第21話 文芸部

心残り


「もう君の作品は読まない」

「……なんで」

「……もう、読まない」


 手の中でぐしゃりと潰した原稿用紙の感触を、俺はまだ覚えていた。

 高校の部活では文芸部に入っていた。俺たちが三年の頃には部員が少なくて同好会になってしまったけれど。

 旧校舎三階の空き部屋で、たった二人で行った活動。

 校庭から運動部の声。二階で騒がしい軽音部。少し埃っぽい教室の空気。

 彼が静かにページをめくる音。いつも緊張で、俺は俺の心臓の音がうるさく聞こえていた。

 同好会では二人でお題を出し合い、二時間の中で作品を作っていた。そしてそれが終わると、互いに作品を交換して講評を述べていた。

 作品の方向性は違っていて、俺が得意なのはファンタジーやSFなどの少し不思議な物語だった。

 対して彼が得意だったのは、現代の日常や恋愛を、写実的に描いた作品だった。殊更、恋愛描写にはいつも胸がざわつくような、そんな感覚がした。

 高校の文化祭では同好会でも出展することになった。前年の文化祭から一年、書き綴ってきた作品を本にまとめた。それから一作、新しいのを作ることになった。


「逆にしてみないか」

 同好会の唯一の相棒、穂川(ホカワ)が言った。

「逆って、つまり?」

 コピーした冊子をぱちんぱちんとホチキスで留めながら聞き返す。もう三度目のことだったが、自分の作品が本になり人の手に渡るのは、恥ずかしくも嬉しくもあった。

「僕が君の、君が僕の作品を真似て書く」

 穂川が自分と俺とを交互に指差した。

「二次創作?」

 そういえば二次創作はした事がないと気が付いた。互いに書いてきたのはオリジナルのものばかりで、時には流行りのネタを取り入れたりもしたが、それは二次創作ではない。

「うーん、なんていうか……」

 穂川は言葉を選びながら答えた。

「僕は君の、徒野(アダシノ)の作品が好きだ」

「急になに、嬉しいけど」

 まるで愛の告白のように思えた。嬉しいけれども。

「徒野は僕の作品、好き?」

「え、うん……好きだ」

  なんだか告白大会になっている。俺は照れながら答えると、穂川は満足気に微笑んだ。

「僕はさ、徒野の作品読んでると、楽しくなるんだ。表現とか、擬音とか、言葉選びとか。だからその好きなところを、真似し合ってみないか、って」

「……なんか、それ……」

「うん?」

 俺は耳が熱くなるのを感じた。

「やばいな」

 耳だけじゃなく、顔まで熱くなる。互いの好きなところを書くなんて、本当に告白大会のようだった。

 もちろん文章運びだとか、よく使うフレーズだとか、そういう事なのはわかっている。

 でもそれを互いに書いて、互いに見せ合うだなんて。

「絶対楽しいよ」


 それが決まってから一週間、俺は穂川を観察していた。

 穂川の書く恋愛描写が好きだった。胸がツンとしたり、熱くなったり、爽やかな風が吹く青春のようだったり。

 穂川はどうしてそんな文章を思い付くのだろう。どこでそんな気持ちになれるのだろう。

 考えれば考えるほど気になって、知りたくなって、俺は穂川を見つめていた。

 今まで想像もしてこなかったし、そういう話はしたこともない。穂川にも好きな奴がいるんだろうか。そいつを思って、文章を書くんだろうか。

 教室の窓際、日差しの注ぐ席で、穂川口を手で覆いながらあくびする。少し眠いのか、目元がキラッと光った気がした。

 頬杖をついて、校庭をちらっと見つめる。5秒にも満たないその一瞬が、まるで切り取られた絵画のように美しく見えた。

 俺は胸がじわっと熱くなるのを感じた。ああ、なんだろう、今の、今の一瞬がすごく好きだ。

 穂川の綴る小説を思い起こす。穂川の世界は、きっと、こんな感じだ。


 それからさらに一週間が経ち、俺たちは互いの小説を見せ合うことになった。

 俺は穂川の、穂川は俺の、小説の好きなところを真似て書く。

 俺は穂川の日常に、穂川の小説の世界を見た。優しくて、暖かい、そんな世界を。

 ぱらり、ぱらりとページをめくる音だけが響いた。

 穂川の書いた俺を真似た小説は面白くて、嬉しかった。ああ、こんな表現つい使っちゃうだとか、キャラクターの魅せ方だとか。

 穂川の指が綴ったそれは、本当に俺の作品をよく読んでくれたのだと、そう感じた。

 俺の書いた作品は、ちゃんと伝わっただろうか。穂川の作品を読み終えてから、恐る恐る彼の方を見る。

 ぱらり、ぱらりとページをめくる音。

 俺はこの瞬間が、堪らなく好きだった。


「もう君の作品は読まない」

 俺の小説を机に置き、穂川が静かに言った。一瞬理解の遅れた俺は、小説と穂川とを交互に見た。

「……なんで」

 どこか間違えただろうか。穂川の文章を真似て、穂川を思いながら書いたのに、もう読まないだなんて、そんなことを言われるほど。

「……もう、読まない」

 なにか言いかけて、それを飲み込み、もう読まないと言った。

 理由すら言ってくれない。穂川の手が、俺の手の中の、穂川の小説を取り上げる。

「な、」

 奪われた。もっと読みたかったのに、何度も読み返したいのに、穂川の作品ももう二度と読めなくなる、俺は直感的にそう思った。

 それが嫌で、反射的に強く握ったけれど、潰れた原稿用紙はいとも容易く元の持ち主のもとに戻った。

「君の才能は素晴らしいよ」

 穂川は椅子を引き、立ち上がる。

 称賛と言うには冷ややかな声だった。

「残酷なまでに」

 その言葉は、俺の耳にこびりついて離れない。


 それから穂川は文化祭まで現れなかった。文化祭当日は店番で二人で並んだけれど、殆ど会話もない。

 穂川はたしかにそれ以降、俺の作品を読むことはなかった。文化祭が終わると同好会にも現れず、教室でも顔を合わせるのを避け、自然消滅的に同好会はなくなった。

 俺はそれからも小説を書き続け、雑誌に投稿し、選外や入賞など名前が載るようになった。

 もう二度と俺の作品を読まないと言った穂川に、もう一度俺の作品を読んでもらいたかった。小説家として有名になって、いやでも目に付くような大ヒット作品を生み出すべく。

 俺が書くのはSFものから、現代の恋愛ものに変わった。そちらの方が評価がよかったし、俺には書きやすかった。

 俺は穂川に恋い焦がれていた。


 初めて、穂川を真似て恋愛ものを書いた時。彼に俺の気持ちが伝わったか。今でも心残りだった。だから、彼にいつか届くまで、俺は書き続ける。


終わり

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