第4話 狂った歯車

「ありがとう、リムルちゃん!」

「ドウ、イタシマシテ!」

「現地語ではこうだ、ミーナ。ウェレシュテ、リムル」

「ヤィ!」


 私が異世界言語で食事のお礼をすると、リムルは無邪気に喜んだ。

 彼女に、同胞を虐殺した敵兵の捕虜に食事を渡しているという感覚はないのだろう。はるばる遠くから来たお客さんに食事を出している。そのような認識のようだ。

 その認識は正しくない。しかし私に指摘する理由はなかった。

 彼女は知らない。私が無抵抗の親子をブレードで切り裂いたことを。


「グィアンは何を考えている」


 私は食事のトレーを受け取りながら、思わず呟いた。捕虜となって既に三十時間が経過しているが、一向に待遇の変化はない。どうやら彼は私たちに、正確には私に何かを期待しているようだ。

 同情心を。ストックホルム症候群を。ならば私はリマ症候群を誘発させる。

 彼には私に同情してもらう必要があった。そのためのコミュニケーションツールとしてリムルの存在は必要不可欠だ。そしてそれはグィアンも同じだろう。

 妹とそっくりな彼女と長時間接することで、私がインディアンに絆されるか。

 私の話をリムルから聞いたグィアンが、私たちを無条件で解放するか。

 一種の駆け引きだった。しかしそのキーであるリムルは無邪気に、兄の名前が出て反応を示す。


「グィアン、ユウカン!」

「ユウカン?」

「ソウ、デス! ユウカン! ユウカン、オトコ!」

「勇気ある者、と言いたいようですね」

「デリト、フゥム、ニャミスココハ?」


 彼の名前の由来かどうかを私が問うと、はいを意味するヤィ! という快活な返事をリムルは返した。

 なるほどと私はひとりごちる。確かにあの男は勇敢だ。不可思議な力を使って、絶望的な戦いに身を投じている。勇猛果敢に。


「げ、現地語も板についてきましたね、隊長。私なんて、彼女が何を言ってるかさっぱりですけど」


 フィレンが疲れた表情で気を紛らわすように言葉を放つ。幾分和らいだが、まだ緊張は抱いたままのようだ。


「言語にはパターンがある。それさえ見つければそれなりにな」

「端末がオンラインになれば……」

「十分にデータは揃った。もう少しでマスターできる。後で教えてやろう」

「あ、ありがとうございます。たぶん、使い道はもうないですけど」


 フィレンはこの状況が何のデメリットもない形で収束すると想像しているようだ。残念だがその見通しは甘いと言わざるを得ない。言葉には出さないが。

 しかし、待機していれば遠くない未来に進展がある。私は予期していた。それはエミリーもそうだ。だから彼女は冷静で、食事と安全という処方箋がないと気が狂ってしまうミーナとフィレンは私たちほど場に馴染めていない。

 そして、純粋な彼女もだ。リムルは澄んだ眼差しで私を見てきた。


「ウィーリ」

「何だ? フェツ?」


 リムルが発した単語の意味がわからず聞き返す。と、彼女は自身を指さした。


「ウィーリ、ホフト。……アナタノ、ウィーリ」

「ウィーリとは……」

「妹さんのことを訊ねているのでは?」

「ウィーリは姉妹を指す単語か」


 私はリムルと同じように自分を指で示し、その後にリムルを指した。すると、リムルはこくこくと頭を縦に振る。私たちの世界で普遍的なジェスチャーは異世界でも通じていた。


「カグヤのこと、か……」

「シズクウィーリ、カグヤ!!」

「カグヤ……カグは……」

「はーい! 私も聞きたいです隊長さん!」


 ミーナが片手でスプーンを口元に運びながら手を上げた。奥で縮こまるフィレンも小さく手を掲げる。


「私も、です。よろしければ、ですけど」

「私も拝聴に与りたいですね、隊長」

「エミリー、お前もか。仕方ない……」


 リム症候群の発現にも利用できるかもしれない。私はそう考えて、私たちの世界の言葉と異世界言語を使い分けながら、四人に説明し始めた。

 私の生きる理由である、カグヤのことを。



 カグヤは私が六歳の時に産まれたとされている。

 生殖管理法を破った出産だった。私の両親が稼いだ貢献度では、二人目を出産するラインに達せず、出産する権利は与えられていなかった。そうだ、リムル。私たちの世界では、子どもを創る……新しい家族を迎えるには、社会に貢献する必要があるのだ。

 それでも、カグヤはこの世に生まれ出でた。私の妹として。ヒキガネ家の一員として。或いはそれが悲劇のはじまりだとでも他人は言うのかもしれないが、私にとってはありふれた事項であり、日常だった。

 両親は当然ながら処分された。というよりも、処分される代わりに妹を延命させたという表現が正しい。社会から見れば当然の末路だろうが、カグヤのためにはなった。

 カグヤは健やかに育った。足が不自由だという一点を除けば。それと、無欲な点も挙げられる。カグヤは何も欲しがらなかった。

 私が軍学校に所属し、軽作業に従事して稼いだ貢献度で何か欲しい物があると訊ねても、彼女は何も欲しがらなかった。

 いや、実際には彼女が欲するものがあった。アンティークだ。彼女は古い文献や本、映画などのサブカルチャーに興味を抱いていた。だから私は自由に使えるポイントを使って、それらしきものを見繕い彼女に与えた。カグは困惑していた――恐らく私が選んだものは彼女の好みとは違っていたのだろう。それでも喜んでいた。

 私は彼女が喜ぶ姿が見たかった。ゆえに私は妹の生存権と並行してプレゼント用のポイントも貯めていた。前以て言っておくが、今回の出兵は予定外のものではない。昔から計画していたものだ。妹は自分の存在が足を引っ張っていると誤解していたようだが、違う。ホワイトベレーへの所属は、六歳の頃に決めていた。

 話を戻そう。カグヤは古い物が好きだ。今の社会では無価値だと設定されたメモリーデータの数々が。……違うな。カグヤは地球が好きだった。

 昔の映画は、フィクションも混じっているが……過去の地球が鮮明に記録されている。動物図鑑を見て絶滅した動物たちに思いを馳せ、植物名鑑をめくり、大地に芽生えていたとされる生命の息吹に目を輝かせる。そして、当時の人間が何を思い何のために生きていたかを考えていたのだ。

 ……カグヤは、自分の存在が無価値だと思っている。だが、私はそうは思わない。カグヤには何の罪もない。もし社会が彼女の価値がないと言い張っても、私は違うと言うだろう。彼女がいないと私が壊れるからだ。そして私が有用である限り、カグヤの価値はあり続ける。

 だから私は戦うのだ。私のために。私の価値を社会に提示し続けるために。



「……結局、私の話になってしまったが許してくれ。カグヤの存在は、私のことも多分に含まれてしまうからな」


 話を終えた私は皆に謝罪する。今の話ではカグヤについて正確な情報は得られないだろう。カグヤについて話すべき事柄は多すぎるが、口下手な私では、彼女を正当な言葉で言い表すことができない。優しいあの子の魅力を上手に伝達することはできなかった。

 なのに、なぜか場はしんと静まり返っている。私は訝しんで、エミリーの肩に触れた。


「どうした、エミリー」

「いえ。あなたの愛は伝わりましたよ」

「私を責めるか? 自己中心的だと」

「そんなこと……ないです……」


 ぽたぽたと水滴が床に落ちる。ミーナの方から音が聞こえたためスープをこぼしたかと誤解したが、滴は彼女の瞳から溢れていた。なぜ泣くのだ。私が訊ねると、ミーナは涙を拭いながら涙ぐんだ声で応じた。


「友達を……思い出して……」

「味を教えてくれたという?」

「はい……私の友達も、処分、されちゃって……。その時のこと、思い出して……」


 察するに依存性の高い味が付与された食物を不用意に与えた罪で処理されたのだろう。普遍的なことであり、そこに悲しみという情念を抱く理由は見られない。

 だからこそ、彼女は変異体バリアントなのだ。一般的な市民なら、何の感情も抱かない事項に彼女は涙を流せる。

 しかし、そのことを糾弾する気はなかった。もし同じようにして妹を喪えば、私もどうなるか知れたことではない。


「ごめんなさい!」

「フィレン、お前はどうしたんだ」


 さらに意味不明な言動が私に投げかけられる。より不明な行動と共に。

 フィレンは土下座して詫びを入れていた。全く理解が追いつかない。


「わ、私に、そんな理由はないのに……大した理由も、意味もない私がこんなところにいちゃって……ごめんなさい!!」

「お前は来なければ死んでいた。そうだろう」


 何を恥じる必要がある、と言いつけて、私は最後にリムルへと顔を向けた。

 そして、絶句する。カグヤの顔が見えた。

 自分の存在が私を苦しめていると誤解して、泣きじゃくっていた時の顔だ。


「キイテ、ゴメンナサイ……」

「謝る理由は……リ、ドスグノ、ムア、メ」

「ウェト……ウェト!!」


 リムルは泣きながら駆けだしてしまった。反射的に追いかけようとして、格子に遮られる。すぐに思考を正常に戻す――なぜ私は焦っている。リムルはカグヤではない。カグヤではないのだ。私は自分に言い聞かせる。


「リムルに身の上の話をしたのか。妹のことを」

「盗み聞きとは趣味が悪いな、グィアン」


 グィアンの登場にはさほど驚きを感じられなかった。彼はいつものようにインディアンの戦士の装束に身を包んでいる。リムルとお揃いの特徴的な羽根飾りを頭に着けて。


「それで俺がお前に同情し、解放してもらう腹積もりか?」


 やはりこの男の思考は私に似ている。自然と笑みがこぼれた。


「ああ、そうだ。同情したか?」

「悲劇だとは思ったが、不用意に牢を開け放つ理由にはならない」

「私が同胞を殺したからか」

「そうだな。お前たちは罪人だ。だが……仕方ない面も存在している」

「仕方ない面だと? 聞いていただろう。私は自発的に志願した」

「妹を守るために」

「違う。私のためだ」


 誰かのために戦うなどという綺麗に着飾った言葉で無責任を露呈するつもりはなかった。私が殺したいから私が殺した。ただそれだけに尽きる。


「だが、結果を見れば妹のためになっている。お前がどれだけ言葉を曲げずともな。俺はそう解釈した。お前がいくら言葉を並べ立てようとも俺の考えは変わらない。お前が何を言っても考えを変えないように」

「で、どうする」


 考えを曲げないと明言した以上、言い争っても時間の無駄だ。それは相手も同じく感じているようで、話題は別の方向へとシフトした。


「どうするとは?」

「とぼけるな。お前は私たちをいつまで拘留しておくつもりだ。それとも、見世物としてここに飾るのか? 生きた標本のように。もしくは、部族の仲間として迎えてくれるのか? 幸い、ここの居心地の良さは素晴らしいからな」

「えー私はこんなところ嫌でむぐ」

「ミーナ、静かに」


 話の腰を折ったミーナの口をエミリーが塞ぐ。グィアンは無表情でこちらを見ている。


「時間がないのは俺だけじゃない。お前も同じはずだ」

「カグヤの処分期間はまだ十分に残されている」

「そして、また処分されないようにこちらの人間を虐殺するのか」

「そうだとも。それしか方法がないからな」

「つまり、お前はお前の社会に妹を人質に取られて、不本意な殺人を強要されている。そう解釈することも可能だな」

「何が言いたい?」

「わかるはずだ。別の方法について」


 想定していた通りの言葉が並べられる。リム症候群。加害者が被害者に同情してしまう症状。精神的変異の一つ。


「私に……反逆せよと? 社会に刃向かえと言うのか?」


 言葉こそ不穏なはずだったが、私は自分でも驚くほど愉快に訊ねた。場の空気の変化についていけないフィレンがぽかんと口を開けている。


「それも一つの選択肢だ。俺たちの側に付き、社会に反抗する」

「勝ち目のない戦いに。断る」

「勝機はある。そうだろう?」


 事実だったが、口には出さない。おくびにも。


「ない。お前のその不可思議な力がインディアン全員に使用できるなら話は別だろう。しかし、実際は違う。その力はお前だけしか、或いは限られた人間にしか使えない。だからこの地区以外のインディアンたちは虐殺されている。成す術もなくな。まだ……西部開拓時代の方がマシだったろう」


 グィアンが眉根を顰める。当たり前の反応。フィレンもミーナも意味が分からないという顔をしている。管理政府が受講を義務付けた歴史の中に、革命期以前のものは含まれていないせいだ。

 ゆえに、世界がまだばらばらだった頃の歴史を知る人間は限られている。私も昔はその一人だったが、偶然購入した古いデータの中に西部劇というジャンルが混ざっていた。学術的興味からカグヤは史実を調べ、私に教えてくれたのだ。自分でも調べた。


「アメリカという……今は存在しない国で遥か昔に起きた話です」

「アメリカ……?」


 ミーナも眉根を寄せた。フィレンも全く理解できないという顔だ。過去にどれだけ覇権を握っていたとしても、未来では記憶の片隅にすら留められない。不必要な情報としてデリートされていく。

 だが、私は覚えている。カグヤも。そしてエミリーもその一人のようだ。


「よく知っていたな、エミリー」

「隊長のことならば何でも知ってます」

「有能だな」


 私が微笑むと、エミリーは照れるようにはにかんだ。珍しい表情だ。私は素の表情――社会に貢献する人間が取るべき表情――に戻ると、彼女の説明を引き継いだ。


「簡単に言えば……今の私たちと状況はそう変わらない。土地と資源を求めて、アメリカ人と呼ばれる旧人類たちが開拓のために訪れた。西部は未知なるフロンティア。広大な自然、地下に眠る金脈、誰の手にも落ちていない土地。夢と希望に満ち溢れた場所だった」


 私はグィアンをまっすぐに見つめた。グィアンも怯むことなく私を見据えている。


「だがその場所には問題が一つ。インディアンがいた。……アメリカ人は……友好的な民族と共闘することもあったが、基本的にインディアンは処刑した。邪魔だったからだ。虐殺し、土地を奪い、自らの領土とした。そこに資源が存在したからだ。そして、その主な役目を担ったのが……」


 私は集落に無造作に放置されているであろう戦闘騎兵バトルキャバルリーに思いを馳せる。


「騎兵だ」


 古式銃を片手に馬に乗り、悪党であるインディアンを虐殺する騎兵の姿。インディアンたちはアメリカ人から見れば異様な文化を築き、意味不明な言葉を喋る化け物のような存在だった。

 だから躊躇なく殺した。邪魔だから。もちろん、中には異端者もいたが、ごく限られる。たくさんのインディアンが殺された。殺されなくとも迫害された。


「インディアンは敗北した。装備の差が歴然だったのと、彼ら独特の文化が原因だ。インディアンたちにはたくさんの部族があった。そして、彼らは互いに独立し、協力もしたが敵対もしていた。しかし、アメリカ人や異国から来た入植者たちは違う。国も思想も違う民族の集合体だが、目的は共通していた。フロンティアの開拓。その目的のために一致団結し、インディアンは太刀打ちできなかった」

「だから俺たちは敗北する。そう言いたいのか」

「その公算は大きいだろうな。……インディアンは大量に死んだが、それでも絶滅はしなかった。だが、今回の開拓ではそうはならない。異世界の資源は魅力的だが、管理政府の目的は人間が住める土地を確保すること。そしてお前はやはり交渉次第でどうにかなるのではないかと考えるのだろうが、その見立ては甘い。アリに住処を共有しようと言われたところで、人間が素直に応じるとは考えないことだ」


 西部開拓を元にした映画の数々を思い出す。虐殺されるインディアン。彼らは絵に描いたような悪役として描かれ、殺されて当然の人間として死んでいった。

 付随してカグヤの悲しそうな顔を思い出す。奇妙だったのは、カグヤが双方に共感し同情していたことだ。カグヤは騎兵もインディアンもどちらも可哀想だと言ったのだ。どちらも共存できる優しい未来があればいいのに、と。

 そんなものはない。私は否定したが、映画の中に紛れ込んでいたマカロニウェスタンなるフィクション作品が頭をよぎる。

 そのジャンルに出ていた主人公たちは、己の流儀を持ち、どんな挫折を受けても再起する。ふらりと街に立ち寄り、悪党を始末して静かに去っていく。既存のヒーローとは違うが不思議な魅力と吸着力を持つカウボーイたち。

 カグヤは暴力的な映画が好きではなかったが、そのジャンルは面白いと言って見入っていた。人を殺すのは好きじゃないし、なんかいろいろとめちゃくちゃだけど、楽しいね。そう笑いながら――。


「隊長?」

「いや、何でもない」


 私は記憶を振り払う。今一度グィアンに忠告した。


「とにかく、お前たちは管理政府に……ホワイトベレーには敵わない。まだ伝えていなかったが、ホワイトベレーは消耗品。言わば無能者たちの集団だ。本隊は別に存在する。勝ち目はない。そして、別の選択肢も有り得ない」


 私がグィアンたちに協力し、社会に反逆するという選択肢は存在しない。私は正常な歯車だ。社会に貢献するための。

 確かに私はインディアンを憎んでいない。ただ命令されたから、貢献度を稼ぐために必要だから殺しているだけだ。もし社会がインディアンを丁重に保護しろという命令を下せばその通りに従うし、そうでないなら躊躇いなく虐殺する。


「グィアン、私はお前の妹を殺せるぞ。リムルの喉元を躊躇いなく掻き切れる」

「それはどうかな」


 グィアンは含み笑いをしながら出ていった。今までのやり取りを全く気にしていない。私にはっきりとノーを突きつけられたというのに。

 だが、私には呆れた笑みが浮かぶだけだった。何の驚きもない。ただそうだろうなという冷めた情念が心の中を注ぎ通る。


「彼を懐柔できそうですか、隊長」


 エミリーに問われて私は今までのやり取りを踏まえた上での結論を述べた。


「無理だろうな。彼は、聞かない」


 だが、八方塞がりというわけでもない。全ては時間が解決してくれる。

 だから、私は余裕だった。冷めた食事を平らげると、リラックスして横になる。


「え、寝るんですか、隊長」

「身体を休めておけ、フィレン。ミーナも」


 エミリーに関しては言う必要はない。きょとんとする二人にだけ勧告する。


「私の予測が正しければ、今夜好機が訪れる」



 ※※※



 知らせは爆発音と共にやってきた。馴染み深い音に睡眠状態になっていた身体は瞬時に覚醒し、何ら不都合なく身を起こす。神経質な悲鳴を上げて飛び上がったフィレンや、爆撃音が鳴りながらもいびきを掻いているミーナに私は呼びかける。


「行くぞ、二人とも。エミリー」

「い、行くってどこに……」

「ふぁ……隊長さん? 何事です?」


 私が二人を立ち上がらせる間に、エミリーは盗んだ鍵で牢屋の施錠を解除していた。


「ってええ!? いつでも脱出できたんですか!?」

「いつでもではない。タイミングを見計らわなければ脱出は不可能だ」


 グィアンの存在が大きな障害となっていた。あの男は有能なスカウトだ。彼の目がある限り、私たちがすんなり逃げ果せるとは到底思えなかった。

 しかし敵の……私たちから見れば友軍の襲撃があれば別だ。彼は私たちが襲撃に合わせて脱獄することに気付いているだろうが、手は回らないはずだった。

 ゆえに安全に外へ出ることができた。見張りすらいない。月と星々の明かりが降り注ぐ幻想的な集落では、多くの火の手が上がっていた。その中に見えるのは白い機体。インディアンを虐殺する騎兵だ。


「味方が来るってわかってたんですかー?」


 あくびを噛み殺しながらミーナが訊ねる。私は首肯した。


「あの救援信号を受け取ったのは私たちだけではない。直近の部隊は私たちだけだったが……グィアンの存在は同胞にとって魅力的すぎる獲物だ。味方の部隊を撃破した敵は、それだけ強敵ということになる。彼が勝ち続ける度に賞金はうなぎのぼりというわけだ。私たちは皆、賞金稼ぎバウンティハンターだからな」

「あーうなぎ? うなぎって美味しいですよね」

「ミーナさん、今はそういう問題じゃ……」

「とにかく、私たちが確実に逃亡できるまたとない機会です。一度トレーラーに戻り、友軍の支援を……」


 とエミリーが方針を述べる声を遮るように、叫び声が聞こえた。炎の中、死体の中から。インディアンたちの助け声だ。

 助けてヴィルマ。私たちはその横を駆け抜ける。

 見捨てないでヴィルマ。私はその横を素通りする。

 殺さないでヴィルマ。私は無関心を装って、着実に目的地へと進んでいく。

 ヴィルマヴィルマヴィルマ。誰もかれもが同じ単語を叫んでいた。

 私がレンジャーを使って叩き切った母親も同じ言葉を叫んでいたのだろう。

 ヴィルマの合唱の中を私たちは進む。助ける理由はない。私たちは、私は敵なのだ。例え一切の悪感情を抱いていなくとも。インディアンに何の罪がないことを知っているとしても。


「きゃあ!!」


 しかしその悲鳴を私は無視できなかった。聞こえてきた少女の悲鳴に私は足を止める。

 振り返ると、リムルが転んでいた。リムルの背後にはレンジャーが迫っている。弾薬をケチり、ブレードを携えた騎兵が。


「リムル……」


 木々の間をゆっくりと歩み騎兵に、リムルは恐怖を抱いた。今にも泣き叫びそうな表情でレンジャーを見上げて、視線を前に戻す。そして逃げようとするが、足を痛めてしまったのだろう。しかめた顔と私の目が合った。


「リ、ムル……」


 自分が驚いている表情がありありと想像できる。なぜだ。それは優性遺伝子エリートブレンドを持つ私がしてはならない驚愕だ。


「隊長!?」「隊長さん!!」


 フィレンとミーナが立ち止まる私に驚く。いくらインディアンが劣った民族とは言え、戦場の真ん中で立ち止まるのは命取りだ。しかも、友軍に誤爆されても文句は言えない場所に私たちはいる。

 なのに、私の身体は動かない。なぜだ。彼女はインディアン。赤の他人。殺せと命じられれば何の躊躇いもなく殺せる人間のはずだ。


「隊長、急ぎましょう。ここは危険です!」


 エミリーの焦った声が聞こえる。今までの私なら何の問題なく返答できた。

 しかし今の私は言葉を奪われている。目の前の少女に、奪われている。

 ヴィルマと言え。他のインディアンと同じく助けを求めろ。私はそう強く念じた。そうすれば、私は平然と彼女を見殺しにすることができる。

 リムルを救う役目はグィアンにあるのだ。私にはない。私の妹はカグヤで、リムルはカグヤではないのだから。例え瓜二つ、双子と言っても差し支えないほどに似ていたとしても。

 だが、彼女は助けを求めなかった。ただ、首を横に振る。


「イイ、デス……ダイジョウブ、デス……ワタシ、ハ……」


 ――私はいいんだよ。私はしょうがないんだから。私は、大丈夫だから。


「止せ……」


 言葉が紡がれる。先程までの沈黙が嘘のように。


「止めろ……」


 この言葉は誰に向かって放っているのか。

 葛藤する自分の心に対してか?

 リムルを殺そうとするレンジャーか?

 助けを求めないリムルへか?

 悲しそうな顔で自らが不要な存在だと訴えるカグヤへか?


「止めろッ!!」


 私の身体は不自由に、しかしとても自由に動いていた。

 ブレードが振り下ろされる前にリムルの傍へと滑り込むと、そのまま騎兵の足元を潜り抜ける。驚くリムルを肩に乗せて、私は目的のものを探し始めた。

 グィアンの助けは期待できない。流石の彼と言えども、私の懐柔のために妹を危険に晒したりはしない。彼が妹を救わなかった時点で手一杯だと推測できた。

 西部開拓時代に数で圧倒されたインディアンたちのように。


「起動シークエンス開始……」


 私は言葉を紡ぎながら燃え盛る集落の間を一心不乱に走っていく。リムルが何かを喚いたが、気にしている暇はなかった。せっかくの貢献度を取り逃がしたレンジャーが私に狙いをつける。大口径のマシンガンの雨が私たちに降り注いだが、レンジャーのパイロットが教本通りの射撃をしてくれたおかげで弾道が読みやすくあっさりと回避できた。

 しかし、リムルを抱えたまま永遠に避け続けることはできない。癇癪を起したらしいパイロットの乱雑な銃撃が私の左肩を浅く裂いた。


「ぐッ……」

「シズク!!」


 リムルの悲痛な叫び。横目で見るその顔はどうしてもカグヤに似ている。

 私は無視して腕のデバイスへ音声コマンドを入力し続けた。


「バイオメトリクス認証……アクセス権限を解放」


 デバイスが私のDNAをスキャニングする。


「操縦権をシズク・ヒキガネ少尉に委譲せよ」

『許諾。パイロットシズク・ヒキガネ』

「各種システムを登録番号1224でコーディネイト。流動装甲をキャバルリーモードへ」

『警告。当機の損傷率六十七パーセント。別機体での戦闘を推奨』

「私に従え。オートパイロットモードへ移行」


 もうもうと煙が上がる先で、何かが光り輝いた。私はそこへ向かって駆ける。

 がむしゃらに。ただそうしたいからという理由で。

 そこへレンジャーが追いついてきた。リムルが現地語で危ないと叫んだが、私は気にすることなく煙の中へ飛び込む。

 瞬間、背後でヴィブロブレードが振り下ろされた。

 ……否、訂正の必要性を感じる。正面、からだ。


『パイロットの騎乗を確認。操縦をオートモードから、マニュアルモードへ移行』


 コックピットのモニターから私の、私たちの敵を見る。

 私は右手で握る操縦桿を動かし、ブレードを装備するレンジャーの右腕を強く振り払った。俯瞰モニターでは、片腕と片足のレンジャーのブレードが敵のレンジャーを弾き飛ばす姿が確認できる。


「――シズク・ヒキガネ。戦闘行動を開始する」


 私は動く。カグヤのために。リムルのために。

 私のために。自分という歯車が放つ異音を聞きながらも。

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