昔、昔……

昔、昔……

 主人が出て行ったあと、私たちはしばらく言葉もなく黙り込んでいた。

 なんとなく、朝からの出来事をああだこうだと論ずる気分にはなれなかった。それはあとの二人も同じだろう。

 ここでの時間、いや、逢摩堂と関わってからの時間の流れが早く過ぎているのか遅く過ぎているのかよくわからない。なんだか異空間に放り込まれたような、そんな気さえしていた。

「おはようございまぁす!」

 という、店から響く声に我に返って慌てて飛び出して行くと、店の前にはトラックが一台停まっており、

「ここに置いてもいいですか?」

 と、搬入業者らしく屈強な男性が二人トラックのそばに立っている。

「事務機器お届けにあがったんですけど――」

 もう来たのか。全く仕事が早い。

 とりあえず事務所まで運んでもらわねば。ひなことふたばがあれこれ指示を出している。二人の中ではすっかり配置が決まっているようだった。

 この場は彼女らに任せ、私は第二倉庫へと向かった。今日はあの少女の部屋の掃除をしようと決めていたからだ。


 小さく第二倉庫の奥にある扉をノックする。

「失礼します。入ってもいいかしら?」

 断りを入れて鍵穴に鍵を差し込んだ。かちり、と音がする。はずだった。

 音はせず、無論ドアはびくとも動こうとしない。もう一度ノックし、

「失礼します。昨日お邪魔した者です。お掃除したいんですけど……」

 そう囁き、さらにもう一言加えた。

「私一人です。あの方はもうお帰りになったのよ」

 しばらくの沈黙のあとでドアは開いた。

「おはよう、今日はとても良い天気よ! 外の空気入れ替えようね!」

 入室を許された私は少女の部屋のバルコニーへと続く扉を開ける。それを待っていたかのように外から黒い物体が足元を駆け抜け、小さく悲鳴をあげた。

 恐る恐る駆け抜けた方を振り返ると例の黒猫が少女の絵の下に座り、こちらに向かってにゃあんと鳴いた。

「ああ、びっくりした。なあに? 遊びに来たの? 今日はお掃除するよ。ホコリまみれになって白猫になっても知らないよ」

 猫はどうやら白猫になっても一向に構わないらしく、そこで悠々と毛繕いを始めた。先ほどまで冬の合間の暖かな陽を浴びていた猫の毛は柔らかそうだ。

「わかったわかった。でも邪魔しないでね」


 猫の毛繕いを横目に笑いながら心ゆくまで部屋の掃除に没頭した。事務所からの物音も賑やかに聞こえてくる。ひなことふたばも仕事に夢中になっているのだろう。

 手を加えたいと思うときりがない。配置されているクッションやカバーなども全て日光に当て、壁や天井まで心ゆくまで徹底的に蜘蛛の巣を払って磨き上げた。

 途中、様子を見に来たひなことふたばが目を丸くして感嘆の声をあげ、同時に昼食にしようと誘ってくれたのでひとまず休憩をとることにした。

「お部屋、このままにしとくね。あとでまた来るから」

 少女の絵に声を掛け、ドアを閉めかけるとバルコニーに移動して日向ぼっこをしていた黒猫は心得た、と言わんばかりににゃあん、と返事をしてみせたので私はまた笑ってしまった。

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