第5話 銭狂いと天使が出会った日⑤

「……くそー、散々こき使いやがって。なんで俺が女バスの雑用なんかせにゃならんのだ」

 夕暮れに染まった通学路をタダクニはぶつくさと文句をこぼしながら一人歩いていた。

 あの後、タダクニは罰としてユウキとサヤカの所属する女子バスケ部の一日マネージャーを命じられ、ボール磨きやモップがけといった雑用に部活終了後の後片付けまで全部一人でさせられる羽目になった。

 職員室に鍵を返した時は既に日は暮れており、二人から受けたダメージがまだ残っているのに加え散々こき使われたせいで身体の節々ふしぶしがかなり痛む。

「写真も全部没収されちまったし、これからどうすっかな。別にもう無理に稼ぐ必要もねえんだが、どうにも染みついちまってんだよなあ」

 そんな風にぼんやりしながら見通しの悪い十字路を右に曲がったその時。

「なっ!?」

 不意にタダクニの目の端に大型トラックが突っ込んでくるのが映った。

 その交差点は信号もミラーもなく、本来あるはずの標識はどこかのチンピラ同士の喧嘩の際に折られたうえに一時停止の線もほとんど消えているため、よく事故が起きるのだ。

 勿論、町役場や警察に補修の要請はしているのだが、『税金強盗』『動かざること山の如し』などと評される粕駄かすだのツートップが何か対応などするはずもなく、完全に放置されたままだった。

 普段なら十分に気を配っていたはずなのに、ついうっかり考え事をしていたためにすっぽり頭から抜け落ちてしまっていた。

 しかし、タダクニがその事を思い出した時には既に手遅れだった。

 アダルト動画を鑑賞しながらどこか恍惚こうこつを含んだアルカイック・スマイルで運転していたことと何か関連性はあるのだろうか、法定速度を軽く五〇キロはオーバーしてるトラック運転手は、急に現れた人影に寸止めをくらったかのように目を丸くして慌ててブレーキペダルを踏もうとする。しかし。

 距離にしてわずか数十センチ。

 避けるどころか、走馬灯が頭の中を駆け巡る間すらなかった。

(あ、こりゃ死ぬな)

 すぐに来るであろう衝撃に備えてか、全身の筋肉が委縮しているのが分かる。全く意味のない行為だ。

 その瞬間――視界が真っ白になった。


「大丈夫ですよ、目を開けてください」

 

 眩い光の中、タダクニの頭上から凛と澄んだ声が聞こえてきた。

 その声につられてゆっくりと視線を上に向けると、一人の少女が宙に浮いていた。

「な、なんだぁっ!?」

 宝石のように輝く長い金髪に青色の瞳、気品と知性に満ち溢れた容貌、やや深めのスリットが入った白のスカートスーツを見事に着こなしている姿は超一流の美人秘書といった感じだ。

 ただし、がなければの話だが。

「どうなってんだ……?」

 ふと横を見るとトラックがすぐ目の前で止まっていた。それに周囲の様子もどこかおかしい。

 風で飛んだビラ紙が空中で停止しており、全ての動きが止まったかのように静かだった。

「心配いりません、少し時間を止めているだけですから。あなたは有馬ありまタダクニ、ですね?」

 タダクニが困惑していると、少女はすっと地面に降り立ち、流暢な日本語で話しかけてきた。

「あ、ああ……。あんたは一体……?」

「私の名はリサオラ=アークエット。あなた達の概念で言えば、天使といったところでしょうか」

 リサオラと名乗った少女は、冗談を言う風でもなくさらりとそう言った。

使だぁ?」

 あからさまに疑いの眼差しを向けてタダクニは聞き返す。

 改めて少女を見てみる。年頃はタダクニと同じぐらいだと思うが、欧米人だからか三、四歳は大人びて見える。背も高く、履いているのはハイヒールではなく踵の低いローファーだが、身長は一七四センチのタダクニとほとんど変わらない。

 確かに不可解な状況ではあるが、だからといって『天使』はないだろう。

 いわゆる『電波さん』という奴なのだろうか?

「ええ、そうです。この世界とは異なる世界、分かりやすく言えば天国からあなたを救いにやって来たわけです」

「……と、思い込んでるパラノイアか?」

「私は本物です」

「じゃ本物のパー?」

 タダクニは人差し指をぐるぐる回して手の平を開いてみせる。

「……随分と口の悪い人ですね。あとそれ、放送コードに引っ掛かりますよ」

「天使って言う割に妙に細かいこと知ってんだな……」

「まあ、確かにこんな突拍子もない話をいきなり信じろというほど私もアレではありませんから、証拠をお見せしましょう」

 リサオラはすっと右手を前に伸ばすと、彼女の掌が淡く光り始める。すると、光は彼女の掌の上で徐々に何かの形を作り、やがて金色に輝く拳銃が現われた。

「これは黄金の回転式拳銃ゴールデン・リボルバー。お金や宝石といった価値のある物を様々な力に変換する天使の武器です」

 次にリサオラは腰のポケットから小さな緑の宝石を取り出し、ふっと息を吹きかけると、宝石が光り始め、やがて一発の銃弾に形を変える。そしてそれを黄金銃に込めると、タダクニに銃口を向けた。

「お、おい……!」

 戸惑うタダクニだが、リサオラは言葉も待たずにあっさりと引き金を引いた。

「うわっ!?」

 次の瞬間、眩い光がタダクニの身体を包み込み、反射的に身を固くして目をつむる。

 しかし、いくら待っても痛みはやって来ず、むしろ温泉にでも浸かっているかのような心地よい感覚が全身に染み込んでいく。

「今のは疲れや傷を癒す回復弾です。もうどこも痛くないでしょう?」

「た、確かに……」

 軽く身体を動かしてみると、ついさっきまであった節々の痛みが綺麗さっぱり取れている。

「なるほど……酔っぱらったOLってわけじゃなさそうだな。それで、あんたは何で俺を助けてくれたんだ?」

「それは、あなたが『中継点コネクタ』という数億人に一人しかいない希少な存在だからです」

「『中継点コネクタ』?」

「簡単に言えば、あなたは私達の住む世界とあなたの世界を繋ぐ扉なんです。私達天使はこちらの世界の悪霊を退治したり死者の魂を管理するのが主な仕事なんですが、『中継点コネクタ』がなければ私達はこちらの世界に介入が出来なくなってしまうんです」

「悪霊退治に死者の魂、ね……。そりゃご苦労なこった」

 いかにも中二病患者が好きそうな話だが、今まで起こった現象からリサオラの妄想というわけでもないのだろう。

「けどその『中継点コネクタ』ってのがなくたって別にそっちの世界には関係ないんじゃないのか? 死ぬほどボランティアが好きってんなら話は別だけどよ」

「勿論、私達も決して慈善事業でやっているわけではありません。元々、私達の世界は互いに密接に関わり合っているんです。例えば、先程お見せしたような力は人の想い――正確には価値観が源になっています。お金や宝石はその典型ですね。つまり、私達天使にとっても人はなくてはならない存在ですし、悪霊や死者の魂といったたぐいは普通の人にはどうこう出来るものではないですから、野放しのままだと世界中に悪影響が出てしまいます。よって――」

 リサオラは一旦区切って、人差し指を立てる。

「天使の力を維持するためにもこの世界をそれらの脅威から守らなければならないというわけです。そのための『中継点コネクタ』なわけですが、『中継点コネクタ』は人やモノなどの様々な形で存在していますがその数は一〇〇もありません。なので、出来得る限り『中継点コネクタ』を減らさないようにするのも私達の仕事なんです」

「ふーん……。まあ、よく分かんねえけどとにかく助かったよ、ありがとな。それじゃ」

 途中からほとんど聞き流していたが話の内容から察するに、要は自分は運が良かったのだろう。それだけ理解できれば十分だ。

 タダクニは可能な限り爽やかな顔を作ってその場から立ち去ろうとしたが、リサオラに呼び止められた。

「まだ話は終わっていません」

「あ? まだ何かあんのか?」

「ええ、むしろここからが本題です。いくら『中継点コネクタ』が希少な存在だからといって、あなただけを特別扱いするわけにはいきません。よって異界干渉法第四条第七項に基づいて、あなたには命が助かった代価として日本円で三億円を支払ってもらいます」

「なんだと!?」

 いきなりとんでもないことを言ってきたリサオラに、タダクニは思わず声を荒げた。

「特に難しい話ではありません。こちらの事前調査であなたが三億円の宝くじを持っているのは分かっていますから、それを渡してくれれば結構です。命に比べれば安いものでしょう?」

「ふ、ふざけんじゃねーッ! 天使のくせに人から金取るってどういう了見だ!? お代はラヴで結構、とか言えねえのか!?」

「残念ですが規則ですので」

「大体、元はと言えばこのトラックが悪いんじゃねえか! 金取るならこのトラック野郎から搾り取るのが筋ってもんだろーがッ!」

 タダクニは大きく目を見開いたまま固まっている運転手をビシッと指差す。

「確かにあなたの言い分も一理ありますけどね。本来ならあなたがトラックにかれて瀕死状態に陥って判断力と思考力を極限まで低下させたうえで交渉する手筈てはずだったんですよ。ほら、こういうケースだと大抵手遅れになってから現れるのがお約束じゃないですか」

「それのどこが天使じゃ! 思いっきり悪魔のやることじゃねえか!」

「失礼ですね、悪魔ならもっと狡猾こうかつですよ。まあ、私もあなたが轢かれるのをただ待っているような陰湿な手段は好きではないので、こうして事前に介入したんですけどね。結果としてあの運転手は何もしていませんし、あなたの命が助かったのも事実なわけですから」

「じゃあ、トラックを元に戻せ! 三億手放すくらいならねられた方がマシだ!」 

「……死にますよ?」

「命より金だ!」

 何の迷いもなく断言するタダクニに、リサオラはやれやれといった風に肩をすくめた。

「仕方ありませんね。出来れば穏便にいきたかったのですが、強制的に宝くじを回収させてもらいます」

 リサオラは右手の黄金銃をタダクニにすっと向ける。

「ちょ、ちょっと待ってくれ! 頼む! 俺にはどうしても三億円が必要なんだ!」

「……では、その理由を聞かせてください」

 一応話に応じる気はあるのか、リサオラは一旦銃口を下ろした。

「実は、俺にはかなり重い病気にかかった妹がいて、手術をしなければあと半年も生きられないんだ……。けど、その手術には莫大な金が必要で……。頼む、俺はどうなってもいい。ただ、妹のためにも――宝くじを奪わないでくれ!」

「それは……」

 すがりつくように必死に訴えるタダクニを見て、リサオラはふっと目を細め、

「嘘ですね」

きっぱりと言い切った。

「ば、バカな……!? 何故見破った!?」

「あなたの記憶を読ませてもらいました。妹さんはお二人とも至ってご健康のようですね」

「な……!? あんた、人の心が読めるのか!?」

「ええ、天使ですから」

 事もなげに言うリサオラ。

「どうしても宝くじを払いたくないのなら他に価値のある物でも構いませんが、そんな物は持っていないでしょう?」

「じゃ、じゃあ宝くじの代わりにこれを持っていってくれ!」

 タダクニは慌ててズボンのポケットから財布を引っ掴むと、中から小さな紙切れを取り出した。上と右の端に破いた跡があるその古い紙には、子供の落書きのような絵が描かれてあった。

「こいつは俺が幼馴染達と幼稚園の頃に描いた絵だ。で、友達の証にって四つに破いて一人ずつこうやって持ってるんだよ。俺にとっては三億積まれても譲れない、宝くじより大切な物なんだ。だから、こいつを代わりに持っていってくれ……」

 実際はただなんとなくずっと持っていただけで、仮になくなっても別に気にもしないような代物だが、宝くじの身代わりを果たしてくれるのならわざわざ持っていた甲斐もあるというものだ。紙切れもさぞ本望であろう。

「……確かに本人にとってはかけがえのない宝物というものはあります。ですが、それは他人からすればただの物に過ぎません。ある程度の補正はかかりますが、それでも石ころがダイヤに化けるわけではありません。どれだけの人間がその物に対して価値を認めているかが重要なんです。というか、あなたはその絵に何の価値も持ってないじゃないですか。言ったはずですよ、記憶が読めると」

「ぐ……! お、お願いです! どうか、どうかこのゴミ虫めにお慈悲を! お情けを!」

 もう後がなくなったタダクニは地面に頭を擦りつけるように土下座をし始めた。

「……あなた、プライドはないんですか?」

「そんなもん、生まれた時にドブに捨てた!」

「ふぅ……。では、こうしましょう」

 リサオラは嘆息すると、右手の黄金銃を光らせ何処いずこかへと消し去った。

「あなたにはこれから三億円分の善行ぜんこうを積んでもらいます。あなたが行った善行を日本円に換算して、借金返済という形で代価として充てましょう。どうです?」

「善行って……つまり、それってタダ働きってことか?」

「ええ、そうです。もっとも、善行自体は当然無報酬で行ってもらいますが、それによって代価を発生させるので厳密にいえば全くのタダ働きというわけでもありませんが」

「じょ、冗談じゃねえ! タダ働きなんて俺が一番嫌いなことなんだぞ! 自慢じゃないが生まれてこのかた一度もボランティア活動はやった事がねえんだからな!」

 それどころか小学校の時に偽の募金活動をし、それがバレて担任に大目玉をくらった事があるくらいだ。

「……本当に自慢じゃないですね。ですが、こちらとしても今提示した条件が最大限の譲歩です。それが嫌なら宝くじを渡してもらいます」

「うぐぐぐぐ……くううぅーーっ!!」

(あ、なんか顔が『ぐにゃ~』ってなってる。そこまでして払いたくないのね……)

 タダクニは顔をクシャクシャに歪ませ苦悩する。その目には涙まで浮かんでいた。

(まずいまずいまずいぞこれは! どうにかこの場を切り抜けなければ! 考えたところで心が読まれるなら意味がない。こーゆうときは表層ではない、心の奥底に耳を傾けるんだ!)

『スネーク、まずCQCの基本を思い出して』

(違う、これじゃない!)

『エンジョ~~イ、フットボール!』

(消えろ!)

『みゃーみゃみゃみゃーみゃみゃみゃみゃー』

(意味が分からん!)

『逃げろ!』

(それだ!)

 さして良いアイデアでもなかったが、タダクニは深層心理の声に従うことにした。

「あばよ、負け犬!」

 そう言い捨てると、タダクニはリサオラに背を向けて脱兎の如く駆け出した。まるで世界新記録でも出せそうなスピードで、あっという間に豆粒ほどの大きさになる。

「全く……これは中々手がかかりそうね」

 走り去るタダクニの背中を見ながら、リサオラは一つ大きなため息を漏らした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る