第6話 銭狂いと天使が出会った日⑥

「な……!?」

 天使リサオラから全力疾走で逃げて家に辿り着いたタダクニが茶の間に入ると、思わず絶句した。

「あ、こら。ユウちゃん、もっとゆっくり食べなさいっていつも言ってるでしょ」

「ふふ、ユウキは食いしん坊なんですね」

「えへへ。だって部活でおなかペコペコなんだもん」

「……」

 時刻は午後七時前。三人の少女がちゃぶ台を囲んで談笑し、その輪から少し離れて弟のヒロキが黙々と箸を進めている。

 タダクニの目の前で展開しているのは、いつもと変わらない平和な夕食の風景だ。

 ただ一点、こと以外は。

「あ、おかえり、お兄ちゃん。遅かったから先にご飯食べちゃった」

 言葉を失ったタダクニに気付いたシズカが声をかけてきた。

「あれ、どーしたの? ぼーっと突っ立って。あ、言っとくけど部活の雑用させたのはタダクニの自業自得だからね!」

「まあまあ、タダクニも疲れがたまっているんでしょう」

 リサオラもにっこりと笑ってナチュラルにそんなことを言ってくる。

 彼女の背中に生えていた白い大きな翼はなく、さっきまでのスーツ姿とは違って白のTシャツにデニムのホットパンツというラフな格好をしており、まるでここが自宅であるかのようにくつろいでいる。

「な、な、な……!?」

 タダクニは必死に言葉を紡ごうとするが、驚きのあまり声にならない。

『まあ、落ち着いてください』

(な、なんだ!?)

 突然、タダクニの頭の中にリサオラの声が響いてきた。

思念波しねんはを飛ばしてあなたの心に直接語りかけています。ですから、この声は三人には聞こえていません。あなたも頭の中で念じれば私と会話できますよ』

(思念波? つーか、なんでお前がここにいるんだよ!?)

『その件も含めてひとまず私の部屋で話しましょう。ここだと色々と面倒ですしね』

 と、今度は口を動かしてタダクニに話しかける。

「では行きましょうか。シズカ、ちょっと抜けますね」

「? あ、はい」

 リサオラは腰を上げると、状況が理解できずに困惑顔で突っ立っているタダクニの腕を引っ張ってそのまま茶の間を出て行く。

 残った三人はそんなタダクニとリサオラを少し怪訝そうに見送った。


「おい、どーなってんだよ!? なんでお前がここにいる? それにいつあいつらとあんな仲良くなったんだ? つーか、私の部屋ってなんだよ!」

 開口一番、タダクニはリサオラに向かって疑問を一気に吐き出した。

 二人がいるのは一階の空き部屋だった六畳間だ。

 荷物も何もないが、しかし、今はどういうわけかリサオラの部屋として成立しているらしい。

「勿論、代価を回収するためです。あなたの身近にいた方が私も仕事がしやすいので、あなたの家族の記憶を少し操作して、私は少し前から一緒に暮らしている遠縁の親戚という設定になっています。幸い、部屋もかなり余っていたのでここを使わせてもらうことにしました」

「なんだその都合のいい設定は!? さっきのテレパシーみたいなやつといい、どういう仕組みだ!?」

「説明すると長いので『何かすげー力』が働いていると思っておいてください」

「すげー頭の悪い回答だな……何か疲れてきた」

 タダクニは頭を掻きむしりながらも、話してるうちに幾分か冷静さを取り戻した。

「それにしても少々年季は入っていますが随分と広い家ですね」

「あ? ああ、俺が生まれる前までは旅館やってたんだ。五〇年くらいは続いてたってさ」

「なるほど、老舗しにせというわけですか。歴史があるのですね」

 リサオラは部屋を見回しながら感慨深そうに頷く。

「本当かどうかは知らねえが、ひいじいさんが戦後のドサクサで土地ぶんどったんだと。旅館始めたのはそれからだ」

「……ろくでなしなのはあなただけではないんですね。全く、これから先が思いやられます」

 室内に感じられた風情ふぜいおもむきが瞬時にぶち壊され、リサオラは目をすがめた。

「なあ……そんなに代価の回収ってのがしたいんならとっとと天使の力とやらで宝くじを奪えばいーじゃねえか」

 タダクニは投げやりな口調で言うと、リサオラは困ったように笑って答える。

「確かにそれが一番手っ取り早い方法ではあるんですが、先程も言ったようにこの方法はあまり使いたくはないんですよ。こちらとしてもなるべく双方納得のいく形にしたいですからね。それに、あなただって宝くじを失いたくはないのでしょう?」

「そりゃそうだが……三億円分のタダ働きなんてそれこそ一生かかっちまうじゃねえか!」

「それなんですが、あなたの言う通り普通の人間なら善行を積んでも大した代価にはならないんですけど、あなたの場合は異常なほどの補正倍率がかかってるんです。いくらボランティアが嫌いな人間でもここまでのレベルは今まで見たことがありません。つまり、この方法なら代価を返済できてあなたも真人間になれる、まさに一石二鳥のアイデアなんです! 私も出来る限りの協力はしますから、一緒に完済を目指して頑張りましょう!」

 そう言うと、リサオラは『天使』のように微笑んで、タダクニに右手を差し出してきた。

「……ああ……そうね」

 目眩めまいと頭痛を抱えながら、タダクニは引きつった顔で差し出された右手を握り返す。

 こうして、彼の夢のニート生活への長い長い試練が始まった。


 ・残り借金 三億円

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