第30話 士郎の過去

沈黙

ワインレッド


 士郎(シロウ)と出会ったのは高校の時だった。

 俺が高一、士郎が高三。

 メガネこそかけてはいなかったが、猫背で野暮ったい髪型、着崩すこともない超標準的な格好に、これ見よがしの単語帳。出来損ないのくせに必死で、暇を持て余した馬鹿たちの格好の餌食だった。

 中庭の隅で這い蹲り、埃まみれの教科書を拾っている。俺はそんな士郎の背中を踏んだ。

「手なんか使ってないで、口で咥えて拾ったら」

 一瞬視線が俺を見て、それから言われた通り、口で教科書の端を咥えた。

 その時の俺の目の輝きといったら、生涯で一番光っていただろう。

 俺は優しく士郎の頭を踏んで、汚い靴で頬を撫で、しゃがみこんで士郎の髪を掴む。

「気に入った。俺があんたを守ってあげるから、俺の言うことだけ聞いて」

 絡んだ視線は乾いていた。士郎の目は疑うという段階をすっ飛ばして、まるで信じる事をしなかった。

 どうせそれも嘘だろう。

 それが悲しいでも悔しいでもなく、士郎は俺の事をそんな目で見ていた。きっと、そんな嘘に騙された事があったんだろう。

「名前は?」

「咎津(トガツ)士郎」

「そう、士郎。じゃあこれが誓いのキス」

 俺はそういって士郎にキスをした。砂でじゃりじゃりの苦いキスに、士郎は初めて動揺を見せる。唇を食んで舌を絡めると、目を細めて反応した。

 こんな状況で可愛い反応を示す士郎が、この時から俺のお気に入りだった。


 士郎を守るという約束は簡単だった。

 士郎を休み時間のたびに教室に呼んで、俺の隣に座らせた。話す事もせず、俺は携帯をいじり、士郎は空中を眺めた。予鈴が鳴ったら、俺は一つだけ士郎に跡を残すようにした。首に、腕に、何かしらの跡を残す。

 頬を思い切り張った時には、間違いなく士郎は喜んでいた。きっと、虐められていた日々が士郎の性癖を育てたのだろう。

 士郎が教室に来ない時は俺が士郎の方へ赴いた。GPS機能の付いた猫用の首輪を足にさせているから、何処に居ようとすぐわかった。

 二、三人に囲まれて蹲る士郎。

 五分だけその様子を眺めて、小突かれるだけの生ぬるいいじめに俺は痺れを切らして割って入った。

 相手も、小さな嫌がらせがエスカレートしていただけだ。水を差す面倒な相手が現れてまで、続ける気はないのだろう。次第に手を出さなくなっていった。


「なあ、士郎」

 水音を立てて後ろから穿つ。目隠しをして後ろ手に拘束された士郎は声も上げず、荒い鼻息をするだけだった。

 否、口に溜めた俺と士郎の精液を零さないよう沈黙を強制されていた。鼻から逆流した白い液体が溢れていて、必死なのが見て取れる。それはなんとも愛おしい。

「あいつらに犯されたかった?」

 俺の質問に、身体が答える。後ろの穴がギュッと締め付けて、それを微かに期待するような反応を示した。

 やらしい奴だった。いつからいじめられる事が快楽になったのか。俺が気付いていないだけで、最初からだったのか。

 士郎すら気付かない性癖を、俺が暴いたのか。

「犯されたくても、俺の言う事だけ聞いてろよ」

「んっぐ」

 首筋に噛み付いて、ワインレッドの痕を残す。もう何度付けては消えたことか。

「(これが嫉妬だったら、どうしよう……)」

 俺の中に浮かび上がる感覚が、俺は嫌だった。それを打ち消すために、最奥で果てる。士郎も俺の手の中で果てて、なんとなく満足した。




 出会った頃の事を思い出していた。この日が来ることは、わかっていたんだ。

「士郎のこと、好きだと思ってたんだけどな」

 鍵を手渡す。おんぼろアパートの、二人の遊び場。

 俺と士郎が再びここで遊ぶ事はないのだろう。士郎は少年と出会ったのだから。純粋で、ひたむきで、俺がどんなにしようとも汚れることのなかった、少年に。

 士郎は静かに受け取った。

「ま、君は俺のこと好きじゃないし」

 名残惜しくて、手放し難い。でもわかっていた。俺が持っていたって持て余してしまう。

「俺も君を愛せはしない」

 キスよりも、セックスよりもすごいことをたくさんしてきた。だからこそ、心とかそんなものをどこかに忘れてしまった。

「今までありがとう」

 士郎はそう言って、俺の唇に触れるだけのキスをする。最初で最後のそれがなんのお礼なのか、俺には思い出せなかった。

 きっとそれすら置き去りに、俺はここまで来てしまったんだ。


終わり

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