第11話 ごめんの言葉
俊は待っていた、杉並木の入り口で。
時刻は6時半を過ぎていた。
(真琴はまだ部活かな?)
俊は結局、真琴の帰り道であり朝のランニングのコースにもなっているこの杉並木で真琴に謝ろうと思った。真琴の朝のランニング、つまり愛犬コロの散歩のときもいいかもしれないと一旦考えたが、真琴のトレーニングを邪魔したくないし、またコロがいたら想定外の事態が起こるのではないか、と考え、帰り道の杉並木が良いと結論付けたのであった。
もうかれこれ待ってから30分以上が経過していた。定期テスト前でもやはりいつものように遅くまで練習かと考えるとまだまだ待つ必要があるとも思われる。そんなとき、カラスの鳴き声がやけにしみじみと聞こえる。
俊は頭の中で何度も真琴に謝るシミュレーションをしていた。真琴が現れたら、俊も学校帰りの振りをして(一応嘘ではないが学校は3時間前に出ていた。書店に寄って気持ちを落ち着かせた後にここに来た)、素直にただ「この前、ひどいことを言ってしまってごめん」とだけ言って立ち去る。
でもいざ、真琴の姿を見たら、こんな風にできるだろうかとも俊は不安になっていた。
太陽の光がほぼなくなった頃だろうか、照明灯が杉並木の入り口を照らしていることに俊は気づいた。遠くに真琴らしいすらりとした姿が見えた。大きなスポーツバックを持っている。
(真琴だ!)
俊は俄かに躊躇いに襲われた。真琴に無視されたらどうしよう。不安の螺旋階段を俊の心は上っていく。足が勝手に杉並木から離れてしまった。真琴が近づくにつれて俊は隣接する公園に逃げ始める。停めてある無人の自動車の陰からいつしか俊は真琴の姿をのぞき見ていた。
「逃げちゃダメだ…」
大好きなアニメ作品の有名なフレーズが口をつく。
「逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ」
だが、自分に言い聞かせても足は動かない。真琴はそうこうしているうちに杉並木の入り口に差し掛かり左に折れて本道に入っていった。俊の視界にはもう真琴の姿はない。
(何やってんだ、俺!真琴に謝るんじゃなかったのか?)
俊は強い葛藤に見舞われていた。時間は無情に経過していく。
(ここに何しに来たんだ?真琴を追うんだ)
足は震えたままで、一歩も踏み出せない。
(逃げちゃ駄目だ、ラウラがあの時言った言葉を忘れたのか?『真琴ガ好キナラ俊ガ動ケ』という言葉を)
俊は決意をこめて言葉にする。
「逃げちゃダメだ!今が動くときなんだ!」
言うと同時に駆け出した。杉並木道の入り口に差し掛かると前方に真琴の姿が小さく見えた。俊は走り続ける。そして、声を振り絞って
「真琴!」
と叫ぶ。
真琴は誰かに呼ばれたことに気づいた。真琴は振り向く。誰かが走ってくる。しかし、薄暗くて顔はよくは見えない。でもさっきほどの声が誰であるかを真琴は知ってる。
「真琴!」
と声の主が再び叫ぶ。真琴も我知らず同じように声を上げる。
「俊!」
真琴の目には、駆けてくる俊の姿がだんだん大きくなる。真琴は俊の方を見たまま動かない。スポーツバックはいつの間にか地面においている。
俊が真琴の間近に追いついた。「ゼエゼエ」と息を切らせながら真琴をまっすぐに見て言う。
「真琴、この前はひどいこと言って、ごめん。真琴は凄くがんばってるのに」
こう言って、俊は深々と頭を下げた。
「私も言い方がきつかったわ。俊、ごめんね…」
真琴の目からはらりと涙が一粒流れた。
「真琴は謝る必要はない。俺が悪かった。真琴が許してくれるならまた話しかけるよ」
「うん」
真琴が頷く。その姿を見て俊は少しほっとでした。二人の間に沈黙が生まれていた。それは和むかのような沈黙。ふと俊は自分が手ぶらであることに気づいた。鞄をはじめ持ち物一式をおそらく、さっき身を隠した自動車のそばに置き忘れてきたのだろう。
「俺、忘れ物した事に気づいたから、道を戻る」
「えっ、そうなの?」
「じゃあ、真琴、インターハイ、頑張ってな!」
というやいなや俊は来た道を戻り始めようとする。
「ありがとう」
背中に温かみのこもった声が聞こえた。俊は振り返らず右手を挙げて応え、駆け出した。
(鞄を置き忘れるなんてドジってしまった。でも、真琴のそばから離れるいい口実になった。あのままいたら、ひどく恥ずかしかった…)
走り去る俊の後姿を真琴の目は見えなくなるまで追っていた。
(俊、ありがとう。私、頑張るよ!)
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