1-2.香の街に集う

 カレヴァンの街は木で作られた壁に覆われ、その出入り口は東西南北に一箇所ずつだ。

 木の壁、というと粗末で脆そうに思えるが、ある種の《空の森》から採取される木材は、加工すれば金属に匹敵するほどの強度を得る。欠点があるとするなら、かなり独特な臭気を放つため身につけるには向いていないということくらいだ。防壁には防臭対策が取られているが完全ではない。カレヴァンが香の街などと呼ばれることがあるのはそのためだ。

 その門で、一台の馬車が荷の検査を受けるために立ち止まっていた。中では一足先に検査を終えた二人の男が身体を休めている。


「賑やかな街だなぁ」


 馬車の中から外を眺め、スバルは暢気に呟いた。その目に映るのは、カレヴァンの街を拠点に活動する冒険者達の行き交う、ともすれば危うく感じるほどの活気に満ちた光景だ。数時間前に漆黒の騎士や腐肉の亡者達と死闘を繰り広げたのが嘘のようだった。


「これで出店でもあれば、安全地帯の街と言われてもわからないな」

「さすがに、それはないさ」


 対面に座る白い鎧の青年が苦笑いを返す。元々馬車の護衛を引き受けていた彼は、名をリュークといった。金髪碧眼、容姿端麗、穏やかな性格、およそ冒険者らしからぬ人物だ。

 その彼すら煮え切らない態度なのは、スバルの言葉があまりに荒唐無稽だったからだ。野獣すら凌駕する感覚を有した魔物と戦う冒険者にとって、強い臭気を放つものはご法度だ。危険地帯にある街の往来で食べ物を扱う出店など開こうものなら、良くて営業停止、悪ければ通りかかった冒険者に手打ちにされかねない。

 リュークは懐に手を差し入れ、おもむろに手帳を取り出した。使い込まれたそれのとあるページを細い指でなぞり、確認するように言う。


「《空の森》は何十年も前に攻略されているから、緊張感がないのも仕方ない。冒険者養成学校の生徒も実地訓練に利用しているって話だよ」

「お前も初心者実地訓練とやらできたのか?」


 スバルは小馬鹿にした口調でからかうが、リュークは神妙な面持ちで頷いた。


「冒険者になって日が浅いんだ。剣の腕には少しだけ自信があるんだけど、それだけは生き残れないと聞いているから」


 それは演技でも皮肉でもなく、彼の本心からくる言葉だった。スバルは白けた顔で肩を竦める。

 リュークが単騎で渡り合っていたデュラハンは、カレヴァンにいるレベルの冒険者が相対するならば複数人のパーティで当たらなければならない強敵だ。それを長旅の末に馬車を守りながら圧倒していた実力は並ではなかった。

 あの場に守るべき馬車がいなければスバルの助けがなくとも余裕を持って討伐を果たしていただろう。あるいは馬車が破壊されたとしても彼は生き残ったに違いない。自身の力を正しく理解していないわけではないらしいが、謙遜を忘れないあたり、なんとも生真面目な男だとスバルは思う。

 もっとも、冒険者として未熟という本人の言葉も事実だ。護衛の仕事は腕っ節だけではこなせるものではなく、入念な準備と多くの人手が必要となる。それを一人で引き受けるのは愚行だった。


「生き残りたいなら、お前が自腹を切ってでも他に護衛を雇うべきだったんだ。中途半端に手を出すくらいなら、他人なんか勝手に死なせとけ。そうしないと、死ぬのはお前だぞ」

「痛感したよ……」


 欠伸混じりの忠言を深刻に受け止める様を笑い飛ばし、スバルはリュークの肩を軽く小突いた。


「あの商人は運が良かったな。一人だけの護衛なんて馬鹿げた依頼を受けたのがお前じゃなかったら、生きてここにいなかった」


 本能的に強い者に心を開く性質なのか、その面には開けっ広げな笑みが浮かんでいる。戦闘のときに見せた獰猛なものではなく、嘲りや呆れすらもない、いっそ無邪気な表情だ。冒険者として無防備とも思える態度に、リュークは毒気を抜かれた心地で力なく笑った。


「お二人とも、お待たせしました」


 そのとき、おもむろに声をかけられる。扉の存在しない入り口を跨いできたのは、馬車の持ち主である小太りの商人だ。彼に荷の検査が終わったことを告げられると、程なくして馬車は街の倉庫に向かって出発した。

 ごとん、ごとんと音を立てて車輪が回る。路面は石畳で舗装されており、これまでの道中と比べれば天国のような乗り心地だ。しかし無茶な逃走劇でガタがきているのか、規則的なリズムの中に時折いやな軋みが聞こえていた。


「荷を降ろしたら、《冒険者ギルド》に向かいましょう。そこで報告をして、この依頼は完了とします。スバル、念のために君もついてきてくれないか?」


 道すがら事務的な話を進めるリュークが話を振るが、スバルは二人の会話をまるで聞かず、窓の外を眺めていた。思わず口を噤むリュークを歯牙にもかけず、ぽつりと独りごちる。


「《空の森》には、獣はいないのかな」


 まったく関係のない話に面食らいつつも、呟きの内容にリュークは意外そうな面持ちで眉を上げた。


「へぇ、それくらいのことは調査済みか」

「いや。だが、あいつらを見ればなんとなくわかるさ」


 カレヴァンにいる冒険者の多くは、軽い金属鎧、棍棒に類する装備で身を固めている。多少の差異はあれど、大きく逸脱する武装の者は少ない。

 装備の統一は多くの街で見られる。それは当然、相手取る魔物の種類が同じだからだ。《空の森》に生息するのは昆虫に近い魔物がほとんどで、硬い甲殻に守られた彼らには刃が通らない。また森という障害物の多い空間では長い得物が不利に働く。そのため甲殻を衝撃で割ることのできる短い打撃武器が広く使われていた。


 スバルの物言いにリュークが抱いたのは、呆れが半分、感嘆が半分だ。

 傍若無人にして傲岸不遜、不躾なうえに無計画で無遠慮、だが強い――――それがリュークのスバルへの印象だ。

 旅の途中で武器と食料を失うほどの体たらくを晒しておきながら、しかし言動には経験に裏打ちされた自信が満ち満ちている。目的地である秘境の魔物分布すら把握していないのに、洞察力は持ち合わせている。戦闘技術は先に見せたとおり卓越しており、その底も未だ知れない。なにもかもがちぐはぐな、妙な男だった。数日間も飲まず食わずで荒野をさまよい、ほぼ瀕死の状態でデュラハンとの立ち回りを演じたと聞いたときは耳を疑った。

 興味が尽きない人物ではあるが、その奔放さに当てられてしまって問い詰める気になれないのが現状だった。


 スバルはリュークにどう思われているかなど気にした素振りもなく、異質な街を観察していた。攻略済みの秘境、危険度の低い魔物達、そういう事情からカレヴァンには経験の浅い未熟な冒険者が集まる。それがカレヴァンの賑やかな空気を生んでいた。

 飛び交う声と、行き交う人々。ようやく人の営みの中に帰ってこれたのだということを実感し、馬車の中で張り詰めていた緊張の糸がふっと緩む。喧騒に紛れて聞こえてきたのは、零れ落ちる嗚咽だ。思わず二人が頭を巡らせると、商人が豪快に男泣きをしているところだった。


「す、すみません。生きて辿り着けたのだと思ったら、堪え切れなくて」


 途切れ途切れに言うと、商人はリュークの手を取って縋るように握り締めた。その身体は生の実感に震えている。

 スバルは商人について、リュークからこっそりと話を聞いていた。危険地帯とはいえ、街から街への移動など大したことはないと侮っていて、酷く傲慢な態度を取っていたのだという。ただ一人だけ護衛を引き受けたリュークにも当初は不誠実な態度を取っていたらしいが、その考えを改めなければならなくなるまでに時間はかからなかったようだ。


「本当に、本当に、ありがとうございました。まさか本物の危険地帯が、これほどまでとは……」

「危険だから、危険地帯って言われてるんだけどな」


 当然のことをさらりと述べたスバルにリュークの視線が突き刺さる。余計なことを言うなという無言の釘刺しに、慌てたポーズで目を逸らした。


「とにかく頭を上げてください、なんとか無事に辿り着けたことだし。でも次からは人の忠告には耳を貸しましょうね」


 リュークは少し困った調子で、柔和に笑いながら諭した。その優しい姿に商人は、喜びとも恐怖とも違う感情に身を震わせている。


 危険地帯といわれる場所について明確な定義はなく、ただ漠然と、魔物――野の獣と一線を画する生物の総称――が出没する場所だと認識されている。正常な生物が悉く駆逐され、人類に無垢なまでの殺意を抱く異形の生物の巣窟だ。盗賊や山賊に啖呵を切れたとしても、人と人との戦いに慣れ親しんだとしても、この異常空間に突然放り込まれて正気を保つのは難しい。


 しかし実のところ、その危険地帯でさえ副次的なものに過ぎない。

 ――――《魔領域》と呼ばれる、秘境、魔境。それこそが冒険者の目的だ。この世で最も危険な場所に立ち向かう狂気を秘めていながら、とぼけた軽口を叩き、人を気遣って笑う。この二人の恐るべき戦士に、商人は多大な畏敬の念を抱いたのだ。


「これを、受け取ってもらえますか」


 そう言って商人が取り出したのは、二つの革袋だった。そも重々しい金属の響きから、中身の正体と額の大体を推し量れる。


「う、受け取れません。報酬はこのあと、ギルドからきちんと支払われますから」

「では、これはチップということで。あれだけの依頼金では、とても申し訳なくて……」

「いえ、でも」


 頑なに行商人の礼を固辞するリュークをからかうように、スバルは嬉々として腕を伸ばした。自分に用意された分の袋をさっさと受け取ると、それをリュークの眼前にちらつかせる。

 

「くれるって言うんだ、もらっとけ。いらないなら俺がもらうぞ」

「君って奴は……」


 その態度に何度目かになる憤りを抱くリュークだが、革袋を受け取ってもらえて安堵の表情をしている商人に気づく。無意味な遠慮は互いのためにならない――冒険者の心得の一つを思い出していた。

 リュークは差し出されている報酬を押し返し、多少苦くなる笑みを浮かべて言った。


「ギルドは報酬の上乗せも認めていますので、正規の手続きを踏んでください。――ご好意、ありがたく頂戴します」


 ギルドを通さない金銭や品物のやり取りは冒険者の間で諍いを起こすことがあるので避けるべき、というのは常識だ。そのことをスバルも当然知っているが、不満げな表情を隠そうともしない。


「細かい奴」

「君が大雑把すぎるんだ……大体それだって、本来ならきちんと話し合った上で、双方の合意の上で取引しなきゃいけないんだぞ」


 リュークが指差すのは、スバルの傍らに寝かされている剣だった。デュラハンから奪ってゾンビの群れを薙ぎ払い、そのままスバルが所持していたものだ。小振りの大剣にも思える巨大さながら造りは片手剣、という異形の武器はスバルの手に馴染み、今もその傍らにあった。

 堅固なデュラハンを滅ぼすには相当な威力の攻撃を加えなければならないため、鎧や武具が再利用可能な形で残ることは少ない。それは魔剣と呼べるほどの特殊な能力は秘めていないはずだが、リュークの言うとおり本来は共闘した者との協議が必要な代物であった。


「なんだ、お前、そんな立派なもんぶら下げておいて、まだ剣が欲しいってのか? 細かい上にケチだな」

「本来の話だ! これでも感謝してるんだから、それくらい喜んで譲るさ」

「だったら、別にいいだろ。なにが気に食わないんだよ、お前は」


 なぜか自分が責められている展開にリュークは憤懣やるかたない気持ちで柳眉を逆立てた。軽い気持ちで無茶な護衛依頼を引き受け、命を落としかけたところを救われた恩は感じているが、だからといって理不尽な文句を甘んじて受ける気はない。


「そういう問題じゃ……」


 反論は、しかし最後まで続くことはなかった。

 急制動に馬車が揺れ、馬車馬の嘶きが耳に届く。半ば席から吹き飛びかけた商人の肩を、同時に伸びた二人の手が押さえつけた。


「おい、どうした?」

「ひ、人が急に飛び出してきて、馬に接触しました」


 商人の呼びかけに、御者の困惑した声が返ってくる。

 ただの交通事故ならば――少なくとも危険地帯の街では――大したことではない。だが、スバルはそこになにか不穏なものを感じていた。根拠も理由もない確信は、長い戦いの生活で磨かれてきた直感によるものだ。見れば、リュークもまた表情を引き締めて立ち上がろうとしていた。


「冒険者の街で馬に轢かれる、か。とんだ鈍間のろまもいたもんだ」


 言葉と裏腹に、スバルも剣を手に取って馬車を降りていく。

 果たして、御者の言うとおり馬車の正面には人が倒れていた。馬車は歩くような速度で進行していたはずだが、その人物は小柄だったために大きく吹き飛んでいる。フードつきのマントは体と顔を覆い隠しており、男か女かすら判然としなかった。

 奇妙なのは、事故が起きたというのに周囲が奇妙な静寂に包まれていることだ。周りの通行人や冒険者達は間抜けな被害者を嘲るでもなく遠巻きにしている。デュラハンの襲撃すら冷静に耐えた馬車馬が、ひどく興奮して忙しなく身動ぎしている。


 緩慢な動きで身を起こす、その人物。フードの端から覗いた瞳はスバルと同じ黒色だが、ぞっとするほど無機質な輝きをしている。

 ふと、その身体の影に隠れていたものが目に留まった。身の丈ほどもある棒状の物体から、スバルはなぜか目を離せずにいた。


 静寂を破ったのは、狭い路地から響いてくる野太い悪態だ。現れたのは、いずれも厳つい面立ちの冒険者然とした男だった。彼らはそこで倒れている人物を見つけると、武器を片手に駆け始めた。

 とても初々しさなど見られない連中だが、《空の森》は豊富な資源があるために金回りがよく、小金を稼ぐには適しているため、中堅レベルの者が訪れることも珍しくはない。しかしながら、そういった人物が目を血走らせて人を追い回している、というのは明らかな異常事態だった。


「ふん……わけありらしいな」


 呟きを残して男らに向かうスバルの背を、続いて馬車から降りてきたリュークは意外そうに見ていた。生き残りたいなら他者などどうでもいいなどと言っていたわりに、今の彼は自ら進んで騒動に向かっているからだ。案外、薄情なことを言っておきながら、情に厚い男なのかもしれない――などと思いながら、リュークはスバルに並んで彼らに相対する。


 目当ての人物が横倒しになっているのを見つけて気を逸らせる男達だったが、その前に二人の男が立ち塞がると、すぐに臨戦態勢を取った。その手には初めから武器が握られており、そもそもから目当ての人物を害する気だったことが窺える。


「どけよ。そいつは俺達の獲物だ」

「獲物って……魔物や獣じゃあるまいし、その言い方はないだろう」


 剣の柄に手を置いて牽制しつつ、リュークは探る視線を男達に向けていた。この街において暴力沙汰に走る彼らに困惑していたのだ。


「この街は、そういうのにうるさいんだろ。やめといた方がいいんじゃないのか?」


 スバルの要領を得ない言葉は、しかし的外れではない。

 カレヴァンをはじめとする冒険者の街は、多くの場合国などに属していない。かといって無法地帯というわけでもなく、最も近くにある国の法を踏襲することがほとんどだ。カレヴァンは数少ない例外で、独自のルールで回っていた。それは冒険者達のルーキーにとっては優しく、そこを抜け出したレベルの冒険者達にとっては窮屈に感じる程度のものである。

 フードの人物を追いかけていた男達は、もちろんそれを承知しているはずだ。しかし彼らは互いに顔を見合わせて薄ら笑いを浮かべるだけで、スバルの言葉に動揺することはなかった。


「てめぇら、なにも知らないな」


 嘲笑と暴力への愉悦に満ちた言葉。そして周囲にいる野次馬達が男達の暴挙を咎めたりせず、それどころか追い回されていた人物に嫌悪と好奇の視線を投げかけている状況。

 なにかしらの事情があることを察したリュークは問い詰めようと口を開くが、それをスバルが遮る。


「お前らの事情なんか興味ないし、知ったこっちゃない。だが一つ、わかったことがあるぞ」


 弾む声音に嫌な予感を覚え、ちらりとスバルの顔を横目にして、リュークはぎょっとした顔で固まった。


「要するに、お前ら、悪党だな?」


 スバルの面に浮かぶのは、獣を思わせる獰猛な笑み――リュークはスバルが仲介に動いたのだという自らの認識が誤りだったことを知る。この男は正義感から行動しているわけではなく、ただ気に入らない奴を叩きのめしたいがためにここにいるのだと。


「お、おい、スバル」


 制止の声は、むなしくも宙を漂った。

 瞬きをしたと思えば姿が掻き消え、響くのは鈍い殴打の音だ。

 スバルが次に現われたのは男達の目の前で、代わりにリーダー格だろう大柄な男が盛大に吹き飛んでいる。男は路地裏の暗闇に逆戻りして帰ってくることはなく、後には静寂だけが残された。


 残された男達はスバルをぎくしゃくとした動きで振り返る。スバルの行動には、過程が存在しなかった。見失ったかと思えば、次の瞬間には眼前に現われ、拳を振り切っていたのだ。

 まさに電光石火――彼らを遠巻きにしていた第三者すら、自身の目を疑って立ち尽くす。


「くそ、旅の後じゃ、さすがに体が重いな」


 ごく小さなぼやきだった。それが聞こえてしまった男は恐慌に駆られ、悲鳴じみた雄叫びを上げて棍棒で殴りかかる。魔物の甲殻を砕くために鋲を打ち込まれたそれは、人間の頭蓋骨など軽々と砕いてしまうだろう。

 それも、当たれば、の話だ。

 鋭い手刀が打ち込まれ、鍛えられた男の太い腕が枯れ枝のようにぽきりと圧し折れる。スバルは男が取り落とした棍棒を拾い上げると、蝿を払うぞんざいさで振り下ろした。顔面を強かに打ち据えられた男は声もなく悶絶し、そのまま崩れ落ちて動かなくなった。

 二人の男を瞬く間に沈めたスバルは、視界の外で最後の一人が向かってくる気配を察した。同時に、それを相手する必要がないことも知っている。


 嘆息混じりに割って入ってきたリュークは、スバルに襲いかかろうとした男の腕を片手で受け止める。そして白いガントレットに覆われた腕が軽く捻られると、大して力を入れているようにも見えないのに、男の体がぐるりと宙を舞った。

 なにが起こったかわからないまま地面に叩きつけられた男の背を踏みつけると、リュークは極めたままだった腕を更に捻る。骨が砕け腱の千切れる音、男の悲痛な絶叫が通りに響き渡った。


「先走るなよ。せっかく人が説得しようとしていたのに、台無しじゃないか」

「そのわりに、やってることがえげつないぞ、お前」


 スバルが呆れて呟いた直後、遠くから怒号が聞こえてくる。そちらへ頭を巡らせれば、統一された装備の集団が野次馬を押し退けてやってくるところだ。


「噂の治安維持部隊か。事情が事情だ、過剰防衛に持っていければ御の字ってところだね。被害者もいることだ」

「誰が、どこにいるって?」


 スバルの声に振り返ったリュークは、馬に轢かれて倒れていたフードの人物が忽然と消えていることに気づいた。

 暴漢に襲われていた初心者の冒険者なのだとしたら、この騒ぎのうちに逃げ出すことは十分考えられる。そのことに思い至らなかった自分に、リュークは嘆息した。


「参ったな。これは分が悪いかもしれないね」


 その言葉を、スバルはもはや聞いていなかった。警備隊が見えたその瞬間、脱兎の勢いで逃げ出していたからだ。

 その逃走は芸術的なまでに鮮やかかつ速やかで、その場にいた大勢の傍観者ですら、スバルが忽然と消えたようにしか見えなかったという。

 一蓮托生だと思っていた男の突然すぎる裏切りに、残されたリュークは今度こそ愕然とした。残されたのは完膚なきまでに叩きのめされた男達と、その中央で立ち尽くす一人の男だけ――――。


「今度会ったら、おぼえてろよ……」


 恨み節が肝心の相手に届くことはなかった。

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