第10話4

 「あ、みよりんー! 今日は遅い出勤なのです! 今日もミラクルハイパー超絶可愛いのです! ぶひっ! ぶぶひ! ぶひぃぃー‼」


 小太り眼鏡、オタク丸出しな男子生徒が――いや、豚が日本語っぽい言語を喋っていた。


 「あっーうっさい! 近づくな豚野郎。相変わらず汗臭いんだよ、このドブネズミが! それとみーちゃんの事はみーちゃんって呼べって何回言ったら分かるんだよこのクズ野郎!」


 犬戊﨑は豚に酷い言葉を吐き捨てる。いや、豚なのかネズミなのかクズ野郎なのかはっきりしろよ……。


 「おお! 今日もみーちゃんさまからありがたいお言葉を頂いたぶひぃー! この私め! 天にも昇る気分だぶひぶひぶひー!」


 豚は恍惚な表情で、神様の御前であるかのように両手を合わせ、祈り捧げるポーズをとる。なんだこれ……?


 「今すぐ黙れ。そして今すぐこの部室から出て行け! みーちゃんはこれから大貫君と話がある」

 「はっ……! みーちゃん酷いのです! このやさぐれた男なんかと、いったい何をするおつもりですか⁉」


 誰がやさぐれだこの豚野郎。


 「話をするだけだって言ってんだろ。なに勘違いしてるんだいこの豚は! いやらしい!」


 と、犬戊﨑が言うと。豚は突然鼻血を噴きだし、

 

 「ぶっ……ぶひひぃいーー!!」


 昇天した。

 

 「いいから早くここから出て行け! 豚野郎!」


 と、豚の尻に蹴りをいれて(サッカーボールキック)、部室(?)から叩き出した――と言うか、蹴り出した。

 犬戊﨑はドアをぴしゃりと閉め、ふうと溜息を吐いてから、くるりと、背景にお花畑を咲かせ半回転。中身が見えるか見えないかの微妙な動きで、スカートをふわりとなびせる。

 そして、これ以上の無い笑顔で言う。


 「ごめんね~大貫君、お待たせ~! きゃぴるん♪」

 「……猫被ったり、脱いだりで忙しいな」


 きゃぴるん♪ってなんだよ……。自分で言うな。

 犬戊﨑に、教室の廊下で自己紹介をされ、お話があります。と、連れられて来たのは、広さは僕の教室の半分にも満たない一室。

 犬戊﨑は部室だとさっき言っていたけれど。いったい何の部室なのかは、僕には分からなかった。

 壁一面に貼られた二次元の男同士(片方イケメンで片方がなよっとした気の弱そうな男の子がイケメンに壁ドンされている)のポスター。

 パイプの折り畳み式長机の上には、パソコンと……マウスやら、パットやら、ペンタブレットが散乱していた。

 犬戊﨑は負的に笑う。


 「ふっふっふ……さて、どっちが本物のみーちゃんでしょう?」


 初めての経験だった。ここまでどうでもいい質問をされるのは……。

 

 「なんかどうでもいいって顔をされてますね……」


 やっば、顔に出てたかー、あっちゃー、いけねー、てへぺろ! ……うざっ。


 「さっきの男子生徒は三年の前田先輩です。みーちゃんの下僕一号です」

 「お前! 先輩にあんな酷い事言ったり、暴力振るっていたのか⁉ 恐ろしいな!」


 先輩に対して何してんだこいつ……。しかも何号までいるんだ? みーちゃんの下僕……。


 「ああいう事をすると喜ぶから……つい」

 

 と頭を掻きながら、頬を朱色に染め、照れくさそうにする。


 「……照れるな。なにも褒めてない」

 「だって、みーちゃんがいないと、この部活は成り立たないんですよ」


 言いながら犬戊﨑はパイプ椅子にどかっと座る。


 「いったい何の部活だ? 運動の類ではない事はわかるけれど……」

 「漫研です」


 と端的に返ってきた。

 ……漫研って、漫画研究会の事だよな? 研究会と部活って同じなのかな? まあ、詳しい事はよく分からないし、どうでもいいか。


 「みーちゃんは別にどこでもよかったんですよ、女子のいない、男子だけの部活なら――」


 と、唐突に自分の事を――この漫研に入るきっかけを話し出した。


 「別に漫画を描きたかったわけではないのです。みーちゃんはかなり腐っている女子ですから、男子同士のいちゃいちゃを――目の保養ができればよかったのです。まあ、それなら、野球部とか、サッカー部のマネージャーですか? ああいう所に入部すればよかったのですが……この学校の部活のマネージャーってなんだか人気があるらしく、すでに一年の女子マネージャー、二年の女子マネージャー、三年の女子マネージャーって決まっていたのですよ」

 「……男子同士のいちゃいちゃってのはよく分からないけれど。とにかく、男子だけの部活、自分以外の女子のいない部活を探して入部して、ちやほやされたかったと。そう言う事か?」と、僕が言うと。


 犬戊﨑はこめかみに青筋を立て、肩を戦慄わななかせ、憤怒の表情で机を叩く。


 「……この犬戊﨑実依が! 男子にちやほやされたいが為だけにこの漫研に入ったと思っているのかぁぁ⁉ ちゃんと話を聞いていたのか⁉ あぁん⁉ 男子同士のいちゃいちゃが見たい! 男子同士が会話しているだけでこの犬戊﨑実依は興奮するんだよぉぉぉ! 目の保養ができればいい! そう、言っただろうが! このど低脳がぁぁぁ!」

 「……………………」


 たぶん……おそらくだが、こっちが本物の犬戊﨑だ。

 犬戊﨑ははあはあと、息を切らし、落ち着きを取り戻し。僕の変態を見るような目にはっとなる。


 「……し、失礼! 言葉が過ぎましたわ! おほほほほほ……」


 キャラが読めない……。


 「と、とにかく。みーちゃんは腐っているのです。大貫君って、もしかしてBLを知らないのですか?」

 

 下唇に人差し指を当てて、可愛く小首を傾げる。……あざとさも兼ね備えてやがる。


 「BL? 甲子園の常連校?」

 「それはPLです」


 最近は見ないなあ、どうしたんだろあの強豪校……って、野球に詳しくないので偉そうなことは言えないし。

 PL学園野球部に、何があったのかなんて、僕には知る由も無いけれど。少なくともここでは全く関係が無い。


 「BL。ボーイズラブの略です」

 「……ああ、あ。うん……」


 軽く頷いてみたものの、何を言われているのかさっぱりだった。

 ボーイズラブ……? ふむ、少年たちの愛?

 少年たちは何に愛を感じるのか? とか、そんな哲学的な何かかな?


 「たぶん、今、心で思っている事は違います。簡単に言うと、男の子同士でいちゃいちゃして、キスして、えっちしちゃうのがBLです」

 「…………は?」


 僕は犬戊﨑が言った事が理解できなさ過ぎて、言葉が出なかった。いや、ほんとに意味が分からん。


 「大貫君。そんなアホ面をされては困ります――」


 誰がアホ面だ! まあ、弁解の余地なくアホ面ですけど……。


 「大貫君。あのポスターを見てください」


 と言われて、指を指した方向を見る。

 さきほど描写した、あの二次元のポスターだ。

 イケメンに壁ドンされ、ひ弱そうな男の子が目を逸らしなんだか恥ずかしそう(?)にしているポスター。


 「あれを見てどう思います?」


 うーんと、僕は一考してから答えた。


 「怖い人にカツアゲされているいじめられっ子のポスター?」

 「ぜっっっっんぜん違います!」

 「あれ? 違ったかあ……じゃあ、あれか? いじめ格好悪い。とかそんないじめ撲滅とかのポスター?」

 「まず、いじめから遠ざかって下さい……」


 なんなんだ? どう見ても、イケメンのお兄ちゃんが、自分より弱いものを虐げているような絵にしか見えないんだが……。


 「つまりこれがBLなんです! ボ・ー・イ・ズ・ラ・ブ! なんです!」

 「……いや、だから意味がわからんて」

 「どう見たって男子同士がいちゃいちゃしているでしょうが!」


 これをどう見て? どの角度から見てこのポスターの男の子二人がイチャイチャしている風に見えるんだ? 頭おかしいのかこいつは?


 「このポスター。この絵を要約するとですね、こうなります」


 犬戊﨑はこほんと一つ咳払いをすると、目元をきりっと吊り上げ、誰もいない、なにも無い壁に壁ドンをする。そして、芝居がかった口調で。


 「おい……お前、俺の事が好き――なんだろ」


 と言うと、次はすぐに顔つきを変え、壁際に寄りかかり、ひ弱そうな男の子になる。顔を赤らめながら、手を口元に寄せ、芝居は続く。


 「……え? い、いや、あの。この前のあれは……とも……だち、として、す、き、って。言っただけだから……」


 今度はまたイケメンの方に戻り。


 「もう、俺。お前の事――恋人にしか見れないから。いい、だろ?」


 とそこで芝居――と言うか茶番は終わった。しかし、何を僕に伝えたいのかはやっぱり意味が分からなかった。

 すると、犬戊﨑は闘牛の如く鼻息を荒くさせる。自分の今の芝居に満足いったのか「愚腐ぐふ……愚腐腐腐」と奇妙な笑い方をしている……。なにこれ怖い。


 「うおおおおおおーーー腐うぅぅっ! みなぎってきたぜぇぇぇ! 大貫君どうですか⁉ あなたも腐りませんか!」

 「腐んねえよ! なんで興奮してんだよ! ますます意味が分からん!」

 「どうしてですか⁉ この絵や、あの絵や、その絵を見て! 逆にどうして妄想を掻き立てられないのですか⁉ おかしいですよ絶対!」

 「おかしいのはお前の頭だ!」


 どうして男の子同士で恋人関係にならなきゃいけないんだよ。

 いや、ちょっと待て。そこだけ抜粋すると。大貫純はすぐに差別発言をする最低野郎だと言われかねない。

 よく考えたら、日本国だけじゃあない。

 世界規模で同性愛を重んじる人々はたくさんいるはずだ。僕は危うく、自分の軽はずみな発言で、その人たちを敵に回すところだった。

 ではなんだこの腐に落ちない感じは? 間違えた腑に落ちないだ。

 

 「うほほほっ! ひょひょお!」


 そう、女の子が間違ってもこんな叫び声、奇声を上げてはいけないのだ。

 女の子が――腐っても女子高生が、さっきしていた芝居がかったあの茶番で興奮するのはどう考えても間違っている。

 だから腑に落ちない。

 男の子同士の恋愛模様を妄想、想像するのは勝手だ。しかし、その妄想や想像に興奮を覚えるのは女の子では無く、普通なら同性愛の男の子が興奮するのであって、女の子は興奮しちゃあダメなんじゃあないか?

 いや、ダメって事は無いか……。性癖の一つだ。

 もしも、その現場を見てしまったら――男の子同士が恋愛しているのを見てしまったら、女の子はそれを受け入れてはダメな気がするのだが……うーん、これもまた差別発言に繋がってしまうかもしれない。

 あまり深い事は言えまい……奥が深いな……BL。

 と、思ったのだが。答えはすぐに出た。犬戊﨑は言う――。


 「では、想像してみて下さい。みーちゃんと佐々木さんがいちゃいちゃ、ちゅっちゅしているシーンを!」


 女の子同士が……いちゃいちゃちゅっちゅ……だと? なんだそのエロスを感じる動詞は(動詞か?)!

 僕は虚空を見つめ、しばし物思いにふける……うむ、これは。


 「……いいな!」

 「ですよね! そう言う事です!」


 たしかに興奮した。


 「大貫君。あなた表情一つ変えずに興奮するとは……、さては妄想マスターですな? やりおる」とニヤリと笑う犬戊﨑。


 たしかに。

 言われてみると、普段教室で誰とも会話しないから、自問自答を繰り返し、妄想にふけっている事が多いから。思わずにやけてしまいそうなのを我慢している。

 にやけているところを他人に見られたら相当恥ずかしいもんな。

 知らず知らずにそんな特技をマスターしていたか……。


 「と、とにかく……BLについてはよくわかった。話を戻そう」

 「え? どこまでですか?」


 こいつの頭は退化しているのか? 興奮しすぎて忘れている様子だった。


 「僕をここに招き入れて、話があったんだろう? 僕も犬戊﨑。君に聞きたい事がある」


 と僕が言うと、「ああ」と手をぽんと叩き。思い出したようだ。疲れる奴だ……。


 「それにしても、大貫君が思ったほど話しやすい人で良かったです」と言って笑顔になる犬戊﨑。

 その不意の笑顔にすこしどきりと心臓が高鳴った。


 これも、言われてみれば気付いてしまう。

 犬戊﨑と普通に会話を成立させている自分に……。

 違和感なく言葉を出している自分に、驚く。

 昼休み、屋上で佐々木さんと会話する事で、だんだんと他人との会話に慣れてきたと言う事だろうか? そう言う事にしておこう。今はそんな事を考えている時じゃあない。


 「大貫君って……うーん、大貫君ってなんだか呼びにくいですね。じーちゃんって呼んでいい?」

 「……僕は老眼じゃあないし、腰も曲がっていないし、犬戊﨑は孫じゃあない」

 「じゃあ、おーちゃんで!」

 「……もう好きにしてくれ」


 と、僕は落胆する振りをしたけれど。落胆は照れ隠しで、初めてあだ名を付けられて、なんとなく嬉しかった。


 「おーちゃんて教室では誰とも会話してないじゃないですか。だから、怖い人なのかなあって。先入観で思ってて……でも、ついさっき、佐々木さんがクラスの皆に――と言うか、間違っていたらごめんですけど。みーちゃんが見る限りでは、なんか、おーちゃんに気を使いながら、さりげなく挨拶しているのを見て気になったんですよね」


 ふむ、やっぱりか。

 やはり見る人によっては、あの一連の流れはおかしく見えてしまうのかもしれないな。

 でも、それだけじゃあ無いはずだ。


 「なんで僕と佐々木さんが、昼休みに屋上で会っている事を知っているんだ?」


 『いつも二人で――屋上で何しているの?』と犬戊﨑は言っていた。

 昼休み、佐々木さんと一緒に教室を出て、一緒に教室に戻ってきているわけではないのに、どうして屋上で二人一緒だと言う事を断定できるんだ? 僕はそこが気になった。

 そういうところは、自分にとっても、佐々木さんに対しても気を使い、細心の注意を払っていたはずだが……。


 「先月の中旬くらいからですか? はっきりとは覚えてないけど、昼休みになると、先に席を立つのは、必ずおーちゃんの方ですよね。それから佐々木さんは一通りクラスメイトと話し終えると、席を立ってどこか行くんですよね。最初はそれを変な行動だとは思わなかったですよ。でも、ゴールデンウィークに入る前くらいだったな? 無意識だと思うけど、おーちゃん、席を立って佐々木さんに目配せしてからどっか行くのを見て――あれ? 変だなあって思って。今までは二日に一回くらいしかどこかへ行かない佐々木さんが、それから毎日昼休みになるとどこかへ行くから、悪いなあとは思いましたけど……」

 「跡をつけたんだな?」


 うん、と頷く犬戊﨑。

 本当に悪いと思っているのか、子犬のような表情で見つめてきた。

 いや、まあ、しかし。これは何ともマヌケな話だ。何が細心の注意を払っていただ。

 無意識に佐々木さんの方を見ていたとは……。

 これじゃあ、犬戊﨑以外のクラスメイトにも、気付かれているかもしれないな。

 僕は自分の不甲斐なさに、思わず嘆息する。


 「お、怒っていますか?」と子犬のような瞳で、潤ませながら聞いてくる。

 「べ、別に怒ってないさ……そんなミスを犯していた自分に嫌になっただけだ」

 「みーちゃんも別に言いふらすつもりはありません! ただ……」


 犬戊﨑は言葉に詰まり、何かを言おうとしていたが。落ち込んだ表情になりながら、ぶんぶん首を振って、言葉を飲み込んだ様子だ。


 「この部活――」

 「はい?」

 「この部活。漫研なんだろ? と言う事は、犬戊﨑は絵が描けるのか?」


 犬戊﨑は表情を一変させ、ぱあと表情を明るくさせて。胸を張って自慢げに声を大にして言う。


 「勿論! 他者とは比べものにはならないくらい上手いです!」

 「マジか」

 「マジもマジ! 大真面目です! なんせこの部活はみーちゃんがいないと成り立たないですから!」

 「ん? どういう事?」

 「イラストのコンクールに送って金賞――とまではさすがにいかなかったけど、佳作は去年とりました! コミケでの評判も上々です! だからみーちゃんはこの漫研のエースみたいなものです。定期的にコンクールやコミケでの活動をして、尚且つ結果も残しているからね。だから、この漫研は潰れないのです」


 僕にはその結果がどれほど凄いものなのかは想像もつかないけれど。犬戊﨑のこの自信を見る限りでは、相当な物なのだろう。

 たぶん、佐々木さんも納得してくれるはずだ。


 「そうか、凄いんだな。犬戊﨑は――そんな凄い犬戊﨑に頼みがあるんだが……」


 僕の言葉に犬戊﨑は、あざとく、可愛く小首を傾げた。



 

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