兎と西瓜
家を出た頃は雨が降りそうな天気だったが、本宮を過ぎたあたりで雲は散り始め、やがて周りは田んぼばかりになり、安達太良山を悠々と眺めることが出来る辺りまで来ると、空は夏の午後特有の、突き抜けるような雰囲気になった。
本家の縁側に寝転びながら、塩をかけたスイカを従姉と食べていた。どうにも、この家に来ると、僕たちは子供に戻ってしまう。
「裏の小学校のウサギ小屋が改修されてしまったね」
従姉が懐かしい気持ちにさせる話題をふってきた。
「ああ。前のは地べたに柵を立てて、その上にベニヤを乗せたような粗末な物だったからねえ。よくウサギが穴を掘って逃げ出していたよな」
「そのウサギを、私が捕まえて。そこの縁側の下で飼おうとしたこともあったね」
当時のことを思い出して、僕は咽てしまった。
あの時、従姉は逃げてきたウサギを捕まえたのではない。ウサギが逃げようとせっせと掘った穴に頭を突っ込み、柵の下からウサギを引っ張り出してきたのだった。
「あれは事件だよ。誘拐事件だ」
僕は当時の従姉の泥だらけの顔を思い出して、腹を抱えながらそう指摘した。しかし、従姉はがんとして、認めない。本人の頭の中では、あくまで「逃げ出したウサギを保護した」という具合になっているらしい。
「結局、次の日連れて行かれてしまったけどね」
従姉がスイカの種をぷいっと庭に飛ばす。その種は綺麗な放物線を描いて、祖母が大事に育てている花壇の中へと消えていった。
「あのまま、花壇からスイカが生えてきたら、びっくりするだろうね」
最近、めっきり女らしくなった従姉も、ここに来るとどうにも行儀が悪いお転婆娘になる。だが、僕はそっちの彼女の方が好きだった。
「生えてこないさ。昔、嫌と言うほどスイカを食べて、その全ての種をあそこらへんに飛ばしたけれど、とうとうスイカの奴は生えてこなかったじゃないか」
従姉はその黒くて大きな目でじっと花壇の一点を見つめながら、ポツリと呟いた。
「人は勝手に育つのにねえ」
人だって散々世話になって育っていくじゃないか、と反論しそうになったが、僕はその言葉の裏に、何か意図があるような気がして、むっと黙り込んでいた。
「ここにくれば、子供に戻れるけれど。この休みが終われば、また、大人に戻るのだねえ」
そう言った従姉の横顔は、無遠慮な夏の夕暮れの日差しの中で、少し影になっていた。
「あのウサギは、どうして穴を掘ってまで逃げ出そうとしたのだと思う」
ふいに訊ねられた。
「あれは、本能だよ。本能で穴を掘って、その結果思いがけず柵の外に出てしまったんだ。どこにでも行けるのなら、そりゃ帰ることもないだろう」
無理やり引きずり出されたら、話は別だろうが、とは言わなかった。
「でも、私たちは、もうどこにでも行けるというのにこうして帰ってきているね」
僕はスイカの種をぷいと出す。種は従姉のような綺麗な放物線を描くことも無く、あたりをつけていた花壇とは別のほうへと飛んでいく。こういう行儀の悪いことは、いつも彼女のほうが得意だった。裏の小学校に生えている桜の木を登る時だって、僕はいつも彼女の下の方で見上げるばかりだった。
「小学校の教師に連れて行かれるわけじゃなし。その気になれば、全てを捨ててどこかへ行けることも出来るのに。どうして、帰ってきてしまうのだろうね。人間は」
まるで独り言のように呟く従姉の声を聞きながら、それはきっと記憶のせいだよ、と僕は思った。
「それはきっと記憶のせいだよ。無駄によく出来ている頭を持ってしまったから、僕らは忘れることが苦手な生き物になってしまったんだ」
今度は従姉のほうがむっと黙っているようだった。子供の頃、この縁側で僕らは何を話していただろうか、とふいに思った。いくら頭の中を探しても、その時の言葉は見つからなかった。
「スイカがウサギのような生き方を強いられたら、それはきっと幸せでは無いのだろうね」
従姉はこれで話は仕舞いだとばかりに、もう一つのスイカに齧り付いた。子供のように齧り付いた。僕はその姿を眺めながら、未だにあの頃話した言葉を捜していたが、それはきっと見つかることも無いだろうとも思っていた。どこかで無意識に花壇の隅に捨ててしまったのだろうと思った。従姉はまるで怒っているかのようにスイカに噛り付いている。何が面白くないのかは分かっていたが、僕はこうやって大人になっていく術しかしらない。
遠く夕暮れに安達太良山が浮かび上がる。その下部のような小さい近い山々の木々まで明瞭に浮かび上がらせている。
「きっと、あの山のちょっと木の開けている所に、僕らが居るよ」
従姉がそこへ向かってぷいっとスイカの種を飛ばす。綺麗な放物線だった。
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