第2話 花火

「お母さん、祭り行くの?」

「ええ、行くわよ。あんたたち、行きたいんでしょ?!」

 美代は、母の返事に舌を出していた。三つ年下の弟は、素直に、うれしそうにしている。毎年、夏に河土手でおこなわれる花火大会は、三日後だった。この辺りでおこなわれる花火大会の中でも一、二を争う規模なので、クラスでは今日も行くの行かないの、何を着ていくかで大盛り上がりだ。行かない方が珍しい。


「長官、どうかね?」

「最近、テロリストの動きに変化が見られるのでうれいてます。」

 長官と声をかけた男は膝を乗り出すと、

「ほう、その変化とは?」

「かなり国外と、コンタクトをとっているようです。」

「例の集団か?」

「おっしゃるとおりです。」

「彼らは、わが国で何をしようとしているんだ? わが国でテロを起こすことがいかに難しいか、よく分かっていると思うのだが・・・。」

「確かに・・・。」


 男はハンドルから手を離すと、ラジオのスイッチをひねった。可愛らしい声の女子アナが、声に似合わない凄惨せいさんな事件を読み上げる。最近では微笑ましいニュースなど聞くことがなく、耳に飛び込んでくるのは人を殺しただの、死体を切り刻んだの、海外ではテロが至る所で起きて何十人、何百人と犠牲者がでたというようなニュースばかりだった。

「いやな世の中だよなっ!」

 男は、最近入った助手席の男をみながら言っていた。

「はあ、そうですね。」

 若い割には、口数の少ない陰気な男だった。


「ねえねえ、浩子。どうするの?」

「もちろん、行くよ。京子たちも、みんな行くよ。」

 クラスでは何人かずつのかたまりができていて、話題は明日の花火大会だった。

「みんな、なに着ていくの?」

「どうかしら?! 美代は、何を着ていくの?」

「たぶん、服。」

「服か?! 浴衣ゆかたもいいけどね。」

「私も浴衣ゆかた着たいけど、距離があるから服の方が歩きやすいわ。」

「そうね、それは言えてる。」


「それはそうと、長官! 軍の動きで、何か聞いていないかね?!」

「軍ですか、私の管轄外ですから・・・。」

「そうか、何も知らないのか。それでは、私が教えよう。一部のやからが軍と結びついて、政権の転覆てんぷくはかろうとしているとの情報があるのだ。」

「それは、穏やかではないですね。で、やからとは?」

「君も、よく知ってるはずだ。」

「何人かいますが、誰ですか?」

「私に次いで、力がある者だよ。」

「ああ、あの方ですか。しかし、どうして・・・?」

「財界のMが、動いているらしい。」

「あのMがですか?!」

「そうなんだよ、何とかしなくては!」


 助手は社内でも、その陰気さと口の重さで嫌われていた。男は自分の相棒だから助手と付き合っていたが、そうでなければ付き合いたくはなかった。

「どうだ、今夜あたり・・・。」

と言って、グラスを口にあてるマネをした。

「・・・。」

 なにも返事がない。

「もしかして、下戸げこか?!」

「そういうわけでは・・・。」

 やっと口を利いた。内心、面倒くさい男だなと運転手はあらためて思っていた。


 今日は、日曜日。花火大会の当日だ。弟は友達と蝉を捕りに行くという。

「花火大会なんだから、お昼には帰ってきなさいよ。」

 母は飛び出そうとしている弟に、こんこんと言っていた。弟のことだから何も言わないで家を出すと、いつ帰ってくるか分からないからだ。

「分かった。十匹採れたら、帰ってくるよ。」

 生意気に言っているが、この辺りで十匹も採ろうとしたら夕方だ。いつ帰ってくるか、分かりはしない。

「あんた遅れたら、置いていくからね!」

 私も、つい向きになった。

「分かったよ、バ~カ。」

 姉の私にあっかんべえをすると、逃げるように出て行った。


「長官。よい方法は、見つかったかな。」

「先日申し上げたようにテロリストの動きが活発ですから、それとリンクさせてみてはどうでしょうか?!」

「そうなんだ。私も、それを考えていた。それで、どのような方法で?」

 長官は二人しかいないのに変に声をひそめると、

「あの方の地元で、花火大会があるとのことです。」

「そうか、花火大会か。よい機会だな。」

「いいえ、絶好の機会です。その筋の者に手配して、ターゲットの監視と子羊をあたらしています。」

「それは、手回しのいいことだ。それで子羊は?」

「お知りにならない方がよろしいでしょう。今夕、決行です。」

「もし、失敗したら?」

「一の矢は、トラックを準備しています。二の矢は、屋台でのプロパン引火です。もし失敗しても、私たちには関係ありません。すべては、その筋の者が負ってくれますから。」

「そうかそうか、楽しみだな。」


 玄関に出てきた妻は、驚くほどやつれていた。

 借金に、親はもちろん親戚縁者しんせきえんじゃ、借りられるところからはすべて借り、今ではヤミ金融でどうにもならなくなっていた。連日の催促さいそくに、仕事に行く以外は外に出ることさえできない。そんな中、やっと有り付いた運送会社の助手の仕事まで失うのかと恐れていたが、どうしたことかお決まりの仕事場まで押しかけてくるという気配はなく、それどころか業者の方から返済は免除するとまで言い出していた。後は、ヤミ金業者の言うままにするしかなかった。

 条件は、こうだった。借りたトラックで、人を一人轢いて欲しいというのだ。犯罪者になるのは嫌だったが、借金をすべて棒引ぼうびきにするという。背を焼くような借金地獄から逃れられるのなら、聞くしかなかった。

 男は業者が用意した金でトラックを借り、帰る道すがら酒も買っていた。決行まで、あと三時間だった。


「美代、仕度はできた?!」

 母が、催促さいそくしていた。弟も無事帰ってきていて、家族全員で定刻通り出発だ。弟はうちわを持つと先頭を走り、父と母は後ろをついてくる。私はキョロキョロして、友達の姿を探していた。

 浩子と京子が、後ろから走ってきた。二人とも、浴衣ゆかたは着ていない。

「あれっ、浴衣ゆかたは?」

「止めたんだ!」

 二人は、顔を見合わせて笑っていた。

「何だ・・・? 止めたのか・・・。」

 最初に上がる煙だけの花火が、景気よくボンボンといっていた。この辺りから河川敷に夜店の姿があった。裸電球が煌々こうこうとして、暑苦しかった。

「ねえねえ、下りてみよ。」

 三人そろって、土手を下りた。リンゴ飴、カステラ焼き、トウモロコシと屋台が並んで、もう人集ひとだかりができていた。


 使い捨ての携帯が鳴ると、男は妻を残して家を出た。ここから花火会場まで十五分あれば十分だったが、十分ほど走ったところで進入禁止になっているだろうから、その前に酒をあおる必要があった。

 会場近くになると花火見物の人や、河川敷の駐車場に入る車で溢れかえっていたが、男は交通整理をしている警備員の制止を振り切ると、高らかにクラクションを鳴らしながら突っ込んでいった。

 鈍い音がして、前にいた軽四が土手を落ちていく。土手の上で人々が逃げまどい、悲鳴が至るところから上がっていた。もうヤケクソだったが、ターゲットはただ一人。

 伝えられた服装の男が、前方に見えていた。後ろから、白バイとパトカーが引っ付くように追ってきていた。ターゲットの周りでも、前方に走る者、土手を駆け下る者などで、大変な騒ぎになっている。

 男はハンドルを握ったまま姿勢を低くすると、ターゲットに向かってアクセルを強く踏んでいた。前方から銃が撃たれたのか、フロントガラスに次から次へと穴があいていた。そして次の瞬間鈍い音がすると、男の視野からターゲットの姿は消えていた。

 トラックのサイドガラスが強引に砕かれ、ドアが引きちぎられるようにして開けられると、顔面と胸に数発の銃弾を受けたのか男は頭から腰まで血で真っ赤に染めて、座席にうずくまっていた。陰気な男は、もう開きたくもない重たい口を開くこともなく、人に嫌われることもなかったのだ。

 



 








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