第3話 朝早い杉並木

 真琴は一人駆けていた、杉並木の中を。


 今朝の空は梅雨どきらしい曇り空だった。小鳥たちの朝のさえずりは、いつもよりは少なめに感じられる。空を見上げると大きな杉が天を突いている。樹齢300年以上の大木も少なくない。


 この杉並木は江戸時代前半に日光東照宮の参道並木として植樹が始まった。御成おなり街道、会津西あいづにし街道、例幣使れいへいし街道の三つの街道が日光市の今市いまいち地区で合わさり、日光街道となる。


 杉並木の全長は37kmで、ギネスブックにも世界一長い並木道として登録されている。上空から見下ろすとこの杉の並木が日光の町に目に鮮やかな緑のラインを引いているように映る。


 真琴がランニングで選ぶ道は、固められた土の道で両側を杉並木に挟まれている。アスファルト道と違って足にもなじむし、車が入ってくることもほとんどなく、休日は散歩やウォーキングを楽しんでいる人も多見される。


 真琴は小学校でフィールドホッケー部に入った時から、毎朝欠かさず、この杉木立を走っている。


 真琴はこの道が好きだった。


 この道に一歩足を踏み入れると外の喧騒が嘘のように思えるくらいに静まり、空気がすがすがしい。清流が道のそばを流れていて、せせらぎの音も耳に心地よい。天に伸びる大木が多いが、よく見れば大小とりどりの形のいろいろな樹齢の木々が見掛けられ、一本一本に違いがあるのだ。


 杉木立はときに生きているかのように真琴には見えた。


 そして、優しく見守ってくれているように真琴には思われた。いやなことがあっても悲しいことがあっても、この道に来ると気持ちが安らぐのだ。


 でも、今日は少し違っていた。昨日の出来事がやはり尾を引いていた。


(今日は、俊は来るかな?)


 俊の家では犬を飼っていた。コロという柴犬だ。家族交代で朝の犬の散歩をしている。今日木曜日は俊の番の日だったはずだ。


(出会ったら、どうしよう?)


 真琴は少し戸惑う。


(いや、いけない。こんなことで心を乱していてはだめ…。全国大会も近い)


 真琴はランニングに集中しようと気を取り直した。俊のことを今は考えないようにしたいからという理由もあったが、走りこみはやはり試合での自信を生む。


 フィールドホッケーは特に運動量が問われる競技だ。バレーボールやサッカーと違って、試合中、何度でも選手を交替、出場させることができる。ホッケーの競技フィールドはサッカーよりやや小ぶりだが、横が55m、縦が91.4mあり、やはり試合での走行量は大きくなる。


 全国の強豪高の選手たちも真琴と同じように走りこんでいるだろう。練習時間以外で自分が全国大会に向けてできることはやはり走り込みではないか。真琴はそう考えていた。          


「ハッ、フッ、ハッ、フッ」


 真琴の息があがっている。


 右手には復元された尊徳仕法の農家の建物が見えた。


 郷土の偉人、二宮にのみや尊徳そんとくが農村立て直しのために造らせたという様式の農家で、一般に公開されている。幼い時分、この農家の敷地で真琴は俊とよく遊んでいた。並木道からは見えないが、藁ぶき屋根の家屋の隣には大きな水車がゆっくり回っていて、俊と一緒によく眺めていた。


 あの頃が懐かしいような気がする。

 

そんなことをふと思いながら、尊徳仕法の農家の横を通り過ぎたが、もうすぐ杉並木がいったん途切れるポイントに差し掛かる。今日はそこでUターンだ。真琴はペースを緩めた。


 すると、前方の交差する小道から飼い犬を連れた俊が不意に現れた。


 俊は驚いた顔であったが、真琴からすぐに目をそらした。飼い犬コロが真琴を見つけて「ワンワン」と喜びの鳴き声をあげた。この柴犬は真琴にも慣れている。


 しかし、真琴も何も反応せず、俊の少し離れた横側を無言で通り過ぎた。真琴の心臓は乱れ打っていた。


(無視なの?)


 真琴は振り向かなかった。もと来た道を折り返すのはやめて、左に曲がり、車も走る一般道を選んで、家へ戻ることにした。悲しい気分を抱えながら。

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