可能だった。

 思いもよらぬダメージにマンティスが怯んだ隙を、スバルは見逃さない。一足飛びに間合いを詰めると、鎌を失ったマンティスの胸を横一文字の一刀で斬り裂く。頭部を失った巨体は、しばらく死を理解できずにふらついていたが、やがて静かにくずおれた。


「どうだ?」

「どう、と言われてもな……さすがだ、としか言いようがない」


 アリアには今の攻防の意図が掴めず、いぶかしげに呟くだけだ。

 スバルは斬り飛ばしたマンティスの鎌を拾い上げると、それをアリアに掲げてみせる。


「虫は駆け引きを知らないから、間合いに入ったらすぐに攻撃を仕掛けてくる。それに正面から人間を捕まえようとするなら鎌の動く方向は限られてるだろ。だからそこに剣を差し入れれば、簡単に反撃できる」

「貴様、あれの習性をどこかで調べたのか?」

「見ればわかるさ。なんとなくな」


 事も無げにスバルは言う。

 アリアは反射的に込み上げてくる文句を無理矢理呑み込んだ。確かにスバルの攻防は、力も速度も、技術さえも必要なかった。得物が長く破壊力があることが前提だが、安全で、理に適っている。

 アリアが知っているマンティスの対処法は、鎌で掴みかかってくるところを屈んで避け、死角である足元に潜り込むことだ。その戦法にやりづらさを感じていたのは、アリアの魔剣が、カレヴァンでよく使われる短い打撃武器とは真逆の性質だからだった。


「お前は敵を選ばないで戦える剣があるから、敵を見るのが苦手なんだな」

「苦手というわけじゃない。貴様が敵の分析に長けているだけだろう」

「こんなもん、慣れだ。それに、それができないって言うならお前、俺より考えなしの馬鹿ってことになるぞ」

「なんだと?」


 スバルがけらけらと笑いながら投げかけてきた言葉に、アリアは激怒した。


「もう一度、同じことを言ってみろ。私は貴様を絶対に許さんぞ」

「そんなに怒ることじゃないだろ……」


 取り留めのないことを言い合いながら、敵襲と共に投げ出していた荷物を回収に戻る。紛失防止のために鞄の端を地面に縫い付けていた杭を引き抜き、持ち上げる。戦いの気配を察した別の魔物が近づいてくる前に、この場を離れる必要があった。


「他人がどういう戦いを推奨してるのか知らないが、お前はお前のやり方を見つけろよ。正解なんてないんだからな」

「正論だが、貴様に言われると釈然としないな……」

「それと」


 スバルは渋い顔をするアリアに詰め寄ると、噛んで含めるように言った。


「苦手な敵がいるなら、俺を呼べ。逆に、俺が苦手なやつはお前に任せる。そういうもんだろ」


 その言葉の意味を、アリアはすぐに理解することができない。

 今までアリアがパーティで担ってきた役割は、厄介な敵の露払いだった。重い荷物も持てず、優れた技能も知識も体力もなく、ただ敵を倒すことしかできない無能。そういう立場でしかなかった。パーティに置いてやるのだから役に立てと、無茶な戦場に立たされたことも一度や二度ではない。

 自分より強く、そして自分より無能な冒険者。

 支え合うことを許してくれるお人好し。

 そんな人間が世にいるとは、思いもしなかったのだ。


「……考えておく」


 囁くような応えに、スバルは満足げに頷いた。



 ◇ ◆ ◇ 



 危険な細い道を幾度も通り、宙に築かれた足場を渡り歩く。森を奥へ進むにつれ、空中庭園は小さく、不安定になっていく。

 頭上を仰ぐと、枝の道、空中庭園が網のように張り巡らされているのが見えた。網の目が冒険の最初の頃に見た景色より細かくなっているのは、気のせいではない。下層を目指し、二人は庭園群を下へ下へと向かっていた。


 二人の探索は、既に幾度かの夜を越えている。進行は順調、トラブルもない。そろそろ木々の根差す大地へと下りるゴンドラに辿り着くはずだった。

 かつて森の全貌が明らかになっていない頃には下層への道がいくつも作られたが、そこにメリットがないことがわかってくると、すぐに打ち捨てられてしまった。今では冒険者ギルドがいくつかのゴンドラを定期的に点検、修理しており、それ以外のものが正常に動く保証はない。二人が目指しているのは、その数少ないギルドの手が入っているゴンドラだった。


 やがて二人は十分に広いスペースを持つ庭園に辿り着く。障害となる木々が少ないため見通しがよく、昆虫の魔物は本能的に避けていた。ここまで細い道と敵襲が続いて神経を尖らせていた二人は、束の間の散歩気分を味わっていた。

 ふとアリアは、傍らを歩くスバルの背負う剣に目を向けた。


「貴様のことだから問題ないとは思うが、剣は損傷していないか?」


 アリアの問いかけを受け、スバルは大剣を引き抜き、その刃を掲げる。

 森の魔物は甲殻に包まれた昆虫類がほとんどのため、刃を持つ武器は消耗が激しい。だがスバルにそれが当てはまらないことを、戦いぶりを見ていたアリアは知っていた。


 スバルの戦いは、決して派手ではなかった。レッドフォードのような異能、アリアのような武器、リュークのような怪力、そういった一目でわかる強さを今のところ見せていない。

 しかし敵の弱点を瞬時に見抜き、そこを的確に突くたくみさがあった。甲殻の隙間を抜けば昆虫の魔物の肉体は脆い。効率的とさえいえるスバルの戦闘は乱暴な性格とは真逆で、そこがむしろ、空恐そらおそろしい。


「大丈夫そうだ。そういえば、街でも剣を持ってる奴はわりと見かけたな」


 どの魔領域攻略拠点でも、冒険者間の扱う武器が似通ってくる現象は見られる。カレヴァンでは、虫の甲殻に有効な打撃武器を持つ者が多い。

 特に棍棒などは安価で手に入れられるため、すべての冒険者が購入していてもおかしくないほどだが、カレヴァンには剣を持つ者も少なくなかった。敵に対して相性がよくない武器を使い続けるには、相応の事情がある。


「この辺は金欠の奴が多いのか?」

「たわけが。自分がそうだからといって、皆が皆、同じ事情だと思うなよ」


 むっとした顔で睨みつけてくるスバルを鼻で嘲笑いつつ、アリアは苦い記憶を掘り返す。

 思い出すのは一対の双剣――かつてアリアもいていた象徴的な剣だ。


「憧れだ。《空の森》を攻略した冒険者パーティは、メンバー全員が剣技を得手えてとした変わり者達だった。彼らにあやかろうとしているのさ。治安維持部隊が持つ双剣も、彼らがメンバーの証としていた剣を模したものだ」

「《斬り裂く刃ツェアライセン》か」

「……貴様、霊樹といい、妙なことは知っているのだな」

「名前だけな。詳しいことは知らないから、教えてくれよ」


 アリアは怪訝な面持ちをしていたが、その冒険者パーティはそれなりに有名だと思い直した。

 数十年前は知らぬ者などいないとばかりに勇名を馳せていたことから、スバルがそれを知っていたとしてもおかしくはない。


「メンバーは《千剣のギル》、《剣聖ソードマスターリゲル》、《風斬のアランアラン・ザ・ウィンドブレード》、《断鬼ウォードウォード・ザ・オーガ》、《飛刀のエマ》、計五名の少人数パーティだ。森へ入る際は別の冒険者を雇っていたようだが、中核のメンバーは固定されていたらしい」

「随分と大袈裟な二つ名の連中だな」

「皆、図抜けて強かったという話だ。強さだけではなく、空中庭園の整備や、植物と魔物の研究など、とにかくカレヴァンの街すべてに貢献している。彼らがいなければ今も空の森は最も危険な魔領域のままだったと言われるほどだ」


 スバルは説明を真剣に聞いていた。その様子が変だとアリアは感じる。

 ただの雑談としてではなく、その情報を吟味しているようだった。


「で、そいつらは今どうしてるんだ?」

「《斬り裂く刃ツェアライセン》は空の森攻略と同時に解散し、ほとんどのメンバーは街に残って要職に就いたと聞く。歳も歳だ、もう引退していてもおかしくはないが、リーダーのバートランド・ギルは今も冒険者ギルド長として最前線にいるな。功績を買われ、ギルド本部へ幹部として招聘しょうへいされるなどという噂もある」

「――よくできた話だ」


 そこには、わずかばかりの揶揄やゆが混ざっていた。どこまでも愚直な男にしては、珍しい反応だ。

 アリアが横目にしたスバルの表情は、これまでになく厳しい。カレヴァンにいるものならば知らないはずのない、取るに足らない情報を得た反応としては妙だった。


「確か、カレヴァンでは冒険者ギルドが一番でかい組織なんだよな?」

「……あぁ、そうだ。各ギルドの長達が自治体を形成しているが、冒険者ギルドが取りまとめ役をしている」

「つまり、そのギルって奴が実質的にカレヴァンのトップってわけだ。面白くなってきた」


 スバルは抜き放ったままだった剣を鞘に納め、しかし敵を前にしたときのように挑戦的な表情で言った。


「貴様……」

「見えてきたぞ。ゴンドラって、あれのことじゃないか?」


 はぐらかすためか、単なる偶然か、スバルはアリアの言葉を遮り、嬉々として前方を指差した。

 庭園の地面に穴が開き、その中心に大きな鉄のかごが揺れている。頭上にある太い枝に鎖を通して、ゴンドラを吊り下げているのだ。ゴンドラの中にはレバーが設置されており、乗り込んでそれを倒せば下降していく仕組みだ。

 定期的なメンテナンスはされているというが、ところどころが腐食し、廃墟の残骸にも見える。その佇まいも、籠というよりは檻のようだった。


「……なんだか下層どころか地獄まで連れて行かれそうだな」

「同感だ。だが、これが一番マシなゴンドラのはずだ」


 アリアは、森の探索の中で打ち捨てられたゴンドラの残骸をいくつか見つけたことがあった。鎖が切れて落下したもの、今にも底が抜けそうなもの、それらと比べれば二人が目の前にしているものは動く保証があるだけまともだ。


「下層は転落死の危険性はないが、魔物が大きく頑強になっている。それに行けばわかるが、水場が多いから……どうした?」


 ゴンドラと地面を繋ぐ小さな橋の前で、スバルは足を止めた。

 手にしていた荷物を放り出し、その端に吊られた杭を地面に突き刺す。再び剣を抜き、鋭い視線を頭上へと向けた。


「そこに、いるな」


 それは独り言でもなく、アリアに向けられたものでもない。

 誰に対する言葉なのか――――それはすぐにわかった。


「勘の良い野郎だ」


 重い声音は、ぞくりとアリアの危機感をかきたてた。

 幾度も聞き、そして追い立ててきた憎き敵、その声だ。


 硬質の破壊音が響く。

 次の瞬間、激しい衝撃を伴ってゴンドラが消えた。じゃらじゃらと鎖が暴れ回り、すさまじい勢いで穴の下へと吸い込まれていく。

 もしそれに乗り、降下が始まってから、そうされていたら――――アリアは、その想像に戦慄した。


 二人の死角、ゴンドラを吊っている太い枝の上に、人影が現れる。

 冒険者としては大袈裟な鎧と巨大な得物。そしてそれらを使いこなす巨躯。

 ライアン・レッドフォード。おそろしい異能を宿した男が、そこにいた。

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