天使と悪魔と銭狂い

第31話 天使と悪魔と銭狂い①

 ――六月二七日(土)。

「今日も来てねえな、あいつ」

 タダクニがマサヒコの机を見てぽつりと呟く。

「どうしたのかしら? メールも返ってこないし電話にも出ないし」

 鉄の女神杯アイアンヴィーナス・カップが終わった次の日、マサヒコが学校に来なかった。

 最初は風邪かサボりでもしたのだろうとタダクニ達幼馴染も大して気にはしていなかったが、メールや電話(タダクニは空メールとワン切りだけだが)をしても返事は来なかった。

「二人ともこれを見てくれ。今しがた、マサヒコからふみが返ってきたのだが……」

 そう言ってガチホモはすっと携帯電話を見せた。タダクニとサヤカが画面を覗き込むと、そこには『彼女ができました』とだけ書かれていた。

「彼女? 金魚のメスでも飼ったのか?」

「亀とかトカゲかもしれないわよ」

「いずれにせよ、相手が人外であることは確かだろうな」

 ガチホモの言葉にタダクニとサヤカは深く頷いて返す。長年の付き合いで三人はマサヒコに人間の彼女など出来るなど天地がひっくり返ってもありえない事を確信していた。

「他に考えられるのは怪しげな宗教にでも引っ掛かったか……どうやら手遅れになる前にマサヒコの家に行く必要があるな」

「もう十分手遅れだと思うが……そうだな。じゃあ学校帰りにでも寄ってくか」

「あ、私も行くわ。今日は部活休みだし」

 そんなわけで授業が終わった後、タダクニ達はマサヒコの家へと足を運ぶことにした。


 マサヒコの家は熊風高校から歩いて一〇分程の場所にあるごく普通の一軒家だ。タダクニの家とは学校を挟んでちょうど反対側にあるので、高校に入ってからはタダクニがマサヒコと一緒に登校することはなかった。

「あらあら、あんな出来損ないのためにわざわざありがとうねえ」

 玄関のインターホンを押すと、家の中からマサヒコの母が笑顔で出迎えた。最近、三段腹が気になる中年主婦だ。

「あのボンクラ、なんか一昨日から部屋にこもりっきりでねえ。いくらモテないからってとうとう引きこもったのかと思うともう笑っちゃって! まあ、あんまり長引きそうなら叩き出そうかと思ってたんだけど、あんた達が来てくれて助かったわぁ」

「なーに、すぐに引っ張り出してやりますよ」

 実の息子に平気で辛辣な台詞をぽんぽん吐くマサヒコ母だが、大体いつもこんな調子だった。

 階段を上ってマサヒコの部屋に入ると、三人は目の前の光景に絶句した。

『………………』

 カーテンが閉まり、テレビの明かりのみの薄暗い部屋の中。そこには恍惚の表情でゲーム機のコントローラーを握りしめているマサヒコの姿があった。テレビ画面にはアニメ調の美少女が笑顔で手を振っている姿が映っている。

「……なにやってんのよ、あんた?」

「おお、お前ら! どうしたんだよ?」

 マサヒコは肩越しに振り向くと、呑気な調子で言った。良く見ると徹夜でもしたのか、目元には濃いクマができていた。

「いや、お前学校に来てねえし、彼女が出来たとかわけのわからんメール送ってきたから様子見に来たんだよ」

「あー、そりゃすまねえな。なんせ俺は今、ナナちゃんに夢中でさあ」

「ナナちゃん? っていうとテレビに映ってる奴か? まさか彼女って……」

「おう、紹介するぜ。俺の彼女のナナちゃんだ」

 マサヒコはぐっと親指を立てて気味が悪いほど爽やかな笑みを見せた。そんなマサヒコに三人は怪訝な顔を見合わせる。

「それって……ゲームの話だろ?」

 タダクニは眉をひそめながら足元に置いてあったゲームソフトを手に取った。『好き好きメモリアル』という、まるでバカップルのブログ名みたいなタイトルのそのゲームのパッケージには可愛らしい女の子達の絵が描かれている。

「ふむ、恋愛シミュレーションゲームというやつだな」

「へー、こういうのなんだ」

 サヤカが物珍しそうにパッケージを横から眺める。

「実は俺、ここんとこずっと何故もてないのか真剣に考えてたんだ」

「キモいからだろ?」

「うるせえ! いいから聞けって。その理由がようやくわかったんだ。俺の求める女性はこの次元にいなかったんだよ!」

「マサヒコ……あなた大丈夫?」

 特に頭が、と心の中で付け足して声に出さなかったのは幼馴染としての優しさだろうか。

「ナナちゃんはなあ、正に理想の女性なんだ。あんな性格どブスの糞ビッチアイドルとは比べるのも失礼ってくらいの清純な子なんだよ」

「まあ、向こうもお前みたいなのに言われたくないだろうけどな」

「……俺さ、正直今までは二次元ってのに偏見を持ってた。キモいと思ってた。けど、違ったんだ。なんつーか世界の広さってのを実感したぜ。二次元は現実だ。ナナちゃんは確かにここに、俺の中にいるんだ!」

 ドンッと自分の胸を叩くマサヒコ。生涯に一度あるかどうかというような真剣な面持ちで語る彼の顔つきは、まるで悟りを開いた賢者のようだ。完全に間違った方向に開いていたが。

「……そりゃよかったな、おめでとさん」

 顔を引きつらせつつ、タダクニはマサヒコに心のこもらぬ短い祝辞を述べた。

この男はいったい何処に向かおうとしているのだろう?

「タダクニ、お前も試しにやってみろよ。そうすりゃ新しい世界が見えてくるぜ」

「んな世界見たくもねえよ」

「いーから騙されたと思ってやってみろって、ほら」

 酔っ払いのようなノリでマサヒコはぐいぐいとコントローラーを押し付けてくる。

「いいんじゃない、なんか面白そうだし。やってみなさいよ、タダクニ」

 意外なところから援護攻撃があった。

(これで少しはタダクニも女の子の気持ちを分かるようになるかもしれないし)

「ほら、サヤカも言ってんだし。な?」

「しかたねえなあ、少しだけだぞ」

 そんなサヤカの思惑など露知らず、心底面倒臭そうな顔でタダクニは床に腰をおろし、マサヒコからコントローラーを受け取る。

「タダクニ、説明書は読まなくていいのか?」

「いいよ、やってりゃわかんだろ」

 基本的に怠け者のタダクニは説明書を読まないでゲームするタイプだ。無論、金が絡んでいるのならば話は別だ。

「あ、私読みたい。貸して」

「ん? ああ、ほらよ」

 マサヒコから説明書を受け取ると、サヤカは興味深そうに読み始めた。

「名前は……『あ』でいいか」

 名前の入力画面にはデフォルト名がないため、面倒なので名字、名前とも「あ」とだけ入力して決定ボタンを押す。生年月日と血液型も同様の理由で一月一日とA型にした。

 そうやってかなり適当にプロフィールを入力し終えると、ゲーム本編が始まった。

「ん? いきなり選択肢か。どれ選べばいいんだ?」

 メッセージ画面には「入学する学校を選んでください」と表示され、続いて三つの学校名が出てきた。どうやらこの中から一つを選ばなければならないらしい。


・ぎらめき高校  どこにでもあるごくごく平凡な高校。

・ラミレス学院  最近、男女共学になったばかりの元女子校。

・バンカラ学園  学ランや下駄履き姿の番長が数多く生息する時代遅れの男子校。


「あー、それはだな――」

「バンカラ学園だ!」

 マサヒコの言葉を遮ってガチホモが叫んだ。

「じゃあバンカラ学園を、と……」

 特に意見もないので、タダクニはガチホモの言う通りバンカラ学園を選択する。すると、いきなり男達の暑苦しい合唱とともに主人公の語りが始まった。

『バンカラ学園に入った僕は三年間の高校生活の中で彼女はできなかったが、代わりにかけがえのないモノを得ることができた。今ではこの学校に入って良かったと心から言える。絆を深め合った僕らの友情は永遠に不滅だ!』

 そんなメッセージの後に、バンカラ学園の校舎と思われる建物と夕陽をバックに、主人公と番長スタイルの集団が肩を組んで笑い合うCGが出てきて、そのままスタッフロールが流れ始めた。

「おい、開始一〇秒でエンディングになったぞ」

「バンカラ学園を選ぶとそうなるんだよ。大体、男子校に女の子との出会いなんかあるわけねーだろ」

「なん……だと? ……解せぬ。何故男子校ルートがないのだ?」

 ガチホモが愕然とした表情をする。

「そういうゲームじゃねえからだよ、つかネタだから。もう一回最初からだな」

「めんどくせえなあ」

 スタートボタンを押してエンディングを飛ばし、タイトル画面に戻ると、もう一回『はじめから』を選択する。

 さっきと同じプロフィールを入力し、今度は『ぎらめき高校』を選択してゲームを進める。

 ゲームの内容は、現在二年生の運動も学力もごく平凡な主人公が、学校生活の中で目当てのヒロインの尻をストーカーの如く追いかけ回して仲良くなっていく、というものだ。

 マサヒコの説明によると、ゲーム自体は画面で攻略したいヒロインをただ選択していけばいいのだが、会話の中での選択肢で好感度が上下するので注意が必要とのことだった。

「えーと、攻略キャラは……明るい幼馴染サオリ、高飛車な大富豪の令嬢レイコ、甘えん坊な義理の妹ミキ、おしとやかな先輩ヒトミ、人見知りな後輩ナナの五人ね。こ、ここは手堅く幼馴染の子がいいんじゃないかしら?」

 説明書を片手にサヤカはさりげなく幼馴染を誘導するも、鈍感というより金にしか興味がないタダクニに通じるはずもなかった。

「いや、普通金持ちのレイコだろ。うまくくっつきゃ将来安泰だし、それがダメでも媚び売ってコネ作っときゃおこぼれを貰えるかもしれねえからな」

「いや、だからそういうゲームじゃねえから。あ、後輩のナナちゃんはダメだぜ、俺の彼女だからな」

「あー、はいはい」

 タダクニは適当に返事しながら適当に文章を読み飛ばしていく。

 そうやってしばらくマサヒコ達のアドバイスに従いつつゲームを進めていくと、ようやくレイコをデートに誘えるようになった。

「お、また選択肢か」

 場所はショッピングモールのファーストフード店。食事の代金をどうするかという状況のようだ。


1、「ここは黙って金を出すのが男」

2、「金がない。おごってもらおう」

3、「男女平等。割り勘で」


「2だな」

 何の迷いもなく十字キーを滑らせるタダクニを、サヤカが慌てて止めに入る。

「だ、駄目よ、それじゃ。ほんと、タダクニは女の子の気持ちを全然わかってないんだから。確かにレイコはお金持ちだからおごるくらいわけないでしょうけど、こういうところで男を見せれば女の子は喜ぶのよ。幼馴染なら割り勘でもいいけど、ここは1を選ぶの。いい?」

「……なるほど、先行投資ってやつか。確かに目先の小銭にとらわれて将来の大金を逃すのは愚の骨頂、中々奥が深いゲームだな」

 感心したように頷くタダクニに、サヤカは大きな吐息を漏らした。やはりこの男に乙女心を分からせるのは無理らしい。

 自分でプレイするというよりほぼ周りの声に従ってボタンを押すだけの役割のタダクニだったが、レイコとの仲は順調に深まっていき、とうとう告白するところまでこぎつけた。

 マサヒコによると、これでようやく第一部が終わり、ラブラブなスクールライフを満喫する第二部が始まるそうだ。しかしタダクニにとってはいつレイコの家の資産情報が得られるのか、ということしか頭になかった。この男には根本的にギャルゲーというものが合わないのだろう。


『僕は君が好きなんだ!』

『もろちん、私も好きよ!』


 校舎の屋上で主人公とレイコが告白しあう大事なシーンなのだが、何かがおかしかった。

「なあ、これ……」

「……そこには触れてやるな。こういうのに誤字脱字はつきものなんだよ……」

「台詞もそのまま言ってるわよ。どうして気付かなかったのかしら?」

「そう言えば、先程も『校門』が『肛門』になっていたな」

「わざとやってんじゃねえのか?」

 首を傾げながら先を進めると、さらに首を傾げるような展開が待っていた。

「ん? なんだ?」

 場面が急に変わり、告白に成功した主人公が浮かれてスキップしながら道路に出ると、いきなりトラックが突っ込んできて撥ねられてしまった。

「んな……!?」

「なんと!?」

「ええ!?」

 『その後、僕は交通事故で入院、全治六ヶ月の大ケガと診断されてしまった。僕はすっかりやる気をなくしてしまい、どういうわけかレイコさんとの仲も疎遠になった。ああ、なんかもうどうでもいいや……』

 そんな主人公の捨て鉢な台詞の後、そのまま画面が暗転して『YOU ARE LOSER』という血で書いたような赤い文字が表示された。

『…………』

 あまりの超展開にタダクニ達は唖然とした表情でテレビ画面を見つめていると、マサヒコが苦笑いを浮かべながら説明を始めた。

「まあ、なんだ、運が悪かったな。こいつはかなりの低確率で起こるランダムイベントで強制的にゲームオーバーになっちまうんだよ」

「なんでそんなもんを……。まあ、大体どんなもんか分かったからもう十分だ」

 一区切りついたの好機とばかりにタダクニはコントローラを床に置く。

「そうか? またやりたくなったらいつでも言ってくれよ。ナナちゃん以外なら譲ってやってもいいからよ」

「……ああ、気が向いたらな。そんじゃあ、帰るとするか」

「そうね」

「うむ、一応マサヒコも元気なようだしな」

 三人が一斉に立ち上がると、マサヒコが思い出したように呼び止めた。

「あー、そうだ! 明日は休みだし、今日は久しぶりに俺んちで夜集やしゅうやろうぜ」

「あ? そういや今月はまだやってなかったな。俺は別にいいけど、お前らは?」

「私は大丈夫だ。特に予定もないしな」

「私もいいわよ。ちょっと用事があるから少し遅くなるけど」

 夜集やしゅうというのは要するにお泊り会のようなもので、タダクニ達幼馴染の四人は月一回くらいで夜中に誰かの家(大抵はタダクニの家だが)に集まるのが昔からの習慣となっていた。やることはただゲームをしたり、だらだらとだべったりといったものだが、彼らにとっては大事な時間だった。

「よーし、決まりだ。俺もこれからはナナちゃんの相手でお前らと一緒につるむ時間も減っちまうだろうしな。今夜は楽しもうぜ」

「……そうだな」

「ええ……」

「うむ……」

 ふっと悲しげに目を細めて微笑するマサヒコに、三人は哀れで愚かなものを見る目で笑い返した。

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