第2話 002【鈴凛学園 ある男子生徒サイド】

 初めて六本木にきた僕は、これから入学する高校を目の前にして立ちつくしてしまった。まずい、口があいている。いや、閉じた。


 先月、横浜の公立中学校を卒業して、この鈴凛れいりん学園高等部に入学する為に東京へやってきたのだ。やってきたのだが……。


「学校がこんなビルに入っているのか」唇をほとんど動かさずに、つい空気のような言葉が漏れてきた。僕は囁き男子だ。


 つい独り言をささやくと、付き合っている彼女に、「きもい」とよくとからかわれる。

 きもいといいつつ、満面の笑みで言われるので、僕は少し嬉しい。


 六本木駅から直結の、ローマ時代のコロッセオみたいなショッピング施設を抜けて、少し歩いてきた。

 芝生と、巨大な緑色のオブジェと噴水の向こう側に、”ヴェルデタワー”というガラス張りの巨大ビルがそびえたっている。

 これが、僕の入学する高校だ。厳密にいうと、この商業施設タワーの中に、学校が入居している。


 インターネット入試システムを利用したので、直接学校にきたのは初めてだ。

 そんなシステムで入試、面接を通ってきた事が、なんだか信じられないけれど。


 ヴェルデタワーに入ると、守衛さんが受付に案内してくれた。たすかった。ロビーは開放感がありすぎて、どこになにがあるのかが、まったくわからない。

 通っていた中学のグラウンドより広いロビーには、高校生らしき人影はなかった。

 やけにインターナショナルなビジネスマンが目立っている。


 それから学園長室へ挨拶に行き、事務所で手続きなどを終わらせるまで、完全に僕の気持ちは浮ついていた。

実家で、ここのパンフレットは読んでいた。金銭面で、奨学生枠でなければ通えなかった学校だというのはわかっていた。富裕層ふゆうそうの子達が通うためにある高校だということも。


 ヴェルデタワーの下層には店やレストランなどの商業施設が入っていて、中層にオフィス・居住スペース、上層に僕の入学した鈴凛学園が入っている。

 奨学生は学園内の寮に入って生活することができる。特にタワーの外に出なくても、生活を送ることは可能ですよ、と事務員さんが教えてくれた。


 いやいや、せっかく六本木という未知の領域に足を踏み入れたのだ。おおいに街を探索させていただくぞ!


 入学の為の手続きが終わると、事務所のソファーで待つように指示された。白い革のL字型のソファーで、Lの字の一部は脚が伸ばせるようになっていた。

 こんなとこで靴も履いているのに、伸ばせるわけがないだろうに!脚を!

 なぜ、いかにも脚を乗せてくださいといわんばかりの形状をしているのだろうか。

 試されているのだろうか。もしここで僕が土足で、この高級そうなソファーに脚を乗せようものなら、非常ベルが作動して、

事務員さんが冷徹な顔で言い放つのだ。


――ただちにお帰りください。入学は取り消しです。


 ああ、こうして教養もマナーもわからない庶民の僕は、学園から追放されるんだ……。


 くだらない妄想を掻き立てるほど、ここは非日常的な雰囲気の学校だった。


「高橋さん?高橋剛さんですね?」

 目の前に、灰色のブレザーを着た、ふちなしメガネが知的な印象を感じさせる男子生徒が立っていた。


「はい。私は高橋 つよしです。よろしくお願いします」

ぼくが頭を下げると、ふちなしメガネ氏も自己紹介をしてくれた。


 学園と寮の案内をしてくださるらしい。ありがたい。


「まずは寮から案内しましょう。」

 ふちなしメガネ氏にいざなわれて、エレベーターを2度乗り継ぎ(なんだかややこしい構造の施設だな)、イギリスのようで、アンティークのような雰囲気の

(僕の乏しい表現力では、こうとしかいいようがない)広間にやってきた。

 ダンディな男爵の書斎のようだといえば、ご想像いただけるだろうか。 いただけけないだろうか。


 さっきまでいた近未来都市のような学園エリアから、がらりと雰囲気が変わった。落ち着くなあ。ほっとした。


 薄明かりの広間には、天井まである書架が壁をぐるりと囲んでいて、それからソファー(脚が伸ばせそうな長椅子はなかった)がぽつぽつと配置されている。


 ふちなしメガネ氏は奥にあるカウンターへ行き、鍵を受けとると、僕を手招きした。


 いよいよ、寮の部屋に入るのだな。


 寮の部屋は、二人部屋仕様だけれど、一人で使ってよいとの事だった。


 おお!初めての一人暮らし!(寮とはいえど。)

 どうしようか。わくわくしすぎている。自室となる部屋に入った瞬間、僕は全身が熱くなって、気持ちがふわふわしてしまった。

 さっきまで冷静だったのに。

 ふちなしメガネ氏がいなければ、絶対にベッドにダイブしていたところだ。

 今すぐにダイブしたい。


 僕の内面がムズムズしていることに気づくよしもないふちなしメガネ氏は、学園の案内に連れ出してくれた。


 さっきのエレベーター(透明のガラス張りエレベーター!)に乗り、また近未来の学園エリアに戻ってきた。

 

 ――ドゴンッ


 い…………。

「痛。」

 突然、僕は床に倒れた。ああ、床がひんやりする。

 手を差し伸べられて、僕は立ち上がったのだが、僕の右手を握っているのはフチナシメガネ氏の手ではなかった。


 きらきら光る小粒がびっしりとついた長い爪が、僕の右手に食い込んで、痛かった。


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