第2話 夕暮れの部室

 俊は腕を組んで座っていた、美術部の部室で、灯りもつけずに。


 そして、画架イーゼルに向かっていた。


(真琴にひどいこと、言ってしまった。心にもないことを言ってしまった。もの凄くホッケーを頑張っているのに…。ごめん、真琴……)


 真琴は俊にとって、第一に幼馴染であった。


 物心ついたときから近所に真琴がいた。家族ぐるみの付き合いがあった。小学校低学年まで真琴と一緒にお風呂に入っていたことを俊はいまさらのように驚く。同じ幼稚園、同じ小学校、同じ中学校、そして同じ高校、真琴が身近にいるのが当たり前であった。


 そして、真琴は現在の俊にとって、眩しい光を放つ女神のような存在でもあった。


俊よりもやや背が高く、スラリとした肢体に小さくない胸、長くて美しい髪。ポニーテールに髪を束ねた姿はさわやかな美少女そのものだ。スポーツ万能で勉強もできる。特にフィールドホッケーでは全国区レベルで注目されている。


 真琴は小学校時代からフィールドホッケーのクラブに入り、頭角を見せていた。ホッケーはグランドでする「フィールドホッケー」と氷上で行う「アイスホッケー」に分けられる。どちらもスティックを使ってボール(フィールド)やパック(アイス)をゴールに打ち込み得点を競う。


 通常ホッケーというとフィールドホッケーを意味し、俊たちが住む栃木県日光市はフィールドホッケーもアイスホッケーもどちらも盛んな土地柄だ。プロのアイスホッケーチームもあれば、オリンピック代表を輩出するフィールドホッケーの実業団も存在する。


 真琴は小学校、中学校とフィールドホッケーの全国大会にも出場し、このスポーツで全国に知られた地元の公立高校、通称「いち高」に進んだ。1年生からFWフォワード陣のレギュラーとして活躍している。


 つい最近、インターハイの関東大会も勝ちあがり、8月上旬には全国大会に出場する。今年は栃木県が開催県にあたり、日光市内のホッケー競技場で大会を見ることが可能だ。全校こぞって応援に行くだろう。大勢の生徒が真琴の活躍を目に焼き付けるはずだ。


 実は俊は試合が見られるときは、真琴の試合には極力足を運んでいる。これは小学生のときから変わっていない。


 5月の県の予選では日光市内の競技場で決勝戦を見ることができた。真琴がスティックを持ちシュートを決めた姿は凛々しく、そして何よりも美しかった。


 それは、女神の姿すら思わせた。そんな女神と自分は釣り合わない、幼馴染でいるだけで幸いだ、と俊はその時改めて思い、せめて真琴の姿だけでも絵にしてみたいと願ったのである。

 

 目の前の画架におかれた水彩用の画用紙を俊は眺めた。ラフスケッチだけが描かれていた。まだ顔立ちが分からない人物がホッケーのスティックを持って正面を向きながらシュートを放つ姿。モデルは真琴だった。


(「口をきかない」と勢いで言ってしまった。どうしよう?)


 俊は悔いていた。


授業が終わった後、「スポ根女といったのは悪かったよ」と謝る手もあったが、今日は言えなかった。やはり、ラウラの言葉を否定されたのが悔しかったのかもしれない。


 普段なら部室で油絵を描いているラウラは、今日は家族の用事があるといって部室に顔出さなかった。1年生は校外学習でいない。ただ一人の3年生で部長の戦場ヶ原せんじょうがはら優子ゆうこも塾でテストがあるといって帰った。


 今日は一人、物思いに長い時を過ごしてしまった。


こう思うと俊は立ち上がって、薄暗い部室を後にした。

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