2-2.居場所

 木立から現れたのはバルーンビートルなどと呼ばれている甲虫型の魔物だった。小型に分類される魔物だが、それでも大きさは人の上半身ほどもある。

 ビートルは飛翔する際、気嚢きのうに大量の空気を取り込んで丸々と膨らむ。そして空中から標的を定めると、背に空いた穴から空気を噴出して突進し、その角で突き刺すのだ。角は深く刺さらない構造になっているが麻痺毒を持っている。獲物に毒を与えてから弾むようにして離脱し、動きを止めたところを捕食するのが習性だ。また毒を与えられなくとも、転ばせたところを別の仲間が襲いかかり、強靭なあぎとで急所を食い千切って殺すこともある。

 そして彼らは獲物を《空の森》の空中庭園から突き落とすことが確実な勝利につながることを本能的に知っている。魔領域の悪環境を逆手に取る、魔物の進化の形であった。


 スバルは自分に向けて突撃してくるビートルを、剣の腹で跳ね上げた。

 下手な受け方をすると剣を傷つけられるばかりかビートルを安全圏まで押し出してしまうが、それはやや上方へと弾かれてから無防備に墜落する。スバルは気嚢に残った空気を捨てて体勢を整えようとするバルーンビートルを踏みつけると、甲殻の隙間に剣を差し入れ、息の根を完全に止めた。

 辺りには同じ戦法で仕留めたビートルが多数転がっている。解毒剤を忘れていれば、また冒険者ギルドが柵まで備えつけた順路の外で遭遇すれば死の危険がある魔物ではあるが、スバルは問題なく対応していた。


 粗方あらかたのビートルを始末し終えたスバルに届く、どん、という腹に響く鈍い音。そして足元に硬質の物体が転がってくる。それはバルーンビートルの角だったものだ。

 そこにはスバルと同じようにビートル達と対峙しているアリアがいた。

 それは幻想的でいて、筆舌に尽くし難い惨状だ。彼女の剣の間合いから外はバルーンビートルの体液で染まっている。更には甲殻の破片や身体の残骸など、それが生命を構成していたものだとは思えない粗末な物体が周囲に散らばっていた。

 ふっ、と鋭い呼気。アリアは残った最後のビートルに相対すると、果敢に突進をしかけてくるそれに向け、手にした魔剣を一閃する。堂に入った剣筋だが、反応速度は優れているとは言い難かった。一撃は若干タイミングを外し、剣の切っ先が飛来したビートルを掠める。

 その瞬間、大きな音を轟かせ、丸い身体が爆裂した。

 強く殴りつけられたというより、恐ろしく巨大ななにかが、恐ろしいスピードで激突したような有様だ。粉砕されたビートルは剣撃の軌道に乗るようにして消し飛び、アリアの身体に返り血などは付着しなかった。

 力に秀でていない彼女が軽々と振り回しているとおり、黒い魔剣自体の攻撃力は皆無といっていい。そこに秘められた魔性が破壊力を生み出しているのだ。


「とんでもない威力だな。魔剣と言われるだけはあるってことか」

「威力だけはな」


 アリアは魔剣に鞘代わりの紐を括りながら、硬い声で言う。

 スバルはアリアが対峙した以上の数を、より早く捌いていた。敵襲を察知した瞬間、剣と鞘を打ち鳴らし、落ちていた石や枝を手当たり次第に投げつけて、自らに敵を引きつけていたのだ。誰かに守られるという経験は、アリアには新鮮なものだった。だから自らの心の動きに慣れず、その困惑が態度の硬化という形で表出している。

 居心地の悪さを感じていたアリアは、ふとスバルの戦闘の跡に目をやり、意外そうに声を上げた。


「堅実な戦い方をするのだな。正直、少し意外に思う」


 スバルの周囲で息絶えるバルーンビートル達は、その足元から漏れ出る体液がなければ今にも動き出しそうなほど損傷が少ない。

 損傷が少ないというのは素材として使える部位が多いということだ。冒険者にとって重要なのは、一に生き残ること、二に稼ぐことである。その仕留め方は理想的といえた。


「初見の魔物だ、慎重にもなるさ」

「戦闘以外もまともなら、良い冒険者になれるだろうに……」


 その嘆息に、スバルは口をへの字にひん曲げる。


「なんだよ、俺がまともじゃないって言うのか?」

「まともなところがあるというなら教えてもらいたいよ」


 アリアは心底呆れ果てながら、おもむろにスバルの仕留めたビートルに歩み寄った。念のために遠くからつつき、確実に絶命していることを確認する。

 そして、手に取った鉈を、頭と胸の間に向けて振り下ろした。

 ばき、ばき、と鈍い音が幾度も響く。しばらくしてビートルの大きな頭部がごろんと地面に転がった。


「なにをしてるんだ?」


 今の今まで不機嫌な顔をしていたのに、覗き込んでくるスバルの顔は好奇心に輝いている。切り替えが上手いのか、あるいは根が単純なのかと、アリアは苦笑した。

 アリアはビートルの首の断面に手を突っ込み、得体の知れない臓物を引きずり出す。それをスバルに見せると、意地の悪い顔で言った。


「今晩の食事だ」


 グロテスクなそれをまじまじと眺め、スバルは感嘆の声を上げる。


「昆虫食か」


 冒険者パーティは、本来は十数名で組まれるものだ。それぞれ、戦闘を主に行う者から、偵察、荷の運搬と護衛など、様々な役割を担う。

 今回のような少人数のパーティを組む場合、持ち込むべき物資の多くを現地調達で補う必要があった。食料も、そのうちの一つだ。ただし魔領域に棲む生物の多くは人体に害となる物質を持っているため、知識のある者が案内役として同行しなければならない。

 幸いにして、《空の森》には資源が多い。水分は葉を伝う露や木の実から、多くの栄養素は昆虫の魔物から摂れる。ただし昆虫食に抵抗を示す者は多く、それを苦にして初心者脱却を急ぎ、カレヴァンを離れたがる冒険者学校の生徒も多かった。

 対して、スバルは拒むどころか興味津々という有様だ。それは慢性的な金銭難のため、普段からろくな食事をしていないのが理由なのだが、開拓者の戸惑う様を少し期待していたアリアは拍子抜けしている。


「毒は大丈夫なのか?」

「全体が毒というわけではない。毒は……この臓器だ。人体に入れば麻痺の症状を引き起こすが、毒素は熱に弱く、よく燃える。油の代わりに使える」


 袋状の臓器の口を縛って脇に退け、次にアリアはビートルの身体をひっくり返した。力なく広がった脚を順番に切断し、それも縛ってまとめていく。


「こっちは薪の代わりだ。森の木は燃えにくい。だから虫の脚を混ぜて焚き火に使うんだ」

「となると、もっと数が要るな」


 言うが早いか、スバルは別のビートルを蹴り起こすと、その六本脚を力任せにもぎ取り始めた。荒っぽいが手際はよく、表情は嬉々としている。

 スバルは街にいるときから危ういほどの闘争心を見せていたが、その衝動は魔領域という異常地帯において力を発揮していた。根っからの冒険者なのかと感心し、アリアも自分の作業を再開する。


「貴様の戦い方、確かに意外だったが、助かった。私の剣では魔物を粉々に吹き飛ばしてしまう。素材が取れないんだ」

「難儀なもんだな。それで、野宿の準備をしてるってことは、今日はこの辺で切り上げるのか?」

「あぁ。大樹が陽を遮るから、闇が早く、そして深い。スコールも降る」


 探索にてられる時間帯の違いは、初めて森を訪れた冒険者の多くを困惑させる。もっとも、それも悪いことばかりではなかった。酷く厄介なスコールは、大樹の枝葉がそのほとんどを受け止めてしまう。巨大な樹は相応の水を必要としていて、葉は目に見えるほどの速度で水分を吸収するのだ。

 間もなくして二人は作業を終え、十分な物資を確保した。残りの死骸は放置して、自然の摂理に任せる。バルーンビートルの素材は軽い割りに丈夫だが安価であり、そしてこれから目的地へ向かうというのに荷物を増やすわけにはいかないからだ。

 魔物の死骸は更なる魔物を呼ぶというのは常識だが、だからといってそれを律義に始末する者などいない。自分達以外の冒険者など、どうなろうが知ったことではない、それはこの世界におけるごく当然の認識であった。


 ビートルの邂逅と共に放り出した荷を回収し、再び森を行く。周囲の木は一般的な大きさのものなので、慣れれば通常の森の中を歩いているような気分になる。

 だが、そこはあくまで大樹の枝の上だ。足を踏み外せば、決して助からない高さから空中に放り出される羽目になる。腐葉土の上は安定しているとは言い難く、順路でなければ一瞬も注意を怠ることはできなかった。


「夜、虫の魔物は今より活発になり、上を目指す。だから樹のうろなど、隠れられる場所を探そう」


 アリアの声に頷き、スバルは慎重に道を切り拓いていく。



 ◇ ◆ ◇ 



 野宿の場所を選ぶのは、難しい。下手なところを選んで魔物の襲撃を受けては全滅の危機があるし、かといって最善の場所を見つけるのに時間をかけすぎては探索が進まない。

 空中庭園は、大樹の枝が絡み合って生まれるために、複雑な地形が生まれやすい。二人はそれほど苦労をせずに野宿の場所に目星をつけることができた。


 スバルは小さな器具を地面に突き刺し、そこから立ち昇る煙に顔をしかめた。

 それは一種の結界だ。森の植物を調合して作られた虫除けを、野宿の場所を囲むように設置していく。虫除けは長く時間をかけて燃焼し、魔物を遠ざけてくれるはずだった。決して過信はできないが、一定の効果があることは、それが太古から今日まで使われ続けている事実が証明している。


 雨粒の葉を打つ響きが森を木霊する。強い音のわりには、冒険者達に届くのは霧のような飛沫だけだ。巨大な葉がスコールを吸収しているのだ。耳を澄ませば樹の雨をすする音が聞こえそうなほどだった。

 雨の支配に紛れて、虫共の蠢く気配がする。月明かりに惹かれ、多くの魔物は人間の立ち入れないほどの上層にまで昇るのだという。そこでは人間の介入できない、彼らだけの世界が広がっているのだろう。

 飢えを満たす、縄張り争い、種を残すための営み。それは生物である以上、魔物も変わらない。


 《空の森》が攻略された、というのは正しい――――スバルは、その事実を再確認する。


 魔物の魔物たる所以ゆえんとは、他のなにより、人間の殺害を優先することだ。争っていた魔物同士が人間の姿を認めた途端、連携を取って襲いかかってきたなどという話も珍しくはない。生態系を無視した、まるでなにかに操られているかのように異常な習性こそ、彼らが人類の天敵たる理由だ。

 そして森の魔物は、そうした人間への憎悪を失っている、ように見える。

 ここを訪れたのは徒労ではなかったようだと、ここに至り、スバルは確信していた。同時に、用心が無駄でなかったことに安堵する。森を訪れたとき、アリアに目的を告げなかったのは、決してたわむれなどではなかったのだ。


 虫除けの結界を仕掛け終わり、踵を返す。枝が隆起して洞穴のようになった場所で、アリアが薪に向かっていた。火のついていないそれに掌を向け、しかめっ面でぶつぶつと何事かを呟いている。


きよ、ぬくもりの灯火」


 やがてはっきりとした声量で唱えると、直後、翳した手の先で小さく炎が上がった。それは薪の、燃えやすい細かな枝、小さく砕いた虫の脚に移り、赤く燃え始める。


「お前、魔法もできるんだな」


 アリアは、そこで初めてスバルが戻ってきたことに気づいた様子だった。余程集中していたのか、照らされる横顔には疲労が見える。


「一応は、な。少し火を作るだけでも、この有様だ。とても戦いの最中には使えない」

「でも、使えると使えないでは違うだろ」


 どう褒めても二言目には自嘲を返すアリアだが、その言葉には素直に首肯した。事実、それは常識だからだ。

 基本的には、魔法の適性は先天的なものだ。それを扱えれば、なにもない場所に水を湧かせ、火をおこし、風を逆巻かせる。サバイバルの極致を目指す冒険者にとって、その適性は喉から手が出るほどにほしいものだ。だが、適性があれば必ず扱えるものでもないはずだった。


「今まで、多くの街、多くのパーティを渡り歩いたが、最初から魔剣目当ての者ばかりではなかった。駆け出しの頃には、色々と学ばせてくれる者もいたよ。魔法も、その一つだ」


 スバルが不思議そうな面持ちでいると、アリアは静かに語り出した。

 ビートルから採取した臓器を火で炙り、それを口元に運ぶ。慣れれば美味だが癖が強く、苦手とする者も多い。アリアの顔が歪むのは、しかしその味が理由ではなかった。


「だが欲に目が眩み始めて、いつか私に見返りを求めた。剣、命、身体……すべてを奪ったあとで、奴隷として売り飛ばそうとした奴もいたな」

「くそったれめ」


 どっかりと座り込み、スバルは悪態を吐き捨てた。鼻面に皺を寄せ牙を剥いた憤怒の顔は獣にも似る。

 その様をちらりと横目にし、アリアは小さく笑った。


「そう苛立つほどのことでもないだろう。よくある話だ」

「……そうだな。そんな話、ごまんと聞く。だから腹が立つんだ」

「おかしな男だな。貴様も散々、人の命を奪ってきただろうに」

「知るか。俺は自分勝手なんだ」


 子供のように我侭わがままな言い分は、アリアの笑みを深くさせる。スバルは、その笑みの中にある悲しみを感じ、躊躇いがちに続けた。


「お前、この探索を終えたら、どうする気だ? まさか、また死ぬ気じゃないだろうな」

「さぁ、どうしようかな」


 アリアの呟きは、はぐらかそうとしているというよりは、本当に自らの未来を決めかねている様子だ。スバルの計画性のなさに憤っていた彼女にしては、珍しい反応だった。


「少し、遠くへ行こうと思う。何年も前のことだが、女性だけで構成された傭兵団があると聞いた。そこならば、あるいは……」

「ヴィンゴールヴのことか?」

「知っているのか」


 思いがけず出てきた単語に、アリアは驚きを隠さない。

 スバルは珍しく言いよどんでいたが、しばらくして、静かに言った。


「もう壊滅してる。十年くらい前の話だ」


 告げられた言葉に、アリアは目を見開いた。

 冒険者や傭兵が広く名を知らしめることは珍しくない。だが、情報が正しく速やかに浸透するとは限らなかった。あるいは、人々の関心を失ったものが、人知れず滅びていたなどという話もありふれている。

 アリアの心には様々な思いが駆け巡っているようだった。なぜスバルがそんなことを知っているのかという疑問、そんなはずはないという反射的な否定、あるいは開拓者の逸話どおりに滅びを与えたのかという憤慨。


「……そうか。私は、また居場所を見つけ損ねたのだな」


 そのすべてが混ざり合い、最後に彼女が浮かべたのは、諦観だった。ぞっとするほど空虚で、胸を刺すほど哀切な顔。火の橙ですら、その蒼い顔を暖めることはできなかった。


「ないなら、失うこともないだろ」


 ややあって、スバルが呟く。

 何気ない言葉だ。だが、そこに含まれたかすかな違和感に、アリアは顔を上げていた。黒瞳に映るスバルの横顔は、普段となにも変わりがないように見える。


「もっと前向きになれよ。どこにも居場所がないなら、どこにいたって同じだ。考え方を変えれば居場所だらけだぞ」

「貴様の考え方は前向きどころか、あさっての方向だな」

「下を向いてるよりはましさ。それに、居場所なんて本当は要らないんだ。その気になれば、人は独りでも生きていける。まぁ、多少は生きづらいかもしれないけどな」


 ばき、と鈍い音がする。アリアの細い指が、薪の一つを握り潰した音だ。それは酷くひしゃげ、原型すら失っていた。


「そんなのは、強いから言えるんだ。強い人の理屈だ。私には無理だった」


 普段よりも、どこか幼い口調だった。頑なで、まるでねているような。

 スバルは、まっすぐに火を見つめたアリアに近づくと、その目をじっと覗き込んだ。突然の接近に驚き、見開かれる黒曜の双眸。そこに、今はなぜか、薄い金の色彩が混じっているように見えた。


「そうか? お前も、強いと思うけどな」


 言葉を失うアリアを尻目に、スバルは剣を手に取って立ち上がった。


「疲れてるから、後ろ向きになるんだ。ゆっくり休めよ」

「……どこへ?」

「見張りだよ」


 それは、アリアの過去を慮った行動でもあった。彼女も察していたようだが、疲労感は否定できないのか、小さく頷いて身体を横たえる。


「貴様は、居場所を見つけられたのか」


 立ち去ろうとしていたスバルは、背にぶつかった問いかけに足を止めていた。

 そして横になった少女を振り返ると、不敵な表情を浮かべて、剣の柄をとんと叩いた。


だ。ここが、俺の居場所だよ」

「……らしい台詞だな」


 呆れを多分に含んだ台詞に肩を竦め、スバルは少し離れた場所で腰を下ろす。木の根に背を預け、五感を研ぎ澄ませたままで休息を取った。

 冒険は、まだ一日目。始まったばかりなのだ。

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