ブルーティッシュ・エッジ -切り拓く剣の詩-

テイル

《空の森》を臨む街

1-1.解放期にて

 冒険者の天国と呼ばれる、いくつかの都市がある。

 そのほとんどが劣悪な立地条件の地域にあるのは、秘境や迷宮、未開の土地などの探索拠点として発展を遂げた場合が多いからだ。危険地帯の真っ只中を切り開くようにして築かれたそれらの都市は、冒険や戦闘を生業とする者などでない限り、ただ目指すだけでも多大な出費と犠牲を強いられる。

 秘境《空の森》踏破を目的として築かれた街《カレヴァン》も例に漏れない。安全地帯と認められた最寄の町から馬車で十数日の距離を、襲いくる危険を退けながら進まねばならなかった。


 見渡す限りの荒野を行く、一人の男がいる。

 ろくな荷物も持たず、ほとんど着の身着のまま魔境を目指している彼は、名をスバルといった。


 渇きに罅割れた大地を行く足取りは覚束なく、枯れ木でこしらえた杖がなければ今にも倒れ伏してしまいそうだ。伸ばし放題にしている黒髪は砂塵に痛み、魔物の生皮で作った即席のマントは端が擦り切れていた。ろくに計算もせずに買い込んだ食料が底を尽いたのは何日前だっただろうか。露店で衝動買いしたロングソードが二日前に折れたことはおぼえている。

 絶体絶命の事態の真っ只中、それでも諦めず黙々と進行できているのは、あと半日足らずで《カレヴァン》に辿り着けると知っているからだ。――懐に忍ばせている、ぼろぼろの羅針盤が狂っていなければ、たぶんそれくらいの位置にいるはずだった。


 さすがに焦りを隠せなくなってきたところだったが、生気を失いつつあった瞳は唐突に力を取り戻す。だらけきった姿勢を正すと、目を鋭くして近くの岩場に身を寄せた。

 遠くから残響のように木霊するのは耳慣れた鉄の音。荒野にあるはずもない剣戟の気配に警戒し、物陰から少し顔を覗かせて前方を確認する。そこに見えるのは荷を繋いだ馬車と、赤い光を帯びた剣を振るう白い剣士、そして荒ぶる騎馬に跨る漆黒の騎士だった。

 スバルは残された最後の武装である傷だらけの小盾に触れ、その感触に納得したように頷くと、密やかに移動を開始する。



 俗に《デュラハン》と呼ばれる死霊の騎士は、俊敏な動きで回り込んでくる白い影を目がけ、馬上から長大な突撃槍ランスを振り抜いた。すさまじい重量を誇る刃のない槍は空を割り、豪風をまとって真横に叩きつけられる。本来は振り回すような使い方を想定していない重量武器だが、デュラハンの怪力がそれを可能としていた。デュラハンは討伐難度でいえば小規模な災害に匹敵する脅威なのだ。


 しかし、漆黒の騎士が相対する白鎧の剣士は、それ以上の怪物だった。

 金糸の髪が靡き、細い刀身の空を裂く音が鋭い呼気に乗る。苛烈な赤光を放つ聖剣は、武器同士の衝突する音とは思えない鈍い響きと共に、デュラハンのランスを弾き返した。一度や二度ではなく、幾度となく繰り返された攻防だ。それはアンデッドの騎士に匹敵する攻撃力を彼の剣撃が秘めている証左であり、そして戦闘の技量においては彼が遥かに勝っていた。


 ただの剣士が死霊の騎士を追い詰める様は常人には信じ難い光景だが、しかし彼にもまた余裕はない。

 攻勢に移ろうとする青年を嘲笑うかのように、デュラハンの馬は軽やかに反転していった。青年は追撃を諦め、その場に踏み止まる。その背後には、彼が護衛するべき馬車があったのだ。


 馬車馬は訓練されたものなのか、パニックを起こす様子はない。御者の姿が見えないのは、逃げ出したか、馬車の中に隠れているのだろう。下手に動かれるよりは幾分ましな状況ではあったが、それは高度な知性を持つデュラハンには一目で看破できる弱点でもあった。

 彼らの戦いは一見すると互角だが、疲労と恐怖を感じないアンデット族に対して、互角は劣勢と同義だ。旅も疲れもあって青年の端正な面は身体の熱と裏腹に蒼褪めていた。かといって下手に攻めようとすれば、デュラハンはあっという間に彼を置き去りにして背後へ抜け、そこに控えている馬車を破壊し尽くすだろう。


 アンデット族は数あるモンスターの種族の中でも、とりわけ人類を敵視している種族だ。動物や人間の死を糧に生まれいずる眷属ゆえ、生者に妬み嫉みを感じているのだというのが通説だが、モンスターの気持ちなど知ったことではないというのが人々の言い分である。

 死霊の眷族は生きるための狩猟とは別のこと――憎悪と殺意を持って残酷に殺害すること――を目的に人を襲う。そして高い知性と機動力を併せ持つ人馬一体のデュラハンは白鎧の青年を嬲るように一撃離脱の戦法を取っていた。


 残忍なアンデットは草木枯れ果てた荒野をぐるりと回り込み、柄を脇に抱える形で構えたランスの尖端を青年に――そしてその向こうにある馬車へと向ける。その凄まじい迫力に、白鎧の身体が一歩退いた。

 徐々に速度を増してくるチャージ。それを回避し、すれ違いざまに一撃を加えていくのが定石だが、護衛対象が背後に控えている今、その戦法を取ることはできない。覚悟を決めたように青年は歯を食い縛る。


「――頃合いだな」


 岩陰を渡るようにして彼らに接近していたスバルは、アンデットの騎士をも驚かせる絶妙のタイミングで、その眼前へと身を躍らせた。


 背後に青年の驚愕する気配を感じながら、スバルはデュラハンへ向けて疾走を開始する。その勢いのまま、城壁すら突き崩すほど圧倒的な突撃に向け、刀身が半ばから失われているロングソードを投擲した。取るに足らない鉄片をデュラハンが大袈裟とも思える動きで躱したのは、その瞬間にそれが《魔法》を帯びたからだ。剣の残骸はデュラハンに掠りもせず彼方へ逸れていくだけだが、気を取られたその一瞬が、必殺の突進力をわずかに鈍らせる。


 スバルは迫る槍に対し、左手に備えたラウンドシールド――丸みを帯びた円形の小盾――を構えた。まともに受ければ盾どころか身体を軽鎧ごと貫かれてしまうはずだが、絶妙な角度で受けた盾は火花を散らし中心から無残に引き裂かれながらも、ランスを受け流して尖端を下方へ逸らすことに成功する。

 槍はそのまま荒野の地表に深々と突き刺さり、突進の勢いが仇となって引き抜くこともかなわない。急制動にデュラハンの鎧と騎馬が悲鳴を上げ、その速度は完全に殺されていた。


 半ば吹き飛ばされるようにして距離を取ったスバルは、デュラハンの側面に回りこむ白い残影を視認する。どうやら青年は想定外の事態に立ち尽くすような腑抜けではなく、転がり込んできた好機を掴み取るだけの強かさは持ち合わせていたようだ。聖剣の魔力に惹かれ、黒い兜は反射的に彼を追っている。


 痺れの残る腕を軽く振り、スバルは再び地を蹴り出した。

 残影を生むほど、速い。

 逆側から攻めている青年が、黒く霞む姿に目を剥いた。


 デュラハンが青年に気を取られた、その刹那の間で十分だった。スバルは一足飛びに間合いを詰めると、隙を見せた漆黒の騎士へと跳躍する。一歩目で強く前へ飛び出し、二歩目で地に刺さったままのランスを踏む。三歩目の直前にデュラハンが反応し、腰に備えられた黒剣を抜刀の勢いのまま横に薙ぐが、その手に敵を両断した手応えは与えられない。


「こっちだよ、間抜け」


 興奮に掠れた声は、上からだった。

 デュラハンの鎧を蹴り抜いて曲芸のように高く跳び上がったスバルは、ほとんど真っ二つに裂けてしまった――淡く発光するシールドを、上から下へ振り抜いた。

 瞬間、膂力によるものだけではありえないインパクトが発生する。

 巨人の鉄槌がごとき打撃がデュラハンとその騎馬を打ち据え、盾自体も反動に耐えられず粉々に破砕して周囲へ散らばっていった。


 すさまじい衝撃に騎馬の脚を折ったデュラハンは、それでも不屈の闘志で体勢を整えようと試みる。が、そのとき白鎧の青年は騎馬の背後で全身全霊の魔力を込めた一撃を放っていた。立ち昇る魔力を得て数倍の大きさに膨れ上がった斬撃は爆炎を伴って、デュラハンを呑み込んでいく。

 恐るべき死霊の騎士はアンデットの騎馬ごと両断され、ついにその身を荒野へと沈めたのだった。


 正中線に沿って分かたれたデュラハンを確認し、青年は大きく息を吐いて膝を折った。緊張の糸が切れて疲労感が押し寄せてきたのだ。

 しかし、倒れ伏しそうな彼にスバルが与えるのは労いや賞賛ではない。


「馬鹿野郎、死にたいのか!」


 遠慮のない罵声と、容赦のない靴裏だった。

 もちろん疲労困憊のところを避けられるはずもなく、青年は肩口を強かに蹴りつけられたまま無様に転がる羽目になる。剣も抜いたままだったので、下手をすれば自分に刺さって大怪我、最悪死んでいた。


 さすがに怒りを隠せず身体を起こした青年が見たのは、つい先程まで自分が蹲っていた地面に生え出た一対の腕だ。

 デュラハンの厄介なところは戦闘能力だけではない。騎士階級の人間を依り代にしているためか、他の下級眷属を従えることがあるのだ。


 青年は切れそうだった緊張の糸を再び張り直す。その鋭敏な感覚に従って剣を地面に突き刺せば、聖剣の熱で焼けた腐肉の異臭と、文字通り這い出る怨嗟の声。それを皮切りに、四方八方の地面から、数えるのも億劫になるような数の生ける死者が次々と出現し始めた。


「ゾンビの群れ……囲まれていたのか」


 スバルは青年が立ち直ったことを確認すると、疾風の素早さでデュラハンの残骸に駆け寄る。伸ばした腕がデュラハンから奪い取ったのは、巨大な黒剣だった。

 元々騎士の鎧を依り代にしたデュラハンだが、死霊が乗り移った時点で生物に近い性質を持ち、金属でありながら身体を成長させる。剣も例外なくデュラハンの身体に見合った大きさに成長しており、もはや片手剣と呼ぶには重く、長大すぎた。


 そこで初めて青年はスバルを確認することができた。碧眼が吸い寄せられたのは粗末な鎧でも、自分と同じ年頃の精悍な面でも、デュラハンの残滓を宿した魔剣でもない。

 この絶体絶命の危機を前になお浮かぶ、不敵な笑みだった。


「馬車を出せ! 突っ切るぞ!」


 言うが早いか、馬車に群がろうとしていたゾンビの群れに肉薄する。斜めに斬り下ろす一撃は、今にも馬車の扉に手をかけようとしていた男性のゾンビの背を捉えた。響くのは肉の拉げる音、骨の砕ける音、千切れた肉体の破片が飛び散る音。あまりの衝撃に地面へ叩きつけられたゾンビは、既に人の形を保てていない。

 剣の重みに助けられた威力かと思えば、しかし返す刃はひどく軽やかで鋭利だ。黒剣は老女のゾンビの胴体を藁束のように両断し、吹き飛んだ上半身は腐った内臓を周囲に撒き散らした。


 苛烈な戦いぶりはこの場において頼もしいはずだが、一つの最悪の事態を引き起こすきっかけにもなる。ゾンビの呻き声が支配していた戦場を貫く甲高い嘶き――ここまで必死に耐えていた馬車馬の恐怖が限界を超えてしまったのだ。

 まさに走り出そうとした馬の手綱を、間一髪で青年が掴み取る。だがパニックを収めるのは不可能と判断し、美しくさえある面が厳しく歪んだ。


「駄目だ、制御できそうにない!」


 弱音を聞きながら、スバルは馬車の扉に手をかける。鍵のかかった手応えに悪態をつき、馬車が揺れるほどの勢いでノックするが、反応はなかった。

 決断は、早い。

 スバルは寄りつこうとしていたゾンビを逆の手に持った鞘で殴り飛ばすと、躊躇なく扉に剣を叩きつけた。舞い散る木っ端を蹴散らして中に飛び込むと、身を寄せ合っていた二人の男が悲鳴を上げる。彼らの恐怖など一顧だにせず、スバルは外に向けて怒鳴りつけた。


「暴走でもなんでもいいから、とっとと出せ!」

「別の魔物の群れに突っ込んだりしても知らないからな!」


 冷静さをかなぐり捨てた叫びと共に、御者台に彼が飛び乗る気配がする。その直後、馬車の車輪が軋む音を立てて回り始めた。


「そのときは、そのときだろ」


 不遜な呟きは、急加速に置き去りにされて消える。

 腐臭の中心を突き抜ける中、スバルは剣を鞘に納めてどっかりと席に身を沈めた。旅の疲労と空腹が限界に達し、意識が飛ぶ寸前だったのだ。


「あ、あの、あなたは……」


 座席に縋りついている小太りの男が、遠慮がちに口を開いた。見る影もなく汚れているが、元は豪奢だっただろう服装は彼が馬車の所有者であることを示している。スバルは億劫そうに彼を見やると、事も無げに言った。


「《冒険者》だよ。他に、どう見えるってんだ」


 その応えに、商人然とした男が息を呑んだ直後、激しい衝撃が馬車を揺るがせた。見れば馬車にゾンビが取りつき、扉の残骸に手を貫かれながらも中へ侵入しようとしている。

 御者と商人の悲鳴を聞きながら、スバルは剣を鞘ごと振るった。軽く小突くだけの一撃は不安定な姿勢にあったゾンビの胸板を、とん、と叩き、その身体を車外へ押しやる。間抜けな面で背中から大地に落ちたゾンビは、滑稽なほど横周りしながら四散していった。

 ようやく落ち着いたかと思えば、がんがん、と激しい音が再び商人達を飛び上がらせる。御者台に乗っている青年が、その拳で馬車の壁を殴りつけているのだ。


「おい、君! なにをやっているんだ、加勢してくれ! 《魔法》を使えるんだろう!」

「人遣いの荒い野郎だ」


 スバルは最後の気力を振り絞って立ち上がり、自身で破壊した扉から外に身を乗り出すと、ゾンビに道を待ち伏せされているのが見えた。

 四つの蹄で大地を蹴り出す馬車馬は、奇跡的に《カレヴァン》の方角へと向かっている。アンデッドは、決して馬鹿ではないのだ。この先に街があることと、この馬車がそこを目指していることを理解できるだけの知性がある。事態を有利に運ぶために待ち伏せを図る本能も。

 人ならぬ魔物に誤算があったとすれば、それは二人の冒険者の存在そのものだった。


「火線!」


 スバルがそれらを指差して唱えると、虚空に大きな火種が生じ、直後には鋭い矢の一撃と化して放たれた。紅の線条はゾンビに突き刺さって爆裂し、飛び散る腐肉さえ焼き尽くす。

 炎の攻撃は、それだけではなかった。御者台の方からも幾筋の魔法が放たれ、進行方向を妨げるものを確実に除外していった。


「まったく、前途多難だな」


 言葉の内容とは逆の楽しげな声は、誰の耳に届くこともなく風に流される。その代わりにスバルは再び言霊を放ち、異界に棲むという精霊を導いた。それは炎という形を取って、その目に映る敵を殲滅する。

 依然勢いを衰えさせない死人達の襲撃。その馬車は腐臭を猛然と蹴散らして、カレヴァンへと死に物狂いで突き進んでいく。



 このような鬼気迫る光景は、珍しいものではない。

 時は、《魔族》達の進出を人類が打破してから数百年。

 爆発的に拡大し、傷跡のように残された《魔領域》――魔物の跋扈する地を冒険者と呼ばれる者達が攻略しつつある、後に解放期と呼ばれる時代の話である。

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