第3話 インディアン

 緊急信号が届いたのは、マークした集落へ攻撃を仕掛けようとしてトレーラーを走らせている最中だった。

 情報分析官であるエミリーに呼ばれて彼女が付けていたヘッドセットを片耳に充てると、ノイズ交じりの救援要請が聞こえてきた。


『応答! 応答せよ! 誰かっ!! こちらハンター142A分隊! 正体不明の敵とこうせ……うわああああ』

「どうしますか?」

「通信座標は」

「既に特定できてます」


 エミリーが示した端末の画面には、F-237地点のマークが点滅している。

 アンノウンがいるとされる場所だ。

 判断に迷う。地図上では、私たちが一番近い場所にいる部隊だ。

 だが、リスクも多い。そして見返りも。高危険度ハイリスク高貢献度ハイリターン


「大丈夫ですよ……行ってください」

「フィレン」


 まだ気疲れが残っている彼女がやってきてそう告げた。隊長はそうしたいんですよね。まるで私の心を見透かしたような発言だ。ふとエミリーを見る。彼女は微笑を浮かべながら顔を逸らした。どうやら看護中に妙なことを吹き込まれたようだ。

 部下に催促されたとなれば、手をこまねいている意味はない。私は決断した。


「わかった、向かう。しかし、危険だと判断した場合は即時撤退する」

「了解しました!」


 変な敬礼をしながらミーナがルートを変更し、ナビ通りにハンドルを切る。私は準備に取り掛かるため格納エリアへと向かった。

 銃器の類は常に点検をしているので、調整する必要はない。出撃前にすべきことは、ただ一つ。

 戦闘騎兵バトルキャバルリーレンジャーの起動だけだった。リモートでハッチを開くと、殻が割れるように開いた卵の中心部へ乗り込む。自動音声が案内を開始。


『パイロットの騎乗を確認。起動シークエンス開始』

「音声認識。バイオメトリクス認証……アクセス権限を解放。操縦権をシズク・ヒキガネ少尉に委譲せよ。……確認。各種システムを登録番号1224でコーディネイト。確認。流動装甲をキャバルリーモードへ」


 私の指示通りにオペレーティングシステムは動作し、卵を孵化させていく。中に格納されていたフレームやパーツが適時必要な形へと変化して、組み立て式のおもちゃのように様変わりしていく。変幻自在のように見える変形だが、形状記憶合金はあらかじめインプットされた通りの形にしか可変しない。

 すなわち、レンジャーモードへ。あらゆる地形を走破することが可能な人型へ。

 俯瞰モニターに、白色の騎兵が姿を現した。異世界開拓に志願したホワイトベレーに贈られる量産型戦闘騎兵バトルキャバルリーレンジャー。私が着込む制服と同じ色をした巨人は、装甲が丸みを帯びている。弾丸を受け流すための装甲だ。その装甲に包まれた腕を、関節を動かす。壁に収納されている装備が姿を晒した。

 手を伸ばして自分の銃を執るように。私のイメージ通りにレンジャーは動く。取り回しの良いカービンタイプのマシンガンを掴んで、人間がそうするように銃身の下部にカートリッジを取り付ける。人間の武器を拡大化させたような仕様なのは、意図しない不具合によって銃器が使用不能になる事態を避けるためだ。それに、コストも安くつく。

 それは他部隊の装備が流用可能なメリットにも繋がるので不満は抱かない。

 次に私が掴ませたのはヴィブロブレードだ。近接戦闘用の装備であり、現地人を始末するのには最適な武装だ。敵の攻撃は基本的にこちらの装甲を通らない。近距離での安全が確保されている状況でわざわざ遠距離を選択し、弾薬を無駄にする必要性は感じられなかった。

 無論、アンノウンとの戦闘が今までのインディアン通りだとは到底思えないが。


『隊長さん、後少しで目的座標に着きます。停車位置は……』

「安全距離を保て。敵の戦力が未知数だ。エミリー、そっちは」

『準備完了です。私はトレーラーの護衛と救出した部隊の回収ですね』

「そうだ」


 うまくいけば。しかし私は口に出さなかった。


『あ、あの……私は……』


 メインカメラの正面に、困惑したフィレンの顔が移る。格納エリアへとやってきたフィレンに、私は優しい声を投げかけた。


「お前は自分の任務を果たせばいい。ミーナの補佐を頼む」


 フィレンと運転手であるミーナもパイロットであり、格納エリアに存在する三番目の機体は二人が運用するための予備機である。だが、未知の敵に全戦力を投入するリスクは避けたかった。いざという時はトレーラーを守護するために出撃してもらう必要もある。


『隊長、お先に』


 エミリーが先に出撃する。簡易カタパルトで浮上したエミリーのレンジャーは優れた技巧で最低限の振動音のみを立てて着地した。私もそれに続く。


「シズク・ヒキガネ。出撃する」


 コールサインを聞いて、カタパルトが自動射出を行った。ほんの僅かに宙に浮いた私とレンジャーは姿勢制御を行い、トレーラーから少し離れた地点へ着地を行う。既にエミリーは機体から出てその肩に乗り、双眼鏡を覗き込んでいた。前方にある集落をスキャニングしている。無論、敵に発見されるという失敗を彼女は犯さない。


「生命反応は」


 私もハッチを開けて、外に出た。肩には乗らず、ハッチから身を乗り出す体勢で訊く。


「多数存在。……ハンター142A分隊も全員が生存しているようです」

「全員が生存?」

「ええ。おかしなことに。……破損したキャバルリーも確認できます」

「裏切り者がいると思うか?」


 予測を立てた私の問いに、エミリーは頭を振った。


「だとすれば、詰めが甘いと言わざるを得ません。殺さない理由がない。ジャミングを行わない理由も見当たりません」

「罠という可能性もある」

「それならもう攻撃を受けてもおかしくないでしょう」


 エミリーの分析は一理あった。私は機体のハッチの中へと戻りながら指示を出す。


「では、手筈通りに。私が先行する。敵を撹乱させて、捕虜を誘導する」

「了解しました」


 ハッチが閉じる。モニターに集落が写った。私たちの文明レベルでは考えられないほどの粗末な作りの集落は木造住宅を中心としている。中には大木の上部と一体化している家屋もあった。自然を生かした建築だ。

 人工的な素材を白く塗りたくって作られる私たちの世界とは異なっている。

 私はペダルを踏んでレンジャーを前進させた。隠密行動は考慮しない。まずは派手に敵を撹乱させる必要があった。

 なので、破れかぶれの特攻を演出する。敵がちゃんとパニックに陥ってくれるか少し心配だったが、


「マッティカ! ポエミ!!」「チッピ! ポエミ! ポエミ!」

「ポエミは、逃げろ、か……」


 そしてマッティカは巨人……つまり私を意味する。

 インディアンの見張りらしき人物が叫んで、集落は大混乱に陥る。シナリオ通りの展開は好都合だが、不審にも感じられる。敵はキャバルリーを破壊するほどの戦力を持っているはずだ。だが、今のところ脅威的な反撃はない。

 その力の持ち主は出払っているのだろうか。とりあえず、私は手近な見張り台をブレードで切り裂いて壊す。生体反応が確認できない建造物の破壊は、敵を威圧させるためのものだ。今回は救出任務であるため、積極的な殺人は避ける。

 というのも、連中の習性が利用できるからだ。


「もう一つ壊すか」


 私は見張り台をもう一つ破壊して、弓矢や槍を構えてキャバルリーの道を塞ごうと努力する連中の手前にマシンガンを掃射する。敵は戦意を放棄し、次々と逃げていた。そのうちの一人が転んでしまい、それを同僚が手助けする。


「やはり、か」


 これが敵の習性だった。仲間を救おうという助け合いの精神だ。私はほくそ笑むとハッチを解放。レンジャーをオートパイロットモードにして、サブマシンガンを片手に飛び出した。

 インディアンが何かを言って――恐らくは敵を見つけたという語句――私に弓を放とうとする。その足を私は精確に撃ち抜いた。

 悲鳴を上げてインディアンが倒れる。そして、その男を二人の敵が助けに入った。一発の弾丸で三人の敵が戦闘不能になる。私は次々と敵の急所をあえて外して射撃し、銃弾の数よりもたくさんの敵を足止めしていった。

 一対多数という数字だけを考慮すれば絶望的な戦いだが、これならばまだ訓練の方が大変だった。

 引き金を引けば男が倒れて別の男が介護に入る。それをもうひとりが守る。スナイパーが複数の敵を足止めするための戦法を、私はサブマシンガンを使って行っていた。文明レベルの違いという残酷な現実を彼らに突きつけていく。


「後少しだな」


 勇んで突撃してきた槍兵の突きをステップを踏んで避け、蹴りで柄を弾く。至近距離で突きつけられた銃口に慄く敵兵の右肩に風穴を開けた。


「なるほど」


 しかし敵は諦めず強引に槍を振るってきた。私は左手で柄を掴んで止め、


「ネバーギブアップか。そんな言葉があるとカグヤが言っていた」


 私はお返しの弾丸を彼の足に送る。絶叫する仲間を見て怖じる敵。息一つ乱さない私に、敵は恐怖の感情を抱いている。いい兆候だ。

 私はマークされた捕虜が囚われている小屋の前で立ち止まると、あえて銃を投げ捨てた。そして、無防備な姿を衆目に晒す。インディアンは顔を見合わせて戸惑っている。

 だが、そのうちの一人、勇敢な男が弓を引いた。私はそれを回避せずに受け止める。矢柄を掴むという方法で。

 不要になった矢を捨てて、私は次なるアクションを待つ。今度放たれた矢は顔を逸らすという簡易な動作で避けた。三撃目はステップを踏んで躱す。踊りでも踊るかのように。

 最後の一撃は、ナイフを取り出して弾き飛ばした。敵の輪に広がる動揺はサイコスキャナーを用いなくてもありありと検知できた。

 敵の一人が戦意放棄し、それが集団に伝染していく。二十人ばかりいたと思われた障害は散り散りとなって逃げていった。

 私はサブマシンガンを回収し、小屋のカギをナイフで壊すと、中で怯えている友軍の捕虜を発見した。


「助けに来た。ハンター142A分隊だな」

「男……」

「何?」

「あの男は……?」


 隊長らしき少女の発言の意図が不明だった。男ならばたくさん見た。連中は不思議なことに女を戦士として積極的に使役しないようだ。だが、どれも取るに足らない。敵と評価していいかすら定かではない。あれでは管理政府がそう表現するように、道端に生える雑草と同じだ。邪魔だから刈り取るだけの存在に過ぎない。


「どの男だ」

「い、いいから! 早く外に出して!」


 隊員の一人がヒステリックに叫んだため、私は木製の檻をこじ開ける。捕虜たちを外に連れ出して、呼び寄せておいたレンジャーに乗り込んだ。


「少し先にトレーラーが停車している。私の部下もな。彼女たちに合流してそれからは……」


 と計画を説明している最中だった。機体が不自然な振動を感知したのは。


「何だ……?」

『警告。レフトアームが破損』


 私は音声システムの警句が理解できずに聞き返した。


「何?」

『レフトアームが破損。敵の攻撃を感知』

「どこからだ?」


 俯瞰モニターに映るレンジャーは左腕がぐにゃりと歪んでいる。バチバチとスパークし、今にもちぎれかかっていた。高火力。インディアンの仕業ではない。

 とすれば、裏切り者か? しかしこれほどの武装をレンジャーが積んでいるだろうか?

 瞬時に私の疑問が解消される。スキャン結果がモニターに表示された。

 そして私は訝しんだ。検索結果は今の大火力攻撃が木の上に立つ男から放たれたとするものだ。

 ただの人間にこれほどの火力は出せない。その常識が私の判断を鈍らせた。

 別の存在からの攻撃だと誤認した私は、男から目を離した。さらには、救出した捕虜たちが私が示した方角とは別方向に逃げていることも、注意力を逸らす要因となった。

 ゆえに、また不意を突かれることになってしまう。機体がバランスを崩す。


『ライトレッグの機能を消失。機体制御不能』

「く……ッ」


 体勢を崩してダウンする機体の中で、私は自機に命中した攻撃の映像を再生させた。閲覧したバトルログには木の上に立つ男が矢を放つ様子が鮮明に映っていた。

 だが、普通の矢ではない。虹色に光り輝いている。カグヤが一度見てみたいと熱望していた虹の色に酷似していた。


「戦闘コマンドE-43に移行。プログラム開始」

『認証成功。一時休止モードへ移行します』


 私はレンジャーを眠らせた。どのみち片足ではまともに戦えない。

 と、足音が近づいてくるのがわかった。あの男だろう。近距離での安全が確保されている状況でわざわざ遠距離を選択する必要性はない。私が近接戦闘を選ぶのと同じ理由だった。

 私は小さく笑うと、サブマシンガンを手に取る。男は仰向けに倒れた騎兵のハッチの上へと昇って、左手を翳した。不明な文様が浮かび上がる。ホログラムに似ていたが、虚構を作り出す幻影出力装置とは違って物質的な力を感じられた。

 最低限のセキュリティを突破しなければ機能しないはずのコックピットハッチが開く。瞬間、私はサブマシンガンを乱射した。呼応して、休止モードのレンジャーが起動。


『緊急射出。パイロットは衝撃に備えてください』


 私は空へ向けて放り出された。流動的な装甲とフレームを持つキャバルリーは、好きなタイミングで好きな場所から緊急脱出を行うことができる。

 射出された瞬間、私はアンノウンと至近距離で顔を合わせた。独特の衣装、浅黒い肌。漆黒の髪。若い男で推定年齢は二十代前半。勇猛果敢で戦士の風格を持つ男。しかし、知的な印象も兼ね備える。雰囲気が他のインディアン戦士とは一線を画している。

 まさに異端。私と同じ。

 しかし感傷に浸る時間は残されていない。今は戦場にいる。

 私は自由落下に移った身体の体勢を整えて、サブマシンガンを男へ撃った。すぐに弾切れ。しかし着地した瞬間にやられるのは避けられた。近くの木に左腕の腕時計型デバイスに仕込まれたグラップリングワイヤーを打ち込み、木の表面に着地を決めてリロード。木を蹴飛ばすようにして飛び降りながらサブマシンガンをさらに撃つ。男は弓を構えていたが、穿たなかった。銃撃を回避する。その動きだけで十分驚異的だった。先住民は私たちのように遺伝子調整は受けていない。力も俊敏性も体力も私たちに比べて劣っている。

 だが、この男には身体スペックの優劣を覆す何かがある。私の直感の正しさを証明するように、男は近接戦へ持ち込もうとする私に向けて弓を放った。

 不自然に光り輝く矢は私の至近距離を掠めて後方へと着弾し爆発を起こした。ただの矢が、虹に光る矢が爆発したのだ。爆弾のように。

 これは私たちの世界の常識ではまず考えられないことだった。だが、目下すべきことはその現象を有り得ないと嘆き狼狽することではなく、目の前の男を倒し仲間と合流することだ。

 遠距離戦においては私の方が不利だと先程の攻撃で確信した。だが、近距離戦ならば分がある。私は当初の目論見通り男に切迫し、サブマシンガンを鈍器のように振るいながら、左手でナイフを引き抜いた。男は矢を仕舞い、トマホークとナイフを取り出す。

 想定通りに事は進まなかった。男は近接戦闘も達人の域。私と実力は拮抗していた。

 敵は銃器がどういうものかを理解し、銃口を避けようとする。まともなメカニズムが搭載されていないナイフは言うまでもない。刃と刃をぶつけ、銃身と手斧の柄を交差する。もしこれが一対一の決闘ならば……カグヤと共に見た西部劇というジャンルの映画に出てきたような正々堂々の勝負ならば、このまま続行してもよかったかもしれない。だが、ここは敵地だ。そして今は、公正明大な真剣勝負をしているわけでもない。

 逃げたと思われた敵兵たちが続々と集って来ていた。しかし一般的なインディアンの強さはたかが知れている。無論、油断は大敵なのでするつもりもない。

 とは言え、未知の戦力を保持するアンノウンと雑兵のインディアンたちの相手を同時にするのは得策だとは言えなかった。バトルキャバルリーが使用不能な状況ではなおさらだ。

 なので、私は撤退することに決めた。そのために敵の習性を利用する。

 人質を取り、動けなくなった連中を後目に退却するのだ。私は集う軍勢の中に最適な、年端もいかない少女を見つけて――目を見開いた。


「カグ……!?」


 カグヤが、いた。インディアンの中に。

 瞠目する私を見て、困惑する少女。二本足で立っている。生まれつき不自由なのに。


「……ッ!?」


 自らの失策に気付き息を呑んだ時には遅かった。

 男は顔面に迫っていた。トマホークが私の頭に振り下ろされる。

 私は地面に倒れた。当たったのは刃部分ではなかったが、頭部がずきずきと痛む。男は私を見下ろし、トマホークの刃先を顔に突きつけている。ホルスターのピストルに手を伸ばしたが、男に制された。


「止せ。抵抗を止めろ」

「言葉が、わかるのか?」


 表情には出さなかったが、驚いていた。男は現地語ではなく私たちの言葉を使っている。男は油断を一分たりとも見せない戦士の眼差しで首肯した。


「言語を学ぶのはお前たちのみの特権ではない」

「であれば、私がそう易々と投降しないとわかるはずだ」

「……ならばお前の仲間に危害を加えることになる」


 私たちの決闘を見守るように集まっていたインディアンの人波が割れ、中からエミリーとフィレン、ミーナが現れる。男の到着が遅れたのは後方支援部隊を対処していたからだったようだ。


「申し訳ありません、隊長」


 エミリーが謝罪する。フィレンは恐怖に呑まれて怯え、ミーナも緊張している。

 彼女たちを見ながら、私は今一度思う。

 優れている。認めざるを得ない。この男は他の先住民とは違う。

 私はピストルを取る。しかし男に緊張の表情が窺えない。結果がわかっているのだ。私はピストルを遠くに投げ捨てた。私と男以外に広がっていた緊迫とした空気が解れるのが目に見えてわかる。

 倒れたままの私は視線を凝らして、改めてカグヤを探した。だが、見つからない。

 気のせいだったのだろうか。いや、気のせいに違いない。私は男と数人のインディアンに促されて、両手を上げながら捕虜の救出に向かった木造の牢屋に閉じ込められることとなった。



 ※※※



「痛みますか、隊長」

「いや」


 私たちは一纏めに檻へと閉じ込められた。フィレンは片隅で震え、ミーナは落ち着きなく周囲を見回し、冷静沈着なエミリーが同じように平常心を保っている私に尋ねた。

 私は頭に手を触れる。簡素な包帯らしきものに巻かれた頭に。インディアンの意図が不明だった。なぜ私の怪我を治療したのか定かではない。

 尋問はおろか、乱暴もされなかった。もし私たちをレイプしようとするような連中ならば、今もこうしてここに収まってはいない。檻が開かれた瞬間にインディアンの首をへし折って、とうの昔に脱出している。

 だが、そうはならなかった。やはり敵は、あの男は優れている。


「交渉の材料として私たちを利用するつもりでしょうか」

「ホワイトベレーを?」


 エミリーの疑念に私は思わず皮肉を口走った。消費することを前提とした消耗品を返されたところで管理政府が交渉に応じるとは思えない。

 男がその事実を失念している可能性も考えられたが、そんな浅はかな男には見えなかった。それに、彼は前回も似たような手品を使って部隊を撃退しているはずだ。

 彼はその不可思議な力を使って記憶を消去し、部隊員を還している。交渉する気が端からなかったのか、一度試してみて無理だと諦めたかのいずれかだろう。

 エミリーが次なる男たちの目的を呟く前に、ミーナが駄々をこね始めた。


「おなかすいた! おなかすいたぁ!!」

「ミーナ、今は」


 エミリーの諭しを聞かずにミーナは騒ぎ始める。元よりそういう欠陥がある少女なので、耐えろという命令を彼女が聞くはずもない。それはフィレンも同じだった。酷く怯え、顔が真っ青な彼女は現状を脱するためなら何でもしかねないという状態だった。安心を欲しがっている。そのためなら自分の全てを平然と曝け出すだろう。

 少々困ったことになった。このままでは部下の内二人が時を待たずに使い物にならなくなる。私はエミリーと目配せし、見張りを呼び寄せることにした。

 所詮は先住民だ。誘惑すれば簡単に落ちるだろう。性交渉によって食事と安全を入手する。今は自分の貞操よりも、部下の精神保全の方が大切だ。

 だが、予想に反して牢屋の外から聞こえてきたのは、少女の声だった。


「ミヤヒタマ! ウ、ス……オマタセ、シマシタ!」

「…………」

「隊長?」


 部下を守るために男を抱こうとしていた私の覚悟が一瞬で吹き飛ぶ。現地言語の中に私たちの言葉を付け足して、料理を運んできたのはカグヤだった。

 いや……カグヤではない。とてもよく似ているが、彼女ではない。

 まず肌の色が違う。カグヤは私と、私たちの世界の人間の共通色と同じく真っ白な肌を持つ。しかし目の前の少女の肌は浅黒い。衣服も管理された社会に支給された人工的なものではなく、野生動物の毛皮や植物性の織物を用いた自然のものだった。頭にはあの男が身に着けていたものと同じ羽根飾りを着けている。

 そして……もっとも異なる点はその両脚だ。カグヤは足が悪い。だが、少女の足は自由だ。車いすに縛られていない。社会に、小さな家の中に閉じ込められてはいない。どこにでも歩いて行ける、二本の足だった。


「ごはんだ!!」

「ウヘス! ゴハン、デス!」


 ミーナの反応に合わせて、たどたどしい世界共通語を話すカグヤと瓜二つの少女。トレーの上に載せられた四人分の食事は見た目こそカグヤが用意したものとは異なっていたが、彼女が浮かべる笑顔はカグヤそのものだった。否が応でも知覚してしまう。妹の存在を。

 少女はトレーを安全口から差し入れる。すかさず手を伸ばしたミーナの手をエミリーが掴んで止めた。


「待ちなさい。罠かもしれません」


 少女の……カグヤの表情が陰る。私は耐えられなかった。


「隊長!?」


 私はエミリーの驚愕を聞き流しながら、スープをスプーンですくって摂取する。


「美味しい……」

「わ、私も食べますよ! いただきまーす!!」


 ミーナは驚異的な腕力でエミリーの腕を振りほどくと、早速食事に勤しんだ。フィレンも怯える小動物のように少女を警戒していたが、パンを手に取って食べて顔を綻ばせる。

 エミリーは三人の様子を眺めた後、しぶしぶと言った様子で口にした。

 彼女もまた目を丸くする。カグヤと似た少女が運んできた料理はカグヤのものとそん色ない美味しさを持っている。


「カグヤ……」


 思わず口を衝いていた。妹の名前が。エミリーがハッとする。聡明な彼女は瞬時に事情を把握したらしい。


「妹さんと似てらっしゃるのですか。目の前の少女が」

「ああ。とても、似ている……」


 生き写しであるかのように。その言葉を聞いて、ドアの向こうから反応が示された。


「道理でな。お前の奇妙なタイミングでの躊躇に違和感を覚えていた」

「お前か」


 私の部隊を捕縛した男が牢屋へと入ってくる。彼の顔を見るや否や、少女がとびきりの笑顔をみせた。カグヤが私にみせるものに近しい。見知った、それも親しい間柄の人間に向ける喜々とした表情だ。


「グィアン、ウィー!」

「彼女はなんて?」

「俺の名前を呼んだ。お前がカグヤと呼称した彼女は、俺の妹だ」


 何という皮肉なのか。私は皮肉げの笑みをこぼした。


「だとすれば、私は後少しでお前から逃げ果せていたというわけか」

「だが、そうはならなかった。お前が躊躇したからだ。……やはりお前は、他のトレリアンとは違う」

「異世界人とは違う、と言いたいのか?」

「そうだ」


 男……グィアンは黙る。私は心なしかいつもより饒舌に男へと話しかけた。


「お前に色仕掛けをすれば、私に惚れてここから解放してくれるか?」

「その可能性はないな。俺はお前に用がある。性的な事項とは別の意味で」

「和平交渉か? だとすれば無駄だ。管理政府は異世界を開拓するまで止まらない。お前たちにとっては意外かもしれないが、政府には戦争をしているという認識はない。開拓作業中の事故で作業員が死んでいく。ただそれだけのことだ」

「わかっている。俺がお前に訊きたいのはどうやってその開拓を止められるかということだ」


 私は鼻で男の発言をあしらった。フィレンが不審に目をきょろきょろさせている。ミーナは注意を払うことなく一心に食事を続け、エミリーは意表を突かれたような顔をしていた。私自身、少し驚いている。この男との会話は面白い。


「政府に通告する気か? 言っただろう、無駄だ」

「交渉事ではない。物理的な解決策を訊ねている」


 やはりそうか。この男はそもそもの思考論が私と酷似しているのだ。だから、無意味な会話に意義を見出せる。


「私が素直に応じるとでも?」

「思わない。だから条件を言い渡す」

「条件? 言ってみろ」


 訊きながらもその答えはわかっていた。案の定の返答が言い渡される。


「お前と部下の安全の保障だ」

「信じるに値しない。そう私が突き放たしたらどうする?」

「記憶を消す」

「では、どのみち私と部下の安全は保障されるというわけだな」

「現状ではな。しかし、考えが変わるかもしれない」


 私とグィアンのやり取りで、フィレンの表情が二転三転していた。安心したり不安になったり。彼女は自分が安全な立場にいるという確証が欲しいのだ。

 しかし、そんなものはない。少なくとも今は。私は仰々しく肩を竦めた。


「平行線だ。なぜなら、記憶を消去されて管理政府に戻っても、私たちの安全が保障されるという確信は得られないからだ。そしてそれは、お前の力ではどうにもならない」

「では、確実性のある方法を選択すればいい」

「政府に告げ口をして、貢献せよと言うのか? しかしそれもまた政府は良い顔をしないだろうな」


 死ぬか敵を虐殺するはずの兵士が未知の敵に捕縛されました。しかし、彼女は敵と交渉して無事に戻ってきました。いや、失礼。言葉が欠けている。政府から支給された貴重な財産であるバトルキャバルリーを喪失し、敵にこちらが大打撃を受けるであろう情報を与えて戻ってきました。ああ、でもちゃんと敵の正体は把握できていますよ。彼の言葉が本当ならばの話ですがね。

 それで自分の立場が保障されると思い込めるのは、頭に何らかの障害を抱えている者だけだろう。使い回しも有り得ない。敵に洗脳されている恐れがあるからだ。

 単純に始末して、次の部品を出荷する。正常な社会の歯車を。

 現状で交渉は有り得ない。何を話しても安全が確保されることはないからだ。


「交渉に応じる理由がない。無理だな。諦めろ」

「武力で抑えつけたらどうする?」

「私は勇んで死ぬ。それならば、まだ名誉の死ということで妹の寿命を延ばすことができる」

「話さないのは妹のためか?」


 グィアンは屈んで私の目を直視してきた。私も似たような体勢を取り、木の柵越しに視線を交わす。


「いや、私のためだ」

「……そうか。今は話が聞けただけで十分だ。ブーヘ、リムル」

「ヤィ」

「リムル……か」


 ブーヘは進行を意味する単語であろう推測ができるので、リムルというのがあの少女の名前だろう。

 カグヤと瓜二つの少女が牢屋を去って行く。彼女は出る前に振り返って、はにかんだ笑みをみせた。

 その笑顔は眩しかった。だからこそ、私は決断しなければならない。

 ――私は、優しくないからだ。

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