熊虎激突! 鉄の女神杯(アイアンヴィーナス・カップ)

第19話 熊虎激突! 鉄の女神杯(アイアンヴィーナス・カップ)①

 ――六月二二日(月)。

「おほ♪ やべえなこれ!」

「たまんねえなー、もう!」

 昼休みの二年E組の教室。

 窓際の隅で、いつもの如く早弁を済ませたクラスの男子達が一冊の雑誌を囲んでいた。

 雑誌といってもサンデーよりフライデーを愛読するような連中なので、彼らが眺めているのは今ブレイク中の巨乳グラビアアイドルの写真特集だ。

「これ最初に考えた奴ってマジで天才だよな」

「ああ、人類の叡智えいちってすげえよ」

 アイドルが着ているビキニは妄想力を最大限に掻き立てられるように特殊加工(黒マジックで塗りつぶす)がほどこされており、なんとも涙ぐましい。

「うわっ、あいつらマジキモい!」

「同じ男でも竜胆君とは大違いよね。最悪だわ」

 女子から軽蔑けいべつの視線を存分に浴びながらも、男衆は脳裏に焼きつかせるように一枚一枚じっくりめくっていく。

 そんな背後で沸き起こる歓声をBGMにしながら、タダクニは机に突っ伏していた。

 というのも、新作の格闘ゲームが今日の午前〇時に発売するというので、以前の写真の件をネタにしてきたユウキの命令で買いに行かされ、さらに朝の四時までそのゲームに付き合わされたのだ。

 通常、ゲームソフトというのは木曜発売なのだが、糟駄町かすだちょうのゲーム屋はその数日前に販売するところがほとんどだ。いわゆるフライングというやつであり当然許される行為ではないが、糟駄町かすだちょうにモラルを期待する方がどうかしているのだ。

 そんなわけで今日はずっとまぶたが重く、タダクニは何度も授業中に寝そうになった。今頃ユウキも机の上で爆睡しているだろう。

 タダクニは楽して稼ぐことしか頭にない真性の怠け者ではあるが、意外にも授業は真面目に聞いていた。しかしそれは決して勤勉なのではなく、授業料がもったいないというケチのさがゆえのものだった。

「おいタダクニ、お前も見ろよ。すげえぞ」

 意識が朦朧もうろうとしていい感じで眠りにつけそうだったが、発情期の猿のように興奮した風原かざはらがタダクニの背中をゆすって邪魔してきた。

「あー? アホか。んなもん見たって一銭にもなりゃしねえ。だいたい水着着てポーズとるだけで金貰えるんなら俺がやりたいくらいだってんだ」

 タダクニは突っ伏したまま、若干怒気を込めてうめいた。

「そんな考え方する奴初めて見たぜ……」

「性欲パラメータが全部金欲パラメータに振り分けられてるんだよ、こいつは」

 いない方が不自然という程に集団の中に溶け込んでいるマサヒコが言う。

 ちなみにゲイであるガチホモは当然この輪には入っておらず。今朝がた、下級生(女)と同級生(男)からラブレターを貰ったそうで今は教室にはいない。

 恐らく前者は断るだろうが、後者に関しては誰も考えたくもなかった。

「マジかよ。じゃあお前、彼女とか作ろうとは思わねえのか?」

「彼女だぁ? 養ってもらえるなら大歓迎だが、俺に誰かを養う甲斐性などない!」

 がばっと身を起こすと、タダクニはきっぱりと言い切った。

「なんてやつだ……」

「つーわけで俺は寝る。以上!」

 それだけ言って、タダクニは再び机に伏して眠りにつく。

「……」

 そんなやり取りを少し離れた机で聞いていたサヤカは、少し肩を落としてペットボトルのお茶に口をつける。

「彼女なんかいらないってよ、サヤカ。どうすんの?」

「!?」

 飲みかけていたお茶を噴き出しそうになるのをこらえて、サヤカは向かいの机で意地悪そうな笑みを浮かべている茶髪のショートカットの少女を見た。

 豊田とよだアキ。サヤカと同じ女子バスケ部に所属しているクラスメイトだ。

「な、なによ、いきなり!」

「あんたも物好きよねえ、あんなの好きになるなんてさ。恋は盲目とは言ったもんね」

 周りには聞こえないくらいの声で言うと、アキはパックジュースのストローをくわえた。

「あ、あれでもいいとこだっていっぱいあるのよ」

「どこよ?」

 ストローを咥えたまま、本当にわからないというような顔でアキは聞いてくる。

「それは……その……」

 改まってタダクニの長所を挙げるとなると、幼馴染のサヤカですらすぐは思いつかなかった。

 そんなサヤカが返答に困っていると、校内放送のチャイムが鳴り響いた。

『生徒の呼び出しをします。二年E組の有馬タダクニ君、至急校長室まで来てください。繰り返します、二年E組の――』

「あぁ?」

 アナウンスの中に自分の名前を聞きとると、タダクニは不機嫌そうに顔を上げた。

「なんだなんだ? 校長に呼ばれるなんてお前また何かやったのか?」

「知らねえよ」

 面白そうに肘でつついてくるマサヒコを適当にあしらうと、タダクニは寝ぼけ気味の頭を叩き起こして「はて?」と思考する。

 今までの学校生活の中で自分と校長の接点なんてせいぜいサヤカや妹達の写真くらいしかないのだが、そんなことでわざわざ校長室まで呼び寄せるとも思えない。

「ま、行ってみりゃわかるか」

 考えても結論が出なかったのでそこで打ち切ると、面倒くさそうに頭を掻きながらタダクニは教室を出た。


 A棟の一階にある熊風校長室のドアに来客を告げるノックの音が響く。

「入りたまえ」

 ドアの向こうから渋い声が返り、タダクニは軽く服装を整えると「失礼します」と軽く会釈しながら中へ入る。

 校長室に入るのはこれが初めてだったので、タダクニは何気なく室内を見回してみる。

 壁に歴代校長の写真が並んであったりトロフィーや賞状が飾られてあったりと、一見何の変哲もないように思える。が、歴代校長の中にチンパンジーが混じっていたり、表彰の大半は『サッカー部甲子園優勝』だの『テニス部モナコGP制覇』だの来客用にでっち上げたうえに勘違いもはなはだしいものだったりするのがいかにも熊風くまかぜ高校らしかった。

「わざわざ呼び出してすまんな。まあ掛けたまえ」

 簡素な執務机に座っているやや肥満気味の初老の男性こそ熊風くまかぜ高校校長その人である。

 生徒達からは『H2O』というあだ名で親しまれており、その由来は髪型が水分子モデルと酷似しているからだ。もし彼の髪がとんがっていれば『平八』と呼ばれていたであろう。

 校長に促されて安っぽいソファに腰を下ろすとタダクニは早速要件を訊ねた。

「それで、何の用ですか? 写真の件なら今はちょっと――」

「その件ではない。今日は君に頼みがあってここに来てもらった」

「頼み?」

「うむ。三日後に、鉄の女神杯アイアンヴィーナス・カップが開催されるのは知ってるな?」

「ええ、そりゃまあ。でも、それがどうかしたんですか?」

 鉄の女神杯アイアンヴィーナス・カップ

 それは、同じ敷地内にある熊風くまかぜ高校と虎雷こうらい高校との間で行われる『三大抗争』と呼ばれるイベントの一つである。

 大きな行事はいちいち別の日に行うのも面倒なので文化祭や体育祭は合同で行うのが慣習となっているのだが、昔から何かと因縁のある二校なので学校を挙げての対抗戦となるのはごく自然な流れであった。

 鉄の女神杯アイアンヴィーナス・カップは、二校からそれぞれ『女神』と呼ばれる代表者を一名ずつ選出して様々な競技を経て真の『女神』を決める大会であり、単なるミスコンとはやや趣が異なる。

「実は、肝心の女神がまだ決まっておらんのだ」

 校長はあごひげをさすりながら、苦い顔をする。

「そこで君に女神に相応しい人材を探し出して欲しい。理想は容姿端麗、成績優秀、スポーツ万能かつ生徒や教師からの人気もあるアイドル的存在だが、それを鼻にかけない清楚で可憐な処女だ。さらに付け加えるなら、性格は慎ましやかで慈愛に満ちているが芯は強い。しかしながら天然だったり時折ドジで甘えん坊な一面も持っている、そんな生徒が好ましいな」

「そんな奴、二次元にしかいませんよ」

「では、そのニジゲンとやらから連れてきたまえ」

「無茶言うなこの校長は……。大体なんで俺がそんなことしなきゃならないんです? そういうのは生徒会か何かの仕事でしょう?」

 女神の選出方法は基本的に自薦者の中から生徒会が選ぶ。女神の条件は明記されていないが、とにかく器量が良いことが暗黙の了解となっている。

 競技内容の決定や大会の運営に携わるのも主に両校の生徒会であり、後は女神が選出されたクラスが少し手伝いをするくらいで、ただの一生徒であるタダクニが関わる事など何もない。

「それは君が有馬ユウキと有馬シズカの兄であり、橘サヤカのクラスメイトだからだ」

「はあ?」

「彼女達は写真の影響もあって我が校はおろか虎雷でも抜群の人気を誇っている。聞けばファンクラブどころかストーカーまで出来ているそうじゃないか」

「はあ」

「そういうわけで彼女達のうちの誰かを出場させてほしいのだ」

「あいつらはあんな大会なんかに出やしませんよ。つーか、三日前にもなってまだ決まってないってのはどうなんです?」

「うむ、実は自薦者は数名いるのだがどの生徒も女神としてはちと厳しくてな。生徒会はその中から選ぶつもりのようだが、はっきり言ってあの顔面偏差値では出ても瞬殺されるだけだ」

(そいつらもそんなんでよく出ようと思ったな)

鉄の女神杯アイアンヴィーナス・カップは去年一昨年と我が熊風高校が連勝しておるが、それだけに今年は向こうも相当な弾を用意してくるはず。いわば、両校の威信を懸けた総力戦というわけだ。わかったかね?」

「いえ、全く」

「ぐっ! とにかく、どんな手を使ってでも彼女達を説得したまえ! これは校長命令だ!」

「んな無茶な……」

 これもタダ働きにはなるのだろうが、代価が貰えるとはとても思えなかった。

 これは完全に見栄と意地の私事であり、慈愛だの徳だのと言った慈善家が好きそうな言葉は一ミリグラムも含まれてはいまい。

(冗談じゃねえ。あんな大会、せいぜいどっちが勝つか賭けるくらいしか楽しみがねえってのによ)

 両校随一の美女が白熱の戦いを繰り広げるという内容から、女子はともかく男子にとっては夢のようなイベントではあるが、タダクニは全く関心がなかった。

 去年は女神には見向きもせずに体育館の入口で賭けの胴元どうもとに勤しんでいたし、一昨年は姉のミハルが女神に選ばれたと聞いてはいるが、入学する前の話なのでどうでもよかった。

(ん? 待てよ。賭け……?)

 どうやって断ったものかと頭を働かせてると、ふとある疑問が浮かんだ。それは段々くっきりと形を作り、そして一つの答えが導き出される。

(こいつはひょっとしてカモがダイヤを背負ってやってきやがったかもしれねえぞ)

 その答え合わせをするために、タダクニはおもむろに校長に話を切り出す。

「ところで校長、今年の熊風の優勝にいくら賭けてるんですか?」

「な、なんの話だ!?」

「隠さなくたっていいですよ、俺達も普通にやってますし。で、いくらです?」

 タダクニはずいと詰め寄り、校長の瞳の奥を探るように視線をがっちりと合わせる。

 よくよく考えてみれば、自校の女生徒の生写真を買いに並ぶようなダメ教育者に愛校心などあるはずがない。むしろ、こういうイベントで賭けに参加しない方がおかしいのだ。

 同じ賭けでも生徒より教員の方が大金が動く。ならばそっちに噛んだ方が旨みがある。

「む……ううむ……」

 脂汗をびっしりと浮かべ、かといってタダクニから目を逸らすこともできずにいた校長だが、やがて観念したように口を開いた。

「……一〇〇万だ。毎年、『三大抗争』では虎雷の校長と賭けをするのが恒例となっておってな。通算成績はほぼ互角、さっきも言ったように鉄の女神杯アイアンヴィーナス・カップこそ連勝しているものの、他の抗争も含めるとここ数年では負け越してしまっている。だからこそ今年はどうしても負けられんのだ」

「なるほど……。ようがす、そういう事情なら喜んで協力しましょう」

 聞きたかった言葉を上手く引き出せたタダクニは、にやりと悪い顔を浮かべる。

 まさか一〇〇万も動いているとは思わなかったが、嬉しい誤算だ。

「本当かね!」

「その代わりと言っちゃなんですが、熊風が勝った暁にはリベートとして賭け金の二割を頂きたいんですがね。なんせこっちもちょいとロバートゼニーロが必要でして……」

 タダクニは二本指をピッと立ててみせる。賭け金の二割、つまり二〇万という意味だ。

「む? うーむ、そうだな……今回は絶対に負けられんし……よかろう」

 ひとしきり唸った後、校長は渋々ながらも取引に応じた。

「それでは取引成立ということで。後は全てこちらにお任せください」

「うむ、頼んだぞ」

 がっちりと握手を交わすと、タダクニはきびすを返して校長室を後にした。

(さーて、思わぬ儲け話が転がり込んできたぞ)

 教室へ戻る途中、タダクニは早速今後のプランを組み立て始めた。

 三億円もの借金を抱えているタダクニにとって二〇万など焼け石に水のような金額だが、塵も積もればマウンテンという格言もある。

 いくら補正がかかっているとはいえ善行で稼げる額などたかが知れている。たまたま幸先良く三〇〇万もの代価を得る事ができたが、そんな大きなヤマはそうそう都合良く転がってはいないだろう。

 実際、今朝は登校中にチンピラ同士の喧嘩の仲裁やら道端のゴミ拾いやら普段なら死んでもやらないような事もやってみたが昼飯が買える程度の額にしかならなかった(それでも常人の数十倍はあるらしいが)。

 こういうチャンスには進んで飛びついていかなければ三億円の返済など到底無理な話だ。

(まずはとにかく女神、だな。望みは薄いがまずはあいつらから当たってみるか)

 これからやる事は山積みだが、兎にも角にも女神がいなければ始まらない。

 手始めに二人の妹と交渉するべく、タダクニは階段を上り始めた。

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