第11話5
犬戊﨑が漫研に入部した理由は、簡単に言ってしまうと、目の保養だと彼女は言う。
彼女は腐女子で、男子のいちゃいちゃしているところを見れば、それはどんな状況だろうと、自分の頭の中で変換させ、妄想して、想像して、自分の思い通りの世界を作る事が出来るとそうだ。
……そりゃそうだ。だって妄想なんだから。
現実世界の出来事を好きなように書き換える事が出来たなら、そりゃあ異能だろ。佐々木さんが大好きな。
まあ、しかし。
妄想は妄想で、現実は現実なので。
犬戊﨑にそんな力なんて持っていない。
漫研には犬戊﨑のほかに、三人の部員がいるそうだ。その三人は男子なので、犬戊﨑の狙い通りと言えば、狙い通りなのかもしれない。
しかし、いつしかその三人の男子は犬戊﨑の下僕にまで成り下がっていた。
彼女――犬戊﨑はただ漫研にいられれば良かった。男子にちやほやされたいから女子のいない漫研を選んだわけではない。
目の保養と妄想。
それさえ出来ればなんの文句も無かった。だから入部したての頃は、黙って椅子に座って本を読んで、三人を観察している事が多かった。
ある日、部員の中の一人に――犬戊﨑が言うには、下僕二号に『犬戊﨑さんも一応、漫研の部員なんだから、なんか漫画でも描いてみる?』と言われ、書いたのがきっかけだった。
漫画を読む事は好きだったけれど、それを自分の手で描こうなどとは、今まで一切思った事などなかった。
たしかに、下僕二号の言う通り。自分も漫研の一部員として、何かしら漫画を描かなくてはと思った。
犬戊﨑にとっては漫研はユートピアにも近い居場所だ。そのユートピアを追い出されてしまう。下僕二号に『描いてみないか?』と言われた瞬間、そう思ったらしい。
実際、その下僕二号が、犬戊﨑を漫研から追い出そうと思っての発言ではなかったかもしれないし。犬戊﨑の考えすぎなのかもしれないけれど。
しかし――。
犬戊﨑は描いた。
とにかく描いた。
漫研から追い出されないため、必死に描いた――描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて掻きまくって、掻きまくった。
その描いた漫画をコンクールに送った。
犬戊﨑ではなく、下僕の何号なのか知らないけれど、勝手にコンクールに送った。
すると佳作を取った。佳作と言えど、賞は賞だ。
賞を取りたくて犬戊﨑は漫画を描いたわけではない。ただ漫研にいたいから。この学校の漫研に在籍していたいから。ただそれだけの理由だった。
賞を取ると、周りの犬戊﨑を見る目も変わった。
『賞を取るなんて凄いじゃないか!』
『みよりんは漫研のエース! 救世主だぶひ! いや! 女神さまだぶひひぃい!』
『女神……転生……くっくっく……』
その日から、この学校の漫研は、犬戊﨑の女王様制度に変わった。
血の滲むような努力。
凶器にも似た感情で作り上げた作品が。
どこかの誰かに認められ、そしてほかの三人の部員に期待される。
現実を妄想の世界に書き換える事は出来ないけれど、妄想を現実の形に描く事が出来る。犬戊﨑には、
***
「お願い! 犬戊﨑さん!」
前日、犬戊﨑と僕のやりとりを、LINEで佐々木さんに報告。
僕はてっきり佐々木さんは怒りだすかと思った。僕たちが毎日昼休みに屋上で会っていること、佐々木さんが屋上で信じられないような奇行を繰り返していたことが、クラスメイトの一人にバレていた事に落ち込み、僕に怒りを向けるかと思ったのだけれど。しかし、佐々木さんにそんな気は無く。逆にイラストを描いてくれそうな人物がすぐに見つかった事が嬉しかったのか……。
僕は犬戊﨑にイラストを描いてもらおうと佐々木さんに提案すると、佐々木さんは嬉々として、すんなりとそれを受け入れてくれた。
次の日の昼休みの放課後。屋上に犬戊﨑を呼び出す。
教室で話し掛けるのは嫌だったので、昨日の内から屋上で会う約束をしていた。
当然そこには佐々木さんも一緒だ。
佐々木さんは僕に気を使ったのか――僕が他人とは喋りにくい(前日にかなり会話をしているので大丈夫なのだが)と分かっているので、佐々木さん自ら本題を切り出して説明する。
犬戊﨑は黙って聞いて、うんうんと頷いてはいたが、表情はあまり芳しくはなかった。
いや、佐々木さんの決死のお願いに対しても、返事は芳しくなかった。
「嫌です。あ、いえ……お断りします」
どうして言い直したのかは分からないけれど、とにかく、切り捨てるように犬戊﨑は言った。
正直僕はこんな展開になるなんて。頼めば何とかしてくれるだろう。断られることはない――とは、思わなかった。
嫌なものは嫌だ。
これは良くて、あれは駄目。
なぜ犬戊﨑は断ったのか――僕の勝手な見解で、勝手な想像でしかないけれど。憶測の域を出ないけれど。
人には誰しも超えてはいけない領域。境界線みたいなものがあると僕は思う。
境界線――犬戊﨑の、そのボーダーを僕たちは踏み越えようとしたから、犬戊﨑ははっきりと、言葉を濁すことなく、言い訳をする事なく断ったのだ。
と、僕は思う。
つまり、僕の場合だと、他人に話しかけられることを嫌い、他人に話しかける事を嫌うように。
この人と会話をするのはいいが、この人と会話するのは駄目。
自分の中で全て決まっている。決まり事みたいなもの。
これだけ聞くと、なんだかこの人は我儘で、自己中心的な人だなあ、と思われてしまうかもしれない。しかし、僕から言わせると、それのどこが悪いのだろうか?
これはぼっちだからとか、コミュニケーション能力が高いリア充だからとか、そんな話ではない。
有り体に言って、性格の問題。一括りにアイデンティティの問題とも言えるけれど。
少なくとも僕は、自分の中での決まり事だったり、領域を他人にずけずけと土足で入り込まれるのを良しとしないタイプの人間だ。それは他人との距離感の取り方が下手だから。酷い言い方になってしまうが、これは客観的に見て――悪なのだ。
悪。
悪と言い切った、学校と言うコミュニティーの中では悪になってしまったけれど。多数決に負けて、弾かれてしまったけれど。しかし、それは決して全てが悪い事では無い。
いじめを受けて、いじめられる方も悪いんだとか、そんな理不尽な悪を突きつけられる事と一緒。
性格の問題。お前に友達が出来ないのは、お前が他人と関わろうとしないからだ。
傲岸不遜にも、そんな事を言われたら、僕は胸を張って、嘘偽りなくこう言うだろう。
大きなお世話だ。ほっとけ――と。
僕が一番困るのは。ほっといてもらえない場合だ――。
「そう言わずにさ、お願い! ね?」
佐々木さんは両手を合わせ、可愛く小首を傾げ、ウインクをして言った。
そんな本物のリア充可愛いオーラに犬戊﨑は気圧されそうになるが、ぐっと堪える。
「ど、どうしてみーちゃんなんですか? みーちゃんなんかより絵が上手い人なんて、この世に腐るほどいますよ!」
まあ、お前もその腐ってる人の一人なんだけどな。とはさすがに言えなかった。
僕はただ二人のやりとりを見ているだけだった。
「それに、おーちゃんから聞きました。佐々木さんはラノベ作家になりたいそうじゃないですか? だったら挿絵なんていりませんよね? ラノベの賞を取るのに、挿絵は評価基準に入りませんよ?」
え? そうなの? 僕はてっきり挿絵も評価されるのだとばかり思っていたのだが……それが、佐々木さんが挿絵を描いてくれる人を探そうと言い出した理由だと思っていたが、どうやらほかの理由があるらしい。
僕が知らなくても、中学の頃からラノベ作家を目指している佐々木さんが、その事を知らないはずがない。
「え……いや、それは……」
佐々木さんは目を逸らして、こめかみを掻いている。それはなんだか……。
「なんか隠し事があるみたいですね?」
と犬戊﨑は言った。
「別に隠し事はしていない! これから話し合うつもりだったの。純君と、挿絵を描いてくれるなら犬戊﨑さんで……」
「……なんか後付けっぽいですけど。まあ、いいです」
「え? 描いてくれるってこと? 挿絵を」
犬戊﨑は首をぶんぶん横に振った。
僕は少し身構えた、どこかで会話に入り込まねばならないと思ったからだ。
平行線――僕と佐々木さんがジャンルについて話し合うのと一緒。佐々木さんは描いてほしい。犬戊﨑は描かない。もう既に決定している事を、話し合っても無駄だ。
「いいです。と言ったのは、隠し事なんてどうでもいいという意味です。挿絵は――」
「うん、よし分かった。挿絵の件はもういいさ。貴重な昼休みの時間を割いてまで悪かったな犬戊﨑。挿絵はほかの人に頼むさ」と僕は会話に無理矢理割り込んだ。
「えっ? ちょっと……」
佐々木さんは納得のいかない顔をしていたが。犬戊﨑は、
「……そうですか、じゃ、じゃあ……」と言って、屋上を後にしようとしたが。
「ちょっと待って犬戊﨑さん! 私、犬戊﨑さんの描く漫画、イラスト、全部見たよ! 男の子のイラストしか無かったけど……でも、凄くよかった! 私が考えたキャラを犬戊﨑さんに描いてもらいたいと思った! 私が考えて、純君が書く、そして犬戊﨑さんにはキャラを描いてほしい! 命を吹き込んで欲しいの! 絶対いい作品になる! 犬戊﨑さんには、絶対才能がある――」
それは、佐々木さんの胸中にある――本気の想いをだったのかもしれない。真意は分からない。
犬戊﨑は屋上のドアノブに手を掛けたまま、俯きながら言った。
「みー……わたしに……そんな期待しないでください。迷惑です」
屋上に、ドアを閉める音だけが、耳に残った。
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