愛宕は学生の頃から「韓非子」なる書物の影響を多大に受けてきました。
全ては疑う事から……そして、トップたる者は常に孤独であれ。
これでイイと思って過ごしてきました。今も、その思いは忘れずに過ごしています。ただ、この歳になると、信じた事で返ってくる「温かさ」のようなものを強く感じるようになります。そして、その「温かさ」を自らが求めるようにもなってくる。どちらがイイとか正しいとかは無いでしょうけど、なるべく信じて過ごしていた方が、心を穏やかにして周りとも接する事ができるなと思うこの頃です。
――『憂う心を 空へ吐き出す』
カタチが無いと不安に思う事もありますが、そういう事も気にせずに己の心を強くしなければ先へは進めませんね☆
作者からの返信
愛宕さん、コメントをありがとうございます!♪( ´▽`)♡
疑うこと、孤独……何か大きな責任を背負う立場の人は、そういう苦しみを抱えなければいけないシーンがあるのかもしれませんね。そうでなければ、果たすべきことがうまく達成できない。そうであれば、疑うことも、孤独を保つことも大切なことですね。
でも、愛宕さんのおっしゃる通り、人はそういう温もりでやっと生きている……そんな気がすることもあって。きっと、ひんやりと冷えた孤独の中で、誰を信じることもなくずっと一人きりだとしたら……こんなに辛いことはないのかもしれません。
心を通わせる大切さを忘れることなく、孤独に負けることなく……そんな相反する物もバランスよく心の中に同居させることができたら、最高ですね。
「かたちなきもの」とも共通してますね。
大切なものこそ、目に見えない。
けれどもそれを信じなければ幸福は得られない。
大切なことを改めて教えてもらいました✨
作者からの返信
そうですね。ずっと書いてると、重複というか、前も同じようなことを書いたかも?なんていう時があったりで…(笑)でも、それってそれだけ自分が大切に思ってることなのかもしれない…なんて、大目に見たりしてます(笑)
形がないものほど大切。…このことは、私が無意識に強く感じていることなのかもしれません。見えないから、目を凝らす。そこにあると信じる。もしそこにないならば、なんとかして作り出す努力をする。
幸せって、やっぱり気持ち次第…なんですね、きっと。
自分を信じることはやっぱり難しいことですよね。
私も自分が信用できません。
甘やかすとすぐ楽な方向へ流れる
だから厳しく監視してないとダメみたいです(笑)
作者からの返信
自分自身を信じる。とても難しいことですね。
それができたら、どんなに心安らかに過ごせるだろう…そうわかっているのに、できないんですよね(笑)
完璧でも立派でもない自分が、どうしようもなく見える。これではいけないと感じてしまう。自分に真剣に向き合うほど、そういう思いが強くなる気がします。
でも…そんな風に自分自身を責める自分は、その段階でもう精一杯頑張っている。よく生きようとしている。
それだけで、もう充分。
自分自身をギリギリと痛めつけるほどに、思い悩む必要なない。
自分のために、そう思ってあげてもいいのかもしれない…なんて、時々思うのです。
そう…他人を信じることは容易い、しかし自分を本当に信じられる人は少ないと思う。
自分を信じるって、とても難しいこと…。
「自分くらいは信じてあげなきゃ自分が可哀想…」
言うのは簡単だが…なかなか信じられるものじゃない。
成し得難いからこそ、出来れば輝くのだろう。
作者からの返信
自分を信じる。
私も、なかなかできていません。そうしたい時ほど、できない自分に苦しめられる。
だから、こうして必死に綴ってしまうのでしょうね。自分ができているからではなく、自分自身が簡単にはそうできないから。
だから、「こうありたい」という思いを、綴らずにはいられない。
そして、「そうありたい」と強く念じる、ただそれだけでも、何かが少し、きっと変わる…そんな気もしています。
秋思(しうし)……何処か物憂げな、でも素敵な単語ですね。
二度寝できない夜のもどかしさと、「信じる心」の大切さが伝わります。
『星の王子様』に語りかけられたような気もしました。
作者からの返信
ひいなさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
全てに見放され、この世でひとりきりになってしまった感覚。誰にも理解してもらえないような感覚。やたらに何かを恨みたくなるような感覚。生きていれば、必ずそういう負の感情に引きずり込まれそうになることがありますね。
けれど、そんな負の感情に引き込まれて何かに八つ当たりし、不貞腐れたり自暴自棄になっても、その結果最も苦しむのは自分自身なのですよね。
……であれば、自分を明るい方に導くものの存在を、決して疑うことなく信じて歩きたいと思います。信じることが、明るい何かと繋がる糸をやがて必ず結んでくれる。そんな気がします(*^^*)