第4話 善良よりも賢い市民だ

 野々下家に電話が掛かってきたのは、十六時頃のことだった。定年退職した夫婦の食事は早く、妻は「食事の準備でいそがしいから手が離せない」と、夫に電話にでるよう言っていた。

 隆はちょうどテレビでデイゲームを見ていてひいきのチームが一打でれば逆転だという時だったので、思わず不機嫌そうな声になると「俺が?!」と言いながらも、

「はい、野々下ですが・・・。」

と、しぶしぶでていた。

「あ~。もしもし、野々下次郎さんのお宅ですか?」

「はあ、そうですが。」

「あ~。わたくしX県Y西警察署の城本といいますが、次郎さんのご家族の方ですか?」

「はい、次郎は息子ですが・・・。」

「お父さんですか?」

「はい。私、父親の隆といいます・・・。」

「じつは、次郎さんが傷害事件を起こしまして・・・。」

「えっ! 傷害事件?」

「そうです。女性を殴ったのです。」

「女性を?」

「はい。理由は分かりませんが、かなり飲まれていたようで、駅を出たところで通りすがりの女性を殴った上に膝蹴りまでして、それが原因で女性は入院されました。」

「ええっ?! 入院ですか?」

「はい、そうです。幸い怪我は打撲ということで大事には至らなかったのですが、被害届が出されまして、取り下げられないと前科がつきます。」

「えっ! 前科がですか?」

「前科もそうですが、会社もどうなるか・・・。」

「・・・。ど、どうすれば・・・?!」

「お父さんのお気持ちは、よく分かります。ここは示談をしては・・・。」

「示談を・・・?」 

「そうです、示談をして被害届を取り下げてもらえれば・・・。」

「そう、なんですか・・・。で、どうすれば・・・?」

「女性は入院されていますが結婚されていまして、ご主人とお話しになってはいかがですか。」

「ご主人と・・・。はい、分かりました、どのように連絡を・・・。」

「では、これからご主人の連絡先を言いますから控えてもらえますか。」

「はい、よろしくお願いします。」

 城本という警察官が言うには次郎が怪我を負わせた女性は中山という名前で、その夫は中山大介とのことだった。最近、メディアで人を殴っただの殺しただのということがよく報道されていたので、変な話ではあるが隆は違和感なく聞いてしまっていた。

「私からも中山大介さんには連絡を入れておきますので、野々下さんも早急に連絡を取ってみてください。」

「それで連絡が取れた後は、どうすればいいのですか?」

「あっ、そうですな。それでは、わたくしに連絡をもらえますか。」

「署に、連絡すれば・・・。」

「署はまずい・・・、私の立場で示談の話は出したということはまずいですよ。携帯をいいますから、控えてもらえますか。」

 城本という警察官は、公僕の鏡のように淡々と隆に連絡を入れていた。かれこれ二十分ちかい城本とのやりとりの後、二件の電話番号を書いたメモを前に「どうしたものか」と隆は頭を抱えた。その時、妻の冴子が夕飯の仕度が済んだのか、何事かという顔をして隆のところにやってきた。

「あなた、どうしたのですか?」

「次郎が・・・、次郎が人を殴ったそうだ。」

「えっ、次郎がですか?」

「ああ、警察から今電話があった。」

「そんな!? 」

「示談ができれば・・・。」

「示談・・・、なんですか?」

「バカだな、示談をして被害届を取り下げてもらわないと、次郎に前科がつく。」

「そんな?!」

「前科者にならないためにも、警察は示談を勧めてくれているんだ。」

「それで、どうすればいいんですか?!」

「先方の電話番号は聞いている、お前かけるか?」

「えっ、私が? あなたがかけてよ!」

 二人はまるでお化けか怪物でも見るように恐る恐る電話番号を眺めていると、唐突に目の前の電話が鳴り出した。あわてふためいて冴子がとる。

「もしもし・・・、野々下さんのお宅ですか?」

と、苛立ったような若い男の声が聞こえていた。

「はい、野々下ですが・・・。」

「西警察から連絡を受けた中山ですが・・・。」

 ぶっきらぼうに言う。

「あっ、中山さんですか。ちょっと待ってください、主人と替わりますから。」

 冴子は手にした受話器を、隆に押しつけるようにして渡していた。それはまるで、次郎の育て方を間違えたのはあなただとでもいうようだった。

「お電話代わりました・・・。」

「・・・。」

 中山は何も言わない。無言の五秒が、隆をおびえさせた。隆は思わず、

「この度は、大変なご迷惑をおかけして申し訳ございません。」

と言ったが、中山は何も言う気配がない。さらに五秒ほど無言が続いたところで、やっと、

「許しませんよ、どうしてくれるのですか!」

 怒りを込めた声が、突然返ってきていた。

「ま、誠に、申し訳ありません。この償いは、どのようにしてでも・・・。」

「償い?! 妻は打撲だけで済んでよかったものの、骨折でもしていたらどうするんですか! 打撲といっても、責任はとってもらいますよ。」

「はい。次郎が悪いのですから、責任はいかようにも・・・。」

「・・・。妻は経過観察とのことで、とりあえず一週間の入院を言われています。それで大丈夫だったとしても、顔のアザが消えるまで会社には行けませんよ!」

「奥さまは、お勤めですか?」

「ええ、外資系の会社で課長補佐をしています。」

「課長補佐を・・・。休まれても・・・、大丈夫なのですか?」

「そこです。たくさんの仕事を抱えて、休むに休めない状況でしたから・・・。」

「どう、どうしたらよろしいのですか・・・?」

 中山大介は、最初の怒りの口調から思案にくれた口調に変わっていた。それが、なおさら隆を動揺させた。

 中山大介こと俺は野々下隆を十分に動揺させ、後先を冷静に考えられなくしたと確信したので、金額を具体的に提示することなく被害届の取り下げだけは約束していた。

 善良な市民の野々下夫婦は結局、話の中で息子次郎の示談のために百五十万を用意すると約束した。それで承諾した俺こと中山大介は、今日中に、遅くなるとは思うが使いの者を行かせるので、現金で百五十万手渡して欲しいと言っていた。

 受話器を置いた野々下夫婦は手分けしてコンビニのATMで現金を下ろすと、煌々こうこうとした灯りとは裏腹に気力なくソファーに腰掛け、俺こと中山大介の使いの者を待っていた。


 受け子役の佐藤が野々下夫婦から現金を受け取ると、のっそりと部屋に入ってくる。しばらくして、野々下家と所轄署見張り役の二人も帰ってきていた。

「よし! 今日のところは、終わりにしよう。さっさと、かたづけろ。」

 管理役の杉本は、みんなにちり一つ残さないよう命じていた。

 仕事が仕事だけに、荷物と言ってもほとんどない。昨日から泊まっていたビジネスホテルを素早く引き払うと、慌ただしく出発していた。時刻は深夜だったが、乗ってきた二台の車に分乗し一路東京を目指した。

「違反はするなよ! マークがキツくなっているからな。」

 そう言う管理役の杉本は、何も知らない。俺だって本当なら知るよしもなかったのだが、たまたまトイレに入っていてボスともいうべき男と杉本たちの管理役の男との話を聞いてしまったのだ。

「ヤバくなってきたので、そろそろ潮時しおどきだろう。早めに様子を見て、考えるか。」

といった話の後に、天岩戸あまのいわとという言葉も聞こえていた。

 俺たち二人、といっても俺と佐藤は面識がなく、にわかに金の必要ができて二人とも詐欺の片棒を担いでいたのだが・・・。佐藤は俺より二つ年下で、どういう訳か二人だけの時は俺のことを兄貴と呼んでいた。

 そんな事はどうでもいいが、この仕事をして長い杉本と残りの四人は、前に大きな仕事をしたらしい。彼らも最初は俺たちと同じでバイト感覚で入ったのだろうが、面白いほど上手くいったみたいで抜けられなくなっていた。

 そうした中、杉本たちのやった億単位の山が悪かったようで、だました人間の中にヤバイのがいたみたいなのだ。杉本たちが捕まるか、身元が知られることにでもなれば組織の上から下までまずいことになるらしい。

 天岩戸あまのいわとと言えば天照大神あまてらすおおみかみがお隠れになったという神話だが、多少は知っている俺には何を意味するかは考えればすぐに分かった。物騒な話に、何で俺たちバイトが・・・、そう思うとすぐにでもやめたかったのだが、こんな仕事だから時期を見るしかなかった。

 そして、今日だ。今日のバイト代くらい捨てても、命には替えられない。佐藤には言ってなかったが、俺と佐藤は家の事情でという口実で、東京に帰る途中のサービスエリアで車から降ろしてもらっていた。二人っきりになると、

「兄貴、何で降りるんですか?」

 口裏だけは合わせていたが、本当の理由を知らない佐藤は文句を言っていた。

「どうも、このままやってると俺たちヤバいことになるような気がする・・・。」

「はっ? 兄貴、ヤバイって何ですか?!」

 サービスエリアには、深夜にも関わらず次から次へと車が入ってきていた。赤いテールランプとヘッドライトのサーチライトのような光に照らされると、俺はその一台一台が気になってしようがない。

 俺はトイレで聞いた話を、かみ砕いて佐藤に話した。

「兄貴、人殺しはダメですよ。」

「バカ! 誰が、人殺しだ。やられるとしたら、俺たちだよ。」

 俺は佐藤に、上は小物にすべての罪を押しつけるのでと思っていることを伝えた。そして、その小物とは俺たちであり、杉本たちではないかとも話した。

「それじゃあ、俺たちヤバイすっか?!」

「だから、抜けたんだよ。このままだと、ヤバイだろうが。それに善良な市民をだますのは、もうウンザリだ。」

「そうは言っても兄貴、良い小遣い稼ぎだぜ!」

「もう、バカなことは止めようぜ。自分の親が被害に遭ったら、佐藤お前どう思う?」

 俺は、佐藤をじっと見る。佐藤は顔を伏せたまま、何も言わない。

「みんな裕福で金が有り余っているとでも、お前思っているのか。いいかげんにしろよ! なかには、路頭に迷う人だっているはずだ。もしかしたら、俺たちのために命を絶つ人だっているかもしれない・・・。もう、止めようぜ。」

「・・・。じつは、俺の親もだまされたんだ。詐欺じゃないが、連帯保証で何もかもなくした!」

 俺には返す言葉がなかったが、やっと、

「そうだったのか?! そういう事か・・・。俺たちはお人好しという善良な市民を捨てて、これから賢い市民になろう。だますことも、だまされることもないように・・・。」


 


 









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