1-8.異能を宿した男
大方の予想通り、《開拓者》が《黒い剣のアリア》に接触を持った事実は広く知られているようだった。
渦中の男が宿で惰眠を貪っているところ、アリアはアリアで物資の調達と装備の調整のため単独行動をしている。
アリアが訪れたのは裏通りの寂れた店だ。
薄汚い外観とは逆に店内は整然としている。陳列されているのは鉈や剣、きちんと武器として成形された木の棍棒など、探索や戦闘に用いられる道具だ。簡素な作業場が隣接しており、その場で微調整を頼むこともできる。
お世辞にも繁盛しているとは言い難いが、表に出ている看板の古ぼけた色合いは、ここがそれなりの老舗であることを誇らしく主張していた。
店主は、ずんぐりとした中年の男だ。
寡黙にして不器用な彼は、まったく客商売には向いていないものの、それでもこうして独りで切り盛りしている。
職人
「今回は、これで頼む」
アリアは注文書を手早く書いてしまい、店主に差し出した。
ギルドを追い出される以前から、アリアはこの店を利用している。
はじめからというわけではない。どの街で暮らしても、アリアは一つの店を長く使うことを避けていた。災禍の象徴である魔剣を携えた少女を歓迎してくれる場所などないのだ。
この店の主だけだった。
その言葉をアリアは忘れることができず、以来、この店を利用していた。
「二人分か」
無口なはずの店主が、静かに言う。アリアは多少の驚愕を覚えたが、自分の首に下がっている重みを思い出し、小さく苦笑した。
「ろくでもない奴の面倒を見ることになった。知らないか? もう街中に広まっているらしいが」
それは《切り拓く剣》と呼ばれる装飾だ。剣と鉈を模した、アクセサリーにしては大きすぎる一対の赤い刃。
厚ぼったい瞼の奥から、意外にも鋭い視線が剣を一瞥する。そこには凡百の冒険者が見せた恐怖も、治安維持部隊の二人が浮かべた動揺もなく、巨大な岩盤を思わせる落ち着きだけがあった。戦いに強いだけでは得られない、年の功からくる胆力の賜物だ。
「知らん。知る必要もない」
店主は唸るように言葉を返すと、のっそりとカウンターを出て、作業場へと向かった。
「鎧を寄こせ」
「頼む」
口下手な二人の間には、それ以上のやり取りは必要がなかった。あるいは情すらもなかったかもしれない。店と客、それ以上でも以下でもない関係は、アリアにとって心地の良いものだった。
鉄板を厚手の服に縫いつけただけの軽鎧と、その下に着ていた
装備の手入れを、アリアは依頼していない。
初めてここを訪れたときも、同じように鎧を脱ぐよう命じられた。そのときは警戒心から断ろうとしたが、有無をも言わせない迫力に負けて結局は頼んでしまった。貸しを作るのが気色悪くて対価を払おうとしても、店主はそれを頑なに拒んでいた。
「物好きだな。なんの得にもならないのに、なぜ?」
普段は黙って彼の作業を眺めているアリアも、珍しく問いかけていた。
先程の店主に影響されたのか、それとも、ここを訪れるのはこれが最後だと意識してしまっているからか。
店主の作業の手は止まらない。いっかな言葉が出てくることもなく、聞き流されてしまったかとアリアは苦笑いする。
そこに理由があるとしても、おそらくは自分には理解できないとわかっていた。店主の腕は確かだし、品揃えも下手な表通りの店より豊富だが、彼は商人ギルドにも鍛冶ギルドにも属していない。変わり者の一人というわけだ。
「
それが問いへの答えだと気づくのに、数秒を要した。
そしてやはり、尋ねたところで理解はできない。彼がその考えに至り、自らその手になろうと決心した背景を、アリアは知らない。
そうか、という小さな呟き。それが客と店主の交わす最後の会話だった。
◇ ◆ ◇
表通りに出ると、この街に住まう者が慌しく行き交っている。
その人波が、アリアの姿を認めて割れた。
今朝の出来事は耳聡い連中を介して街中へ広まっている。彼らの目は、アリアの胸元で揺れる不吉な赤い剣に向いていた。
凶剣の庇護下にあるという事実は、ここのところアリアを付け狙っていた連中を一掃している。元々凶兆の側面を持つ魔剣に半ば伝説化している狂人が関わったことで、一部の用心深い者達は街を離れる準備さえ始めており、周囲から臆病者と
今のアリアに進んで関わろうとするのは、どこかが狂った愚か者しかいないのだ。
アリアの聴覚が飛来する物体の存在を捉えたのは、十字路を渡ろうとしていたときだった。
回避が間に合わない。予感が身体を突き抜けるが、運良く直撃は免れ、それはアリアの鼻先をすさまじい勢いで通り過ぎていった。
頬にべちゃりと生温い感触が飛びついてくる。手を伸ばせば、白い指は赤色に染まった。
路面を弾みながら吹き飛んでいったのは、人間の上半身だった。
投げ出された腕はびくびくと震え、そこらに飛び散った内臓は白い湯気を立てている。飛び散った血糊がじわりと路面を舐めていた。
唖然としたアリアの耳に怒号と悲鳴が届いたのは、まさにその直後だ。
「ま、待ってくれ! たかが盗みで、こんな……」
そこにいたのは、今にも腰を抜かしそうになっている若い男と、その眼前に立ち塞がる巨漢だ。
男が身につけているのは、治安維持部隊の紋章に、カレヴァンの冒険者ギルド直属パーティの証にもなっている一対二振りの剣。だが男の剣は鞘に収まったままで、握っているのは別の得物だ。
バルディッシュと呼ばれる、斧にも似る刃を備えた長柄武器の一種だが、それはその中でも刃が二回りは巨大だ。刃の重みに耐えるため、柄も頑強に作られている。まともな人間では持ち上げるのがやっと、構えることはおろか振るうことなどできるはずもない。
それが、ごう、と唸りを上げて空を切る。
血に濡れた半月は斜めに走り、怯えた男の肩口から侵入して、逆の脇から抜けた。あまりの圧力に胸から上が宙に飛び、二つの腕がぽとりと落ちる。残された体は自身の死を理解できていないのか、突っ立ったまま血を空に吐き出し続けている。
赤い噴水越しに、アリアと男の目が合う。獰猛に吊り上がった男の目が、瞬間、狂気じみた強欲を帯びた。
思い出したように大地へ沈んだ死体を踏み越え、男――――ライアン・レッドフォードは、ずかずかとアリアに詰め寄る。間にいた人々は慌てて道を開け、二人を遮るものはなにもなくなる。
大股でアリアの間合いに入ったレッドフォードは、前触れも口上もなく、得物を横に薙いだ。
それは異常な光景だ。振りかぶる速度も、振るう速度も、常軌を逸している。単純に力が強いという問題ではなく、文字通り異次元の挙動だ。
小枝を操るような軽さで、人間の体を容易く両断する刃が迫る。物理法則を完全に無視した動き、それに対応できない人間は、その時点で絶命する。
バルディッシュの刃が突き立ったのはアリアの華奢な身体ではなく、防御に構えられた魔剣だ。
短い期間だがギルド直属パーティの一員であったアリアは、レッドフォードの能力を知っていた。
武器を覆う陽炎という形で表出する《異能》、その存在を。
二つの刃が交わった瞬間、激しい衝撃が発生した。突風にも似たそれは表通りを駆け抜け、周囲の建物の扉をガタガタと震わせる。
体格の差から、アリアの体が軽く後方へ飛んだ。それを見越して受けたために体勢は崩さず、付け入る隙は与えない。
「なんの真似だ。レッドフォード」
代わりに、鋭い声で牽制する。
そこには多少の苦い思いが滲んでいた。スバルを宿に置いたままの外出で唯一懸念したのが、レッドフォードとの邂逅だったのだ。
実力を備えた若き野心家――それがライアン・レッドフォードの人物評だ。
とある国家が抱える冒険者養成学校、そこを極めて優秀な成績で卒業したのが彼だった。
カレヴァンの冒険者ギルドは学校と提携しており、《空の森》を訓練施設として使うための下準備や訓練者の護衛を任されている。その対価として多額の資金を受け取っていたが、更に結びつきを強めるために学校の優秀な卒業者をギルド直属パーティに迎え入れたのだ。
鳴り物入りで冒険者ギルドの一員となった男は、性格に多少の難があるものの実力は折り紙つきで、とりわけ戦闘能力は群を抜いていた。
元々の力も優れており、粗野な性格に似合わず知識と教養も持ち合わせているが、なにより目を引くのは《異能》だ。
異能とは、才能の一言で片づけられるほど曖昧ではなく、魔法のように体系化されたものでもない、物理法則さえ歪めるほどに強力な先天性の力だ。
それが表舞台に現れ始めたのは、魔族が人類を駆逐せんと猛威を振るっていた時期だといわれている。人智を超えた敵である魔族に、人智を超えた力を持って立ち向かったのだ。彼らの活躍があってこそ、今の世界があるといっても過言ではない。
それから時代の節目となる出来事には必ず異能の影があった。世界に名を轟かせる英雄や優れた傭兵、すべてを破壊するといわれる《開拓者》達も、そのほとんどが異能の持ち主と噂されている。
異能は突然変異的に現れるものだが、親から子へ遺伝しやすいことが知られている。それでも世が異能者だらけにならない理由は、人間の気質に起因した。
力を持ちすぎた個人は、短命だ。
争乱を招き、また自ら飛び込んでいくために。
レッドフォードがカレヴァンを窮屈に思い、度々騒動を起こしているように。
「邪魔だから、殺す。それだけのことだ」
レッドフォードは、顔を歪めて吐き捨てた。
先程の一撃は、決して手を抜いたものではなかった。本気でアリアを排除しにかかっているのだ。
「気に入らねぇんだよ。てめぇも、あの男もな」
「憤るのは勝手だが、先走るのをジャスティンが許すかな」
アリアが揶揄すると、その表情が一変する。憤怒の歪みは同じだが、そこに混じるのは畏怖だ。
スバルとも対面した優男、ジャスティンは、カレヴァンの治安を司る長だ。組織を束ねる手腕もカリスマも凡庸な彼がその地位にいるのは、彼の圧倒的な力による。
優れた剣術、そして優れた異能だ。
彼の前では、あらゆる力や技が無に帰す。万物を一刀の元に両断するレッドフォードをすら、手玉に取るほどに。
「――知ったことかよ」
自らの心に去来した恐怖を噛み潰すように、レッドフォードは獰猛に笑う。
「連中は、温過ぎるんだ。たった一振りの剣、たった一人の男に、なにを躊躇うことがある。世間体や眉唾話に怯える臆病者の集まりだ」
「それで独断で行動して、もう何度、罰を受けた? ジャスティンも、いつまでも甘い顔をしていると限らないぞ」
「好都合だ。いずれ奴も叩きのめしてやるつもりだった。そうすれば、俺が頂点だ」
レッドフォードは、カレヴァンを訪れたときからこの調子だ。パーティの序列でいえばアリアの後輩に当たりながら、武力を盾にして誰よりも尊大に振る舞った。個人としての戦闘能力はカレヴァンでもトップクラスで、彼の増長を諌められるのはごく一部の強者に限られたのだ。
姓を持つ彼は、どこぞの有名な冒険者の息子であり、数少ない異能の遺伝を持つ者――――を自称している。
古来より、偉人の子孫や後継者を名乗る者は定期的に現れる。あるいはその中に本物もいたかもしれないが、ほとんどは無関係の者が勝手に名乗っているだけに過ぎない。それが冒険者となると尚更だ。ひとところに留まることがない上、狂気と隣り合わせでいるために性欲も強く、そこかしこで無節操に種を撒く。
彼らの血を持って生まれてしまった者が自らの生を主張するには、その力で証明しなければならないのだ。
レッドフォードはカレヴァンを足がかりに成り上がるつもりでいる。
かつて、《空の森》を攻略した冒険者達が、その名を広く轟かせたように。
「魔剣も、ジャスティンも、開拓者も、目障りだ。全部を薙ぎ払ったあとで、俺が《切り拓く剣》を首に下げてやる」
その発想は彼をいたく鼓舞したらしく、彼の全身から堪え切れないように闘気が溢れ出す。すさまじい迫力に、思わずアリアの足が一歩後退した。
「そうだ……開拓者ってのは、そういうもんに違いねぇ。強者を強者が喰らい、受け継がれていくのさ」
「貴様、まるで酔っ払いだな」
思わず、アリアは吐き捨てていた。
分不相応な力を背負い、唾を吐かれながら足を引きずって歩き続けることが、どれほど惨めか。居場所を与えられず、汚泥にまみれながら這いずることが、どれほどつらいか。
将来を嘱望されて育ち、用意された道を考えなしに走ってきた目の前の男は、それを知らない。
彼にも彼なりの人生があったのだろうという思いもあるが、その理性はアリアの怒りを抑えるには足らなかった。力のこもった掌に、魔剣の柄のごつごつした感触が突き刺さって痛む。
「てめぇからそれを奪ったら、あの男もすぐに殺してやる。安心して、くたばれ」
吼えて、レッドフォードはバルディッシュを振りかぶった。
異能を
そして、剣を除いた彼我の能力差は雲泥だ。まともにやり合えば、勝ち目は万に一つもない。
それでもアリアの怒りは萎えなかった。死んでも構わないと思っていたが、この男にだけは、殺されたくない。その意思だけが魔剣を握らせていた。
しかし、次なる衝撃がカレヴァンを震わせることはない。
レッドフォードは得物を振ろうとした体勢のまま動きを止め、顔を強張らせる。
「往来でやりあうとは、感心しないな」
殺伐とした場に似つかわしくない声は、レッドフォードの背後から現れた。
驚くべきは、戦闘体勢にあったとはいえ、達人の域にいる男の背を容易く取ったこと。バルディッシュが限界まで振り絞られ、静止した瞬間に刃を差し入れて押し止めた手腕だ。
異能を帯びて物理法則を逸脱したはずの武器を抑えている剣は、赤熱していた。原理は解明されていないが、アリアの剣と同様に、一部の魔剣は異能と拮抗する。その実例が眼前にあった。
「てめぇ……リューク・レヴァンスか」
白銀の鎧を帯びた美丈夫――――スバルと共にカレヴァンを訪れた男は、赤く燃える剣を薙ぎ、バルディッシュの刃を弾き返した。
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