第3話 衝動

「母さん、ちょっと行ってくる。」

「ちょっとって、どこよ・・・?」

「走ってくる。」

「そう、今夜も・・・。」

「うん。」

「暗いから、気をつけるのよ。早く帰ってきなさい。」

「ああ、分かった。」

 隆はいつものように黒っぽい上下のトレーナーを着ると、ジョギングシューズに足を通しながら母親に声をかけていた。

 家を出ると、すぐに荒背川の土手道を目指す。以前は受験勉強の気分転換にと思って走っていたのだが、夏の夜祭りを境に目的が変わってしまっていた。

 目的が変わってからは、走っていても腹の底からわき上がってきて臓腑ぞうふを焼きながら口から飛び出してくるような衝動、言い換えればわが身の破滅を喜んでいるとしか思えない魂のおぞましい震えを抑えきれない自分がいた。そして、衝動のままに思うことはただ一つ、今日こそは・・・。


 毎年のことだが、夏祭りは駅を中心に周辺の繁華街が会場となって行われていた。

 隆も同級生も、受験ということで本来なら祭りどころではなかったのだが、最初で最後の休みにしようと級友の河辺や今宮に夏祭りに行かないかと思い切って声をかけると、何と二人とも気持ちよく応じていたのだ。

 ここ数年、駅周辺には次から次へとマンションが建ち、それに伴って巨大スーパーがやって来るなどで、田舎町がいつの間にか十五万都市になっていた。ただ、隆の家は繁華街はんかがいからは遠く離れた川向こうで、いくら頑張って走っても駅まで三十分以上かかっていた。

 二人とは駅前で十八時の待ち合わせをしていたが、今日はどういう訳か日中の気温が思うほど上がらず隆はバス代を惜しんで歩いて行った。親に送ってもらってもよかったが、さすがに高校生ともなれば友達の手前もあって中学までのように両親と一緒というわけにはいかなかった。

「よう!」

 河辺と今宮が、駅の前の交差点から手を上げていた。

「やあ!」

 三人がそろって遊んだのは高一までで、学校で顔を合わすのは別として一年以上のブランクは、三人の間に奇妙な照れくささをかもし出していた。

「はかどっているのか?」

 河辺が、隆に聞く。

「まあまあだよ。」

 隆は、曖昧あいまいに答えていた。

「おいおい、今日は勉強の話はなしだ。それより、知ってること話そうぜ。」

 今宮がさりげなく“はなし”と“なし”をかけて、二人の間を取り持った。受験は体力も消耗するが、精神も消耗していた。

 三人は受験の情報交換が目的で、あとはこれといってなかったのでイベント会場や夜店を手持ち無沙汰に見て回っていた。まだまだ受験とは縁のなさそうな中学生や年下の女子学生が、着飾って楽しげにはしゃいでいる。

 そうした光景を三人はぼうっと見ていたが、河辺が驚いたように、

「おい、洋子だ?! それも、浴衣ゆかただ。」

と声を上げた。隆と今宮が「ウソを言うな」という顔をしたが、二人の目にも同級生の洋子の姿が飛び込んできた。

「ほんとだ!? なんで、彼女が・・・。」

 今宮が、信じられないという声を出していた。隆たちが通う高校は県内でもトップクラスの進学校で、その中でも群を抜いて頭のよい洋子が、この時期に遊ぶとは信じられなかった。

「あれだけ頭がよければ、少しくらいサボっても大丈夫なんだろう?!」

 隆がねたましさ半分でいうと、今宮も「そうだよな」というようにうなずいていた。ぼうっと洋子をみている二人を河辺が突くと、

「おい。あそこ、見てみろ。」

と言っていた。洋子からは距離があったが、同級生の鈴本がいた。

「あいつ、何してんだ?」

 三人は鈴本が誰と来ているのかと興味を持って眺めていたが、どうも一人のようだ。

「おかしな奴だな。」

 隆が言うと、河辺がニヤリと笑う。

「なにが、おかしいんだ?」

 隆が詰め寄ると、

「お前、知らないのか。」

と、わざとらしく言った。言われて隆が首をひねっていると、

「そうだ、聞いたことあるぞ。」

 今宮まで、知ったようなことを言っていた。

「お前ら、何を隠してるんだ? ハッキリ言えよ。」

「お前、本当に知らないのか? 結構、有名だぜ。」

「なにがだよ?!」

「本当に、こいつ知らないみたいだ。河辺、教えてやれよ。」

 今宮が、隆に助け船を出していた。河辺は、もう少し引っ張りたかったのに教えるのは残念だという顔をすると、

「あいつ、洋子が好きなんだぜ。」

と言っていた。

「あいつが?」

 隆は辺りを気にもせず、素っ頓狂な声を上げた。

「しっ、大きな声を出すなよ。そうよ、ほの字だぜ。」

「そんなに好きなのか? でも、あいつと洋子じゃ話にならないだろう?!」

「そういう事。所詮しょせん、片想いさ。」

「そりゃ、そうだ。月と、スポン。高嶺たかねの花だ。」

 最近、故事ことわざに凝っている今宮は、どこにいても知ったことをひけらかしたがる。

「まあ、それはどうでもいいが・・・。あいつ! あれじゃあ、まるでストーカーじゃねえか?」

 河辺に故事ことわざを軽くいなされて、今宮は嫌な顔をしていた。

 話題が尽きると、三人はしばらくの間洋子に鈴本のうわさ話、またゴシップ記事のようなたわいもないことを話していたが、商店に掲げられた時計を見ると九時半を回ろうとしていた。

「おっ、ヤバイ。ボチボチ帰らないと、親がうるさいぞ。」

「ほんとだ。」

「それじゃあな、学校で。」

「ああ、お互い受験頑張ろうぜ。」

などと言いながら、別れた。

 

 隆は家に帰るために、中通り商店街から川沿いの道を目指していた。商店街の奥というか外れの小さなビル、そのビルの二階は学習塾で隆自身は通ったことはなかったが同級生の多くが通っていると聞いていた塾があった。洋子も行っていると聞いていたので忘れ物でも取りに行ったのだろうか、ビルから出てきていた。

 隆は声をかけようかどうしようかと迷っていると、どこにいたのか鈴本があらわれ洋子に近づいた。そして緊張した面持ちで一言二言話をしていたが、突然洋子が悲鳴を上げて両手を突き出すと鈴本を押しのけようとした。しかしそれも束の間、洋子の白っぽい浴衣ゆかたの胸の辺りがみるみるうちに真っ赤に染まると、まるで押されたように仰向けに倒れていた。

 隆の側にたまたまいた女の人が大きな声で、

「あんた、何してんのよ?! 早く電話!」

と、隆に叫んでいた。

 携帯は持っていたが、言われて動転した隆はオロオロとするばかりで何もできない。悲鳴を聞いて駆けつけたのか、もう一人の女性がやってくると携帯を出してテキパキと救急車を呼んでいた。

 隆はぼうっとして、倒れた洋子を見ているばかりだった。洋子は両手を投げ出し大の字になると、身動きもしない。それどころか倒れたときに裾がまくれたのだろう、白い腿と下着の一部が見えていた。倒れた洋子のそばに、ナイフを握りしめた鈴本が突っ立っている。


 あの夜以来、不謹慎ふきんしんだとは分かっていても洋子の肢体が頭から離れたことがなかった。男なら大なり小なり女性に、そしてその肉体に興味以上のものを持つのだろうが、隆の場合はあまりにも鮮烈すぎた。

 そして、夜ごと走っていて目にしたのが、必ず同じ時間に自転車で帰っている女性だった。これまで、一度たりとてそんなことを考えたこともなかったのが、あの夜を境に夜ということもあって見も知らぬ自転車で帰る女性に性的なものを覚えていた。

 勉強の手が止まると、隆の脳裏には女性を襲うという妄想しかなかった。妄想は次第にエスカレートしていき、襲って自分の欲望を満たす、ただそれのみを浮かび上がらせていた。世の中を知らず、自分を制御できない隆に、後先のことなど思い浮かびもしなかった。ただただ、性的な欲望という怪物に頭から飲み込まれていたのだ。

 

 今日こそはと決行を決めると、ナイフなど買う勇気もない隆は騒がれた時のことも考えてアイスピックをバッグに忍ばた。走り出して川沿いの道に入ると、両側はあしが生い茂っていて入りこめば人に見られることも気づかれることもなかった。また、走っていても一度も人と会ったことはなかったのだ。

 隆はバックからアイスピックを極度の緊張で濡れたようになった手で取り出すと、握りしめてひたすら走る。しばらくすると、真っ暗な道に灯りが揺れながら例の女性が自転車に乗ってやって来ていた。

 

 それは、突然のことだった。今村直子は自転車に乗ったまま背中に訳の分からない感覚を感じると、次に鋭い痛みと熱いものが体の中にわき上がっていた。

 バランスを失ってひっくり返った途端、黒っぽい服を着た男が馬乗りになる。

顔も心も引きつって、直子は声もだせない。馬乗りになられていたので、直子は激しく抵抗すると一度は振りはらい逃げようとしたが、そんな直子の足首を男は無言のまま強くつかみ草むらに連れ込んでいた。

 持っていたバッグで必死に叩くが、バッグは男に引きちぎられるように奪われていた。そして次の瞬間、バッグを投げ捨て馬乗りになったまま男は激しい息づかいと共にアイスピックを振り上げて、直子の胸に振り下ろしていた。

 アイスピックが二度、三度と鈍い音を立てて体に刺さる。そのたびに、直子は小さく声にならない声を漏らすと息絶えていた。

 馬乗りになって、他人が見ればこの世のものとは思えない形相の隆は、最後のひと突きをすると何の意味があるのか「ウオッー」と叫んでいた。河辺や今宮や同級生、そして両親の顔も忘れ、自分が人間であることも忘れたように・・・。







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