パンドラの壺を覗いて

ゆきお たがしら

第1話 日本国王、信長・織田 プロローグ

「士農工商・・・。はて、何を言い出すことやら?!」

 堺の豪商、納屋格左右衛門のうやかくざえもんは湧き上がる嫌悪の眼差まなざしを隠すと、絢爛たる着物に負けず劣らず鷹揚おうように首を傾げていました。そして、

「面白いことを言われる、御仁ごじんじゃ?!」

と言い、含み笑いをします。

  このような場合、納屋のうやほどの身代しんだいあるじともなれば、世もはばからぬ程の高笑いをしても不思議はないのだが、納屋のうやの性格というか頭の中が、それを許さない。


 しばり上げられ、庭に転がされた孫六は、納屋のうやの振る舞いに何とも言い表しがたい恐怖を覚えたが、そこはアウトローである。

「ふん! どうせ殺されるんじゃ、あんたが何を言っても関係ねえ。世間じゃあ、士農工商さっ! 商人あきんどなんてものは、人の上前うわまえをはねるハエか、ノミじゃねえか!」

と、ふてぶてしく言っていた。

 それを聞いた格左右衛門かくざえもんは、笑みを作ったまま庭に下りると孫六にすり寄り、

いことを、お主に教えて進ぜよう。」

と言いながら、転がった孫六の頭を片手でつかむと顔面を地面に押しつけていた。そして、

「いいか、この世は商工農士だよ!」

と言い放つ。


 言われた孫六は、唇で泥をめながらも懸命に笑うと、

「何を寝ぼけたことを?! 揉み手をしながら、人のふところうかがう盗っ人猛々たけだけしいやからが! ふん、盗っ人のあっしが言うのもおかしいが、今は武士の世。力のある奴が・・・、武士が一番なのさ。」

 格左右衛門かくざえもんは、うめきながらも憎まれ口を止めようとしない孫六の頭を、さらに地面に押しつけ耳元に口を寄せると、

「あんたを埋めても・・・、その減らず口をたたく首をはねても良いのだが・・・。秋は夜長よなが冥土めいど土産みやげに、一つ話して進ぜよう。」

と、ささやいていた。


 孫六がなぜ豪商、納屋格左右衛門のうやかくざえもんの屋敷に忍び込めたのか? たった一人で、そのような大胆なことが出来るはずもなく、出来る男でもなかった。当然、納屋ほどの身代ともなれば、屋敷内には食客の腕の立つ侍が何人もいたのである。

 そうなると、孫六は屋敷内で誰かに手引きしてもらわなければ入れるわけがない。それが、女中のお梅であった。


 孫六とお梅のめは、単純というか孫六が意図して作ったものだった。

 一介いっかいのチボ(スリ、巾着切り)である孫六は、通りで獲物えもの物色ぶっしょくしているときに、お梅を目にした。

「いい女だ!」

 たで食う虫も好き好きというが、お梅は誰もが振り向くような器量よしとは言えず、ごくごく普通の若い女であった。しかし、こればっかりは個人の感性だ。孫六には、お梅は世界一素晴らしい女に思えたのである。


 今も昔も同じだが、女にえんのない孫六が、ひょんな事から一目惚れという恋のやまいをしてしまったのだ。今の今までれたれたなど考えることも、経験したこともなかったので、孫六は恋をした途端とたん、自分をもてあましていた。

 どうすればいいのか?! どうやれば近づけるのか、頭の中は真っ白なまま去って行くお梅の背を見つめるばかりであった。


 すると、どこで見ていたのかチボ仲間の花がすり寄ってくると、孫六のふところのものを着物の上から叩いた。

「なにしやがんでぃ?!」

 お梅に気を取られていた孫六は、花とは気づかず驚くと怒鳴どなっていた。怒鳴どなられた花であるが、うれしそうに笑いながら、

「何を言うんだよ。このドスケベが! ぼ~っとしているから、悪いんだよ。」

と、辺りを気にもせず大きな声を出すと、平気で言っていた。その上、

「ぼ~っとしていたら、ふところのものがなくなるよ。アンタの家業は、何なのさ?」

と言うが、そこは花も女。おぼこ娘でない限りは、花のように恋に海千山千うみせんやませんの女でなくとも、孫六の気持ちは手に取るように分かったはずだ。


 花は境内けいだいの茶屋に孫六を誘うと、縁台に腰を下ろすよう目で言っていた。

「孫六。あんた、あの女にほれれたんだろ?!」

 言われた孫六は、眉毛を読まれ憮然ぶぜんとすると、

「それが、どうしたんでぃ!」

 怒ったような、照れたような顔をする。そんな孫六をもてあそぶように、

「うぶな男には、困ったもんだね。あんた、声一つ掛けられないんだから。」

と、花はあからさまに笑っていたが、立ったままの孫六を見ると。

「何が不満で、そこに突っ立っているんだよ。まあ、座りなよ。あたしが、あの小娘を引っかける策を教えてやるからさぁ。」

と言っていた。


 翌日から孫六は、ときを見計らっては通りを彷徨さまよっていた。「ああ! 何とか、あの女に会いたい。」、という一念で歩いていたのだ。しかし、三日・四日とムダに日は過ぎていった。

 孫六が「あれは、幻だったのか」と諦めはじめた頃、運慶寺においてお月見会が催されることなった。茶席が設けられるとのことで、まだお天道様が高いというのに大店の旦那衆が供を連れいそいそと集まり始める。それを知ったチボたちも、何とか糊口を凌ぐためとあちらこちらから寄ってきていた。


 孫六も花も、その一人でだった。

「まあ! お大尽か役者か・・・、これじゃあ、行列だね。」

 次から次へと大店の旦那と共が正装してやって来るのを見て、花はただただ呆れていたが、突然孫六の袖を引っ張ると、

「おや? 六、あの子じゃないのかえ?!」

と言っていた。言われて見た孫六は、目を皿のようにする。

「あっ! そうだ・・・。」

 しかし、次の言葉が出てこない。

 

 すると何を思ったのか、花はお供している娘を追い越し旦那も追い越すと、孫六に手を振っていた。

「六さん、こっちが入り口だよ。」

 大店のあるじ納屋格左右衛門のうやかくざえもんは、そんな花を鷹揚に笑いながらも、好奇な目で見る。花は気にもとめずに、孫六に手を振った。

 格左右衛門と小番頭らしきものが寺の門をくぐると、門の脇に立っていた花が、

「ごめんなさいよ。」

と言って、お梅を呼び止めていた。


 そして、早く来いと孫六を手招きをしながら、

「あたしの連れがね、あそこでこれを拾ったらしいんだよ。」

と、お梅に財布を見せる。

「あ! これは?!」

 お梅は見覚えがあるのか、財布をまじまじと見ながら驚いていた。そして、

「すぐに、呼んできますから・・・。ここで、待っていてください。」

と言うなり、門の中に駆け込んでいた。

 お梅と入れ替わるように、慌てふためいて一人の男が出てくると、

「これは、これは・・・。どうも、ありがとう存じます。手前、番頭の喜助と申しますが、いつ落としたことやら・・・。」

と、言い訳とお礼を長ったらしく言っていた。お梅も、すぐに出てくると深々と頭を垂れていた。


 それからは花が描いたとおりに事は進んでいったのだが、身持ちの堅いお梅は孫六がいくら口説こうと、首を縦に振ることはなかった。いつまでも埒が明かない状態に業を煮やした孫六は、金目当てもあったが花に相談することなしに一計を案じる。

「なあ、お梅さん! 俺も、しっかりとした仕事に就こうと思っているんだ。

そこであんたに相談なんだが、納屋さんに紹介してもらいたいんだ。どうかな?」

 聞いたお梅は、ただただ驚く。小番頭さんの財布を拾ってくれてからというもの、会えば挨拶代わりに口を利くこともあったが、それ以上でもそれ以下でもない相手である。どう返事してよいのか分からず、お梅はうつむいてしまっていた。


わりい、わりい。あんたを困らせるわけじゃないんだ、申し訳ない。」

 素直に頭を下げた孫六だったが、少し考えると、

「お梅さん・・・。俺が自分で頼むから、悪いが納屋さんと顔が合わせられるよう何とかしてもらえねえか?!」

と、お梅の目をのぞき込む。

「ええ、それは・・・。何とか出来ますが・・・。」

 言ったものの、お梅はどうやっていいのか分からなかった。

「いやぁ、あんたにこれ以上迷惑はかけられねえ。そうだなあ・・・。」

 孫六は目を宙に彷徨わせると、

「そうだ、こうしよう! あっしが直接お店にうかがうのはあんたも困るだろうから、裏木戸を開けてくれてたらあっしが旦那に声をかけるさ。うん、うん。これで、どうかな?」

 孫六が勝手にしゃべるのを、お梅は止めることが出来ない。

「裏木戸は・・・。」

「大丈夫、大丈夫。いくらなんでも、取り押さえられることはないだろう。」

 孫六はお梅の手前もあって、えらく強気で言っていた。


 孫六から無理難題を言われたお梅は、お店に帰ると思い悩んだ末に小番頭の喜助に相談していた。

「あの男がねぇ・・・。」

 あるじ格左右衛門かくざえもんの財布を拾ってくれたとはいえ、喜助としても無条件であの男をあるじに会わすわけにもいかず思わず悩む。

「分かった、お梅。私から、旦那様にはお話してみよう。そこで、待っていなさい。」

 喜助から一部始終を聞いた格左右衛門かくざえもんは、

「面白い男じゃのぅ。会うに問題はないが、あの男、わしが見るに素性がよろしくない。お梅には、「暮れ六つ」に来るように言わせなさい。」

と言っていた。 


 お梅に言われて「暮れ六つ」に裏木戸を入った孫六であったが、納屋格左右衛門のうやかくざえもんに会うことなく取り押さえられていた。罵声を浴びる中で、孫六がたまらず口にした言葉、それが「士農工商」だったのである。

 そうして、格左右衛門かくざえもんから秋の夜長とのことで、孫六が聞かされた話とは・・・。世にもおそろしく、耳にしたものは生きてここからは出ることが出来ないような深謀遠慮の話であった。


 なにゆえに、織田信長は明智光秀に殺されたのか?! 光秀と秀吉は?! 

 すべては、納屋格左右衛門のうやかくざえもんの策略であった。豪商、納屋のうやにとって初めは素晴らしき御仁であった信長だったが、いつの間にか支配欲に取り憑かれた信長は、商人にとって目の上のたんこぶ以外の何ものでもなくなったのである。

 そこで格左右衛門かくざえもんは、光秀を目をつけた。頭の切れる光秀であったが、自分に対する信長の扱いに日頃から不満を抱き、将来が見通せなくなっていたのである。

 ところが、格左右衛門かくざえもんから見た光秀は、幕僚たる資質はあっても、頭領としての器を持っていなかった。格左右衛門かくざえもんから見れば、光秀は捨て駒として格好の人物だったのだ。

 ただ、捨て駒は、どこで何を考え、何を知るやもしれず、早めに始末しなければならなかった。納屋がそう考えたとき、うってつけの人物が閃いていた。成り上がり者ゆえに商売も人心も分かり、なおかつ策士で出世欲の塊である秀吉! 格左右衛門かくざえもんは武将相手の商いと貿易で得た莫大な資産を駆使すると、緻密な計画の元、すべてを実行に移していたのであった。

 








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