昔、昔……2
体を動かすとお腹が空く。こんな当たり前のことを改めて実感しながら、私たちは各々持参したものをテーブルに広げ、ようやく朝からの出来事を話し合った。
不思議と思えることが多すぎるのだが、不気味とは思えないのが共通の思いであり、むしろ二人は面白がっているようだ。だから私はあの小部屋の謎を打ち明けるのはもう少し後にしようと密かに決心した。
私が持参したちらし寿司も見ていて気持ちの良くなる食欲で二人は食べてくれ、午後はまた各々の仕事に夢中になって時間はあっという間に過ぎた。
気がつけば外はすっかり誰そがれ刻になっており、慌てて干していた物を取り込み、たしか今朝、レンガ塀の近くに冬薔薇が一輪残っていたことを思い出して庭へと降りてみた。
それを切って部屋の一輪挿しに生けて香を焚く。バルコニーの外でうたた寝していた黒猫もすでにおらず、扉を閉めてカーテンを閉じようとした時、『塀のむこう』の灯がちょうど点いたころであった。
二人を誘って行ってみようかな、と呟きながらドアを閉める前に部屋に「おやすみ」の挨拶をした。
事務所ではひなことふたばがぐったりと長椅子に座って放心している。荷物のほとんどが収まるところに収まったようだ。各々のデスクと椅子を始め、何もかもがきちんと整えられている。
「わあ、お疲れ様でした」
「はい、お疲れになりました」
そう言って笑い合い、
「明日っからは第一倉庫へ突撃だぁ!」
ふたばが陽気な声を出した。
ひなこが腕時計を見て
「あ、もうこんな時間か」
と呟いた。
「そうそう、ここ時計ないね」
私は改めて事務所を見渡した。考えてみれば、およそこの店には時計というものが見当たらない。
「なんかまたお腹すいたねぇ」
二人の声にふと先ほどの思いがよぎった。
「ねえ、あそこ行ってみようか? 明かり灯ってたよ」
こういった相談はあっという間にまとまる。今朝来たルートを逆に、裏庭から塀の向こう側へ出かけることにした。
しかし『塀のむこう』に着いてみると準備中のプレートが掛かっており、がっかりして顔を見合わせているとドアがぎい、と開いて例の黒猫が顔を出した。
「ダメよ、平蔵。今夜は家にいなさい。昼間散々出歩いたでしょ」
奥の方から足音と共に奥方の声がして猫を入れようとドアを開けたのと、撫でようと屈み込んでいた私たちと鉢合わせになり、笑顔で
「あら、早速来てくださったのね。どうぞ」
と招き入れられた。
「平蔵って名前なんですか? この子」
ふたばの膝の上でゴロゴロと気持ちよさ気に喉を鳴らしている猫はどう見ても先日マンションで見た猫と瓜二つなのだ。
「先日、この子にとても似た猫さんに会いましたよ、私」
マスターと奥方は同時に笑い出した。
「ああ、あの子はハセガワ。兄弟猫なのよ。胸の白いところが、ほら」
奥方は平蔵を抱き寄せ、
「うちのは丸くて、向こうのはハート型なの。ほらね」
なるほど、平蔵と呼ばれたその猫の胸にはくっきりと丸型の白い胸毛がある。
「この辺りって、こんな色合いの猫さん多いのかな。あの絵の中の猫さんも同じ感じだったし」
ジンジャーエールのストローを回しながらひなこが独り言のように呟いた。
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