1-6.開拓者

 二人の男は、床に座り込んだスバルとアリアの目の前で足を止めた。

 彼我の関係上、見下ろす形になる。たとえ同じ高さの視線であっても、その不遜さは変わらなかっただろう。


 彼らの鎧に輝く意匠は冒険者ギルドの象徴――ギルド直属の冒険者であり、この街においては治安維持部隊を兼ねるパーティの証だ。

 ギルドの狗と揶揄されることも多い彼らだが、持たされた権力の強さは本物だ。それは多くの冒険者にとって恐怖の対象だった。


「よくも、まだカレヴァンに残っていられたもんだな」


 やがて、大男が言った。言葉の内容以上に、そこには濃い侮蔑が込められている。

 矛先はアリアだ。彼女は二人組みが現れてから俯き、無反応のままでいる。


「とっくに逃げ出したかと思ったぜ。こっちからすれば、いっそ野垂れ死にしてくれてた方が楽で良いんだがな」

「ライアン」


 止め処なく流れ出る悪意を、もう一人の男がたしなめる。

 その効果は大きかった。決して怒鳴ったわけでもないのに、その一言は大男の口を閉ざし、耳をそばだてていた周囲の冒険者を震わせる。


「悪かったね、アリア。どうにも彼は学生気分が抜けなくていけない」


 見た目同様、物腰も穏やかだ。身体は冒険者として鍛え上げられているが、静かな庭で草花を愛でている方が様になるような男だった。

 一見した、印象では。

 その怜悧な眼差しだけが、彼の本性を覗かせる。口ではアリアを気遣っているが、そこには弱者への嘲弄が隠されていた。


「しかし正直なところ、君がカレヴァンに留まっているのは意外だったよ。あのとき確かに、ギルドの意向は君に伝えたはずなんだけどね」


 優男は、やれやれ、と芝居がかった仕草で首を振る。

 そして懐に手を差し入れて小さな袋を取り出すと、俯いたアリアの視線の先にそれを置いた。軽い金属音が小さく鳴る。


「明日、キャラバンが街を発つ。彼らの護衛依頼を君にも割り振ろう。これは前金だ」

「…………」

「なんなら支度金を上乗せしてもいい。別の街に新天地を求めたまえ」


 それはギルドが一介の冒険者に図る便宜としては破格だ。キャラバンの護衛は多数の冒険者や傭兵マーセナリーが請け負うため、相対的に危険は少ない。一度限りとはいえ資金、それも少なくない額の援助があるなら新しい拠点を探すには十分といえる。

 だが、それもアリア――魔剣を携えた身の上でなければ、の話だ。


 ギルドという後ろ盾をなくしてから、アリアは治安の良さが有名なカレヴァンでさえ命を狙われることになった。それでも他の街での危険と比べれば軽いものだったのだ。

 この街を追い出されれば、もはや行くあてなどない。冒険者ギルドがアリアに下した追放の命令は、死刑宣告にも等しかった。


「この街には良い思い出もないだろう? それが理解できるなら、意地を張っていないで……」

「お断りだ」


 猫撫で声の説得を、怒気を孕んだ突風が押し流す。

 彼らの言い分を黙って聞いていたスバルは、早くも我慢の限界を迎えて立ち上がった。

 ここまで大人しくしていたのは、二人組みの素性と目的、そして彼らとアリアの事情を把握するためだ。だがそういう賢しいことはスバルの気性にはまるで合わず、結局理解できたのは、治安維持部隊がアリアを追い出そうとしているらしいことだけだった。


「こいつは、俺が雇ったんだ。勝手なことばかり抜かすなよ」


 決然と言い張るスバルにアリアの視線が突き刺さる。貴様の依頼を承諾した覚えなどない、という無言の主張だったが、スバルは意に介した様子もない。

 突然介入してきた第三者に、ライアンと呼ばれた大男がじろりと一瞥する。

 そして、視線をアリアに戻した。

 あまりにも露骨な、無視だ。


「おい、なんなんだ、この馬鹿は」

「なんだと?」


 無論、それはあからさまな挑発だったのだが、スバルはまんまと頭に血を昇らせていた。

 二人のやり取りに嘆息していた優男はおもむろに手を挙げ、更に揶揄を吐こうとしていた大男を制止する。しかしそれは争いを収めるためではなく、彼の目は厳しさを秘めたままスバルを見すえていた。


「残念だが、君の冒険は始まらない。冒険者スバル……数日前、南門で傷害事件を起こしているね」


 その言葉に、スバルは驚愕から目を見開いた。

 人の出入りが激しく、ちょっとした諍いなど数え切れないほど起きている冒険者の街だ。瑣末な事件のことを今更になって咎められるとは思わなかったのだ。


「俺が一人でやったわけじゃないぞ」

「当然、共犯のリューク・レヴァンスも捕らえてある。ま、しかし、そもそも被害者の三人が悪いね。彼は近々釈放されるだろうし、君も大した罪には問われないだろう」


 そこまで言って、彼は目を閉じて首を振った。心の底から理解できない、というポーズだ。


「それにしても……顔面骨折に頭蓋陥没を負った二人は未だに昏睡状態だし、目覚めても間違いなく後遺症が残る。もう一人は命に別状はないが、利き腕を生涯失ったよ。そこに倒れている二人も、完治は見込めまい。何人もの若者の未来を閉ざした気分はどうだい?」

「どうもこうもない。無数にいる馬鹿が少し減っただけだろ」


 悪びれた様子のない返答に、優男は額に手を当てて空を仰ぐ。街の治安を司る者にとっては、スバルは理解の埒外にある存在に違いない。

 再びスバルをねめつける彼の表情には、もう芝居の気配はない。

 戯れのようなやり取りは、突然に終わりを迎えていた。


「その件は、それでいいだろう。だが、つい先程、十三人の冒険者を斬殺した件は、そうはいかない」


 それは、その場に居合わせた多くの人間を驚かせる。

 大男は、それだけの冒険者を無傷で退けた力に。凡百の冒険者は、この街で大胆不敵に振る舞う無謀さに。

 そしてアリアは、彼らが知りえるはずのない事件を、既に関知していたことに。


 スバルが事を起こしたのは半日ほど前だが、それでもカレヴァンの冒険者があまり立ち入らない区域で事件は起きていた。この短時間で、あの出来事を把握できるとは、通常は考えにくい。

 なにより当事者はスバルを除いて全員が死に絶えている。愚かな冒険者達が惨たらしく殺害されたことは知れても、その下手人はわかるはずがないのだ。


「よく知ってるな。?」


 その中で、スバルだけが会心の笑みを浮かべていた。

 不敵に吊り上がる口唇から、奇妙な問いが放たれる。確信に満ちたそれが、優男の表情をわずかに強張らせたことを、スバルは見逃さない。


「これから捕らえられる君には関係のない話だ。大人しくついてきてもらおう。君には、犯した罪を償ってもらうよ」

「嫌だと言ったら、どうなるんだろうな」


 挑戦的な台詞に行動で答えたのは、大男の方だった。

 大股で踏み出した一歩は、躊躇なく彼我の距離を詰める。それは剣の間合い――両者の間合いだった。


「手間が一つ、省けるだけだ」


 剣呑な声音に、刃の噛み合う音が重なった。

 ロビー中に響き渡る剣戟の火花。それを間近で目の当たりにした優男が、かすかな驚愕に声を弾ませた。


「良い反応だな」


 惜しみない賛辞に、スバルは鼻を鳴らすことで答える。

 その手は、鞘ごと持った大剣を掲げ、打ち下ろされた剣撃を防いでいた。

 ライアンと呼ばれた大男がしかけた攻撃は、決して遅くはない。それどころか、未熟な者ならば指先一つ動かせずに切り捨てられていただろう。それに難なく反応できる冒険者は、このカレヴァンにはそれほど多くはない。


 だが防がれることは想定の上だったのか、大男の面に焦りはなかった。

 豪腕が持つ剣が、歪む。

 現実に刀身が曲がり始めたわけではない。それが突如として高温を帯びたように、陽炎をまとったのだ。


「うおぉ!?」


 直後、スバルの体が間抜けな悲鳴を残して吹き飛んだ。

 振り切られる剣の重みに耐え切れなかったのだ。冒険者としてはそれほど体格に恵まれていないスバルだが、それでも大の男が悲鳴を残してすっ飛んでいく様は異常だった。

 スバルは勢いを殺せず床を二転三転しながら跳ね回り、壁際に設置された調度の棚にぶち当たる。

 視界が、ふとかげった。

 棚自体がスバルの激突に耐え切れず、倒れ込んできたのだ。背中を強打して肺の空気をすべて吐き出していたスバルは、そこから抜け出すのが遅れる。

 地面を突き上げる衝撃がロビーを襲った。


「連行したところで処刑するだけだ。ここでやっちまった方が手っ取り早いぜ」

「そういう問題ではないだろう。法というものを、なんだと思ってるんだ」


 優男は呆れた風に言いながら、横たわったままの棚を一瞥して、付け加えた。


「……もう手遅れだろうけどね」


 こうした制裁は、珍しい光景ではない。

 冒険者など、犯罪スレスレ、あるいはどっぷりと浸かった者が大多数だ。清廉であろうとする愚か者は喰い物にされるか、あるいは巻き込まれて同じ穴のむじなに堕ちる。

 その身一つで生きる彼らにとって、活動ができないというのは寿命を縮めるに等しい。ましてや捕らわれれば極刑となれば大人しく捕まる理由などない。

 だからこそ、彼らは武力を持って抵抗する。

 だからこそ、治安を維持する者達はそれ以上の武力を有するのだ。


 アリアは、氷のような心が更に凍てつくのを感じていた。

 結局、また自らに関わった人間が一人、命を落とした。それは多分に彼の自業自得ではあったが、それでも結果は同じことだ。


「これで、また独りだな」


 大男がアリアを見下ろし、嘲笑する。


「その貧相な身体で、どうやって籠絡ろうらくしたのか知らねぇが、もうそれもおしまいだ。てめぇの居場所なんて、どこにもない。なんなら今ここで楽に――――」


 獰猛な言葉は、途中で勢いを失った。

 強い気配を感じたからだ。殺気という名の、気配だ。

 慌てて頭を巡らせた人々は、驚愕に言葉を失った。


「やってくれる」


 巨大な棚が持ち上がり、その下で踏ん張るスバルがひび割れた声で唸った。

 それは信じがたい光景だ。大人が数人がかりで、台車を使ってようやく運べるという調度が、たった一人の両腕で持ち上げられている。

 第一に、スバルは倒れ込んだそれの下敷きとなっていた。普通は潰された時点で即死、奇跡的に命があっても、その体勢から復帰できるはずもない。


「今のは、《異能》だな? おかげで、俺の一張羅が台無しだ」


 そう言って、スバルは担いだ棚を脇に放り投げる。ずん、と重い衝撃が床を撓ませた。

 しかし、周囲を驚かせた最大の要因は、その怪力ではない。


 潰されたときに頭を切ったのか、スバルの半面は血に濡れていた。

 色は、黒だ。

 そして、異常に粘度が高い。

 正常な人間の、血液ではなかった。

 しかし本人は至って平静で、袖口でぞんざいに血を拭い、その色には一顧だにしない。それはスバルにとっては当然のことだったのだ。


 異様な雰囲気に呑まれたままの人々を気にした様子もなく、スバルは吹き飛んだときに取り落とした剣を拾い上げる。

 りぃん――――と音が鳴ったのは、そのときだ。

 澄んだ音ではない。まるで刃が血を求めて猛る咆哮のような響きだった。


「……てめぇ、それは!」


 叫んだのは、スバルを吹き飛ばした当人である大男だった。

 驚愕、畏怖、羨望。様々な感情がない交ぜになって濁った男の目は、スバルの胸元に向いている。


 それは、先程までは存在しなかった。普段は服の中に隠しているからだ。

 アクセサリーにしては大きすぎる、ネックレスだ。

 紐を通された、二つで一対のものだった。大雑把に過ぎる形状から辛うじて読み取れるのは、剣に類する刃物をかたどったものだということだけだ。

 片方は刀身の長い両刃の剣。そして片方は、切っ先のない肉厚の刃で、なたを思わせる。血が黒い分を引き受けたかのように、おぞましいほどの赤だった。先程の音は、この二つの装飾がぶつかり合った響きだ。


 それはまるで自ら光を放っているかのごとく、遠くからでも一目でわかるほどにぎらぎらと輝いている。

 そして、その存在に気づいた冒険者達の反応は、大きかった。

 大男が見せたものよりも、より強い畏怖。怪力も、血の色も、それの前に霞むほどだ。


「それ? ……これか?」

「答えろ! それを、どこで手に入れた!」


 戦闘体勢にあったスバルは水を差された心地で、戸惑いを隠せないままネックレスを持ち上げる。その弾みで、また特徴的な音色が響いた。それは不思議なほどに遠くまで行き渡っていく。

 その存在がもたらしたのは、恐慌だった。

 皆、慌てた様子でロビーを飛び出していく。それは恐怖でもあり、探索者シーカーに情報を売り渡したときのことを考えての欲望の表情だった。


「――退くぞ、ライアン」


 優男もまた、硬い声で言い放った。

 その面には先程までの胡散臭い柔和さはない。冷徹さと動揺、そして戦慄が垣間見えた。


「馬鹿な! 怖気づいたのかよ!」

「いや……あの男を処理するだけなら容易だろう。しかし《切り拓く剣》が現れた以上、殺して終わりというわけにはいくまい」


 有無をも言わせない語気に、大男は憎々しげに顔を歪めた。

 二人のやり取りを前にして呆気に取られているのは、スバルだ。


「おい、待てよ。ここまでやっておいて、逃げるつもりか?」


 問いかけは挑発や怒りの発現ではなく、困惑と失望から震えてさえいた。

 逃げる、という言葉に大男が激昂しかけたが、それも傍らにいる優男が制止する。


「なぜこの街に現れたのか知らないが、思い通りになるとは考えないことだ。僕達が命を賭けて、君達を止めてみせる」


 唖然とするスバルを置き去りに、優男は吐き捨てるように言い放ったあと、大男を伴って速やかに姿を消した。

 現れたときと同じく唐突な去り方だ。スバルは感情の行き場を失い、悄然とうなだれた。


「まるで話が噛み合わないぞ……一体なんだってんだ」


 持て余した激情を剣と一緒に投げ捨て、スバルはやけくそ気味に呟く。

 そこでようやく、自身を見つめる驚愕の瞳に気づいた。

 それは、床に座り込んだままのアリアだ。いつも油断なく、周りのすべてを自らの敵だと信じているように殺伐とした目を丸く開き、スバルを見つめていた。


「貴様――――《開拓者》、だったのか」


 そしてまろび出たのは、震えた呟きだった。寒さによる震えでは、ない。


「開拓者? なんだ、そりゃ。俺は冒険者だ」


 再びアリアの隣にどっかりと腰を下ろし、スバルは溜息と共に言った。そこには嘘や誤魔化しの気配はない。もとより、そういった腹芸には縁のない男だった。


「色々と話したいことはあるが、面倒だから明日にしよう。とりあえずは……」


 伸ばした手が掴んだのは、アリアの足元にある小さな袋だ。それはあの優男が彼女に、当てつけのように渡した金だった。


「これ、返さなくてもいいよな?」


 その俗物根性を隠そうともしない台詞に、アリアは毒づく気力すらなく、好きにしろ、と吐き捨てるだけだった。

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