第34話 天使と悪魔と銭狂い④

「でも、これって不法侵入よね?」

 雑草が生い茂った敷地内を通りながら、サヤカがぽつりと呟いた。

「あのな、そーゆうことにいちいち突っ込んでたら世の中何もできなくなるぞ。細かいことは気にすんなって」

「細かくはないと思うんだけど……」

 釈然としない様子のサヤカだったが、そうこうしているうちに、前方に玄関の大きな扉が現れた。

「鍵は……開いてんな」

 タダクニが力任せに押すと、分厚い扉が軋んだ音を立てて左右に割れる。

 中に入るなり、カビ臭い冷気がタダクニ達の鼻をつく。

 がらんとした殺風景なホールには窓や壁に開いた穴から陽射しが入り込んでおり、思っていたよりは明るい。

 正面と左右に大きな扉があり、ホールの両脇に二階へ続く階段が延びている。

 天井は二階までの吹き抜けとなっているようで、大きなシャンデリアが吊り下がっいる。

 紅い絨毯の上には小さな瓦礫がいくつも散らばっており、柱もボロボロで今にも崩れそうだ。

「うわー、かなり広いねー」

 恐怖と好奇が入り混じったユウキの声がホールに反響する。

(そんで、悪霊の方はどうだ?)

『結構な数が潜んでいますね。ですが、あなた達なら問題ないレベルですよ。むしろ、あの草野球の相手の方がまだ手強いくらいでしょうね』

(まあ、サヤカやユウキはともかく、ガチホモとヒロキは幽霊にびくつくようなタマじゃねえしな)

『あなたなんか悪霊よりよっぽどタチが悪そうですからね』

(うるせえよ!)

 タダクニとリサオラが思念波でそんなやり取りをしていると、ガチホモが話しかけてきた。

「それで、どうするのだ?」

「そうだな……人数もいるし手分けした方が効率がいいな。二階と左右の扉の三手に分かれて探索しようぜ」

「えー!? みんなで一緒に回ろうよぉ」

「んなかったるいことやってたら時間かかるだろ。それにゾロゾロ連れて歩いてたら幽霊だって出てきやしねえぞ。ってことで、じゃんけんでペア決めるか」

 ユウキは最後まで渋っていたが、厳正なじゃんけんの結果、タダクニ・サヤカペア(二階ルート)、ガチホモ・リサオラペア(左ルート)、そしてヒロキ・ユウキペア(右ルート)の三つに分かれた。

「いいですか、皆さん。万が一、悪霊に遭遇した場合に備えて霊体に攻撃できる武器を用意しました。各ペアに一つずつ配りますね」

 そう言うと、リサオラは肩に背負ったゴルフバッグから三つの武器を取り出した。

「これは……すげえな」

 タダクニは手渡された一本の古いバットを食い入るように見つめる。

「それは妖刀ナガシマ。見た目はただのバットですが、江戸時代のさる剣豪が霊木れいぼくから削り出したものです。彼はその刀で何百人ものピッチャーを屠ってきたという逸話があるくらいで、凄まじい妖力を秘めています」

「……なんか突っ込みどころが満載なんだが、ありがたく使わせてもらうぜ」

「うーむ、握っただけで神経が研ぎ澄まされ、全身がちあがるような力が溢れてくるこの感覚。さぞ名のある刀匠の作品とみた」

 ガチホモが唸りながら、ぎらりと黒光りする大太刀おおたちを眺める。しかしながら、その長く肉厚で刃もついていない形状は太刀というよりは男性のナニを思わせる。

「さすがですね。それは稀代の刀鍛冶、国分太一物挿くにわけのふといちものさしが最後に世に出した幻の一振り、通称物挿ものさ竿ざお)です。妖刀ナガシマと同じく強大な力が込められています」

「あのよ……リサオラさん。これ、ただのボールペンじゃねえのか?」

 ヒロキの手にはどう見てもボールペンとしか言いようがないものが握られていた。

「とんでもない! それは神剣クーゲルシュライバー。この中では最強の武器ですよ」

「そ、そうなのか?」

「ええ。ちなみにインクは切れてて書けませんのであしからず」

「やっぱボールペンじゃねえかッ!」

「まあまあ。そういえば、リサオラさんの武器はないんですか?」

 ふと疑問に思ったサヤカが訊ねると、リサオラは笑って腰ポケットからリレーのバトンのようなものを取り出した。

「私にはこれがあります」

 それをぐっと握り締めると、バトンの先から緑色の光が伸びて、剣の形を作る。

「かっこいー! ライトセーバーだ!」

 ユウキがそれを見て子供のようにはしゃぎ立てる。

「聖剣グライシンガー。女神ラタフィカの加護を受けた私の愛剣です」

「……なんちゅうネーミングだよ。普通エクスカリバーとかだろ」

「別に私がつけたわけではありませんから、私に言われても困ります」

 光刃を消してグライシンガーを腰ポケットにしまうと、リサオラは一同に向き直る。

「さて、それでは行きましょうか。皆さん、くれぐれも気をつけて下さい」

 リサオラの言葉に一同は頷き返す。

 こうして洋館の探索が始まったが、この時、彼らを遠くで見つめる存在にまだ誰も気づいていなかった。


 靴音を響かせながらタダクニとサヤカは階段を上ると、一階と同じような構造で正面と左右にドアがあった。

「どうするの?」

「とりあえず左から行ってみっか」

 特に理由はなかったが、タダクニは左のドアを開くと何の躊躇もなく足を踏み入れる。

「あっ、ちょっと待ってよ! もう!」

 慌ててサヤカも後を追う。

(でも、ちょっとラッキーかも)

 二人きりだからといって特に何か起こるわけでもないだろうが、それでもサヤカはタダクニと一緒にいられるのが嬉しかった。

 実を言えば、サヤカはあまり幽霊屋敷の探索には乗り気ではなかった。理由はユウキと同じで幽霊が怖いからだ。しかもユウキと違って、ホラー映画など頼まれても絶対に見たくない生粋の幽霊嫌いだ。

 しかし、タダクニと一緒にいる時は不思議と何があっても大丈夫だという安心感があり、顔や性格ではなく、それがサヤカがタダクニに惚れた理由の一つだった。

 その部屋はどうやら子供部屋のようだった。サイズの小さいベッドに棚一杯に並んでいるぬいぐるみやアンティークドール、部屋の家具やカーテンはオレンジ色でまとまっている。しかし長年部屋の主がいなかったからか、家具はどれも埃まみれで、ベッド横のシェードランプは縁が錆びており、開いたカーテンの生地には所々にカビが生えている。

「ずいぶん埃っぽいわね……」

「そりゃ掃除する奴もいねえだろうしな」

 部屋をざっと見渡すも、特に異常は見当たらない。

「きゃっ!」

 と、小さく悲鳴を上げたサヤカがタダクニに抱きついてきた。

「どうした!?」

「な、なんか頭にべたってしたものが……」

 タダクニはサヤカの頭を見ると、そこには小さなクモの巣がかかっていた。

「なんだ、クモの巣がかかってただけじゃねえか。ほら」

 言って、タダクニはサヤカの頭からクモの巣を払ってやる。

「あ、ありがと……」

「ったく、クモの巣くらいで悲鳴なんか上げんなよ」

「な、なによ。別にいいじゃない――っ!」

 そこでようやく、サヤカは今の自分の状態を理解する。

「きゃーっ!」

「どおっ!」

 先程より一際大きな悲鳴と共に、サヤカはタダクニを思い切り突き飛ばした。その勢いでタダクニは棚の傍の壁に頭から激突してしまった。

「っつつ……。何すんだよ!」

「ご、ごめん。大丈夫?」

 サヤカは後頭部をさするタダクニに歩み寄ろうとして、視線の先――棚を見て顔を青ざめる。

「タ、タダクニ……」

「なんだよ?」

「い、いま、あの人形の目が動いたの!」

「あ?」

 タダクニがサヤカの指差す方を振り向いたその時だった。

『キシャーッ!!』

 棚に飾られたアンティークドールの一体の口が大きく開き、タダクニに飛びかかってきた。その口から覗く歯は、一本一本がまるでナイフのように鋭くとがっている。

「きゃーーーーっ!!」

 思わずサヤカはぎゅっと目をつぶり、身体を縮こませた。

 どれぐらいそうしていただろうか。両手で耳を塞いでうずくまっていると、上からタダクニの声が降ってきた。

「おい、サヤカ。大丈夫か?」

「……?」

 タダクニの声に恐る恐る目を開けると、眼前の光景にサヤカは目を瞬かせた。そこには、じたばたと暴れるアンティークドールを片手でむんずと掴んでいるタダクニの姿があった。

「なにが『キシャーッ!!』だ。この野郎」

 アンティークドールはタダクニの手から逃れようと必死にもがいて暴れるも、かえってタダクニを刺激させるだけだった。

「やかましいッ!」

『グフッ』

 勢い良く壁に叩きつけると、頭を強打したアンティークドールはそのままぐったりとして沈黙した。

「ったく、手間かけさせやがって。ん?」

 すると、タダクニの手の中のアンティークドールが光の泡となって消えてしまった。

「……成仏したってこと?」

「さあな。見世物にすればちったあ金になるかと思ったが、消えちまったんじゃしょうがねえ。先行こうぜ」

「う、うん……」

「どうした?」

「そ、その……安心したら腰が抜けちゃって」

 見ると、サヤカの身体は小刻みに震えていた。

「しょうがねえなあ、おぶってやろうか?」

「い、いいわよ! 自分で立てるから!」

 顔を真っ赤にしたサヤカはぶんぶんと首を横に振る。しかし、何度立ち上がろうとしてもどうにも上手くいかない。

「無理すんなって。そんじゃあ、しばらく休もうぜ。幽霊も逃げやしねえだろうしな」

「う、うん。ありがとう……」

 サヤカが回復するのを待っている間に、タダクニは何か金目の物でもないか物色しながらリサオラへ思念波を飛ばした。

(どうやら当たりらしいな)

『そのようですね。ですが、少し妙です』

(何がだ?)

『悪霊といっても、実体化できるレベルはそう多くありません。ですが、どうやらこの屋敷には強い悪霊を引き寄せる結界が張られているようです。一体、誰がこんなことを……』

(好都合じゃねえか。それで、今の奴はいくらぐらい代価を貰えんだ?)

『……本当にブレませんね、あなたは。では会計課に問い合わせてみますね』

(会計課なんてあんのか?)

『まあ天使といっても仕事はお役所みたいなものですからね……っと、出ましたよ』

(早えな)

「それはもう、最新の無線LAN通信ですから}

 どうやら天国というのはそう遠い所でもないらしい。

『残念ですが、せいぜい三〇〇〇円といったところですね』

(やっぱそんなもんか。まあいい、塵も積もればマウンテンだ。ここにいる連中を全部狩ればいくらか足しにはなんだろ。そんで、あと何匹くらいいるんだ?)

『そうですね――』

 そこで、リサオラの声はまるでノイズがかかったように途切れてしまった。

(なんだ? おい、リサオラ)

 向こうで何かトラブルでもあったのだろうか? もう一度思念波を飛ばしてみたが、リサオラの方から遮断でもしているのか、いつものような繋がる感覚がない。

 リサオラ達の元へ行こうかとも思ったが、サヤカを置いていくわけにもいかないし、あの二人なら特に心配するようなことはないだろう。

「うん、もう大丈夫よ」

 それからしばらくして、サヤカはゆっくりと立ち上がり、その場で何度か軽くジャンプをしてみせた。

「よし、じゃあいくか」

 タダクニは頷いて、壁にかけていたナガシマを掴んで握り直す。

「危ねえかもしんねえから、あんま離れんなよ」

「う、うん」

 サヤカは思わずタダクニの背中に密着しようとするのを寸前で思いとどまる。そうして、サヤカはタダクニの半歩後ろを歩いて奥の部屋へと進んでいった。

 多分、これが今のタダクニと自分の距離なのだろう。この距離がいつか近まることがあるのだろうか?

 その光景を思い浮かべようとすると、サヤカは思わず心の中で笑ってしまった。タダクニが誰かに愛を囁くような場面などとても想像できなかったのだ。

「どうした?」

「ううん、なんでもない」

 タダクニは首を傾げるも、すぐにスタスタと先を進んでいく。

(もう少し、このままでもいいよね)

 そんなことを考えながら、サヤカはタダクニの背中を追った。

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