黒猫家にて.2

 薄い香のかおりが漂い、店の少し手前には女将と思しき品の良い女性が古風にも提灯をさげて出迎えてくれている。

「入口は石段となっておりますので、お足元にお気をつけてくださいませ」

 そう言って足元を照らしてくれ、ありがとうございます――と答えたはいいものの、自分の足元を見て一瞬狼狽したのは今日から店内作業と考えて、良く言えば履き慣れた――悪く言えば年季の入ったローファーだった訳で、この格式がありそうなお店に入るにはいささか躊躇われる代物だったし、服装も作業しやすいラフな物なのであった。それはひなことふたばも同様である。


 仕方がない、まずは女将に非礼を詫びよう。

「申し訳ありません、急なことだったもので服装も改めず――失礼をお許しください」

 それを聞いた女将はにっこりと笑った。

「まぁ。こちらはそんな大層な所ではないのですよ。皆さん普段着でお見えです。却ってお気遣いありがとうございます」

 ということだったので、私たちは一安心したのだ。


 通された小部屋も掘りごたつ式のテーブルになっており、正座が大の苦手である私は心からほっとしていたし、座ってからぐるりと部屋を見渡しても落ち着いた砂壁といい、床の間にさり気なく置かれた小ぶりの壺といい、そこにひと枝心憎いバランスで活けてある紅椿の蕾の綻び加減といい――うまく表現できないのだが、野暮と粋の足し算引き算を充分弁えた上でちょっと野暮さを笑ってください......とでも言うような主の心境を物語っている室礼だった。

 以前私は友人から亡き母上の和服を何枚か頂いたことがあるのだが、畳紙を開いた途端困惑してしまったことを思い出した。

 なんというのだろうか、素人が選ぶには粋すぎるし、かと言って玄人が選ぶにはいささか野暮といった何とも不思議なバランスの物だったからだ。

 お母さんって何者だったの!? と気の置けない仲であるのをいい事に尋ねたのだが、老舗旅館の娘さんだったそうでなるほど、と妙に納得したのだがこの店の全体的なコンセプトもどうもそういったものを意識してるように思われた。

 しかし冷静に観察をしていたのはその辺りまでで、目の前に並べられた料理を見た途端に私はたちまちお腹がすいたごくごく普通の食客になることに決めた。

 美味しいものは美味しい。それ以外の能書きは不要である。それの何が悪いのか。

 意外なことにひなこはかなりイケる口で、もっと意外なことにふたばは全くの下戸だった。しかし彼女はウーロン茶で人一倍陽気になれる性質とみえ、最所は――あなた安上がりな方ですねぇ――とまたまたファン度を上げたし、ひなこは品良く杯を重ねながら場持ちの良さはプロ並みだった。

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