第22話 続文芸部
背中
無理難題
高校の時、文芸部に入っていた。先輩は男が一人、女が二人。彼らが卒業すると、部員は僕とクラスメイトの徒野(アダシノ)だけになってしまい、文芸部は同好会に格下げされた。
先輩に教わったのは文章の書き方ではなく、本の作り方だった。ワードの使い方や同人誌の作り方。
『文章の書き方なんて小学校の国語の授業で習ったでしょう。それ以外の事は全部、自由でいいのよ』
先輩がそう言うから、僕たちは文章の書き方なんて習わなかった。どうしたらいいかわからないと言うと、どうしたらいいかわからない旨を書いたらいいのよ、なんて言われたこともあった。
けれども、実際のところそれで十分だったのかもしれない。
僕と徒野は、放課後二人きりの教室で、馬鹿みたいに文章を書き綴った。書けない時もあったけれど、そんな時は喋ったり遊んだりして、書きたくなったら書いて。
とにかくひたすら、書いて、書いて、書いた。
高三になり、最後の文化祭を迎える。同好会だから顧問はついていなかったが、元顧問から最後だし部誌を出してはどうかと言われた。
馬鹿みたいに書き連ねた文章は、部誌にするには十分だった。それを適当に清書して本にする。先輩から教わった事はこの時に活かされていた。
それだけではなんだから、と僕は提案した。
「逆にしてみないか」
「逆って、つまり?」
二人で製本しながら、徒野に持ちかけた。
僕は徒野の書く文章が好きだった。目の前で火花が飛び散るような物語。心にそっと入り込んで、いつまでも輝いて絶え間ない。徒野はいつだって新しくて、燃え盛る炎のように僕の心を燃やした。
僕が書けるのは、現実の日常を切り取った風景だった。僕には書けないものを書ける、徒野が僕は羨ましかった。
時々、そんな徒野の真似をしたくなった。
徒野の物語を読む時、僕にはその主人公が徒野に見えていた。いつも笑っていて、勇敢で、優しくて。徒野の物語にはいつだって徒野がいた。
そんな物語の、大好きなところを書き出したい。きっとそれは楽しくて、一生残る宝物に違いない。
提案から二週間、僕たちは互いに真似て書いた、互いの文章を交換した。原稿用紙3枚分程度の短くて長い物語。
この3枚には、僕たちの三年が詰まっている。
僕は、そうして絶望を覚えた。
薄々気付いていた。徒野の非凡な才能に。
一方で僕はどこかで驕っていた。僕が得意な分野でなら、徒野でさえ僕には敵わないだろうと。
なんて馬鹿なことを。
「もう君の作品は読まない」
僕が口にしたその言葉に、徒野は目を見開き、困惑し、動揺していた。
徒野の手から僕の書いた原稿用紙を奪い去り、僕はその場を後にした。
僕は思い知らされた。徒野の才能と、僕の徒野への思いを。
「君の作品は素晴らしいよ、残酷なまでに」
僕は徒野が好きだった。作品も、人としても。
けれども、徒野の才能は僕から全てを奪い去った。平凡でありきたりな僕なんかでは到底敵わない文章を、原稿用紙3枚で僕に知らしめた。
僕は徒野が好きだった。旧校舎三階の教室で、二人で過ごす時間が好きだった。原稿用紙に綴られる少し下手くそな字が。僕が読む時、少し緊張している姿が。普段の生活からは想像もつかないくらい、繊細で上品な文章が。徒野の見ている、眩しく煌めく美しい世界観が。心を躍らせる魅力的な物語が。徒野が。徒野の事が好きだった。
僕が書くのは、全て徒野の事だった。いつだって徒野のことを思って書いていた。
こんなにも好きだった。
徒野の書いた、僕を真似た文章は、僕の胸を強く打ち付けた。読みながら僕は呼吸すら出来なくなっていた。
徒野の選んだ単語の1つ1つが僕の脳をかき乱し、揺さぶり、刻み付けていく。
僕はあんなにも徒野を思って書いていたのに、徒野はこんなにもやすやすと、僕の心をかき乱していく。
もう徒野の作品を読む事は出来ない。涙が浮かんで呼吸が出来なくなる。
僕は徒野を前にして、なにも出来なくなってしまう。
最後の文化祭は、じつに静かだった。いつもの部室で二人で並び、作り上げた部誌を販売する。数はそれほど多くない。一般客や間違えてきた生徒が立ち寄って、軽く読み流したり、時々買ってくれたり。先輩たちが来て、懐かしんだり。
悪くない文化祭だったのに、僕はずっと心臓が痛かった。今だって頭の中で、徒野の文章がリフレインする。
そのせいでまともに喋る事だって出来なかった。
きっと僕は今だって、君の文章が、君のことが、好きでたまらないんだ。
それから連絡を取ることなく、別々に大学に進み、僕はその後出版社に入社。小説雑誌の編集になった。下っ端として雑務に追われながら、不意に徒野のことを思い出す。
彼は今、なにをしているのだろう。今も変わらず、書き続けているのだろうか。
あの日以来、僕は文章を書くことが出来なくなっていた。徒野の強烈すぎる文章が頭を過って、なにも考えられなくなった。
記念にと大切にしまわれた最後の部誌も開けない。またあの才能に打ちのめされるのが、怖くてたまらなかった。
それでも編集という仕事に就いたのだから、僕は小説が、文章が好きなのだろう。
「それじゃあ穂川(ホカワ)、この新人よろしく」
先輩から数冊のファイルを手渡される。それは雑誌に投稿してきた小説と、作者のプロフィールだった。新人作家は初めての担当で、これからの次代を担うと思うと責任感と高揚感が僕の胸を高鳴らせる。
ファイルは三冊あり、1つは先輩から引き継ぐ作家、2つは今回の投稿で担当が付くことになった新人だった。
投稿された作品をパラパラと見る。入選、佳作となった作品で、僕も選出するときに読んだものだった。
入選になった方の作家は僕と同い年で、親近感が湧いた。どこか心に惹かれる文章でもあった。どんな人が書いたのだろう。今日アポが入っていて、これから会うことになっている。
待ち合わせ場所は作家の家だった。安いアパートに一人暮らしをしているそうで、最寄駅から20分歩く距離にあった。
今時木製の扉を、コンコンとノックする。チャイムは壊れているのか、二、三度鳴らしても音がしなかった。
「こんにちはー、TOMALU出版からきました穂川ですけど」
がしゃ、ばたばたばたばた、ガタン!
凄い勢いでなにかが迫る音に、僕は扉の横に移動した。
バタンと開いた扉の先に、ボサボサの頭でパンツ一枚の男が立っている。その男は、口をパクパクと金魚のように開閉して、それから僕に抱きついた。
「っ?!っ?!」
あまりのことに、僕は理解できなかった。男、もとい、新しく担当になった作家・宮目(ミヤメ)先生はおいおいと泣き出す。
「ふぐうっふえええ」
「ちょっ、ちょっと宮目先生?ですよね?」
パンツ一枚で男に泣き縋る変態に、僕は戸惑いながら引き剥がそうとした。けれど、意外にも屈強な肉体を持つ宮目先生は僕から離れない。
「穂川ぁっ」
なんだ急に馴れ馴れしい、そう思った瞬間、頭を過るのは徒野の事だった。
「……あ、徒野……?」
僕がそう言うと、徒野はバッと顔を上げる。涙と鼻水で汚れた顔が、だらしない笑顔を見せた。
「あいたかった!!ずっと!」
そうして徒野は再び僕を強く抱きしめた。
まさか、まさかこんなことが、あるなんて。
狭いワンルームの部屋で、パンツ一枚の男に引っ付かれながらお茶をすすっている。こんな奇妙な事態に、僕は慣れてきていた。
「落ち着いた?」
「ん、ん、」
散々泣きはらした徒野は少し眠たげに言った。
何度か引き剥がそうと試みたが、死んでも離さないと言う徒野。引き剥がすにはその腕を鉈で切り落とすとか、そうするしかないようだった。
半ば引きずる形で部屋に入り、物の少ない台所で茶を入れ、部屋の真ん中に置かれたちゃぶ台で茶を啜る。
僕があの日、逃げたばかりに、徒野は僕を離すまいとしていた。
それが嬉しくて、僕は複雑な気持ちになった。
徒野がまだ文章を書いていたこと、それが賞を取ったり、雑誌に載ったり、人の目に触れる事は喜ばしい。
けれど、それは僕の知らないところでの話だ。
僕が徒野の文章を読んだら、また、きっと打ちのめされる。それが怖い。
「どうして宮目ってペンネームなの?」
「母親の旧姓……お前、もう俺の作品読まないって言ってたし」
『徒野』の名前でなければ読むと思ったのだろうか。そう言う事じゃないけれど。
答えた後に僕をぎゅうっと抱きしめる。あまり強くされると内臓が口から出そうだった。
「あれは、その、悪かったよ。……子供だったんだ」
だから許して、とは言えないが。
「いまは?」
徒野の、涙で濡れた目が僕を見つめた。僕は答えられなかった。
徒野じゃないと思ってたから、徒野の作品は読めたけれど、でも知ってしまった以上、胸がざわざわとして、読むのを拒んでいる。
「……でも、仕事だもんな」
答えない僕を察してか、徒野はニヤリと笑った。
「嫌でも俺の書いたの、読んでくれるだろ」
「……仕事だから、ね」
「ふ、へ、へ、へ」
だらしない笑顔で、へらっと笑う。徒野は育ちすぎた犬みたいに、頭を僕の肩に擦り付けた。
それがピタッと止まる。徒野は不安げな目で見つめた。
「なんで、もう読まないって、あの時言ったんだ」
僕は息を呑んだ。なんと答えればいいのかわからなかったからだ。
けれど、やっぱり、とか、嫌われて、とか小さく呟く徒野に、僕は肩の力が抜けた。
「好きだよ、徒野」
「え」
「徒野の文章、好き過ぎて読むと息も出来なくなるんだ。だから、徒野、お前の担当してたら、そのうち死んじゃうかもな」
「な、なんだよそれ」
徒野は顔を赤くさせた。
嘘でも冗談でもなく、きっとそれが僕の答えに一番近いものだろう。
「……し、死ぬなよ。俺の書いたのは読め、でも死ぬな」
ずいぶんな無理難題に僕が笑うと、徒野の手がそっと背中を撫でた。
「はあ……よかった……俺、俺もう、穂川、大好き、好きだ、大好き」
「あ、徒野?!」
バタンと床に押し倒される。幸い頭は打たなかったけれど、徒野が上に覆いかぶさっている。
「穂川が好き過ぎて、息できない」
徒野が苦しげな表情で言った。そして顔が近付く。
意味がわからないのに、僕は徒野からのキスを受け入れていた。
「んっ、ふあ、あだし、の、」
「ほんとすき、やばい、すき」
キスの合間に呟くみたいに徒野が言った。普段の語彙はどうしたのかと思うほど馬鹿みたいだった。
人を好きになるとは、馬鹿みたいに何も考えられなくなることなのかもしれない。
徒野の背中に腕を回す。
ああ、馬鹿みたいに、僕も徒野が好きだ。
「恋愛もの書いてるんだね。もう前みたいなの書かないのか?」
二人で寝転がりながら僕は聞いた。徒野の腕枕で、肩に近いところにいるから、二人の距離は抱き合っているのと違わない。
「どうだろう。ずっと穂川のこと考えながら書いてたから」
徒野の手が僕の髪を撫でた。さっきまでのキスでは飽き足らず、僕の頭、顔にまたキスを落としていく。
「官能小説になるかも」
「は、あ?」
「だって触れる距離にいるんだぜ。なるだろ、そりゃなるだろ」
「……担当変えてもらおうか」
「やめて!!だめ!だめだめだめ!!」
本当に焦っている徒野に、僕はけらけら笑った。
僕たちはなにをしているんだろう。いや、僕はなにをしていたんだろう。
徒野が、徒野の書く文章が好きだ。それなのにもう読まないだなんて。
そんな酷いことを言ったのに、徒野はまだ書き続けていた。だから僕たちは再び巡り会えた。
嗚呼、こんな素敵な物語、徒野らしい。
「これからよろしく、宮目先生。先生の書く作品、昔から、大好きです」
いまだダメダメと言いながら僕の額に頭を押し付ける徒野にそう声をかける。ピタリと止まって、また泣いてるのか、濡れた瞳が僕を見つめた。
「俺も穂川のこと、昔から大好きです」
どうして告白大会になっているんだろう。僕が笑うと、徒野も笑った。
終わり
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