父へ

花海

第1話

いつものように、遠くに嫁いだ私に実家の父から電話がかかってきた。

「道子、元気か」

「うん」

「子供は元気か」

「元気だよ」

私は銀行に勤めながら家事に育児と大忙しの毎日を過ごしていた。

夫の雅春は3ヶ月間求職中で、私が稼がないと生活できない状況だった。

そんな中、実家の父からの電話は、忙しい私にはたまに嬉しくない事があった。

そんな時は、すぐ電話を子供に代わってやり過ごしていた。

TV電話を求められた日には、断る時もあった。

この事が後になってこんなに後悔するとは、その時全く考えていなかった。


そんな父からいつものように電話がかかってきたのだ。

今日はなんだか様子が違う。突然、父が涙声で話し始めた。

「道子、お父さんの仕事が決まったよ。これで働けるよ。」

「そうなの?大丈夫なの?どんな仕事なの?」

「下水の掃除だよ。給料は12万円程だけど、面接に受かったよ。助かった!」

と、涙ながらに喜んでいた。

つい、3ヶ月前には倒れて入院していたのに。

私は辛かった。以前は小さな飲食店を経営していて景気のいい時もあった。

そんな父が60過ぎても必死に働いている。手が動かなくなっても倒れても。

私は、泣きそうになるのをこらえながら

「良かったね。お父さん。でも、無理したらダメだよ。」と言った。

「ありがとう。また、朋美達にお年玉を送ってあげれるよ。」

私の子供達である孫を、とても可愛がってくれていた。


父との電話の次の日、私はなぜかとても胸騒ぎがしていた。

自分でもどうしょうもないくらいの衝動にかられ、とうとう夫の雅春にお願いした。

「ねえ、お願い。しばらく実家に帰らせて!!」

「どうした?急に。」

「お願い、お父さんが死んじゃう。自殺する!!」

私は泣きながらお願いした。

「ちょ、ちょっと待ってくれ。なんでだよ。そんな事ないよ。大丈夫だから。落ち着けよ。」

確かにおかしい事を言っている。父は仕事が決まって喜んでいたではないか。私の考えすぎなんだろう。現実的でない事は十分わかっていたので、私は諦めた。

今度の大型連休にでも里帰りしよう……と。

それから1ヶ月経ったある日、朝早く夫の携帯が鳴った。兄の俊樹からだ。

なんで私の携帯じゃないんだろう?

思わず夫の携帯を取った。

「はい、道子だけど、どうした?」

「道子、昨日から電話してるのに携帯繋がらなかったぞ!」

あ、そうだ。携帯、車の中だ!

「道子、オヤジが死んだよ。」

「え、なんで!!うそ!!」

「自殺だった…首を吊って…」

俊樹が言葉に詰まり、兄嫁の由紀子が電話に出た。

「みっちゃん、子供達をみんな連れて帰っておいで。」

私は泣いた!泣き続けた。

そして、泣きながら元旦那に連絡をし、息子達を空港まで連れてくるように伝えた。

私も娘を連れてすぐ空港に向かった。空港に着いた時には、すでに息子達は着いていた。

実家の北海道まで飛行機と電車とタクシーと乗り継いで行った。私は飛行機の中でも電車の中でもタクシーの中でも周りを気にせず、ずっとずっと泣いていた。子供達はずっと黙ったままだった。

私達を乗せたタクシーが、葬儀場に到着した。入り口に自分の父親の名前が大きく見えた時、もう立っているのもやっとだった。

中に入ると、母と兄夫婦と甥っ子姪っ子達が集まっていた。その奥に、父が変わり果てた姿で横たわっていた。直視できなかった。怖かった。綺麗に白装束に身を包み、薄っすらお化粧をして安らかな顔をしていたけれど、しばらく後ろを向いて泣き続けていた。

兄が謝ってきた。

「道子、許してくれ。」

「…… …」

私は、ようやく横たわる父に近づいた。冷たく硬くなった手を握り、これが父だとは思えなかった。

お通夜が始まるからと、私達は親族の控え室からお通夜の控え室へと移動した。

父の妹である叔母達が、泣き崩れている私の手を引っ張り連れて行ってくれた。

途中、お通夜会場の前を通った時、父の遺影が飾ってあるのを目にし、私は叔母さんの手を引っ張り、そこを通るのを拒んだ。

「道子、大丈夫だから!!行くよ!ほら!」

もう嫌だった。何もかも…

しばらくして、少し冷静さを取り戻した頃、私は重大な事に気付いた。

息子達には再婚した事を今だに伝えていなかったのだ。

息子は中学生と高校生。多感な年頃だった事もあって、もう少し大人になるまで黙っておこうと決めていた。

こんな事になった今、再婚相手である夫を葬儀に呼ばない訳にもいかず、私は受付をしてくれている兄嫁の由紀子にお願いをして旧姓で名前を呼ばれるように段取りしてもらった。夫も事情は知っているので協力して私と席を別にしていた。だが、運命のいたずらか、父がそれを望んだのか、はたまた、嘘はいつかばれるという事なのか、焼香の時、親族として旧姓ではなく本姓で呼ばれてしまったのだ。夫も慌てて、座っていた後ろの席から私達の席へ駆け寄り、焼香を済ませた。その後呼ばれた息子達は、下を向いて泣いていた。悲しそうに泣いていた。祖父の死を泣いているのではない。私の裏切りに泣いているのだ。

私は、頭が真っ白になった。もう父が亡くなった悲しみはどこかに飛んで行ってしまった。真っ白になったまま、どう翌朝を迎えたのか覚えていないが、兄夫婦の子供達といる事で、その場は何事もなかったように過ぎていったようだった。

翌日の葬儀が終わり、火葬場に行くまでの待ち時間に、息子達が私の母と何やら話をしている。その息子達の顔を見ると泣いていた。

母が私を睨みつけ、こう言った。

「見てみろ!おまえが再婚なんかするからだ!!」

私の中で何かが壊れ意識がなくなってきそうな時、目の前の窓が開いているのに気づいた。。ここは確か5階じゃなかったか。

よし、飛降りよう。と、一歩右脚が前に出た時だった。

「ママ…」

と小さな声が……

私は、この子だけは絶対に幸せにすると、守ると誓ったはずだった。

ふと我に返った。

しかし、その後、どうやって火葬場まで行ったのか、終わってからどうやって帰ったのか、記憶がほとんどない。思い出せない。

私の地獄はまだ続いていた。あの頃の方がマシだったように思えるくらいに……

私の記憶は、葬式を終えた翌日から始まっていた。兄と母が相続の話をしていた。母の抱えている借金と父名義の住宅ローンについてだ。父の財産はローンが半分残ったこの実家だけだ。母は兄に言われるまま相続放棄をする事にした。

元々この実家は、不動産業を営んでいる兄が父に買わせたものだった。それまで住んでいた実家を売らせ、曰く付きの物件を購入させたのだ。

現在の実家のこの家は、以前の持ち主も首を吊って自殺をしていた。事故物件だから安く手に入り、それを両親に購入させたのだ。そのまま何事もなく住み続ければ、いざ売却する時、今度は曰く付きでなく普通の物件として買値より高く売りに出せるのだ。父はその住宅も払うのに苦労していた。精一杯頑張ったけどもう身も心も限界だったのだ。

私は全て後の事は、兄に任せることにした。

ようやく相続の話も終わった頃、母がつぶやいた。

「道子、佳子叔母さんからもらった連絡先は捨てなさい。電話なんかしなくていいよ。お父さんは憎らしい。」

昔からそうだった。父方の親戚との関係をことごとく切っていった。

私は許せなかった。怒りが激しく込み上げてきた。どこにぶつけていいのかわからず思わず家を飛び出した。すでに、辺りは真っ暗になっていた。

以前住んでた実家に車で向かった。全てはここから始まった、その家に…。


暗い夜の田舎道。以前の実家は山の麓にある小さな団地だった。

何年ぶりだろうか。

当時は、両親が営む飲食店も繁盛していて、車で45分ほどの田舎のこの小さな団地であればローンなど組まずに家が建てれたのだ。

ちょうど私が中学に入学するタイミングだった。

転校先の田舎の学校では、私達が転校する前から偏見が始まっていたようだった。校長自らPTAで、転校してくる私達には気をつけるように注意を促していたようだ。

私が行くはずだった街中の中学校は、県内一不良の多い評判の悪い中学校だったのだ。

そこからくる転校生だというだけで、目の敵にされていた。

兄はその評判の悪い中学校で実際に不良だったので、さほど気にしていなかったようだが、私はその偏見と差別に徐々に荒んでいった。


もうすぐその家に辿り着く。こんなに暗かったっけ?もっと明るかった気がする。久々に来たその団地は、空き家が目立ち少し怖かった。

あそこだ。私が住んでた家。団地の一番端っこの列の一番奥に建っている家。近づけば近づくほど寒気がしてきた。なんだろう?この感覚…まるでこの世のものとは思えないような不気味な気配。

気が生い茂る麓、家の前まで来て背筋が寒くなって震えた。なんだこのブラックホールみたいな暗さは。家の裏山から何かが襲ってくるような感覚。思わず、Uターンし慌てて逃げた。なんだったんだ。懐かしさなど全くなかった。もう行ってはいけない気がした。

それでも帰り道、いろんな思い出がよみがえってきた。中学の1年間と高校の3年間を過ごした家。引っ越してきてすぐに父が原因不明の病気にかかりお店をちょくちょく休んでいた事。同時に私も荒んでいき、神頼みに走った母。

どこかのお寺のお祓いが出来る人を家に呼び、見てもらっていた。そのお寺の人は言った。

「この庭にあるこの石には何かある。これに間違いない。」

「とても強いものを感じる。お祓いをしておきますね。」


それからしばらくして、私は元の街中の中学校に転校した。懐かしい友達は不良になっていた子もたくさんいたけど、私はなぜか明るくなり普通の中学生に戻っていった。田舎にいた時とは違い、すごく楽しかった。毎日が楽しくて楽しくてたまらなかった。

その間、家は売らずにいた。私は良くなったけど父の身体は治らなかったから、

母はしばらくお寺に通い、相談していたようだ。

その日も母はお寺に相談に行っていた。

「奥さん、あの家にあるあの石はとても強い何かがあるから、もっと力のある霊媒師を紹介しますよ。」

それから、その霊媒師に何回かお祓いをしてもらった。

ある時その霊媒師は言った。

「この石は、昔の偉い御坊様の墓石ですよ。お祀りして差し上げてください。」

「どのようにしたらいいのですか?」

「これから、お寺に通って下さい。全てお教えしますから。」

私の高校入学と同時にまたあの家に住む事になった。




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