とくべつなひに

藤村 綾

とくべつなひに

 後、3分で日づけが変わろうとしていた。今日は6日なので、日にちを跨いだら、7日だ。残業で遅くなり、夕食を食べ損ねてしまいこんな時間に松屋の牛飯並と、ちょっぴり奮発して、豚汁も付け足し食べていた。

 深夜でも松屋は人がいたし、なんにしても24時間温かくて美味しいもの(松屋が好物)が食せる世の中に感謝しないといけない。箸を口に咥えながらわり、椅子に胡座をかいて、牛飯をかき込む。行儀が誠に悪い。一人暮らしが長いあたしだ。叱ってくれる伴侶もいなけれは、親も兄弟もいない。気楽。居るのは未だになつかない猫だけ。

 一人暮らしが気楽と思うようになったら、おしまいだからね。会社の伊藤さんに口を酸っぱくなるほど言われている。が、もうとっくに気楽なのだ。さみしい。などと思ったのは、一人暮らしを始めてからおおよそ1ヶ月だけだった思う。 

 まあ、その1ヶ月はほどんどが誰かしらきていたのだけれど。男友達というセフレ。身体の相性だけあって、心の相性は全くあわない不思議な関係の男たち。たち?そういえば、ふと、思い浮かべるだけでセフレと位置づけられる男が5人は浮かぶ。 けれど、寝ても、寝ても、寂しさの穴はふさがない。下半身の蓋をしてくれる男性器が入っているときだけ、ほんの瑣末なときだけさみしさが紛れるだけだ。そのときの快楽はあとになると、後悔に変わる。代償行為しかりだ。わかっているのに、その行為がやめられない。あたしは、根っからの好き者か、前世が遊女だったに違いない。自虐的に嘲笑う。

 つゆだくにしとけばよかった。セパレート式にしたので、ご飯と牛皿が別になっている。牛皿だけ食べてしまい、白いご飯が半分以上残ってしまった。

 仕方がないので、豚汁に白いご飯を投入した。それをズズーッ。と音を盛大にあげて啜る。美味しい。唐辛子の分量も絶妙で、あっという間に平らげてしまった。

 「げっぷ」

 爪楊枝で歯の隙間にある固形物を取り除く。胡座をかきながら、鼻の下に汗をかきつつ、爪楊枝で歯をつついている。あたし、最悪じゃん。ひとりごちながら、呵呵と笑った。ダイエットをしよう。と、毎日豪語しているけれど、ま、明日からでいいや。その繰り返しにより、結果、ダイエットという単語に触れたことがない。

 【ブーブ】

 スマホがカバンの中で震えている。こんな時間に誰だろう。あたしは、訝しみつつスマホを取り出した。

 え?

 彼からだった。なんで、この日に。このタイミングで。

《は、はい》

 おそるおそる、電話に出た。なにぶんこんな時間だ。

《あ、起きてたの。ごめんよぅ、こんな時間に》

《え?なんでこんな時間なの?》

 秀ちゃんが今、現場を5つみている。忙しいすぎるからこちらから連絡するまで待って。涙を抑えて呼んだメールから2週間たってからの電話だった。

《今日さ、職人たちに誘われてブーブーに酔ってますよぅ》

《あ、じゃあ、ビジネス泊まってるんだね。なんだ。はやく言ってくれたら行ったのに》

 冗談ではない。本心が口から滑りでた。あいたいという単語だけはしまっておいて。

《あはは、急だったからさ。なにぃ、あやちゃん、まだ寝てないの?》

《ご飯食べてた。残業でおそくなったから》

 ふーん、そうなんだぁ。の言葉の呂律が上手く回っていないことを突っ込むと、秀ちゃんは、だって、ブーブーに酔ってますからね、ひひひ。不気味な笑いを交え、素直に泥酔の自分を認めた。

《酔ってるねかなり》

《うん、酔ってるよぅ》

 ねぇ、あたしは、泥酔の秀ちゃんにならわがままをゆえる気がして、無理なお願いをしてみた。

《明日、てゆうか、あ、もう、今日か。少しだけ、1時間でもいいからあいたい》

 んー、秀ちゃんは、押し黙ってしまった。んー、んー、何度も唸り、やや間があいたのち、

《昼間一度連絡する》

《うん、お願いね。必ずね》

 ああ、とゆったあと、あくびをしている気配がしたので、おやすみなさい。あたしから率先してゆい、秀ちゃんが、おやすみ。と、ゆったのを確認し、通話ボタンの赤色を押した。

 秀ちゃんはあたしの心中など知っているはずなどはない。むしろ除外の部類に入る。あたしのことは好きでも嫌いでもない。

 あたしと秀ちゃんは好きや、愛してるという愛にまつわる言葉の関係はとっくに終わっている。終わっているのにまだあっている。なんで。終わっているのに。終わらした。捨てられた。なのに……。

 秀ちゃんから電話がくると未だどきどきするあたしがいる。秀ちゃんから何度も別れを告げられているはずなのに。なんともいえないざらついた感覚。情?惰性?いや、ちがう。もっと、こう、なんなんだろう。わからない。この感情自体に名前があったらいいのに。

 眠たい。あたしは、顔を洗い、寝る支度をし始めた。

 あえますように。短冊には書かなかったけれど、頭の中で思い浮かべ、笹の葉に吊るしておいた。


 昼に電話があり、2時からなら時間あるよ。と、無理な時間帯を指定してきた。あたしは、パートで4時までだ。

《えー!だって、あたし就業4時じゃん》

《うん、知ってる。でも、俺は4時からまた戻らないといかんの》

 どうやら、無理やり時間をつくったらしかった。あたしは、もはや早退の文字しか頭になく、

《じゃあ、2時に終わるからその頃メールする》

 秀ちゃんの言葉を待たず一方的に言い放ち通話を終えた。


 ちょうど、あたしの持ち前の仕事が片付いたのが2時だった。

「あ、じゃあ、少しはやいけれど、上がる?昨日遅かったし」

「ああ、は、はい。あがります!」

「あら?やけに元気な口調ね?」伊藤さんの口角がニヤリとあがる。

 このようなことは滅多にない。時間いっぱいまで仕事があり、気がついたらいつも3時半なのに。

「お先に失礼しますー」

「あ、はい。明日もお願いね」

 伊藤さんの声がじょじょに遠くなり、そうっと事務所の扉をしめた。

 

 秀ちゃんに連絡をとり、秀ちゃんがいるあたりのホテルの前で待ち合わせをした。 時間があまりない。けれど、今日どうしてもあわなければ、ならない。使命感ではなく、あたしの利己的な判断だ。秀ちゃんは知る由もない。

『先に部屋入ってるわ。311号室』

 ホテルからあと数十メートルあたりで、電話が来た。

 あたしは、うん、わかったよ。だけゆい、まさかもう近くまで来ているとは言わなかった。

 疲れているはずだ。あたしがもう少し遅くいけば横になれるはず。

  早く会いたかったけれど、コンビニで冷たいお茶を2本買い、読みたくもない雑誌をペラペラとめくってちょっぴり時間をつぶした。ふと、目の端に笹の葉が映り込み、読んでいた本をパタンとしまい、笹の葉の方に歩み寄った。横に短冊が置いてあり、ぺんも添えられていて。【ご自由にどうぞ】と、手書きで書いた紙が貼ってあった。

 赤、黄、緑、青、白の短冊にたくさんの願いが書かれ、吊るされていた。

(お金持ちになれますように)(痩せたい!)などのリアルな願い。あたしは目を細め呵呵と笑った。まあ、無難な願いだなぁと納得しつつ、他の短冊に目を向けた。

(パパとママがだいすきです。ゆうま)

 ミミズの這ったような字に込められた小さな小さな願い。

 あたしはぎょとした。秀ちゃんの息子さんもゆうまなのだ。漢字はどう書くかはわからない。ゆうまくんの名前を始めて訊いたのは小学校の2年生の頃だ。今は小学6年生。少なくともゆうまくんに4年も嘘をついている。ゆうまくんはまるで罪はないのに。

 あたしは本当にいけないことをしている。頭ではわかっている。わかっているのに。わからないふりをする。赤色の短冊を手に取った。マッキーと書かれたペンのふたを開ける。ペンの懐かしい匂いが鼻梁をくすぐる。日差しがあたしの顔に直撃する。目を細め、短冊に目を落とす。握りしめた手のうえに、生ぬるい雫がポタポタと垂れた。ペンを握る右手が震えた。短冊をくしゃくしゃに丸める。

 コンビニの定員のおばさんがあたしを見ていたけれど、何も言わなかった。

「ありがとうございますー」

 背中にかけられた太い声にあたしは、振り返らずコンビニの扉をあけた。

 ムワンと、湿った夏の匂いがあたしの身体にまとわりつく。

 ホテルには簡単に入れた。

『311号室です』

 ゆい、部屋に上がった。秀ちゃんは疲れ果てた形相であたしを一暼したのち、はぁ、ため息を落としながら、

「疲れたわ。今月まじえらいわ。いかんよな。できんことでもできるってゆっちゃうし」

 うん、そっか。現場監督の秀ちゃんは今現場を5つ見ているといっていた。

 忙しいね。ごめんよ。

 声を潜め謝った。秀ちゃんは首を横に振りながら、俺が要領わるいからいけないんだよ。と、自分を責め立てた。瑣末な限られた時間。秀ちゃんと過ごせる時間は特別な時間だ。

 シャワーをしたあと、薄明かりの中あたしは秀ちゃんの上になり、何度も何度もキスをした。きつく抱きしめ存在を確認した。温かい身体。他の男にはない温もり。

 あたしと秀ちゃんの結びつきは身体をあわせる他はない。けれどこの行為自体が冒涜ならばあたしはどうすればいいのだろう。抱かれるたびに苦しくて、愛おしくて、離れたくなくて。


ーころしたいー


 あたしの死に方のシナリオはすでに出来ている。

 ころしたいほど愛した男にころしてもらうことだ。一度冗談交じりにゆったことがあったけれど、笑いながら一蹴され流されてしまった。本気なのに。心残りは彼を犯罪者にするという事実だけ。けど、死んだらあたしには関係はない。彼はあたしをずうっと苦しめている。あたしが居なくなった世界で彼だけが苦しめばいい。愛しているから幸せになってほしい。よくゆうけれど、本音は違う。愛してると憎しみは紙一重なのだ。

 どうせ死ぬなら愛した男に殺されたら本望だろう。

 あたしはそれほどまでに彼を愛してしまっているのだ。

「ねえ、」

  汗をかいている秀ちゃんに問いかける。肩で息をしている。あたしは全くなのに。

「は?なに?」

 今日会いたかったのはね、まで、いいかけたら、秀ちゃんがあたしの言葉を遮り、

「あ、わ、やべー時間ねーよ。早く着替えて」

 あたふたしながら、パンツを履き出しまくしたてた。


 たなばただからだよ。

 1年に一度逢瀬を交わす日だよ。


 秀ちゃんは感がいいから、あたしがゆわなくてもわかったのかもしれない。好きとゆってくれないのは優しさだよ。と、友達がゆったいたことを思い出す。

 好きとゆう言葉はさようならよりも辛いことを知る。

 好きに、ただ、好きなだけなのに、どうしてこんなにも苦しいの。


【秀ちゃんにころされたい】


 さっきのコンビニで丸めて捨てた赤い短冊を思い出した。



 


 

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とくべつなひに 藤村 綾 @aya1228

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