お好きなように

 私たちは思わず顔を見合わせた。

 少なくともこの場合、私たちは共通の戸惑いを感じているわけで、とりあえずはこの戸惑いはどこにぶつけたらよいのか、という思いも共有しているわけで。


「えっと」

「あの」

「私」


 と三人同時に声が出た。それが合図のように私たちは笑い出した。人間とことん不思議な体験をすると笑いたくなるらしい。その時ドアがノックされた。私たちは三人並んで長椅子に座り直し、入ってくる人物を待った。


 現れたのはスーツをビシっと着込んだ、いかにも頭がキレるといった風な男性二人で各々上質な革でこしらえてあると見受けられるアタッシェケースを持っている。

 テレビドラマか映画の台本に、エキストラかセリフ一つぐらいのチョイ役で『いかにもできそうな感じのビジネスマン』と役名もないまま設定されると大体こういうタイプで出てくるよなぁ……と内心納得する。

 思わず立ち上がって迎えた私たちに彼らは一礼し、どうぞお座りになってください――と着席を勧め、私どもも座らせていただきます、と向かい側の椅子に座った。


 彼らが着席したと同時に再び失礼致しますね、という声とともに今度は黒いセーターとロングスカートに真っ白なエプロンを付けた初老の女性が背後から登場し、湯気が上がっている良い香りのするコーヒーポットとカップを運んできて全員になみなみと注いでくれる。

「やあ、奥さん。恐縮です」

 と向かって右側に座った銀縁メガネの中年の神経質そうな男が声をかけ、

「あ、ありがとうございます!」

 と私たちも同時に頭を下げた。


 どうもこの人が逢摩堂の奥方のようだ。

 奥方は先程会った主にはややもったいないくらいの美形で、しかもおっとりとした品の良さでいいとこに生まれ、いい学校を出て、いい縁談に恵まれ、いいとこへ嫁に行き……という人生を歩むとこういう感じになるんだろうなぁと、これまた私は映画の台本をイメージして、うーん、とりあえずキャスティングは上出来だ――とおよそ今置かれている状況と違うことを考えていた。


「ひなこさん、ふたばさん、みいこさん。まあまあ、なんて良い方たちに巡り会えたこと。これからもよろしくお願いしますね」

 私たちは、この名前が違うということに関しては逆らわない、という暗黙の了解を本能的にしたらしく、この奥方の言葉にも曖昧に頭を下げてとりあえずは、こちらこそよろしくお願い致します、とつい言ってしまった。

「まあまあ嬉しいこと。では失礼しますね」

 また頭を下げたが、私たちが頭を上げた時にはもうその姿はなく、なんとなく不思議な思いで目の前のコーヒーカップを見つめた。喉の奥に引っかかった魚の小骨のような違和感が微かに残る。


「とりあえずいただきましょうよ~」

 そう明るい声を掛けたのは銀縁メガネの隣に座る若い方の男だった。

「あの奥さん、コーヒーのたて方だけはすごいお上手なんですよ~」

 たて方だけは、という言い方はいかがなものか。複雑な思いでいると私の右隣に座っているひなこはコーヒーが好きとみえ、すぐカップに手を伸ばして一口啜った。

「ああ、本当に。おいしいですねぇ」

 その声に釣られ、いただきます、と私もコーヒーを一口飲んだ。とても濃く、インスタントコーヒーで例えるならば小ぶりのカップにティースプーンに山盛りで六杯は入れたのではないだろうかと思う濃さだ。


 さり気なくカップをソーサーに戻し、せめてミルクは添えられていないかと目を配ったが、残念なことに奥方はその辺の配慮はしないらしく、用意はされていなかった。

 仕方がない。今夜はきっと眠れない。しかし手をつけてしまった以上はマナーとして時間をかけても飲み干そう。

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