杉並木の下で

Mikan Tomo

第1話 夕暮れの杉並木

   ♪世界で一番長い この杉並木 今二人をやさしく見守っている♪



 夕暮れの杉並木の中を三依真琴みよりまことは歩いていた、少し肩をすくめながら。


 いつもなら安らげるはずのこの道なのに、今日は違っていた。

 時折、ねぐらに帰るカラスだろうか、「カァー、カァー」という声が杉木立の静けさの中に響き渡る。

 

 昼の出来事が真琴の胸に突き刺さっていた。


 

 昼休みに校内食堂で、サヤカたちと食事を済ませた後、真琴が一人で教室に戻ってみると、俊とラウラが楽しげに話しているのが見えた。


 俊こと藤原ふじわらしゅんは近所に住む幼馴染、ラウラ・ハノーバーは1年ほど前にドイツから来た転校生。俊は見た目は凡庸(ただし目は意外にパッチリしてる)、スポーツが苦手なアニメオタク系男子。


 一方、ラウラはセミロングの金髪と青い目が印象的な華やかな美少女。


 俊とはどう見ても釣り合わないけれども、二人とも同じ美術部だから話すことは、それはそれであるだろう。


 でも、でも、この楽しいそうな雰囲気は何かしら?


そんなことが、真琴は気になった。


「俊、今度ノ日曜日ノ写生会、楽シミヤ。霧降高原ハ景色、良イ?」

「景色がすご~くきれいだよ、ラウラ。頂きから見下ろすと、青々としていて気持ちがいいんだ!」


 (俊はいつもより口調がハキハキしてるわね…)

 

 聞くまいと思っていても、つい真琴は二人の会話を聞いてしまう。


「俊ハ何ヲ持ッテクン? 画材ハ」


 ドイツで見ていた日本のお笑い番組の影響で不思議な関西弁をラウラは使うけれども、同性の真琴が耳にしても、ラウラの声はとってもキュートだと思う。


 俊が好きだというアニメ「ギャルズ&パンツァー」に出てくる声優にもこんな声の人がいたような気がする。


「そうだなぁ、俺は画用紙と色鉛筆かな。水彩絵の具も持って行きたいところだけど、あそこは、使った水を捨てられないから。地球に優しく」

「俊ハeco男子ヤネ!」

「eco男子?そうかな~。自然を汚さないのは基本だよ~」


 俊は少し得意げな顔をしながら頭をかいている。ラウラの前でいい格好している俊が少し真琴には癪だった。


「ラウラ、古典の山口先生が呼んでるわ」


 クラスメートの小来川おころがわ麻紀まきがやって来てこう告げるとラウラは


「漢文ノ補習ノ件カイナ? 俊、コノ話ハマタ後デ」


と教室を後にした。

 

 俊は今しがた姿を見せた栗山くりやまたもつ


「保、俺、eco男子だぜ。ラウラにそう言われた!」

「えっ、ラウラちゃんに? 凄いな~。でも誤解あるよ、きっと」


 保は親友の言葉に苦笑した。


「保、そうよね。俊は何を得意がっているの?」

「真琴、突然何だよ?」

「あんたがeco男子なわけないでしょう? 夜遅くまで電気を使ってアニメ見たり、ゲームしてるあんたが」


 真琴は棘のある口調で言ってしまった。


「その言い方は何だよ。ラウラが言ってくれたんだよ!」

「ラウラは、誤解してるわ」


 ラウラの名前を出されて、俊はいっそう怒った様子で、


「このス・ポ、スポこんおんなは黙ってろ!」

「スポ根女って、何よ。ひどい言い方! あんたは運動音痴のオタク男子じゃない。あんたとは口もききたくない!」


 真琴も熱くなって言ってしまったのだ。周りの生徒たちの視線が真琴と俊に注がれた。


「お前がそういうなら、分かったよ。もう口はきかない!」


こう言って、俊は会話を急に打ち切って自分の席にそそくさと着いてしまった。

 

 そばで見ていた保は、いつもだったら「喧嘩するほど仲がいい」と冷やかす側に回るが、今回は少し心配そうな表情をしていた。二人が本気で怒った雰囲気だったからだ。

 

 これはいけない、と真琴も思ったが、後には引けなかったから、無言のまま席に着いたのだった。

 

 すると、いつの間にか教室に戻っていた足尾あしおサヤカが近寄ってきて小声で


「真琴、途中から見てたんだけど、何か俊とあったの?」


と訊いてきたけれども


「何でもないよ。いつもの口げんかだよ」


と答えたときに、ちょうどラウラが戻ってきた。



 あれから5時間余りが過ぎ、午後6時を回っているが、6月中旬の夜の訪れは遅い。杉木立の木漏れ日は茜色に染まっていた。


 あの後、漢文、化学の授業を受けて帰りのホームルームを迎えたが、俊とは目も合わせなかった。ホッケー部の練習があったが、今日の練習は全く身が入らなかった。


(俊には悪いことを言っちゃったな。分かってる、私の焼きもちだってことは。でも、スポ根女はひどいよ……)


 真琴は俊が好きだった。小学生のころから親しみの感情は持っていたが、それが恋だと意識するようになったのは、中学2年生のときだった。

 

 俊はモテるというタイプではなかったけれども、不器用なところも多いけれども、深い優しさがあった。身も知らない他人の心の痛みを自分の痛みとして感じ取れるところがあった。

 

 震災のあの年、俊はどれほど涙を流していたことだろう。真琴には涙までは出ないような事柄や報道にでも俊は泣いていた。

 

 俊には長く接してみると分かる、噛めばかむほど味わいが出るスルメのような、確かな優しさがあるのだ。自分はそれに何度も助けられている。

 

 小学5年生のときにホッケーの練習で足を折ったときに俊はギブスが外れるまで荷物を学校まで毎日持ってくれた。恩着せがましいことは俊は一切言わなかった。


 そんな優しい面に惹かれる女子もいた。

 

 中2のバレンタインデーのときに、「俊に本命のチョコレートを上げようかなっ?」と友達から相談を受けたとき、真琴の胸に急に不安が兆した。


 俊をとられてしまうような気がして。結局その友達の本命チョコは別の男子に渡され、俊へは義理チョコだったけれども、真琴にとっては俊への恋愛感情をはっきり認める機会になったのである。


 いつかこの気持ちを俊に伝えようと考えているままに中3、高1と過ぎて、今に至っている。


 親友のサヤカは、自分のこの気持ちをはっきり知っているし、「もう言っちゃえ」と背中を押すのだけれども、幼馴染として築いてきた俊との居心地が悪くない関係を壊すのは正直怖い。

 

ホッケーの試合なら、果敢にシュートを打てるのにと真琴は思う。


(もう、俊とは話せないのかな?まさか、そんなことは…いつもみたいに仲直りできるわ。いえ、でも、今はラウラがいるから……)


 真琴の目には急に涙が込み上げてきた。


 長い髪を束ねたポニーテールが終わり日の中で小刻みに揺れていた。

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